2008年12月30日火曜日

遠近両用メガネ

帰国した翌日、近所のメガネ屋さんで新しいメガネを注文した。
読書用の老眼鏡が手放せなくなってきていたので、その予備を買うのが目的だったのだけれど、勧められて遠近両用を作ってみることに。会議などで、書類を見るときと相手と話すときとでしょっちゅうメガネを掛け替えなければならなくなっていた不便さが、大きな動機。結構張り込んだ。
で、できたのがこれ。
うまく使いこなせるようになればいいけど。




-- Post From My iPhone

2008年12月28日日曜日

ブログお引っ越し

今までjugemに書いていたブログ「ロンドン日記」を、bloggerに移すことにした。
jugemでは、過去に書いた日記のタイトル一覧を表示させる機能が弱く、検索が不便だったこともあるけれど、もっと大きな理由が、iPhoneからの編集ができないこと(Webブラウザからできなくはないけれど、かなり不便)。
Bloggerだと有料(600円)だけどBloggPressというアプリを使ってiPhoneからもブログの投稿や編集ができる(もちろんPCよりは不便だけど)。

今早速これをiPhoneで書いてみたけれど、まずまず何とかなりそうな感じ。
これでますますPCを持ち歩かなくてすむようになる。

ちなみに、今日は娘の気分転換もかねて、塾終了の6:30に家族で塾まで迎えに行ってそのまま木曽路で夕食。でも娘は帰宅後もしっかり勉強。最初の入試まであと2週間。

2008年12月26日金曜日

息子とディズニーランド

26日(金)は、朝7時過ぎに起きて、息子と一緒にディズニーランドへ。1月末まで有効な株主優待券が2枚あったのだけど、娘が受験のため家族では行けそうにないので、息子と2人で行ってくることに。8時15分頃、自家用車で出発。多少の渋滞はあったけれど、まずまず順調で、午前9時にはディズニーランドの駐車場入り。
しかし、入り口はものすごい行列で、チケットを持っていたのに入場できたのは9時15分くらい。早速バズライト・イヤーズのファースト・チケットに並びに行ったのだけれど、そこもすでにすごい行列で、チケットをようやくゲットできたのが9時40分で、入場が13時15分!次のファースト・チケットの取得が可能になる時刻が11時40分!いやーまいった。ちなみに、予定では2番目のファースト・チケットは、プーのアトラクションにする予定だったのだけれど、10時40分頃にプーの前を通って見てみると、すでにファースト・チケットの入場時刻は17時10分に!さすがにプーは諦めた。
で、気を取り直して「小物アトラクション」で稼ぐことに。スタージェットに始まり、イッツ・ア・スモール・ワールド、ビーバーブラザーズのカヌー探検、アリスのティーパーティを終えると11時50分になったので、スプラッシュ・マウンテンのファースト・チケットをゲット。入場は15時40分。屋台でスモーク・ターキーレッグを食べながら、ウェスタン・リバー鉄道をこなして、バズライト・イヤーズへ。で、キャッスル・カルーセル、トゥーン・タウン、トム・ソーヤ島いかだを終えると、スプラッシュ・マウンテンの時間。これでさすがに息子にも疲れが見えてきたので、おみやげを買って帰宅の途につくことに。午後5時にディズニーランドを出る。しかし、帰りは首都高速は大渋滞で、おまけに、疲れて判断力が鈍っていたためか、道も間違えたりして帰宅は午後6時半。結構疲れたけれど、楽しかった。

2008年12月24日水曜日

自宅でのクリスマスイブ

飛行機は、9時45分頃成田に到着。荷物の受け取りもスムーズにすみ、京成電鉄の特急で日暮里に出てJRに乗り換えて自宅へ。半年ぶりの自宅には、正午に到着。ただ、この日は平日なので、妻も子供たちも仕事や学校に出かけており、自分で鍵を開けて帰る。昼食は自宅でおでん。
2時半頃に息子、娘、妻が相次いで帰ってきて、家族再開。3時15分に予約しておいた歯医者で、歯の検査をしてもらったあと、帰宅してお土産の披露。
夜はイギリスから持ち帰ったオーストラリア産のスパークリングワインに、松阪牛のステーキで豪華にクリスマスイブパーティ。
でも、さすがに疲れていたので早く寝た。

2008年12月23日火曜日

一時帰国

23日(火)は、帰国の出発日。本当は仕事の終わった19日にすぐにでも帰国したかったところだったのだけれど、飛行機の予約が取れなかったためにこの日になってしまった。
午後1時ヒースロー発のフライトなので、自宅を9時半に出れば十分間に合う。ということで、いつものように午前6時に起きてスポーツクラブで1000m泳いで来た。で、予定通り9時半出発。ピカデリーラインでヒースロー第3ターミナルには10時40分頃到着。チェックイン、手荷物検査、出国手続きもすべて滞りなく終わり、11時10分頃には暇になった。で、空港のラウンジから無線LANを使って、家族にスカイプを少々。Begul Streetで昼食をすませ、12時10分頃、出発の1番ゲートに行く。飛行機はVirgin Atlantic のVS900便。予定通りの出発。
乗ってみると、なんとがらがら。全部で2割程度の乗車率しかない。あの予約が取れなかったのは、一体何だったんだ、って感じ。しかも、ほとんどが日本人だったところをみると、不況と激しい円高突入で、外国人がかなりキャンセルをしたのかもしれない。でも、おかげで、ゆっくりと座ることができてラッキーではあった。
噂通り、バージンのエンターテイメントはとても充実。エコノミーでありながら、機内で、インディ・ジョーンズ4、Mamma Mia、スターウォーズのアニメ版The Clone Warsと3本映画を見ることができ、ワインもたっぷりおかわりをいただいた。
快適な旅行で成田まで11時間半。

2008年12月19日金曜日

年内最終日

こちらでは、祝日の数が日本よりも少ないため、日本の勤務条件と合わせるために独自に事務所休暇を設定している。今年の休暇は、前所長が決めていたものだけれど、年末年始の休みを十分とるために、22日から24日までを事務所休暇にしていた。25日のクリスマス、26日のボクシングデーはもともと休日なので、今年のお仕事はこの19日(金)で終了。ちなみに、有給休暇を使って早めに休みを取る職員もいるので、午後にはすっかり事務所は静かになった。
街も、すでに19日にはすっかりクリスマスモードで、地下鉄やバスも空いていた。で、ショッピングだけは、クリスマスの飾りも賑やかに人通りにあふれている状態。景気は悪いのかもしれないけれど、まだ一般のイギリス人の生活実感にまでそれは現れていない、ということなのかもしれない。まあ、日本でも、1990年にバブルが崩壊してからも、1995年くらいまでは本当の不況という感じはしなかったし、こんなものなのかもしれない。
もちろん面会などの予定はなく、メールも少なかったので、職員のレポートに目を通したり、雑誌を読んだりとゆっくり時間を過ごした。
とりあえず、まずは最初の年を無事に越すことができてやれやれ。
新年の事務所開きは1月5日から。

2008年12月18日木曜日

事務所物件下見パート2

18日(木)は、午前中、事務所物件の下見のパート2。今回も、合計で5つの物件を見て回った。
今回の物件は、今の事務所の近くのもので、多少値は張るけれど、グレードの高いものが中心。確かに、前回見たものよりも今回の方がよほどいいものが多かった。ただ、その分単位あたり家賃はやや高めなのだけれど、事務所面積が狭くて総トータル家賃ではなんとか予算に収まりそうなものを選んでもらった。
最初に見たものは、うちの事務所のあるWhitehallの通りのすぐ近く。面積が今の事務所のほぼ半分しかなく、このため、今回見た物件の中ではトータル家賃が一番安かった。もちろん立地も全く問題ないのだけれど、ただ、この面積で果たして人と物がちゃんと収まるかが最大の問題。
2番目に見た物件は、トラファルガー広場に面したもので、今回見た中では一番いいものだった。部屋はきれいだし、眺めが抜群。多少形は悪いけれど、面積もほどほど。当然その分単位あたり家賃はかなり高い。面積が今よりは狭くなる分、トータル家賃は今よりそれほど上がるわけではないけれど、それでも単位あたり家賃の高さは、ややネック。
あとの3つは、ピカデリーサーカス周辺のもの。便利できれいなところは高く、ややビルのグレードの落ちるものはそれだけ安いという、まあわかりやすい物件。最後の2つには、日系の企業や団体も入っているビルだった。でも、最初の2つほどの魅力は感じず。
まあ、今のところ、あくまでも現事務所の契約更改が本命なのだけれど、特にトラファルガー広場に面したオフィスは、予算さえ許せば今の事務所に住み続けるより、よほどいいような気がした。
探せばあるもの。固執する必要はないということか。

2008年12月17日水曜日

事務所クリスマス

17日(水)は、午後3時にJALの岡田社長とウォルシュ裕子さんが事務所に来訪。年末のご挨拶と世間話。岡田社長とは、今年いろいろなセミナーや会議の場でずいぶんよくご一緒させていただいた。来年もよろしくお願いします。
そして夕方から、事務所のクリスマスパーティ。明日から早めに休みに入る人もいるので、これが実質的な御用納め式。まず、事務所でケータリングの食事と飲 み物を楽しんだ。一つ非常におもしろかったのが、アンドリュー調査員の発案で、「クイズ大会」をやったこと。イギリス生活の常識に関する問題なのだけれ ど、当然ながら我々外国人にとっては非常に難しかしい。でもおもしろい。
大きく3つのパートに別れていて、最初がイギリスで市民権を取る際に出題されるという「Life in the UK」というテキスト(なのかな?)からの選択肢問題。歴史あり、地理あり、社会生活ありと、とても難しかったけれど勉強になった。でも、もう忘れちゃっ たかな。2番目がイギリスの行政・地方自治に関する問題。印象に残ったのが、「次の肩書きを、ポストの高い順に並べなさい」というもの。これが、英単語の 意味はとりあえずわかるのだけれど、全然わからない。イギリスというのは、本当に肩書きを複雑にする国だということがよくわかった。
で、3番目が一般常識問題。テレビや新聞などからの出題。もうここになると全くのお手上げ。うちのチームに入っていた、イギリス在住9年目という吉川調査助手に頼りっぱなし。
クイズ大会の終了後、有志で外に繰り出して、histric pub tour。これもアンドリューの案内。結局4~5軒はしごして、最後はすっかり酔っぱらってしまった。けど、なんとか無事に日が変わらないうちに、家にはたどり着く。
ほんと楽しかった。



2008年12月16日火曜日

東京女子大広瀬先生来訪、居酒屋忘年会

16 日(火)は、午後2時に東京女子大心理学科の広瀬教授が来訪。災害、危機管理関係のご専門で、総務省消防庁や内閣府の安全・危機管理部門とのご関係が非常 に深い先生とのこと。今回は、主としてロンドンのテロ対策について調査に来られたとのことで、その関係のクレアレポートもすでにお読みになられているとの こと。
この日は、アンドリュー調査員が休みで、せっかく先生が来られても、きちんと専門的に話ができる者がおらず、非常に恐縮だったのだが、僕と石田参事とで対応。
もちろん、専門的な話は何もできなかったのだけれど、広瀬先生の元々のご専門が社会心理学とのことであったので、イギリス人と日本人との考え方の違いや、 それが災害、軍隊、プライバシーなどにかかわる政策決定に与える影響などについて、こちらで生活してみての印象を主にお話しした。いろいろお話はしたもの の、ほとんど雑談の域を超えないような話だったように思え、やや申し訳なかった気がする。多少なりとも役に立ってくれていればいいけれど。

夜7時からは、こちらに来ている総務省関係者で忘年会。Tottenham Court Road のすぐそばにある「菊池」にて。
このお店は、TimeOut にも載っていないし、独自のHPも出していないようだけれど、すでにこちらで10年もやっておられるお店だとのこと。店に入ると、完全に日本の居酒屋のたたずまいで、ロンドンにいることを忘れる。
ビール、日本酒、おつまみ、どれをとっても完全に日本そのもの。まあ、おつまみは、もちろん手に入る食材が日本とは違うので、完全に同じではないものの、別に日本の居酒屋でこれが出てきても違和感は全くないと思えるレベル。大満足だった。
日本酒も、「利き酒メニュー」というのがあって、8種類の地酒から、好みの3種類を選ぶと、それぞれガラスのぐい飲みに60mlずつ入って出てくる。これがどれもおいしくてうれしかった。
調子に乗って、いっぱいしゃべりながらいっぱい食べ、いっぱい飲んだおかげで、一人あたり60ポンド以上使ってしまい、ちょっとぜいたくだったけれど、ま あロンドンならこれは大いに許せる。なにしろ、いかに値段はリーズナブルであっても、満足感を味わえない店がまだまだ多いのだから。
帰りも、19番のバスで自宅すぐそばまで1本で帰れるのもうれしかった。ここはごひいきになりそう。

2008年12月15日月曜日

Climate change: a new landscape?

15日(月)は、午後2時半から、大使館で行われたセミナーに、石田参事と一緒に出席。テーマは「Climate change: a new landscape?」で、要するに地球温暖化対策の話。
セミナーは、大きく2部構成になっていて、前半が、英国のシンクタンク(になるのかな?)Carbon Trustの環境戦略チーフエコノミストのMichael Grubb氏と、国立環境研究所の上級調査員、藤野純一氏によるプレゼンテーション。地球温暖化により、もし何も対策をしなければどうなるのか、それを避けるために、どのようなシナリオを描いてどのような対策を打たなければならないのかといった点に関する、主として理論的・技術的側面からの話。
 で、後半がイタリア大使館のGiovanni Brauzzi氏の司会で、日本国外務省の地球規模課題審議官の杉山晋輔氏、フランスの国際環境問題交渉チームのトップ Paul Watkinson氏、アメリカのジョージタウン大学客員教授のThomas Brewer氏による「The road to Copenhagen」と題されたパネルディスカッション。こちらはもっぱら政治的な話。
 僕は残念ながら、あとの予定があったため、第1部だけを聴いて途中退席。
 第1部のメッセージでも強く感じたけれど、この地球環境の問題は、長期的で世界的な取り組みが必要であるだけに、いかに人々の意識を変え、ライフスタイ ルや価値観そのものを適切な方向に変えていくことができるかが決定的に重要になる。これまでの政治的課題とは、かなり異質な手法が要求されるものだろう。 しかし、いかに困難であっても、なんとしてもやり遂げなければならない課題である。

2008年12月14日日曜日

デジタルチューナー

日 本の地デジ完全移行(アナログ停波)が、2011年7月24日で、ロンドンに来る直前の仕事では、その円滑な移行がかなり大きなウェイトを占めていた。僕 の仕事ではなかったが、それを達成するための非常に大きなポイントとして、「5000円以下の地デジチューナーを作り、普及させる」という政策課題があ り、放送技術課の方で、その技術基準を取りまとめたりしていた。

で、ロンドンの方ではどうかというと、「Freeview」という名前で15~20ポンドくらいのチューナーが平然と百貨店やスーパーに置いてある。これ でデジタル放送を受信できるだけでなく、アナログ5チャンネル(BBC1、BBC2、ITV、Channel4、FIVE)のデジタル版のほか、衛星のフ リーチャンネルが30チャンネルほど(有料チャンネル対応のチューナーを入れれば、40チャンネル以上)と、ラジオ20チャンネルほどを見る(ラジオの場 合は「聴く」だけど)ことができる。しかも、何の面倒な設定もいらず、アンテナとチューナーとテレビをつないだら、あとはチューナーのオートチューニング に任せるだけ。ちょっと感動的なほど簡単。

で、最初は一番小さくて安いやつ(20ポンドくらいだったかな)を買って、ここ2ヶ月ほどそれでいろいろなテレビを見ていたのだけれど、近所の百貨店 Peter Johnes に行くと、100ポンド~200ポンド(現在の円換算だと1万4千円~3万円)出せば、Freeviewにハードディスクがついて録画できるものも売って いるので、ボーナスが出たこともあり、194ポンド出して500GのHDのついたものを買って来て取り付けてみた。

すると、想像以上に便利で改めて感動。まず、セッティングは今回も簡単。で、これまで不便だったのが、テレビのリモコンとチューナーのリモコンとを別々に 操作しなければならなかったことだったのだけれど、今回のチューナーは、テレビのリモコンにも対応していて、1つですむようになった。で、今回の目玉の録 画もシンプルな操作で簡単にできるし、さらにうれしかったのは、ラジオチューナーがついていて、これもEPG(電子番組案内)に対応しているので、ラジオ の録音も簡単にできること。早速、明日からBBC4で始まる「A Christmas Charol」の朗読番組の予約をしておいた。Daily の設定にしておけば、毎日同じ時間の録音をしてくれるので手間いらず。テレビの場合には Series 設定があるのでさらに簡単なんだけど、さすがにラジオはそれはなかったものの、そこまで贅沢は言えない。

さらに、今回のリモコンでは、字幕もワンボタンで出せるようになったこともうれしい。

ともあれ、ヨーロッパの地デジは、「ワンセグ」みたいなものこそない(一応技術的にはあるらしいのだが、まったく見たことがない)ものの、実に使い勝手が良いし、安い。これでは、日本がシェアを取るのに苦戦するのも当然だとよくわかった。

2008年12月12日金曜日

クレジットカード

日本 では、クレジットカードの勧誘は山のようにあり、単にポイントカードが欲しかっただけなのに、ついでにクレジット機能もつけておくといったこともあって、 いっぱいクレジットカードを持っていた。もちろん、メインで使っていたのは一つだけで、あとのものは「おまけでついているだけなので使わない」という状態 だったのだけれど。
で、イギリスに来てみると、ポンド建ての給料を受け取るために入ったロイズ銀行のカードがVisaデビットカードになっていて、これを使ってあらゆる場所でショッピングができるので、特にクレジットカードの必要性は感じなかった。
でも、銀行のカードだとポイント(マイル)がたまらないので、マイルを溜めるためにやっぱりクレジットカードにも入ろうかなと思ったら、これがとんでもなく大変だった。
まず、ロイズ銀行にも「クレジットカード」の申し込みのページはあるのだけれど、オンラインでは一切手続きができない。こちらに来た頃は、とりあえず様式 をダウンロードして記入して郵送することはできていたのだけれど、いつの間にかそれもなくなり、直接支店に行くか、電話で申し込んで申込用紙を送ってもら わなければならなくなっていた。
で、ともあれ9月頃、様式に記入して申し込んでみたら、信用情報が確認できないので、過去3ヶ月分の銀行出納の明細を、今後2ヶ月以内に送ってこいという お手紙が届いた。その時点では、そもそもイギリスに来てまだ3ヶ月になっていなかったので、そんな明細など出せるわけがない。で、結局あきらめてそのまま ほっておいた。
その後、UKアマゾンから、クレジットカードに入りませんか、というメールが来ていたので、「ふーん、アマゾンなら入れてくれるんだ」と思ってオンライン で手続きをしてみたところ、やはり最終ステップで、あなたの信用情報が確認できなかったので、これ以上手続きを進められません、というメッセージが出て、 ちょん。
で、ともあれ3ヶ月経過するのを待ってから申し込むことに。とはいえ、10月はとても忙しかったので11月も中程になってから、今度はBritish Airwaysのカードの申し込んでみた。
しかし、これはとりあえずオンラインでかなりのところまでの手続きはできたものの、最後はパスポートのコピーと現住所を証明できるもの(この3ヶ月の間に、英国の運転免許証をゲットしておいたのでそのコピー)を郵便で送った。
でも、いつまで経っても返事は来ず、いい加減諦めかけていたら、ある日突然携帯電話に「BAですが」というメッセージ(もちろん英語)があった。要する に、本人確認、ということらしい。で、氏名、住所、誕生日、母親の旧姓等々、いろいろ聞かれてなんとかクリア。それでようやく手続きが終わった模様。で も、その後も旅行に興味はあるか、ワインに興味はあるか、クリスマスには買い物をする予定があるか、このカードにはバウチャーがいろいろ付いているんだよ 等々、今度は一転して営業トーク。正直疲れた。
で、電話のあった翌週(先週の木曜日だったかな)無事届いた、と思ったら、4桁の暗証番号のみ。肝心のカードがない。結局カードは、さらに1週間遅れて、12月11日にようやく届いた。
クレジットカード1枚作るのが、こんなに大変だとは思わなかった。やっぱりこちらでは、自分というのは得体の知れない、信用のできない外国人なんだな、と痛感した出来事だった。

2008年12月11日木曜日

事務所物件下見

11日 (木)は、朝9時15分から風間次長、木村所長補佐、ジェイソン調査員と一緒に事務所物件の下見。来年9月いっぱいで、現事務所の契約期間が切れるので、 その更新のための下準備をしているところだけれど、家賃が折り合わなかった場合に備えて、移転候補地の物色も必要との判断から実施することに。
とはいえ、仮に移転するとしても、実際に引っ越すのは早くて来年9月後半以降となるので、まだちょっと間がありすぎるため、今回見た物件は、そのときまで にはおそらくどこも残っていないものと思われる。したがって、こんかいの下見は、物件選びの判断材料を収集するための、いわば練習的なもの。
まず、Aldwychに、今回のアレンジをしてくれたサーベイヤーと一緒に集合して最初の物件を見たのが手始め。
この日、全部で5件見て回ったのだけれど、やはり百聞は一見にしかずで、実際にものを見てみると、いろいろ気づくこともあるし、自分なりの判断基準も固 まってくる。判断材料は、大きく分けて、立地と設備だということがよくわかった。で、当然のことながら、なかなか「完璧」というものはない。あっても値段 が折り合わなかったら結局ないのと一緒。ということで、優先順位をどのように決めるかがクリティカルに重要だと言うことがよくわかった。
5件の物件を午前11時頃までにざっと見て回り、12時まで事務所で職員だけでこの日の印象の取りまとめ。今後は、サーベイヤーからレポートが届くので、それに対して事務所としてのコメントを返し、次に進む。
不動産選びも、面倒と言えば面倒だけれど、やってみるとこれでなかなかおもしろい。

2008年12月10日水曜日

英国下院超党派フォーラム

10 日(水)は、午後4時から英国下院第12委員会室で行われた、「All Party Parliamentary Group on Local Democracy」のフォーラムに参加。テーマは「How can we make parishes work in our major cities?」。つまり、英国の伝統的なコミュニティであるパリッシュ(元来は教会の教区の意味だけれど、現在はかならずしも宗教的なものではなく、基 本的に日本の自治会に近い)が、これからどうあるべきなのかについて議論する会。キルヒナーさんと一緒に参加してきた。
まず、座長のDavid Curry議員がオープニングのコメントを行った後、ひな壇に座っていた人たちが、順次5分程度のプレゼン。プレゼンの最初は(たぶん)副座長のNick Raynsford議員で、以下、先日ダービシャーのセミナーにも講師でお越しいただいたLGAのシンクタンク「Local Government Information Unit」のAndy Sawfordさん、Bob Neill議員、Hazel Blears コミュニティ・地方自治大臣、Julia Goldsworty議員、ロンドンのTower Hamlets区のHugh Barnard氏と続いた。ブリアーズ大臣は、ひな壇のプレゼンが終わったら退席。お忙しそう。
で、プレゼンが終わった後も、一般参加メンバーである主としてNALCのメンバーを中心に、順次意見発表が行われた。
正直言って、議員はめちゃくちゃ早口だし、アクセントの癖のある人も多くて、僕のヒアリング能力では理解するのがかなり厳しい会議だった。でも、詰まると ころ、分権による多様化はとても大事だ、でも、地方自治の各階層ごとの役割分担も混乱させてはいけない、といったところがポイントだったように思う。常識 的な話。単に僕にとってはその部分しか理解できなかった、ということだけかもしれないけれど。でも、フランクで熱心な議論は、活気があっておもしろかっ た。
終了後、NALCで知り合った人たちや、LGIUのAndyに挨拶して引き上げる。そうそう、議会ショップでいろいろなロゴ入りグッズも売っていたので、子供たちへのクリスマスプレゼントようにいくつかゲット。しっかり商売に乗せられた。

2008年12月8日月曜日

Japan Society Christmas Party

8 日(月)は、午後6時半から、大使館のボールルームでJapan Societyのクリスマスパーティ。先週の天皇誕生日レセプション同様、こちらも非常なにぎわいだった。が、実際のところ、僕にはなぜこの二つのイベン トを別々に行うのかは、よく理解できなかった。まあ、もちろん宗教的観点から見ると、陛下は神道を代表するお方なので、キリストの誕生をお祝いする会と一 緒にするわけにはいかないのは当然だろうし、その意味で、天皇誕生レセプションの主催は大使館、クリスマスパーティの主催はJapan Societyとはっきりと分けられており、たまたま両者の行われる会場が、どちらも大使館である(部屋は違う)に過ぎないというのは、理屈としては十分 理解できるのだけれど、結局のところ、集まるメンバーや会のロジとしては、それほど大きな違いはないような気もする。
ともあれ、いずれの会も200人以上参加の大規模なものであっただけに、会の間にお話しした人は、両方の会ではまったく違っていた。ほとんど誰も重なって いなかったぐらいかな。その意味では、何回も似たようなイベントが行われることにも、大きな意味があるのかもしれない。たしかに、効率性を求めることが、 常に善とは限らない。

2008年12月7日日曜日

はまっているテレビ

日 本にいた間は、子供と一緒に見る「平成教育委員会」「がっちりマンデー」とサッカーの試合を除いては、ほとんどテレビを見ることはなかったのだけれど、こ ちらに来てからは、ヒアリングの練習も兼ねて、ということで、結構テレビを見るようになった。とはいえ、平日はほとんど家にいないので、特に土日。

で、今気に入っているのが、土曜日夕方にBBC ONEで放映される一連の番組。まず5時半過ぎから始まる「Hole in the Wall」。この企画は、元々日本の「とんねるずのみなさんのおかげです」(だったかな?)にあった人気コーナーをBBCが企画購入して制作した番組だとのこと。単純だけれど、実におもしろい。続いて「Strictly Come Dancing」。 今まで、社交ダンスには大して興味がなかったけれど、これを見始めて本当におもしろいと思うようになった。特に、今週土日に放映されたクウォーター・ファ イナルは圧巻。どの演技者もすばらしかった。これがあと2週で終わってしまうのかと思うと、とても残念。(もちろん、また次のクールには別の出演者で継続 されるのだろうけれど、見始めてからは、今の出演者にすっかり感情移入してしまった)
そして「Merlin」。ドラマはセリフが早いのでヒアリングは本当につらいのだけれど、字幕があればなんとかなる。イギリスの番組は、すべて字幕(もちろん英語ではあるけれど)がついているので、とても助かる。
土曜日は行事があることも多くて、必ずしも毎週欠かさずに見ているわけではないけれど、Merlinも含めて、基本的に「1話完結」といった感じなので、時々欠けても全く支障がないのもいいところ。
平日のドキュメンタリー系も、結構好きな番組があるけれど、またそれは次の機会に。

2008年12月5日金曜日

日本クラブ教育セミナー

5 日(金)のお仕事は、まず午前中、調査会社ユーロジャパンとの打ち合わせ。キルヒナーさんとの出張で、イギリスの地方自治政策を調査し、考える上でも、 ユーロの影響はとても無視できなくなってきているので、ある程度本腰を入れてユーロの政策をフォローすることを考え始めている。今回は、まずその下準備と いった感じ。とりあえず、調査会社に委託して、2週間に1回の割合で、ユーロの打ち出した政策のうち地域開発等に関係するもの、あるいは地域開発に直接は 関係しなくても、環境、福祉、教育など、イギリスの地方自治施策に影響を及ぼしそうなものを、ピックアップしてメールで送ってもらおうとしたのだが、この 日はまずそれのできそうな調査会社との打ち合わせ。事前にいただいたサンプル資料が結構しっかりできていて好感を持っていたのだけれど、プレゼンに現れた 人も2人とも若い女性ながらしっかりしていて、信頼はできそうな感じ。とりあえず、3月まで試験的に調査を委託してみることに。期待に応えてくれて、継続 できるようだととてもありがたい。
夕方6時からは、日本クラブで行われた、「教育と言語に関するセミナー」に、松野下所長補佐と一緒に出席。
最初、講師紹介の後、6時10分から50分頃まで山本麻子講師の講演。主として日英の文化の差による教育の目的や方法の違いについての話。ある程度想像は ついていたことだけれど、やはりイギリスは個人と言論というものを非常に大事にし、教育では主体的な調査・考察やプレゼンテーションを重視するということ のよう。つまり、授業においては、とにかく間違ってもいいからガンガン自分の意見を言うのが大事だと言うこと。また、それをしないと評価が得られない。日 本で下手にそれをやると、友人から村八分に合うことも多いので、その辺の切り替えの問題が重要だと言うことを再認識。
7時からは笹川(ガーモリー)真理子講師。前の山本講師はいかにも学者って感じの人だったけれど、笹川講師の方は、こちらで実に手広くいろいろなことをやっておられる人。
今回のセミナーが、駐英日本企業の人事担当者を主なターゲットにしていたらしいこともあって、話の中心が、企業の駐在職員のフォローのためには、企業の人 事がどのようにしたらいいか、ということだったので、僕自身には直接のかかわりは薄かったけれど、子供の教育の話などについては、真剣に耳を傾けた。こち らに来てからの子供の教育には、親、特に父親のフォローが欠かせないこと、特に学校の面談の参加は必須で、特に父親もできる限り参加すべきこと(自分が しゃべれないと思うのなら、通訳を雇ってでも行くべきとのご意見)、担任の先生には、できるだけまめに手紙やメールを書いて、親がきちんとコミットしてい ることを示すこと、クリスマスや学年終わりには、カードやプレゼントを贈るのがマナーであること、などなど、やはり経験者の話は重要。
このセミナーは、今回が第1回で、今後は子供の年齢別に数回開催されるらしい。第2回の未就学児童はいいけれど、第3回の小学生(4月予定)、第4回の中・高校生(7月予定)は、できれば聞いておきたいと思った。

2008年12月4日木曜日

天皇誕生レセプション、日本語講座打ち上げ

4 日(木)は、朝、10時20分過ぎから避難訓練。今回は抜き打ち訓練ということで、風間次長のほか、セキュリティ担当のジェイソン、事務所のお留守番をお 願いしたキルヒナーさんのほかの職員には一切知らせず実施。ジェイソンの迫真の演技のおかげで、「避難訓練」と思わず避難した職員もいたくらいでいなが ら、実にスムーズに避難ができて大成功。
その終了後、午前11時にANAの皆戸さん、グループの旅行エージョンとの小川さんが来訪。基本的には年末のご挨拶だったのだけれど、今年は僕の着任の時からセミナー等に至るまで、いろいろお世話になったこともあって、話に花が咲いた。
夕方6時からは、大使館で天皇誕生記念レセプション。ちょっと早いけれど、12月23日はこちらではすでにクリスマス休暇に入っている団体が多いので、お そらく早めにしているのだろう。日英含めてとても大勢の方々がご参加されていたのに驚いた。大使は、奥様とご一緒に参加者への立礼で、結構大変だったと思 うけど。
それにしても、さすが日本の催しといった感じで、ちゃんと日本酒も用意され、おつまみも充実していて満足。この日は、イギリスの人とはほとんどしゃべらず、日本人とばかりお話したけれど、初めてお会いする方もいろいろいて楽しかった。
で、8時過ぎにそちらを引き上げて、日本語講座の打ち上げ会場へ。Japan Society主催の日本語中級講座は、務台前所長のアイデアで始まったものと聞いているけれど、Japan Societyとの連携もよく、うまく運営されていてとても好評。JETAAの人で、日本語のスキルアップを図りたい人をとりあえずの念頭に置いており (実際は公募なので、生徒はJETAAだけじゃないけれど)、それなりに日本語を話せ、読み書きもできる人が集まっている。会場はうちの事務所の会議室な のでもちろん無料。先生もSOASで勉強中の日本語教員の卵を、日本語教育方法の勉強を兼ねてやってもらっているということで、実に格安の料金で実施でき ており、全員にとってwin-winになるとてもいい企画。
今年が始まりで、夏に第1回目が終わり、10月にスタートした今回のコースは第2回目だったけれど、その初回には僕も日本語のショートスピーチをして、その後パブで先生や生徒の方々と楽しく飲んだりしたので、とりわけ印象深かった。
この日の講座が全10回の最終回で、打ち上げがテムズ川に臨むOXO Tower にある「BINCHO」(備長)。以前、秋田日本酒のプロモーションが大使館であったとき、この店のマネージャーの方と名刺交換したこともあって、一度言ってみたかったのだけれど、こういう形で願いが叶ってラッキー。
店は洋風で新しく、「焼き鳥専門店」とは言っても、とてもモダンな感じ。味の方は、まあ普通かな。もちろんロンドン基準で見るととてもおいしいのだけれど。ともあれ、この日はみんなとおしゃべるするのに夢中で、味のことなどほとんど眼中になかった。
楽しい雰囲気の勢いに誘われて、つい2次会(というか、僕的には3次会)のパブまで付き合ってしまったのはいいけれど、さすがに飲み過ぎた。へろへろに 酔っぱらって、よくぞちゃんと家に帰れたって感じ。まあ、多少酔っても、帰巣本能で自分のフラットまで戻れるようになったのは、ロンドンにもそれだけ慣れ たってことなんだろう。でも、日本で昔やってみたいに、気がついたら真夜中過ぎの地下鉄駅ホーム、ということだけは、決してやらないように気をつけない と。

2008年12月3日水曜日

水鳥公使送別会、時事通信桜井支局長講演

3 日(水)は、午前10時45分ころから、Horse Guards Parade で女王陛下の国会開会スピーチのための登庁パレードがあるからということで、事務所有志で(もちろん留守番もきちんと残して)その様子を見に行く。騎馬隊 に囲まれて、トラディッショナルな装いで出かける姿は印象的だったけれど、待っていた時間が長く、とても寒かったことには閉口した。
昼に広報連絡会メンバーによる大使館広報担当の水鳥公使の送別会。ピカデリーの「祭」で昼食会。日本式に目の前で焼いてくれる鉄板焼きで、スコティッシュビーフの焼き肉を食べた。
僕はこちらに来てから5ヶ月だけのお付き合いだったけれど、本当にお世話になった。特に今年は、日英修好150周年記念の年で、たっぷりとイベントがあっ たので、本当にお会いする機会が多かった。お別れするのはお名残惜しいけれど、これも宮仕えの定め。また後任の方とお近づきになるのを楽しみにしよう。
その後、午後2時からスピーカーシリーズ。今日の講師は、いつもは聴衆でよくご参加くださっている時事通信社の桜井支局長。今回は講師と言うことで多少緊 張されていたご様子だったが、ご自身でまとめられた資料を元に、「英字新聞、わたしの読み方」と題して、マスコミの方ならではのいろいろおもしろい裏話を お聞かせいただいた。
支局長の話にもあったけれど、イギリスの人たちは、自分の意見をとてもはっきりと言う。政治家しかり、マスコミしかり。日本の新聞で実によく見かける「… としている」「…となりそうだ」式の、引用なのか、意見なのか、予測なのかわからないあいまいな表現はない。それだけ、言論に対してきちんと責任を持って いると言うことだろう。もちろん、言い切る分だけ、間違ってしまうことも当然多くなるわけだけれど、そこは読む方、聞く方も織り込み済みというところで、 社会が成り立っている。こういう方がよほどわかりやすいし、すっきりしていて気持ちがいいと思うのだけれど、日本ではそれが難しい。でも、アメリカなんか とは違って、イギリスではpoliteな表現にはとても気を遣っているし、ユーモアなども交えるようにして角ができるだけたたないように配慮されているの で、これからの日本では、その辺が落としどころのような気がする。プレゼンテーションの方法は、イギリスに学ぶところ大いにあり。
桜井支局長の講演内容は、事務所のHPに近くアップロードされる予定。

2008年12月2日火曜日

Informal pub supper

12月2日(火)には、Japan Society と大使館との共催で、High Holborn にある「The Penderel's Oak」というトラディッショナル・パブで、大使とJapan Society会員との懇談会が行われ、それに参加してきた。
大使館からのメールの案内では、大使とJETAAとの気軽な懇談会、とのことであったので、特に個別に招待状が来ていたわけではないが、これに出席しない わけにはいかない。事務所からは、僕のほか、風間次長が出席。JET担当の木村さんも当初出席予定だったが、来年度予算要求事務の大詰めで残業したため、 結局出席できず。その代わり、と言っては失礼に当たるが、先日までクレア本部でJETを担当していて、今は木村さんと結婚してこちらに来て大使館でアルバ イトをしているシャロンさんが参加。彼女自身もJETAAなので、今はロンドン支部に加入しており、もちろん参加資格は十分。
会は7時頃から始まり、大使の到着が7時20分頃。で、7時半過ぎにご挨拶があった。大使の英語は、必ずしもネイティブのように流ちょうなわけではない が、しっかりとした正確な英語で、しかもスピーチの内容が濃い。ちゃんとジョークも交えつつ、日英の歴史、ご自身の出身や体験などを織り交ぜ、日英の人と 人との交流の重要性を、しっかりと聞かせる内容でお話になった。大使のお話の間は、それまで騒がしかったパブもしーんとして聞き入っていたのが、さすが。
その後は気楽な歓談。僕も、シャロンさんを大使にご紹介して役目を果たす。あとは、僕自身、ビールを飲み、つまみを食べ、いろいろな人とのお話を楽しん だ。今回の仕掛け人のJapan SocietyのHidyさんのほか、いつもよく合う日系機関・企業の人の他、British Councilのご婦人、Britonで日英交流の幅広いネットワークをお持ちの老ご夫妻、Axaのファンド・オブ・ヘッジファンドのマネジャーでありな がら、日本が大好きでこれまで何回も日本に行き、しかも地方都市をいろいろはしごしている人など、新しい出会いもあって実に楽しかった。
大使自身もかなら楽しまれたご様子で、当初9時までの予定が、結局10時近くまでおられたみたい。大成功で本当に結構。

2008年12月1日月曜日

電球の交換

しばらく前 から、リビングの天井の電球が次々に切れていき、6個ついているうちの3個が切れてしまってさすがに暗くなったので、交換することに。一応、大家さんに、 取り替えてくれないかと聞いてみたものの、電球は Peter Johnes に売っているから自分で取り替えなさい。わからなければ、下のフラットに住んでいる管理人さんに聞きなさい、とのつれない返事。ということで、一念発起し て自力で取り替えてみることに。でも、うちのリビングの電球は、

といった感じで天井に埋め込まれているので、しばらく悩んだけれど、結局はずしかたがわからない。で、管理人のEricさんを頼ることに。しかし、彼のフ ラットはまた違うタイプの電球だったので「わかるかなー」と言いながらも見に来てくれた。彼もしばらくいろいろ試行錯誤していたものの、ものの5分程度で 見事にはずすことに成功。結果的には、ガラスのふたの部分を単に反時計回りにひねるだけだったのだけれど、その構造がとてもわかりにくくてトリッキー。と りあえず、はずすことができてよかった。
で、早速同じものを Peter Johns で買ってきて、取り付けようとしたのだが、今度は付け方がわからない。もちろん、はずした手順のちょうど逆をやれば付くはずなのに、どうしてもはまらない。古い電球を再度取り付けようとしても、それもはまらない。結構焦った。
30分ほどあれこれやっているうちに、ようやくカポッと入る角度を見つけ、ひねって無事装着。2個目もまた苦労したけれど、それも成功。3個目はさすがに慣れて結構楽に取り付けられた。
ともあれ、電球の交換一つにしても、慣れない外国は大変だということがよくわかった。

2008年11月28日金曜日

健康診断

28日(金) の午前中は、こちらに来てから初めての健康診断。St.John's Wood にある、St.John and Elisabeth 病院2階の日本人クリニックで受診。検尿、身長・体重測定、問診、血圧、心電図、血液検査までは、すべて日本人クリニックで行われるので日本語対応。で も、胸部レントゲンと胃部レントゲンは病院の施設で行われるので、すべて英語。ちょっとどきどきしたけれど、基本的に日本で行われるのと同じ検査なので、 同じようにしていれば問題ない。朝9時半に始まり、1時間程度で終わった。
夜にはバリウムもすっきり出て、順調に終了。

2008年11月27日木曜日

パーマストン会と日本の車展

27 日(木)は、昼にパーマストン会。商工会議所の主催で、昼食会と講演会のセット。この日の会場はバービカン・センターで、講師はハリー・ポッターシリーズ 日本語版の挿絵を描いている、ダン・シュレシンジャー画伯。なんとこの人はイエール大学、ハーバード・ロースクール、オックスフォード大学の法律課程をす べて修め、弁護士としても活動していた上、ボストンマラソン(だったかな?)でも3位に入ったことがあるというスーパーマン。でも、ご本人はいかにも人の 良さそうなおじさんだった。
本人はアメリカ人だけれど、奥さんはイエール大学で知り合ったイギリス人だそうで、今はイギリス在住とのこと。日本も好きで家族で住んだこともあるとのことで、日本語も非常に達者だった。ちなみに、講演は最初の挨拶以外はすべて日本語。
ハリーポッターの翻訳者兼出版者の松岡祐子氏との乗り合わせた飛行機での出会いから、彼女にハリーポッターの本を紹介することになった経緯、挿絵を引き受 けたものの、厳しいだめ出しの連発で大変だったことなど、ユーモラスな語り口で、とても楽しく聞かせていただいた。講演の最後には、ハリーポッターの最新 作の日本語版が、サイン入りでもらえるという抽選会があったのだけれど、はずれてしまった。残念。

夕方には、本部から来ていた平松さんと金さんを囲んで、事務所の有志でパブでの夕食会。事務所近くのシャーロックホームズというパブで、ホームズゆかりのメニューをビールと一緒にいただいた。

その後、竹田所長補佐と一緒に、自然史博物館で行われた「日本の車展」に出席。盆栽と車のモデルの組み合わせ、前衛的な短編映画、エコロジーを意識した未来の車など、なかなか意欲的だとは思ったものの、肝心の車自体の展示が案外少なく、やや拍子抜け。

2008年11月26日水曜日

パリ出張

25日(火)から26日(水)にかけて、パリ出張。

25日は朝6時に起き、7時40分に、St.Pancras駅のユーロスター改札前で、石田参事と待ち合わせ。手荷物検査、出国審査もつつがなく終わり、 結構時間があまった。しかし、大陸のユーロ諸国の間では、いまやそもそも出入国審査そのものがなくなっているということなので、イギリスはなにか今ひとつ ユーロに溶け込み切れていない感じ。
8時40分に出発し、パリ北駅まで、現地時間12時20分(ロンドン時間11時20分)までの2時間40分の旅。あっという間だった。ユーロトンネル(ち なみに、英語では Eurotunnel は会社名で、トンネルそのものは Channel Tunnel というらしい)も、話している間にいつの間にか終わってしまったという感じ。「海底トンネル」という実感は全然ない。
パリ北駅からは、地下鉄で宿泊場所のホテルへ。マドレーヌ駅近くの Hotel Queen Mary。ホームページには日本語バージョンもあり、結構日本人御用達のホテルみたい。実際宿泊中にも何組かの日本人に会った。でも、都心の便利な場所にある割に、こぢんまりしてとてもきれいで感じのいいホテルだった。
ホテルで荷物を置いた後、石田さんが予約してくれていた昼食の場所「Lavinia」 へ。ここは、元々ワイン専門店だったのが、2階でレストランもやっているという感じ。すばらしいのが、レストランで食事の時に飲めるワインの値段が、下の 店の価格と同じということ。もちろん下で買って持ち込むのもOK。とはいえ、フランスワインの銘柄は全然わからないので、メニューから一番安かった9ユー ロちょっとの「Cheverny」というワインを頼んで飲んでみたけれど、十分すぎるほどおいしかった。食事もおいしくて大満足。
昼食後、歩いてパリ事務所へ。引っ越したばかりの事務所の中を一回り案内していただき、しばらく雑談した後、今回の出張の目的、サロン・ド・メールへ。
地下鉄で、Opera から Porte de Versaille まで行くと、会場の Paris EXPO は駅の目の前。意外に便利な場所だった。
広い会場のブースをざっと見て回った後、パリ事務所のブースに立ち寄って、エキシビションの日本茶のふるまいを見学。

来ていたフランス人たちも楽しそうで、とてもいい感じだった。
視察後は、シャンゼリゼ通りのイルミネーションを見たり、凱旋門からパリの夜景を眺めたりと軽く観光を楽しんだ後、フレンチの夕食。実に充実したパリ初日だった。

26日は、朝7時半にホテルでビュッフェの朝食。8時半頃ホテルを出て、マドレーヌ寺院を視察。横の入り口に年配の人たちが大勢並んでいて、何事かと思ったら、チャリティのバザーがあるので、それに並んでいるとのこと。みんな熱心なのに驚いた。

その後、買い物をしたり、美術館に寄ったりして時間をつぶした後、パリ事務所の時澤所長と合流。事務所近くのクレープ屋さんで昼食。「クレープ」と言って も、まったく甘くはなく、生地がそば粉でできており、そこに玉子やチーズ、マッシュルームなどが載っている、ボリュームたっぷりの「食事」。プロヴァンス (だったかな?)の田舎料理らしいけど、ほんとフランスには地場のおいしいものがいろいろあるものだと感心。
昼食後、時澤所長に簡単に市内を案内してもらい、帰途につく。帰りにユーロスターでは、修学旅行の日本の中学生らしき一段に出会い、ちょっとびっくり。修 学旅行もずいぶんリッチになったもの。でも、先生は結構大変だと思うけど。同じ車両になってしまわないかとちょっとびくびくしたけれど、杞憂に終わる。
英国に戻るのに、手荷物検査と出入国審査があるのはやむを得ないとして、入国カードまで書かされるのには驚いた。同行した石田さんのおかげでスムーズに行ったものの、普通想像できない。どれだけユーロと距離を置けば気が済むのか?
ともあれ、帰りの旅も列車の時刻通りつつがなく終わり、実に充実したパリ出張を楽しむことができた。
時澤所長はじめ、お世話になったパリ事務所のみなさん、本当にありがとうございました。

2008年11月24日月曜日

キッパー

今日は、午前中は通常業務。
昼休みに、ピカデリーサーカスにある「メガネのミキ」に行った。昨晩、部屋で突然メガネのフレームのねじがすっぽぬけ、片方のレンズが外れてしまったた め、その修理をしてもらいに。非常にわかりやすい場所で、日本人スタッフがいて日本語で全部やりとりができ、しかも修理は無料。メガネは2つあるとはい え、直すのがどれくらい面倒なのか気が気でなかっただけに、ほんと助かった。むしろ拍子抜けしたくらい。
午後2時には、事務所に大阪大学の高山教授が来訪。CCTVをはじめとするセキュリティ対策の調査にいらしたとのこと。仕事の関係は、事務所のスタッフに 対応してもらい、僕はその後所長室で雑談。先生が10年前にロンドンに住んでいらした折りには、やはり小学校5年生の子供さんを連れてこられ、現地校に入 れていろいろカルチャーショックを受けた話などをうかがった。
夜は明日のパリ出張の準備。パリ事務所の時澤所長から「キッパーを買ってきて」と言付けられていたので、Waitroseに買いに行く。ちなみに、 「kipper」は、英辞郎で調べると「〔ニシンなど〕薫製{くんせい}の魚」と出てくるけれど、Waitroseで見ると思いっきり生っぽいのが置いて あった。さすがに生っぽいのは持って行くのに心配なので、しっかりスモークしてある方を購入。
なお、僕自身、こっちに来てから「キッパー」というものを食べたことはなかったので、ためしに買って焼いて食べてみた。すると、脂がのっていて実においし い。ご飯に合うし、日本酒が飲みたくなる感じ。日本の干し魚を焼いたものに非常に近い。安いし、これは結構やみつきになりそう。新しい発見。時澤所長、あ りがとう。

2008年11月23日日曜日

11月17日~23日

今週は、1週間ブログを書かなかったので、結局元に戻って一週間分のまとめ書き。

先週の日曜日16日は、特にイベントもなく、買い物等のみ。

17日(月)から18日(火)にかけては、ダービシャー出張。

17日は、午後2時半過ぎに事務所を出て、村瀬次長と2人でダービシャーへ。King's CrossからDerbyで乗り換えて、Matlockまで。Derbyまでの電車も10分くらい遅れたけれど、乗り換えには問題なし。しかし、 Matlock行きの電車も遅れて、結局駅に着いたのが午後6時20分過ぎ。タクシーを呼んで、Derbyshire County Hallに着いたのは午後6時35分。この日の用務は、豊田市と、ダービシャーカウンティ、ダービー市、南ダービシャー市の間の姉妹都市成立10周年記念 式典の出席だったのだけれど、午後6時半開会の予定だったので、遅れてひやりとした。しかし、着いたときにはまだレセプションの最後で、ぎりぎりセーフ。 荷物を置いて席に着いたところで、ちょうど始まった。
会は、4自治体の代表者あいさつ(豊田市長さんは英語でスピーチ、市議会議長さんは日本語スピーチで通訳)、その後、10周年記念の署名交換があり、アトラクションへ。
アトラクションは、豊田市側が日本舞踊を3セット、ダービシャー側は、高校生くらいの若者たちの合唱。赤とんぼを日本語で歌ってくれたのが、非常に印象的 だった。合唱の最後に日本舞踊で踊ってくれた人の一人らしき人が、会場の後ろで突然倒れ、救急車を呼ぶというハプニング。心配したけれど、大事には至らな かった様子。
それも午後8時頃には終了し、部屋を変えてリフレッシュメント。立食の食事。今度はアルコールなし。9時頃おいとま。
タクシーを呼んでもらおうとしたが、なかなか来ないので、結局カウンティの車でホテルまで送っていただいた。
泊まったホテルは、Hodgkinson Hotel というこぢんまりとはしているけれど、実に趣のあるきれいなホテル。チェックインした後、村瀬さんの部屋に行き、2人でルームサービスのチーズとワイン。安くておいしかった。大満足。

18日は、朝食の時にLocal Government Association の国際担当のスーザン・ヘイドリーさんに会う。彼女も昨日の式典に出席し、同じホテルに泊まったらしい。前日は全然気づかなかった。朝食後は、11時の チェックアウトまで、部屋でスピーチの練習。午後からは、うちの事務所主催の日英交流セミナーをカウンティ・ホールで開催し、僕もそこで講演することに なっているため。
チェックアウト後、11時10分頃にタクシーに乗り、20分頃カウンティ・ホールに着く。ロンドン事務所からのメンバーの先発隊はすでに到着しており、準 備に余念がない。会場(講演会場は、カウンティの議会本会議場)チェックの後、村瀬次長、ジェイソン調査員とカウンティのカフェで昼食。昼食後、12時過 ぎから講演のリハーサルを行う。
13時30分から西イングランド大学のロビン・ハンブルトン教授の司会でセミナー開始。セミナーのテーマは、「Sustaining Regeneration through Partnerships in the Changing Economic Climate」。直訳すると、「変わりゆく経済状況の下でのパートナーシップを通じた持続的再生」といったところ。要するに、現下の厳しい経済状況にお ける地域再生のありかたを話し合おうというもの。
まず、カウンティの議長ジョイス・サンダース女史による開会挨拶、そして各スピーカーからの講演と続く。
スピーカーは、トップが地元下院議員のトム・レヴィット氏(最初はやはり地元出身のフィル・ホープ大臣の予定だったけれど、ドタキャンされた)、2番手が 僕、3番手がLocal Government Information UnitのChief Exectiveであるアンディ・ソーフォード氏。そこでいったん休憩を挟み、4番手がシェフィールド大学東アジア研究所のピーター・マタンレー博士、5 番手がトヨタ自動車UKのクライブ・ブリッジ部長、そして最後が地元ダービシャー・カウンティの事務総長ニック・ホジソン氏。
それぞれにおもしろい講演で、質疑も充実していて良かった。ただ、僕の講演が一番質問が多かったのには、ちょっとまいった。まあ、ともあれすべての講演が つつがなく終わる。そうそう、大使館からわざわざ聞きに来てくれた河合書記官が、マタンレー先生の講演で鋭い質問をして、存在感を示していた。
で、司会のハンブルトン教授によるまとめの挨拶の後、閉会。
午後5時半からは、議員用大会議室でのレセプション。最初のあいさつは主催者代表の僕で、またもや英語のスピーチ。とりあえず無難に終える。次の挨拶が、 地元ダービシャーの貴族でHigh Sheriffの肩書きを持つラルフ・カー卿。そして3番目が豊田市の鈴木市長。市長のあいさつは、この日は日本語だった。
午後7時までのレセプションも無事終わり、片付けの後、みなで車に分乗してMatlock駅に行く。駅で、セミナーに出席されていた、バーミンガム大学の クリス・ワトソン教授とそのお弟子さんの韓国人女性研究者(講師のShinwon Kyungさん)の人と出会い、一緒に電車に乗り、ダービーまでご一緒する。
ダービーでは、待ち合わせ時間が1時間あったため、皆で駅前のパブに行く。ダービーからロンドンへの電車の中でも、ワインを飲んで盛り上がる。もう完全に打ち上げ会状態。でも、ロンドン着が午後11時を回り、帰宅したときにはさすがにやや疲れた。

19日(水)は、来年度予算要求書の取りまとめのための打ち合わせ。まる1日かかった。昼休みには、リージェントストリートの日本人クリニックで、インフルエンザの予防接種をする。

20日(木)は、小規模自治体の集まりであるNALCのカンファレンス。カンファレンスそのものには、日本から前日に帰ってきたばかりのキルヒナー調査員 にがんばっていってもらい、僕は夕方のレセプションとディナーにのみ参加。こういう場で顔を売っておくのも重要なお仕事。

21日(金)は、これといったイベントなし。たまっていたメールのチェックや決済などを片付ける。

22日(土)は、午前中、ハウス・クリーニングの女性(東欧からの移民の人のよう)に来てもらう。大家さんのご紹介。午前10時から12時まで、トイレ、 バスルーム、台所を中心に掃除してもらったのだけれど、もうぴっかぴかになって驚いた。さすがにプロというのはすごい。これで1時間7ポンドというのはお 値打ち。
そして、夜7時から、ピカデリーサーカスにあるパブ「Captains Cabin」で飲み会。JET帰国者レセプションでお会いした、国際交流基金の大畑さんから、事務所の桑原所長補佐を通じて参加のお誘いがあり、桑原さん と一緒に出席。基本的に、適当に集まってお酒を飲みながら適当にお話するだけの会で、20台から30台くらいの若者が中心。男女半々で日本人が多い。幹事 のお一人、JACリクルートメントの中山さんのお話では、ロンドンに来ている日本人の若者たちは、結構多いのだけれど、あまり横のつながりがなく友達作り の場を求めている人が多いのだとか。で、中山さんはお仕事の立場上多くの人を知っているので、たまにこういう場をセットして出会いのきっかけ作りをしてい るとのこと。ちなみに、日本人だけではなく、僕がお話しただけでも、日本人以外にこちらで書道の研究をしているポーランド人女性だとか、マンガを描いてい るイギリス人だとか、日本語勉強中の若いアメリカ人出身で今イギリスに来ている男性だとか、いろいろ。
今回の趣旨は、中山さんと大畑さんのお誕生祝い。といっても、別にハッピバースデーを歌うわけでもケーキが出てくるわけでもなく、単に銘々勝手に飲むだけ (笑)。でも、いろいろなところを回って、積極的に人と人とを紹介して結び付けようとしているファリシテーターぶりは、さすが。おもしろい会だった。

23日(日)は、JETWalk。午後9時半ロンドン・ブリッジ駅集合というので、ちょっと早めに8時40分頃家を出たのだけれど、地下鉄が軒並み停止や 遅れでまいった。駅に着いたのがジャスト9時半。で、着いたものの、集まっていたのは幹事のキャサリンさんと総務省の先輩で今環境省からチャタム・ハウス に研究に来ている匂坂さんとの3人だけ。朝雪が降っていたこともあって、2人キャンセルされ、今日行けるのはこの3人だけになってしまったとのこと。中止 するかどうするか、ちょっと考えたけど、せっかくだからと決行することに。9時52分発トンブリッジ行きの電車に乗る。
そこで乗り換えて、10時41分にトンブリッジを出て、目的地のヨールディングに着いたのが午前11時。あたりには雪が積もっていて、おまけに雨も降り出し、出だしはちょっと厳しい予感。
そのうち、雨が強まってきて、道はぬかるみ、話の中で道にまで迷ってしまい、最初の1時間はさんざんだった。しかし、12時20分頃、休憩に立ち寄った教 会を出たあたりから天気が回復し、きれいな虹も見えて元気百倍。1時にパブに着いたときには、すっかり元気を取り戻してご機嫌。パブで飲んだケント産の エール「Harvey's Sussex Old Ale」はおいしかったし、昼食もなかなかのボリュームで良かった。
2時頃パブを出てハイキング再開。最初は天気も良くて調子よかったんだけど、途中から再び雨。道もぬかるみや水たまりが多く、歩くのが結構大変だった。最終的に目的地のバラ・グリーン駅に着いたのは、午後4時半。あたりはすっかり真っ暗になっていた。
でも、帰りの電車も時刻表通り午後4時52分に到着し、ロンドンのビクトリア駅まで直行。つつがなくJET Walkを終えられた。
いろいろあって結構たいへんではあったけれど、とても楽しかった。なお、途中で取った写真は、こちらにアップロードした。

2008年11月15日土曜日

ビザの延長

朝6時に起きて、7時過ぎに家を出た。
昨日も書いた、ビザの延長手続きに、クロイドンの UK Border Agency まで行く。なんで2年のビザを持っていて、まだ4ヶ月しか経っていないのに、今延長手続きが必要になったのかという話は、長い話なのでまたいずれ。
朝、ビクトリア駅で切符を買い、どの電車に乗ろうかと発車案内板を見ていると、事務所の川本君に会ったので、一緒にウェストクロイドンまで行くことに。し かし、やたら「Delay」の表示が多いのが不気味。ともあれ、「On Time」の7時35分発 Sutton 行きに乗る。電車はとりあえず順調だったけれど、ウェストクロイドン直前で電車が止まってしまい、ちょっとひやっとした。でも、それほど遅れることなく8 時20分に到着。予定通り8時半にBorder Agency到着。
入り口でセキュリティチェックがあり、1階で書類検査、2階で手数料支払い、3階でビザの手続き、といった手順。昨日バンクステートメントが整い、所定の 書類がすべてそろっていたので、おおむね順調に進む。9時前には受け付け終了。一緒に手続きに行った、風間次長、川本君と雑談をしながらできあがりを待 つ。
それからも若干いろいろあったけど、とりあえず10時20分頃までには無事ビザができあがり、帰途に着くことができた。やれやれ。

帰る途中、キングスロードをぶらついていたら、広場に屋台がいろいろ出ているのを発見。いいにおいに惹かれて、パイとカレーとナンを買って帰った。

2008年11月14日金曜日

豊田市長来訪、ピアニストの講演

今日は、とても忙しい1日だった。

まず、朝10時に豊田市長さんが市議会議長さんたちと一緒に事務所に来訪。1時間ほど歓談。
終了後、決済や打ち合わせなどをした後、11時45分から会議室で、来週火曜日のダービシャーセミナーでの講演のリハーサル。プレゼンテーションの練習の 後、本番を想定してローカルスタッフのアンドリュー調査員とキース調査員から質問も出してもらい、それに答える練習もした。
で、それが終わった12時半過ぎから、時事通信社トップセミナーに出かける。この日の講師は、ピアニストの小川典子さ ん。いつもの講演は、世界情勢だとか経済状況だとかのやや固い内容が多いのだが、この日はピアノの実演を交えたショートスピーチというとても雅な内容。演 目も、ドビュッシーのアラベスク、ベートーベンの悲愴、ショパンの子犬のワルツ、滝廉太郎の憾(うらみ)、リストのラ・カンパネラ、ガーシュウィンのラプ ソディ・イン・ブルーといった、結構馴染みのある曲(滝廉太郎ノンピアノ曲は知らなかったけれど)で、とても楽しかった。最後の曲は、確かドラマの「のだ めカンターピレ」で聞いたような記憶があったし。

最初の予定では、その後ジェトロのセミナーに行く予定だったけど、事務所での用事がいろいろあったので、ジェトロは結局パス。土曜日に予約したビザの手続 きのため、バンクステートメントをもらいに川本所長補佐に付き合ってもらってロイズ銀行ピカデリー支店に行く。このビザについてもいろいろ紆余曲折があっ たけれど、これでようやくすべての提出資料が調った。やれやれ。

2008年11月12日水曜日

The Duke of Gloucester

朝、とりあえず熱は収まったので仕事に出かける。多少ふらついてはいたものの、行ってしまえば忘れる。というか、気にしていられない。午前中は事務所の仕事の話し合いでつぶれる。

午後の最初は来週火曜日のセミナー講演のリハーサル第1回。とりあえず英文原稿を読んで、スライドと合わせ、時間を見たり、英語としてわかりにくところをチェックしてもらったり。でも、これでとりあえずの感じはつかめたような気がする。

午後3時から午後4時半まで、大使館で「安全対策会議」。新たに設けられた会議なのだけれど、ロンドンはIRAを始め、テロや犯罪との付き合いでは経験のあるところということもあるのか、とても大人びた対応(と僕には思えた)
日本人ばかりの集まりなのに、質問がたっぷり出たところは、さすがイギリス的というべきか。

で、今日の午後6時半からが、メインイベント。「Reception at St James's Palace」。Japan Society 主催のレセプションで、会場がSt James's Palace という The Mall と Piccadilly の間にある St James's Palace の中の the State Apartments。当然初めて入ったけれど、実に豪華な屋敷。Palace と名乗るだけのことはある。特に銃器(什器の間違いではない)のコレクションが充実。

で、主賓が His Royal Highness The Duke of Gloucester, KG, GCVO。要するに王族。日本で言えば常陸宮様といった感じかな。ともかく高貴な方なのだが、さすがイギリスだけあって、こういう方でもスピーチの時には ちゃんとジョークを交える。やはり日本とは違う。

スピーチの後は、基本的に立食パーティ。講演などと行った野暮なものは今回は一切なし。ひたすらいろいろな人とお話しした。

2008年11月11日火曜日

鬼の霍乱

昨晩は、激し い腹痛と下痢、嘔吐に悩まされ、特に下痢で夜中1時間ごとにトイレに駆け込んだため、ほとんど眠ることができず。体温を測ったら7度4分(平熱が5度7分 なので、これくらいでも結構きつい)あったので、仕事は休むことにした。ただ、最低限やっておきたいことがあったので、昼過ぎに30分ほどだけ事務所に顔 を出して、午後は帰宅してずっと昼寝。

夜になって、ようやく多少落ち着いたような気がする。明日はちゃんと治っていて欲しい。来週火曜日にうち主催のセミナーがあり、そこで英語の講演もやらないといけないので、正直ゆっくり寝ていられる場合じゃないんだけど。

2008年11月10日月曜日

海外短期研修中間報告会とPimlico訪問

午 前9時5分から10時50分まで、事務所で自治体職員(クレアに2年間派遣されている職員)の海外3ヶ月研修の中間報告会があった。ヨーロッパへの派遣組 は、イギリス2ヶ月、フランス1ヶ月が恒例で、そのイギリス分が終了し、これからパリに向かう前に、研修の成果を発表してもらうもの。ゲストは、研修の行 われたバーミンガム大学のクリス・ワトソン教授。非常に温厚で腰の低い、思慮深い先生。

各自10分程度のプレゼン(もちろん英語)を行った後、クリス先生のコメントと講演。実は、本来はバーミンガム大学で直接研修を担当してくれた先生が、研 修の模様をDVDに収めたものを持参して、それを上映しながらコメントを加える予定だったらしいが、DVDが間に合わなかっただけでなく、肝心の先生も のっぴきならない所用で来ることができず、急遽クリス御大のご登場となった次第。そういうことで、特に講演内容は用意しておられず、むしろ研修の反省と バーミンガム大学への希望について、研修生からの率直な意見を聞いて、ディスカッションしたいとの先生からのご希望で、そのような段取りとなった。

研修生のプレゼンはしっかりしていておもしろかったし、その後のディスカッションも、非常に率直かつ的確で、クリス先生も満足しておられた模様。なかなかレベルの高い研修生たちだった。

パリでの成果も大いに期待したい。

午後は、大雨の降る中を、キース調査員と一緒にPimlico Academyを訪問。Academy の説明はここに あるが、secondary school(日本の中学と高校に相当)などの学校経営を自治体から切り離し、各種のスポンサーによってマネジメントされる公立学校。Pimlico の場合は、Future というチャリティ団体がスポンサー。日本なら当然「私学」と位置づけられそうなものだけど、こういう形態でも state school として授業料が公費負担なのがイギリスのおもしろいところ。

元々、自治体経営の Pimlico School の時代には、あまり評判の芳しくなかった学校のようで、そのてこ入れという意味もあって Academy になったようだけど、お会いした Jerry Collins 校長は、さすがにそういう学校に雇われるだけあって、エネルギッシュな「やり手」という感じの人だった。

イギリスの学校は、今 National Challenge programme というもので厳しい成果に対する数値基準を課されており、Pimlico はまだ結構厳しい状況にあってがんばる必要があるという話だった。しかし、校舎の全面建て替えや、スポーツの部活、音楽、ドラマの取り組みなど、勉強以外 の面でも非常に意欲的で、活気があるように思った。がんばって欲しい。

2008年11月9日日曜日

11月3日~11月9日

今週も、特記事項は少ない。そろそろ、多少時間の余裕もできてきたことだし、1週間のまとめ書きではなく、イベントのあったときに随時書くようにした方がいいかもしれない。

3日(月)と4日(火)は通常業務。ただ、イベントはなかったけれど、打ち合わせ事項はいろいろあった。

5日(水)は、昼に在英日本商工会議所の定例昼食会兼セミナー。講師は元駐ロシア英国大使サー・アンドリュー・ウッド氏で、最近のロシア情勢について。こ の手のセミナーは、たいていカクテルパーティ、ランチ、講演と続くのだが、今回もそのパターン。カクテルパーティでは、以前別のところで顔を合わせたこと のあったイギリス人2人と雑談。もちろん一番はオバマ氏の話だったけど、今日のテーマが「ロシア」ということで、ロシア人の億万長者の話でも盛り上がった (もちろんジョーク)。ランチでは、偶然隣り合わせた東京電力の支店長さんとなぜイギリスの電気料金がこんなに高いのか、とか、柏崎原発はいつになったら 再開できるのかとかの話で盛り上がる。ワインも進んで、講演が始まったときにはすっかりできあがってしまい、講演内容がどんなのだったかは、さっぱり覚え ていない。ロシアはロンドン事務所の所管外ということもあって、真剣味が足りなかったこともあるのだろうけど、これからのことを考えると、逆に、今後ロシ アの情報をちゃんとフォローしなくていいのか、とやや考えさせられた。

6日(木)の昼は、広報連絡会議。大使館の広報担当公使を囲んで、在ロンドンの政府関係機関(国際交流基金、政府観光局、学術振興会議、そしてうち)や商 工会議所、日本クラブ、JALなど、「英国での日本の売り込み」にがんばっている機関が集まっての情報交換。隔月にやっている。今回の当番は、大使館の水 鳥公使。基本的に、前回から今回までの行った活動と、今後の活動予定の報告が中心。突っ込んだディスカッションはないけれど、こういう場での定期的な顔合 わせが、日頃からの信頼関係の醸成につながり、いざというときに役に立つ。若い頃にはなかなかわからなかったことだけど、ほんとこういうミーティングは重 要。

そういえば、先日こちらの民間企業を対象とした人材育成機関のレポート(というかエッセイかな)で、欧米ではリーダーの役割として「Team Building」が非常に重視されるが、日本ではそういってもあまりぴんと来ない人が多い。なぜならば、日本の組織では「チームで働く」というのはそも そも「義務」であって、わざわざ「作る」必要のあるものではないからだ、というのがあった。とはいえ、「義務」だけではなかなか「チームワーク」は育たな いので、日本では伝統的にアフター5のノミニュケーション(さすがに英語なのでそういう言葉では書いていなかったけど)だとか、「社員旅行」(これはまさ にそう書いてあった)などでインフォーマルに感情的連帯を強めることで、チームワークの強化を図っている、その辺のメソッドが、欧米のやり方とは大きく異 なる、と書かれていた。

でも、これを読んで、今の日本は、「無駄だから」ということでアフター5の飲み会や社員旅行をやめてしまいながら、かと言って欧米流の「チーム・ビルディ ング」も行わず、単にコミュニケーションの少ないぎくしゃくした組織になってしまっているところが多いのではないのか、と思ってしまった。

地共連時代につくづく思ったけれど、アメリカやイギリスなんかでも、取引先との「飲み会」は思いっきりやっていて、それでコミュニケーション、信頼関係を 築いている。単にそれが日本の伝統的な「接待」というやり方ではないだけ。飲み会の場は用意して金も自分で持つけれど、あくまで対等であってぺこぺこしな い。で、相手としてもそれで十分気持ちいい。「接待」が批判されて禁止になったからと、一切の「飲み会」までやめ(させられ)てしまった日本は、ほんと損 をしていると思った。

結局「過剰」接待が悪いのであって、「接待」そのものは決して悪くない。接待は人間関係を円滑にする手段の一つであり、かつ有力な手段であって、もちろん日本だけの習慣ではない。

ということで、うちの事務所でも、しかるべき相手に対しては、世間(もちろんこの場合は「日本の世間」だけではなく「英国を含む世界一般」)的に見て批判 を浴びることのない妥当な額での「接待」をきちんと行っている。実際には予算の関係があるので、「妥当」というよりかなり「チープ」なんだけど、そこは日 本流に「おもてなしの心」でカバー(できてるかな?)。

7日(金)は、僕が来る前に行われた、アバディーン・セミナーで講師を務められた、三菱重工の草野さんが来訪。単なる表敬訪問ではなく、ちょっと難しい相 談事。残念ながら、ややはばかりのありそうな話なので、まだブログには書けない。しかし、日本でもありがちなことなので、いずれ何かの方向性が定まった ら、それなりに記録に残したい。

その日の夜は、風間次長と一緒に次長のご紹介で、(財)幕張インターナショナルスクール設立準備財団のポール・ロジャーズ校長と会食・意見交換。来年4月 に幕張で、幼稚園・小学校レベルのインターナショナルスクールが立ち上がるそうで、その教師選考のために渡英されたとのこと。まだ若い(おそらく40歳前 後)陽気でエネルギッシュな先生だった。会食は、夕食には珍しくビュッフェ・スタイル。おかげで結構安く上がった。楽しかった。

9日(土)、10日(日)は、今週は特にお仕事はなく、自宅で過ごす。土曜日は、2ヶ月ぶりに散髪した。こちらに来て、散髪はどうしようかと思っていたのだけれど、次長に「MixB」 で探せばいいんですよ、と教えてもらって、9月のはじめにやってみた。なんと自宅に来て髪を切ってもらう「出張散髪」。日本だと福祉施設や刑務所ではよく あるけれど、一般にはまずないんじゃないのかな?それとも外国人向けにはあるのかな?ともあれ、電話(というか、携帯のテキストメッセージ)で連絡を入 れ、予約を取って待っているだけ。切ってくれるのは当然日本人(そもそもMixBというのはロンドン在住の日本人を対象にしたサイト)。お値段も手頃であ りがたい。

で、今日10日(日)は、Remembrance Sunday ということもあったので、近くのカトリック教会にお話を聞きに行ってみた。「Remembrance Sunday」というのは、日本の終戦記念日のようなもので、11月11日が第1次世界大戦の終戦記念日(英国人は第1次の時に大量の死者を出した)なの で、その一番近くの日曜日に戦没者追悼記念式が行われる。英語版Wikipediaだと「Remembrance Day」でヒットするけれど、日本語の解説ならここ

ここ2週間くらい、BBCを見ていると、キャスターがみんな胸に朱色のバッチみたいなのをつけている。町中の人も、たまにそれをつけているので気になっ て、事務所のローカルスタッフに聞いてみたら教えてくれた。胸につけているのはpoppy(ケシの花)。僕はてっきりなにかの野菜だと思っていた。

ともあれ、そういうイギリスにとってとても重要な日であり、もちろん昼には女王陛下がお出ましになっての追悼式や現役・退職軍人らによるパレードも行われ る。また、各地の教会では追悼のミサも行われる。ということで、ささやかながら、それに参加した次第。でも、全体としては普通のミサだった。もちろん、戦 死者たちの追悼のお祈りはあったけれど、神父さんの説教のテーマは、「Temple」と「Church」について、だったし。
でも、とても美しい教会で、小さい子供連れの家族が大勢集まってきていて、みなフレンドリーな感じで、とても気持ちよかった。

2008年11月2日日曜日

10月27日~11月2日

ようやくイベントがまばらになってきた。今週は少なめ。

27日(月)は、大和日英基金のセミナーに出席。テーマは「The Global Economy - Perspectives from the UK ana Japan」。目下の経済情勢を解説してくれるセミナーで、司会がアジア太平洋技術ネットワーク所長の Louis Turner 氏、講師は、Financial Times の Chief Economics Commentator の Martin Wolf 氏、日経ビジネス出身で外務副報道官なども務め、現慶応大学客員教授の谷口智彦氏、フリーランス・ライターの Joe Studwell 氏。会場が、事務所から歩いてすぐの Royal Society of Arts で、近いし、会場の趣もあるし、テーマはタイムリーだし、ということで、ちょっと期待していたのだけれど、そう思った人がどうやらかなり多かったらしく、 会場は超満員。フロントでコートと鞄を預けようとしたら、もういっぱいで預けられませんと言われるし、一応席にはすわれたけれど、狭い席にぎっちりだった ので持病の背中の痛みは襲ってくるし、講師の英語はすべて早口(日本人の谷口氏も含めて)だしで、正直つらいだけのセミナーだった。経済セミナーというの は、地共連の資金運用部長時代にかなりいろいろ行ったけど、おもしろそうでいて実はそれほどおもしろくないことも多い。結局、ふわふわしたものを扱ってい るために、話し手の趣味次第で何とでも言えるとことから、「知識」としての要素が少ないからかもしれない。もちろん、僕のヒアリング能力が高ければ、ス ピーカーのちょっとした言い回しの中にインスパイアされることがいろいろあるのだろうけれど、キーワードだけ聞いて全体を推測しようとするような聴き方で はそれも望むべくもない。もちろんこれは、セミナーが悪いということではなく、僕との相性が悪かったという問題。
当日会場で、次回のセミナーの案内が配られていた、次回は11月20日で、テーマが「Why Japan Can't Reform - Inside the System」。よくあるテーマだけれど、今の時期ということを考えると、これはちょっとおもしろそう。

28日(火)は、当事務所主催のスピーカーシリーズ。今月の講師は、バーミンガム大学の Peter Watt 教授。行政評価の第一人者で、事務所の桑原さんが引っ張ってきた。2006年には、事務所主催の Japan Study Tour にも参加され、東京と青森にもいらしたそうで、とてもフレンドリーな先生で、お話ししていて楽しかった。
先生は、英国で行政評価を司っている Audit Commission の評価を手がけられたとのことで、冒頭、それについてのジョークを飛ばされていた。(「評価の評価」の次は「評価の評価の評価…」で切りがない、というような話)
行政評価については、日本でもかなりいろいろ研究され、実践もされてきているところで、僕自身も四日市時代には導入にかなりコミットした。それで、今でもかなりの思い入れがあるだけに、「本場」英国での話はとても興味があった。
中身は、前半が概論的な話で、実はちょっと眠かったけれど、後半は、これまでの英国での行政評価の経験と反省から、今後どのような方向に進んでいこうとしているかという話で、おもしろかった。さらに、質疑はもっとおもしろかった。
具体的な話はクレアロンドン事務所のHPに掲載されるのでおいといて、僕自身の受けた印象は、同じ行政評価と言っても、英国と日本とではずいぶんアプロー チが違うな、ということ。英国は、実に分析的、実際的で、日本の情緒的、包括的なやり方とは対照的。でも僕は、別に日本のやり方が悪いとは全然思わない。 悪いのは、そのやり方で何を達成しようとしているのかを、はっきりさせずに導入しようとしてしまうところが多いこと。
「評価」というのは、つまるところ人間を扱うものなので、数値化して科学的に取り扱うことがいいとは限らない。主観的、情緒的なアプローチでも、やり方次 第では科学的評価よりもよほど役に立つ。ただ、ゴールがあいまいだと、全く役に立たない。その点、英国方式(たぶんアメリカやニュージーランドなんかでも 同じ)では、そもそもの導入のコンセプトから、ゴールがあいまいということはありえないので、副作用はありつつもきちんと成果は出る、ということなのだろ う。少なくとも、どこがうまくいってどこがうまくいかなかったという分析は、あとからきちんとできる。日本の場合、「後からの検証」に耐え得ないものが多 いのが、結局最大の問題といえるかな。というようなことを、この講演を聴きながら考えた。
Watt先生とは、いつかまたお会いして議論してみたい。

29日(水)以後は、特段の仕事関係の行事はなし。事務所の機関誌の原稿を書いたり、事務所運営関係のもろもろの打ち合わせをしたり(そういうのは、残念 ながらブログには書けない)、ホームページに発表する文章に手を入れたり、といった、ルーチンワーク。ようやく、こちらの地方自治関係の機関誌 「Municipal Journal」や「Local Government chronicle」なんかを読んで勉強する時間が持てるようになってきた。

あと、仕事以外での今週のビッグイベントと言えば、妻の強い勧めで、全自動掃除機「Roomba」を購入したこと。買ったのは、日本では発売されていない(ヨーロッパ仕様なのかな?)「560」。日本だと8万円から9万円するみたいなのが、UK Amazonでは199ポンド。今の1ポンド160円くらいのレートからすると、32000円位。これはお買い得。

早速この土日に走らせてみたけれど、たしかにこれはすごい。AIが相当かしこい感じで、部屋の隅々まで潜り込めるところはどこまでも潜り込んでいくし、本 体の端の方についたブラシで、部屋の隅や端まで実に丁寧に掃き取ってくれる。しかも、人間と違って飽くことを知らないので、電池がなくなるまで2時間近 く、部屋の中を何巡も何巡もこれでもか、というくらいにしつこく掃除してくれ、おかげで終わった後の床はぴかぴか。髪の毛1本落ちていない。まああんだけ 徹底的に回られたら落ちていようがない。ほんと驚いた。

で、掃除が終わったら、自分でホームベースに戻って充電態勢に入り、勝手に充電。これだと、休みの日でなくても、仕事に行く前にスタートさせておき、帰宅 したら掃除が終わって充電も完了、次回もいつでもスタンバイOKって感じでころがせる。ほんとにすごい。付属品の「Virtual Wall」を使えば、くぼみに落ち込むことを避けることもできるし、ほんとよく考えられていると感心。

すでにヒットしているらしいけれど、これはヒットするわ。日本で8万円はちょっとためらうところだけれど、200ポンドなら全然惜しくない。むしろ安い!イギリスで買う物は、何でも日本より高いとげんなりしていたけれど、こういうことがあると、ちょっとうれしくなる。

2008年10月26日日曜日

10月20日~10月26日

さて、いつものように、先週1週間を振り返って。

20日(月)は、George Jones教授とランチ。
まだ日本のクレア本部にいた間に、務台前所長から読んでおくようにと言われた「英国の地方自治に未来はあるのか?」という小論があったが、その著者の先 生。20年前のロンドン事務所の開設当時からご指導いただいていた先生だそうで、この先生とのパイプをきちんとつなぎ続けることは、歴代所長にとって必須 事項。アンドリュー調査員にアポをとってもらい、3人で昼食兼意見交換。
ジョーンズ教授は、論文を読んだ印象では、痩せぎす白髪の神経質なタイプの方を想像していたのが、現実は全く違って、むしろとても大らかで気さくで気配り の行き届いた好人物。日本人と話し慣れている感じで、わかりやすい言葉でゆっくりとお話されるので、とてもありがたかった。
Covent Garden にある、PJ'Sと いうレストランで伝統的英国料理をいただいたのだが、なかなかおいしかった。特に、本日のスープがコリアンダーの入ったキャロットスープで、カレー好きの 僕にはばっちり。メインのロックフォート・チキンの方もまずます。教授からは、内貴前前所長や務台所長とのランチの時には和食だったけれど、英国料理でお 付き合いしてくれるとはチャレンジャーだな、との冗談が出ていたけれど、英国料理にもおいしいものはちゃんとある。
食事の後には、教授が長年勤めていたLondon School of Economicsをご案内いただいた。アメリカやカナダなどでもそうだったけれど、こちらの大学は日本と違って塀で明確に区切られておらず、キャンパス が街と渾然一体となっているのがおもしろい。大学の中にPubも3軒あるというのが、いかにも英国風。伝統的な建物とモダンな建物とが空中回廊でつながっ ていたりして、本当に興味深かった。

21日(火)と22日(水)は、特記事項なし。事務所でお仕事。事務所契約更改の段取りの打ち合わせや今年度下半期の出張計画その他もろもろ。

23日(木)は、午後6時半から大使館で「JAPAN-UK 150 History Seminar Series」全3回のうちの第1回。Japan Society との共催で、もちろん日英修好150周年記念イベントの一つ。今回のセミナーでは、1858年日英修好の締結から1902年の不平等条約の是正完結までの 時期がテーマ。日英それぞれの学者1人ずつが講師で、講演は全部英語。でも、スライドを使っての説明だったので、比較的わかりやすかった。日本人の先生 は、建築の話が中心だったので、僕としては今ひとつ興味が薄かったが、イギリス人の先生の方の、ヴィクトリア文化が日本に与えた影響の話は、内容が身近 だっただけに特におもしろかった。

24日(金)は、イベントダブルヘッダ。まず、昼は在英日本商工会議所主催のセミナー「パーマストン会」。講師は日本総研のチーフエコノミストから内閣府 政策統括官(経済財政分析担当)も務められ、現在は日本総研副理事長をされている高島進氏で、テーマは「変革する世界経済の中での日本の生きる道」。肩書 きの割に、とても腰の低い実直そうな人柄の方で、ちょっと意外だった。

例によって、講演の前にはカクテルレセプションとランチがあり、実はここでの参加者との意見交換も結構楽しい。在英の日系企業の方との話は、行政の立場から見えることとは結構違っているので、勉強になる。

で、今回の講演は、日本語だっただけでなく、内容も行政マターの話が多かったので、僕にとって特におもしろかった。内容には賛成のところも反対のところも あったけれど、何しろ土地勘があるのでよくわかる。結論としては、日本もまだまだ変わらなきゃね、ということで、それはもちろん全く賛成。ただ、その方向 性や手法については、もっともっと議論を深める必要があると思う。

で、講演は3時までだったので、いったん事務所に戻り、4時過ぎに今度はキース調査員と一緒に大使館へ。暖かかったので、大使館まで歩いて行ったが、せい ぜい20分ほどの道のり。で、その大使館でのイベントは「Savouring Akita Sake Excellence」。要するに秋田地場産日本酒の利き酒会。文字通りおいしいお仕事。

でも、「地方がテーマですから」ということで、大使館から乾杯の挨拶を頼まれていたので、それが終わるまでは結構緊張した。あらかじめローカルスタッフ (というか、一緒にいったキース調査員)に英文の挨拶文を作っておいてもらい、それに自分で読みやすいようにちょっとだけ手を入れ清書して、1週間掛けて 読む練習を繰り返した。それでも本番では、すでに多少お酒も入っていたので結構危なっかしかった。が、まあ何とか無難に終える。そうそう、挨拶文の最後に 「Kampai!」の発声の言葉まで入れてしまってあったため、そこまで全部言ってしまい、おかげで参加者の方々がグラスを掲げる暇がなく、ばたばたさせ てしまったという大きな失敗があった。ちゃんと挨拶は挨拶で切って、グラスを用意させて乾杯の発声をしないといけない。日本語だったら会場を見回す余裕が あるので当然そうしていたはずなのだが、英語と言うことで思わぬ失敗をしてしまう。
でも、ともあれそれなりに終わり、あとは秋田の地酒をちびちびと味わいながら、いろいろな人たちと歓談。7時過ぎに引き上げた。

25日(土)も、お仕事。桑原所長補佐、キース調査員とJETAAのノースウェスト支部企画(ミッドランド支部のJETAAも参加)のアクティビティ、日本庭園見学ツアーに参加。

マンチェスターのやや南、CheshierカウンティのKnutsford(ナッツフォード)にある「Tatton Park」が目的地。朝9時9分ユーストン発の電車で、Stockportまで3時間ちょっと。そこでローカル線に乗り換えて、Knutsfordまであ と30分ちょっとの、締めて4時間の旅。途中、電車が遅れて乗り換えに間に合うかどうか、ちょっとひやっとしたが、セーフ。午後1時過ぎに着いた Knusfordには、NW支部のJoubin(ジュービン)さんが車で迎えに来てくれていて、Tatton Parkまで送っていただいた。しかし、あいにく天気が悪くて(というか、かなり激しい雨)、参加者もちょっと少なめ。全員がそろうまでの間、集まった人 たちで公園入り口の食堂でコーヒーを飲みながら軽く歓談。2時半頃からいよいよ本番の公園見学。

Tatton Parkは結構大きな公園で、中には様々な Garden があり、The Japanese Garden もその一つ。公園のガイドのリチャードさん(だったかな?)に解説をしてもらいながら、ゆっくりと美しい風景を楽しんだ。雨のため、ちょっと落ち着かな かったし、写真もうまく撮れなかったけれど、雨に濡れた日本庭園は、それはそれでとても趣があって美しかった。写真だけを見れば、京都と勘違いしそう。

ツアー終了後は、ミッドランド支部の人たちとは別れ、Joubinさん、Helenさんと一緒にマンチェスターへ。時間がまだちょっと早かったので、町中 を少し散歩し、文化センターのようなところで日本の展示を見ることに。しかしあいにく、日本の展示はちょっと終わったところとのことで、見られずじまい。 気を取り直して、英国の伝統的パブに行き、そこで意見交換。Joubinさんは、実に陽気な青年で、終始笑いが絶えなかった。来年3月にマンチェスターで JETAA UKの全体会合が行われることになっているそうで、そこでの再会を約束して6時半に店を出た。

6時58分マンチェスター発の電車に乗り、今度は乗り換えもなく、一路ロンドンへ。今度はトラブルもなく、10時半過ぎに無事到着。11時過ぎには帰宅。ロンドンは、雨が降っておらず、しかも暖かくて、北の方とはずいぶん違うもの。ちょっと疲れたけれど、楽しかった。

26日(日)は、ロンドンでも雨が降り出したため、水泳と買い物以外のお出かけはせず、家で過ごす。しかし、お買い物で買った、ソニー製の、時計・ラジオ 付きiPhone用スピーカードックは、重宝でなかなかのヒット。日本では、ソニーはかたくなにウォークマン用の製品しか作らなかったように記憶していた けれど、海外ではiPod用の製品とかさっさと作っちゃうんだ。ちょっとおもしろい。

2008年10月19日日曜日

10月5日~10月19日

先週末は、特に出張などはなかったものの、土日両方とも夜のお付き合いがあったため、ブログが書けなかった。ということで、今回も2週間分まとめて。

5日(日)は、総務省地方債課と地方債協会主催の地方債IR訪問団が英国に到着したので、その歓迎夕食会。Strand通りのSimpson'sでロース トビーフを食べる。夕食後、事務所の川本君の案内で、有志によるビッグベン視察を行ったらしい。僕はそれには参加せずに帰宅。ただし、夕食会でご同席した 環境省の鷺坂審議官と自宅近くのパブで若干の二次会。

6日(月)は、その地方債IRの本番。英国大使館で13時から。結構人が集まっていて、大使館のご努力が忍ばれた。プレゼンも、司会の坂越補佐が切れのい い英語でてきぱきと進行させ、地方からのプレゼンターも事前の準備がしっかりしてわかりやすく、充実した内容だったと思う。質疑の時間には、ロンドン事務 所のキルヒナー調査員が通訳で活躍。レセプションでも、有意義な意見交換が行われた模様。少なくとも、地方債を海外投資家に売り込むための課題はかなり明 確に整理されたように思うし、意義は大きかったと感じた。

7日(火)から9日(木)にかけて、キルヒナーさんとともに、北アイルランドの首都ベルファストで行われた、solaceの annual conference に参加。solace とは、「Society of Local Authority Chief Executives and Senior Managers」の略称で、地方自治体事務総長・幹部会議といったところ、英国の地方自治体の集まりには、あとLGAというのがあり、こちらは自治体を代表する政治家の集まりで、春に総会がある。

今回の出張は、幸い朝がそれほど早くはなく、ヒースロー空港午前10時55分発のBMI機で、ベルファスト到着が12時20分。でもこれはあくまでもタイ ムテーブル上の時刻であり、実際はいつものように遅れた。まあ、10分程度だったけど。空港からは、solaceの人が手配してくれていた自動車で宿泊予 定のヒルトンホテルに。ただ、ヒルトンホテルは、カンファレンスの会場の真横でとても便利だったのだけれど、ちょっと料金が高く、そのホテルでの宿泊は招 待の僕だけで、キルヒナーさんはご自身で探された近く(と言ってもあまり近くない)ホテルに宿泊。雨がちだったこともあり、ちょっと申し訳ない思い。
食事を取って14時過ぎに会場でキルヒナーさんと落ち合い、レジストレーション。14時半からカンファレンス開会。solace事務局長のDavid Clark氏のあいさつ、solace代表で、北アイルランド Worcestershire County Council の CEO の Trish Haines 女史による今回のカンファレンスのテーマ「Prosperity, People and Place」と題したスピーチ、Belfast City Council の CEO の Peter Mcnaney 氏の「Placeshaping Belfast」と題したスピーチ、ティーブレイクの後、「Policing Divided Communities」のスピーチへと続いて、17時まで。
で、その日の夜は、19時半から、Belfast Castle でのInternational Dinner。「International」と銘打つだけあって、同じテーブルにはアメリカ、デンマーク、オーストラリアから来た人々なども。料理もな かなかおいしくて、楽しかった。

8日(水)は、午前9時半から保守党MPの Bob Neil 氏によるスピーチ、10時15分から調査会社の ipsos MORI の Managing Director Ben Page氏による講演。正直言って、このBen Page氏の講演が、今回の中で一番おもしろかった。
ティーブレイクの後は、11時半からスタディ・ツアー。要するに市内視察なのだけれど、実に盛りだくさんのメニューが用意されていて、どれも魅力的で選ぶ のに迷った(でも結局キルヒナーさんのおすすめに従った)。で、選んだのが「Sterwartstown Road Regeneration Project」。パンフレットでの説明が「An inter-community social economy initiative at Suffolk/Lenadoon which is sustained through private and public rental incom」というだけで、最初正直なんのことかさっぱりわからず、有料道路の収入で地域活性化でもやっているのだろうかと思っていたら、まるっきり違っ た。アイルランドの厳しい歴史、カトリックとプロテスタントとの対立抗争に深く根ざして、物理的にも分断されてしまったコミュニティに、対話をもたらし、 信頼を徐々に築くにいたったコミュニティ活動と、その拠点となったコミュニティセンターの視察。言葉で書くと別になんてことないようだけれど、それは日本 には、ここまで悲惨な内戦の経験がないから。「戦争」をしてきた両当事者の間の信頼を取り戻すというのは、想像を絶する大変さであることがひしひしと感じ られた。百聞は一見にしかず。

ランチの後、午後2時半からは、Workshop。これも色とりどりのメニューだったけれど、その中から「Transformational change at Newcastle City Council - unlocking £28.5m for improved citizen service」を選択。Fujitsu Services UK が Newcastle City Council と組んで実施した、大規模なICTの導入による機構改革・行政改革のプレゼン。概略は、ここにも載っている。やはり、労働組合との交渉に苦労したようだけれど、それにしてもちょっと日本では考えられないようなものすごく大胆な変革を行っている。組織カルチャーの違いか。参考にはならないけれど、おもしろい。
そして16時からは、目下の経済情勢を踏まえて急遽盛り込まれたパネルディスカッション「Facing up to the Credit Crunch: What does this mean for Local Government?」。聞き終わって、僕は、結局なかなかいい知恵はない、ということかという印象だったのだけれど、キルヒナーさんは、結構建設的な 提案もあって有意義だったというご感想。ヒアリング能力の差、かな?ちょっと悲しい。
その日の夕食は、St.George's Market のテントを張った大広場で、Charity Reception & Dinner。テーブル数44、総参加者500名以上の大夕食会。ちゃんとスポンサーがいて、ディナー前のドリンクのスポンサーはCAPITA、ディナー のスポンサーはSECTOR。同じテーブルについたのは、やはり国際色豊かな面々で、ニュージーランドやオーストラリアなど遠方から来た方も多数。隣はメ ルボルンにある Local Government Managers Australia の Chief Executive で John Ravlic さんという方。シドニー事務所の池田所長をよくご存じとのことで、盛り上がった。

9日(木)は、午前9時半からスタディ・ツアーその2。僕が今回参加したのは「Connswater Community Greenway」。手入れが行き届かず荒れてしまった川に沿って、行政と市民団体とのパートナーシップで再開発・コミュニティ再生を行い、川沿いの環境 をよみがえらせた事例。これは、日本でも比較的ありがち。川沿いに結構歩いたので、いい運動になった。
戻ってコーヒーブレイクの後、11時45分からは「Housing vs Countryside?」という講演。住宅開発を計画的に進めるために新たに設立された公共法人、Homes and Communities Agency の Chief Executive である Sir Robert Kerslake 氏の講演。イギリスでは、純粋な公営住宅や純粋な民間宅地開発というものがどうやらないようで、住宅開発は、官民の共同で行うのが一般的らしい。かなり日 本とは状況が違う。その分、都市計画をきちんと実行しやすそうなのがうらやましく思った。
昼食後、14時15分からは「Bowling together - Building Social Capital」という題でのパネル・ディスカッション。要するに市民参加活動。これは日本にかなり近い。しかも、レベル的にも日英で結構いい勝負じゃな いかと思った。日本もそんなに負けてない。
ティーブレイクの後、16時からはカンファレンスのトリを飾る、コミュニティ・地方自治大臣 Hazel Blears 女史のキーノートスピーチ。早口だけれど、歯切れ良い語り、会場からの質問に対し、明快にずばずば答える弁論ぶりはさわやかで、さすが英国の政治家は違う と思った。
17時に講演が終わり、これでカンファレンスの公式行事は終了。イベントとしては、実はその後にも18時半からHistoric Pub Tourだとか、Cafe Vaudeville とかあったけれど、さすがにそれはパス。帰りの飛行機は19時50分発だったので、18時過ぎまでホテルの喫茶でキルヒナーさんと時間をつぶし、タクシー で空港へ。飛行機も順調で、21時10分にはヒースローに到着。10時半前には帰宅。でも、さすがに疲れた。

10日(金)は、特に行事なし。事務所でたまっていた仕事を片付ける。

11日(土)は、北橋北九州市長が、ベルリンでのOECD会合(環境についてのプレゼンを行われたとのこと)の後、ロンドンに寄って視察されるとのこと で、その歓迎夕食会。今回も、またSimpson's。まあ雰囲気が良いので、接待に無難。夕食時の歓談で、実は市長とは西宮市甲東小学校の先輩・後輩の 間柄であったことが判明。ものすごく驚いた。

12日(日)は、母校灘校の嘉納理事長、和田校長がロンドンに来られることとなった機会に、ロンドンに在住している灘校出身者で同窓会を開くことになり、 それに参加。Victoria駅近くの、THISTLE WESTMINSTER HOTEL の一室を借りて、そこにケータリングの飲み物・食べ物を運んでの夕食会。年次がばらばらなので、同窓生と言ってもほとんどお互い同士知らない間柄だったの だけれど、すぐに打ち解けて楽しい会になった。全部で12名だったかな。結構いるものだと感心。そういえば、そこで知り合った、灘の2年後輩で、今JAL の機長をしているという牧さんが、僕の小学校の同級生(やはりJALの機長をしている)と知り合いだということを知って、またまたびっくり。いろいろなつ ながりがあるものだ。

13日(月)は、クレア本部からアイルランド、英国のJETとの意見交換に来たメンバー(石本指導課長、山田業務課主査)と昼食。夜はJETのロンドン支部のメンバーも交えて会食。

14日(火)は、行事は特になし。そろそろ娘の学校探しに取りかからねばと思い、若干の情報収集。

15日(水)は、大使館で在日政府関係機関の打ち合わせ。移民法改正、日英修好150周年記念イベントなどが主な話題。

16日(木)は、Japan Study Tour の pre-orientation。英国自治体トップの人に希望を取り、日本での自治体との意見交換や暮らしの体験などを行ってもらうイベントの事前説明。今年は、11月に東京と長野市・飯田市に行ってもらう。
説明会は、和気藹々とした雰囲気の中行われ、成功裏に終了したのだけれど、終了後、30分過ぎても頼んでおいたケータリングの弁当が来ない。結局、急遽レ ストラン三越を予約してそちらに向かうことに。実は、この日の昼、北京オリンピックの祝賀パレードが行われていて、事務所近所の道がすべて通行止めになっ ていたので、ケータリングの車が来られなかった模様。でも、それならそれで携帯で連絡を寄越せばよさそうなものなのに。ただ、レストラン三越の和食の弁当 も、おいしかったし、日本に行く前のいい勉強になったと出席者には非常に好評だった。
15時には、11月のダービシャーセミナーで進行をお願いしているProfessor Hambleton氏が来訪して、打ち合わせ。非常に気さくな感じの先生で話しやすく、心強かった。また、打ち合わせ後、この先生からのご提案があった。 自治体の国際的な意見交換の会議を今立ち上げたいと活動中なので、クレアロンドン事務所にもご賛同願えないかとの由。趣旨には大いに賛同。でも、お金の面 での貢献はあまり期待しないでくださいね、とお返事。また機会を改めてじっくりお話しすることに。

17日(金)は、地域活性化センターの自治体からの派遣職員3名(大井さん、島浦さん、伊藤さん)が、事務所に来訪。一緒に昼食を取る。ロンドン、エディ ンバラ、グラスゴー、ノッティンガム、リバプールと視察してきた最終行程で、昼食後と翌土曜日は観光とのこと。夕食も、割り勘という約束で、鷺坂審議官、 川本君も一緒に、彼らとSOHOの中華を食べに行った。

18日(土)は、家関係のことをいろいろした後、The Grey Coat Hospital School と Pimlico Academy を見に行った。どちらも家からバス1本で便利なところ。さて、まずは無事面接にまでこぎつけられるか…

で、今日19日(日)は、珍しく1日中自宅で過ごす。外出したのはプールに行って泳いだのだけ。家を掃除をしたり、簡単な料理を作ったり、スカイプで子供に勉強を教えたり、ブログを整理したり。これからは、多少このような平和な日々になる、はず。

2008年10月5日日曜日

9月22日~10月4日

先週末は出張で、ロンドンに帰ったのが日曜の深夜で日記を書けなかったので、今日は2週間分まとめて。

22日(月)は、ニューキャッスルでセミナー。「イギリス北東部地方と日本の過去・現在・未来」がテーマ。ノーサンブリア大学、大和基金、クレアロンド ン、ニューキャッスル市の共催。実質的には、お金を出したのが大和基金で、運営を行ったのはほとんど大学ということで、クレアロンドンの役割って何?と 思っていたのだけど、最初にこの企画を立て、各方面に働きかけたのがクレアだったということらしい。さすが務台前所長。
アバディーンで「トマス・グラバー」、メドウェーで「ウィリアム・アダムズ」がテーマだったように、このセミナーでは「ウイリアム・アームストロング」が 「人物テーマ」になっていたのだけれど、その色合いはやや薄く、むしろこれまでの交流一般と現在の経済問題が中心になっていた。もちろん、それはそれでと てもおもしろかった。
セミナー後のレセプションで、ニューキャッスル在住で、以前四日市高校でJETをやっていたという青年と偶然出会い、四日市市の話に花が咲いた。こういう出会いもあるからおもしろい。
その日はニューキャッスル市に泊まる。

23日(火)は、ニューキャッスル市の隣町、ゲーツヘッド市に訪問。午前中、最初市内の名所を案内してもらったが、やはりなんと言っても圧巻は、The Angel of the North。まあ、とにかくでかい。ど迫力だった。次にまぶたをかたどったらしい Gateshead Millennium Bridge。この橋に限らず、どの橋も非常に意匠が凝らされている。そして、橋の横の The Sage Gateshead。巨大な多目的ホール。とても地方都市にあるようなレベルのものではなく、国立施設かと思うような立派な施設だった。最後に連れて行っていただいたのが、BALTIC Centre for Contemporary Arts。ちょうど日本人イラストレーター奈良美智Exibitionをやっていて、それをじっくり見ることができ、ラッキーだった。
市内観光のあと、カウンシルでミーティング。ゲーツヘッドでは、以前から小松市との関係が深く、熱心に交流を進めているが、それをどうさらに深めていけるか等について意見交換を行った。
帰りは、ニューキャッスル駅から電車で3時間。

24日(水)は、事務所でお仕事。木村所長補佐の結婚を記念して、所員有志で軽く宴会。

25日(木)は、JETAAインターナショナルの会議に出席するため、パリへ。最初ユーロスターで行く予定だったが、ユーロトンネル火災の影響で予約を取 ることが難しくなったため、急遽飛行機に変更。エアフランスでヒースロー空港午前7時40分発の便だが、エアフランスは2時間前に空港に到着していること を求めているとのことで、朝5時前に起きてタクシーに乗り、パディントン駅5時25分発のヒースロー・エクスプレスに乗って空港へ。予定通り5時50分頃 にはターミナルに着いた。が、チェックインはすでにインターネットで済ませているし、出国手続きもあっさり終わり、拍子抜け。同行のキースと喫茶店でコー ヒーを飲みながら時間をつぶした。パリにも予定通り10時過ぎに着き、宿泊予定のホテルに向かったが、ホテルの場所がなかなかわからず、難儀した。でも、 おかげでシテ・ウニベルシテからポルト・イタリーにかけての地理に結構詳しくなった。
なんとかチェックインを済ませたあと、パリ事務所へ。ちょうど会議室で本部の上田専務などが食事をされているところに到着したので、お相伴にあずかれた。
その日の午後は、特に仕事はなかったため、市内観光で上田専務とオルセー美術館に。夕方は、JETAAとのエグゼクティブミーティング。セーヌ川の川下り をしながらの会食で、楽しかった。同席のジャマイカ代表のケイさんから、ジャマイカでの活動ぶりをお聞きして、脱帽。JETががんばっているのは、米英豪 だけではないことを痛感。

26日(金)~28日(日)は、JETAAの会議に出席。その合間には観光も。おいしいフランスワインをたっぷり堪能した。日曜の帰宅は10時半過ぎ。さすがに結構疲れた。

29日(月)は、事務所でお仕事。午後 Ms. Jennifer Ashbyさんが来訪。コミュニティ・地方自治省の職員(副課長)で、今年度ノーフォーク基金のお金で世界の地方自治の研究をされているとのこと。日本で 行政がイニシアティブを取って民間とのパートナーシップで地域再生を行っているところを見たいとのご要望だったので、三重県を推薦。四日市市に連絡を取っ てみることを約束。

30日(火)からは、今度はコペンハーゲンに出張。午前中役所で仕事をした後、キルヒナーさんとヒースロー空港からBAでコペンハーゲンへ。ロンドンの天 気が悪かったので、ちょっと心配したけれど、幸い雨は降っておらず、気温もそれほど寒くなかった。空港から電車でウスターポートまで20分ちょっと。電車 には人が大勢乗っているのに、誰もほとんどしゃべらず非常に静かなのに驚いた。
ウスターポートからホテルまでの道には、各国大使館が並んでおり、結構重要な地区なんだなと認識。歩道は広く、紅葉がきれい。また、すべての道に、きちんと自転車道が整備されていることにも感心した。

ホテルは、フラットの最上階が貸部屋になっているもので、なんか普通の「家」って感じ。別に悪くはないんだけど、5階まで階段で上がらないといけなかったのが玉に瑕。まあ、一泊だけのことではあるし。
夕方の会食まで多少時間があったので、キルヒナーさんと一緒に海岸に出て人魚の像とKastelletを見物。さすがにすでにオフシーズンといった感じで、人は少なかった。
夜は、Local Government Denmark(デンマーク語の略称「KL」)でのディナー。フランスで地方自治の研究をしているジェラードさんという学者の方と仲良くなった。

1日(水)は、いよいよ今回の出張の目的、CEMRのカンファレンス。Danish Regions の建物の会議室で朝9時から夕方4時半までみっちりと詰め込まれたプレゼンテーションを聞いてきた。といっても、ヨーロッパのカンファレンスなのでもちろ ん日本語などどこにもなく、同時通訳は英仏独の3カ国語のみ。英語のプレゼンは直接聞き、フランス語とドイツ語とスペイン語のプレゼンを同時通訳の英語で 聞くという態勢。まあ大変だったが、パワーポイントの資料が英語で用意されていたものは、それをメモすることでカバー。しかし、フランスからのプレゼン は、プレゼン資料も講演もすべてフランス語なので、同時通訳を聞くことに頼るしかなく、しかもプレゼンの進行がとても早かったので、結局ほとんどわからず じまい。まあしかたない。しかし、いろいろな国でいろいろな取り組みが行われていることは肌身に感じることができ、おもしろかった。中身のとりまとめは、 ドイツ語、日本語、英語だけでなく、フランス語もできるキルヒナーさんにお任せ。
カンファレンス終了後、すぐに空港に向かったら、連絡がよくて予定の飛行機の2時間以上前に到着。空港でおみやげなど見ながら、ゆっくり時間を過ごした。その分、帰宅はまたまた夜10時半。

2日(木)は、昼に在英日本商工会議所のセミナーに出席。リーマン・ブラザーズ・インターナショナルの上級政治アナリスト、アラステア・ニュートン氏の講 演。スピーカーの講演もさることながら、講演前のカクテルでのジャパン・ソサイエティのダイヤモンドさんとのお話や、昼食時に同席した方々とのお話がとて もおもしろくて印象的だった。むしろ、そちらの方が講演そのものよりもおもしろいくらいだったかも。
その夜、ジャパン・ソサイエティ主催の日本語教室第2期の第1回目に、ゲストスピーカーとして出席。午後8時から、僕が日本でしてきた仕事、行ってきた地 方などについて、簡単に日本語で話した後、質疑応答を行った。全部で30分程度。終了後、事務所下のパブに場所を移して懇親会。これが楽しい。結局10時 半過ぎまでビールを飲んで楽しく語らった。ここで初めて、テレビのTeletextで「888」をセットすれば、すべての番組で英語字幕が見られることを 教えてもらってびっくり。早速家に帰ってやってみたが、これは便利。もちろん、字幕を見ても早すぎてわからないことも多いが、ヒアリングだけに頼っていた ときと比べると、内容の理解度が桁違いに上がった。特に、土日の子供番組は、ヒアリングの練習に最適。

3日(金)は、セミナー連チャン。今度は時事通信社のトップセミナーに参加。池東旭(Chi Tong Wook)氏の「ポスト北京五輪、急変する東アジア情勢:朝鮮半島を中心として」という演題。
演題だけ見ると、とても堅そうな講演にみえるけど、元々がジャーナリスト出身の方だけあって、話が具体的でジョークもおもしろく、抜群に楽しい講演だっ た。「今日の話では、本音を語るからオフレコで」というのが冒頭の言葉だったけど、確かにこれは書けない。特に北朝鮮の話。しかし、実に説得力のある内容 だった。

4日(土)は、金曜日に帰宅したときに扉に「不在だったので4日土曜日にまた電気メーターを見に来る」という紙が挟んであったので、1日家で待っていたけ れど、結局誰も来ず。やられた。まあ、さすがにこの2週間分の疲れがたまっていたので、いい休養になったのは確かだし、これはこれでよし。

2008年9月22日月曜日

9月15日~21日

いつものように、先週1週間を振り返って。

15日(月)は、特記事項なし。肩の治療のため、クリニックに行ったくらい。だいぶよくなったけど、治りきらない。いい加減治って欲しい。

16日(火)は、英国外務省主催の日英150周年記念セレモニー。正式名称は、「Reception to mark 150 years of UK-Japan diplomatic relations」(式次第の表現)。でも、招待状の方を見ると「Reception to celebrate 150 years of diplomatic relations between the United Kingdom and Japan」になっている。長すぎたので、縮めたかな?
場所は、Foreign and Commonwealth Office、つまり英国外務省のThe Locarno Suite。立派な部屋だった。
7時から Lord Malloch Brown 氏(Minister of State for Foreign and Commonwealth Affarirs。要するに外務大臣、でいいのかな?こちらでは、Secretaryの方が大臣だったりするので自信なし)の挨拶。イギリスらしいジョー ク飛ばしまくりの気さくなスピーチだった。続いて、伊藤外務副大臣の挨拶。こちらは完璧な英語、完璧な内容、でもユーモアの要素は一切なし、という、ある 意味こちらも典型的な日本らしいスピーチ。
ともあれ、それが終わったら、あとはいろいろな人たちとワインを飲みながらひたすらお話しした。誰と何をしゃべったか、実はあまり覚えていない。相手は結局日本人が多かったけど、イギリス人ともそれなりにはしゃべったかな。

17日(水)は、ダービシャー出張。11月のセミナーの打ち合わせ兼TMUKへのご挨拶。担当の松野下さんとジェイソンとの3人で、St.Pancras駅からDerby駅まで電車の旅。この電車は入り口も出口も改札なしで、車内検札のみ。
Derbyでは、ダービシャー県側でのカウンターパートのステファニーさん(だったっけ?)が車で迎えに来てくれていて、Matlockのカウンシルまで 送っていただいた。松野下さんはすでに彼女とは面識あり。彼女は国際・観光担当で、日本にも数回来たことがあるとのことで、日本語のヒアリングはほぼで き、話すことも結構できる。打ち合わせでたまにジェイソンが通訳しそこねたときに、彼女の方がフォローしてくれたくらい。
午前中は、ダービシャーのウィルコックさん、ホジソンさんとセミナーの趣旨やロジを確認したり、会場予定の議場などの現場を視察。その終了後、カウンシルの車でTMUKまで送ってもらう。
TMUKは、非常にセキュリティが厳しく、写真入りの身分証明カードを作るだけでも結構時間がかかった上、アポイントの人たちに合わせていただくまでに も、かなりの時間待たされた。が、ともあれ、無事講演依頼も終えることができ、目的達成。しかも予定時間よりかなり早く終了。待ってくれていたカウンシル の車で、再度ダービー駅まで送っていただく。
しかし、ダービー駅で、電車の乗車変更をしようとすると、できないとのこと。どうやら安売りチケットでは乗車変更は一切できず、切符を買い直さないといけ ないそうな。それはもったいないので、駅でサンドイッチの昼食をすませると、近所の散歩。再開発でできた大ショッピングセンターのテナントの一つ、 Marks & Spencerに入って時間をつぶす。でかい商業ビルだった。

18日(木)は、午前中、チャタム・ハウスに研究のため来られている鷺坂さんが、チャタム・ハウスの同僚で経産省から来られている桜井さんとともに事務所 に来訪。桜井さんが岐阜の方で、事務所の桑原さんに軽くお世話になったことがあったので、そのお礼も兼ねてとのこと。午後は、ケーブルテレビのコンテンツ を手がけている、アットホームネットの芳賀部長さんが来訪。ケーブルテレビによる地域活性化のネタなどについて教えていただいた。

19日(金)は、JET帰国者レセプション。会場はロンドン塔の近くでテムズ川ほとりの HMS President。部屋がテムズ川に面しており、タワーブリッジも直接臨める絶好のロケーション。式の直前に、ちょうどタワーブリッジの開いた瞬間も見 ることができ、ラッキーだった。

開会後は、まず僕の挨拶。原稿を読んだだけだったけど、聴衆がすでに結構ワインが入っていたこともあってか、くすぐりの箇所でもれなく笑っていただき、気 持ちよく挨拶できた。僕の後は、大使館の草賀総括公使の挨拶。こちらはノー原稿で、ごく自然なフレンドリーな調子で語りかけるようなスピーチ。しかもご自 身の身近な話題などを例に引いてのジョークも飛ばしまくり。格が違う。最後に、JET代表の挨拶。結構早口だったけど、わかりやすかった。
あとは、たっぷり飲んで、たっぷりしゃべって楽しく過ごした。終了後は、事務所のメンバー有志で、Tower Hill近くのパブで2次会。ちょっと飲み過ぎた。

20日(土)は、仕事はなかったけれど、昼前に国際交流基金の石田所長のお誘いで、やはり近所にすんでいる、大使館の松村さんと3人で昼食。King's Road の「Big Easy」というハンバーガー屋さん、というか、まあパブレストランかな、で。メニューに「Kobe Burger(Wagyu Beef)」というのがあったので頼んでみたら、これがなかなかいけた。話もはずんで、とても楽しかった。

で、今日21日(日)は、JET walk。ケント県の Leigh(「ライ」と発音するみたい)から Sevenoaks までの15kmの道のりを歩いた。8時56分にVictoria駅から出発し、Tonbridgeで乗り換えてLeighに行ったのだけれど、 Tonbridgeまでの途中で2回ほど電車が止まってしまい、大幅に遅れた。しかも、途中でスイッチバックして逆向きに走り出して、いったいどうなるこ とかと思ったけど、とりあえず1時間遅れくらいで、なんとか11時にはLeighまでたどり着いた。
で、絶好の天気に恵まれて、そこからKentの田舎道をてくてく気持ちよく歩いて行ったのだけれど、およそ目印が何もないものだから、途中何回か道に迷っ て、ようやく昼食の会場「The White Rock Inn」に着いたのが2時10分頃。すっかりおなかがすいた。そのパブに4時半頃までいて、残りの行程を歩いていると、途中にでかい城のような建物が。ナ ショナルトラストの「KNOLE」という建物。これを横目に見ながら、一路 Sevenoaksへ。駅に5時40分に到着したら、5時44分発のVictoria行きがあるという、あわてて電車に飛び乗って、とりあえずはめでたし めでたし。
途中適当に撮った写真は、ここにアップしたおいた。

2008年9月14日日曜日

9月8日~14日

なかなか盛りだくさんな1週間だった。

8日(月)は、朝クリニックに行って方の治療をしたくらいで、特段のことなし。でも、特段のことがなかったのは、この日だけ。

9日(火)は、キルヒナー調査員と一緒にリーズに出張。朝8時10分に、King's Cross駅を出発し、リーズまで約2時間。リーズは雨が降っていて、とても寒かった。約束の11時より多少早くCivic Hallに到着。そこで、School International Co-ordinator の Jenny Hillさん、Head of International Relations の Adrian Strain さんと意見交換。リーズ市は、これまでJLGCはじめ日本の自治体とはあまりおつきあいがなかったようで、日本の地方自治の基本的なところなども含めて、 様々な質問をされた。
引き続き、12時半から近くの「Brios」というパスタ屋さんで昼食。Strainさんと、Head of Royds_Specialist Language College
の Bernadette Young さんがご一緒に。Youngさんのカレッジでは、日本語も含めて、実に様々な言語を教えていらっしゃるとのこと。食事の最後にHillさんが到着。 Strainさん、Youngさんとはここで別れ、Hillさんと一緒に Bramley Primary Schoolへ。
Bramleyでは、校長(名前は聞きそびれた)と副校長のKaren Kershawさんの案内で、学校の施設や実際の教育の様子を見せていただいた。この学校では幼稚園も併設され、国際教育とICTに力を入れているとのこ と。実際、南アフリカ、ドイツ、オーストリア、ノルウェー、北アイルランドとの交流の様子を表した様々な掲示があった。ICTでは、スクリーンに映した PC画面に対し、位置センサーを使って直接指で操作できる「スマートボード」を使った授業が印象的。子供たちが、みんな素直で生き生きした様子だったのが よかった。
視察終了後、リーズ駅まで送ってもらい、3時40分の列車でロンドンに戻った。

10日(水)は広報連絡会議。大使館を中心に、在日の政府関係機関、公的機関などが集まって、英国に日本をPRするための施策について、定期的に意見交換をしているもの。今回は、国際交流基金の担当。次回は大使館が担当で11月6日に開催することを決定。

11日(木)は、午後6時半から国際交流基金で講演会。翌日のメドウェーセミナーの講師も依頼している、横須賀市浄土寺の逸見住職のご講演。なかなかおも しろい話だった上、通訳の女性もとてもうまくて、会場に集まった大勢のイギリスの人たちも満足していたご様子。講演終了後、質問が大量に出て、中には答え にくいものもあって逸見さんは少しお困り気味だった。講演会終了後はリフレッシュメント。その後、国際交流基金の所長、副所長、逸見住職、住職にご同行さ れたお嬢さんとご一緒に、近所の中華料理で夕食をいただき、話に花を咲かせた。

12日(金)は、メドウェーセミナー。キルヒナーさんと一緒に、ラッセルスクウェアのインペリアルホテルまで逸見さん親子をお迎えに行き、午後4時23分 の電車でヴィクトリア駅からジリンガム駅へ。6時からセミナー開始。セミナーの詳細は、JLGCのホームページで紹介があるはずだから省略。終了後、行き と同じくキルヒナーさん、逸見さん親子と一緒に、電車でチャリングクロス駅へ。僕はそこで別れ、キルヒナーさんに、逸見さんたちをホテルまで送ってもら う。

13日(土)は、特に仕事はなかったけれど、初の出張散髪をしてもらう。折悪しく、散髪の人に来てもらう直前の9時50分に、突然停電。配電盤を見たとこ ろどこもブレーカーが落ちていなかったので、階段を見たところ真っ暗。どうやらフラット全体の停電の様子。携帯で連絡を取って、フラットの入り口まで迎え に行き、真っ暗で足下が見えず危ない階段を上って部屋まで来てもらう。幸い、部屋の中はそれなりに明るく、散髪には特に問題なかった。結局停電は、散髪が 終わった11時20分ころまで続いた。我が家は、オール電化なので、停電だとテレビ、ネット、電子レンジが使えないのはもちろん、コンロすら使えないの で、本当にたいへん。昼間の間だった上、とりあえずそれなりに早く解決してよかった。

14日(日)は、ジェイソン・バックリー調査員と一緒に再びメドウェーへ。セミナーを行った教会でのウィリアム・アダムズ記念ミサのお誘いを受けたので、 これに出席。9時3分にヴィクトリア駅を出て、9時50分ジリンガム着。ちょっと早すぎたので、近所を少し散歩して10時20分に教会に入る。10時半か ら11時20分頃までミサ。それほど肩肘の張らないいいミサだった。おそらく信者の人の子供が、積み木で遊ぶ音がうるさかったのが玉に瑕だったけど。終了 後、11時半から近くの教会施設のホールでビュッフェ形式のランチ。ワイン(どうやら、一昨日のセミナーのリフレッシュメントの残りを有効活用していただ いたらしい)のほか、手作りの様々な料理が用意されていて、楽しいランチだった。
終了後、スーザン・パテル司祭、市長のカーご夫妻、前市長でセミナーの司会を務めてもいただいたスーザン・ヘイドックさん、メドウェー選出の国会議員ポー ル・クラークさんらと一緒に教会に戻って記念写真。ヘイドックさんがジョークでみんなを笑いの渦に巻き込み、実に明るい記念写真だった。ちなみに、スーザ ン司祭の指摘で、教会に皇太子殿下がいらしていたことが判明。

記念撮影終了後、ヘイドックさんの車でジェイソンと一緒にロチェスターまで送っていただく。もともとヘイドックさんはロチェスター在住なので、ミニ観光を 兼ねてどうですかとのお誘いに応えて。途中の道路に、Yokosuka Street、Ito Street とあったのにちょっと感動。結局時間の関係もあったので、ロチェスターの町は、車の中からざっと見ただけに終わったけれど、実に美しい町で、お城も教会も 立派だったので、ぜひまた来たいと思った。ロンドンから電車でわずか40分ほどなので、結構気軽に来られそう。

以上、実に充実した1週間だった。ちなみに、これから3週間ほど、こうしたみっちりと詰まった行事が続く予定。健康に気をつけて、ちゃんと全部こなせるようにしないといけない。

2008年9月9日火曜日

MAESTRO

これまで、テレビと言えば朝のBBCニュースや夕方のチャンネル5ニュース以外には、サッカーと、たまにドキュメンタリーくらいしか見ていなかったけれど、BBC2の「MAESTRO」だけは、たまたま第1回を見たおかげですっかりやみつきになり、8月に1回見なかったほか、ほぼ毎週見ていた。

8人の素人の公募者が、プロの指揮者の指導でオーケストラの指揮をとり、その腕前を競うコンペティション番組なのだけれど、最初は見るに堪えなかった出場者が、毎週めきめきと腕を上げていくのが実におもしろかった。

今日のエピソードで、ついに最後に残った3人から優勝者が決まったのだけれど、上位2人はもう素人目にはプロと区別がつかないくらいうまい。でも、本物のプロが振ると、なるほどやっぱり違うんだということもわかって、オーケストラの「指揮」というものの意味や役割が、実によくわかった。

日本でも、「のだめカンターピレ」のヒットで「指揮者」というものが身近になったのだから、同趣旨の番組をやればかなり受けそうな気がした。

ともあれ、この番組が、あと今週土曜日のBBC PROMのフィナーレ、ハイドパークでの講演で、優勝者が指揮を取ることで終わってしまうと言うのが、結構残念。また、いつか続編があることを期待したい。

2008年9月8日月曜日

9月2日~9月7日

ブロードバンド復活後も、相変わらずブログは停滞。
今回も、1週間分まとめ書き。

2日(火)には、ドイチェ銀行の児玉さんが来訪。スピーカーシリーズの講師をしていただいたことがあり、また、川本君の大学論文のアドバイザーにもなっていただいている方。初対面かと思って挨拶したところ、実は大学のサークルの2年先輩で、共通の知人が山ほどいることが判明。そういえばお名前を聞いていたことがあった。ただ、興銀ではなくドイチェ銀行というのが、気づくのに遅れた原因。ともあれ、いろいろなところでつながりがあっておもしろい。

3日(水)は、関西学院大学の石原教授、アバディーン大学のスマート教授と面談。川本君も一緒。石原教授は、CIPFAの用務で渡英され、翌日ご予定のあったスマート教授に連絡して、クレアでお会いすることにされたそうな。いかにも関西人といったノリの元気な先生で楽しかった。昼食時には、大使館から河合書記官も合流し、5人でポートレイトギャラリーでランチ。モダンなレストランの窓の向こうに見えるイングランドのトラディッショナルな風景の対比がおもしろく、料理もおいしくて楽しいランチだった。それにしても、河合書記官の勉強熱心ぶりには、改めて感服。

9月4日(木)は、午後4時から大使館で Visit Japan キャンペーン会合。海老原大使も参加され、午後6時まで熱心な討議が行われた。ただ、内容が観光に特化しており、特に今回の議論の流れが「日本のブランディング」中心であったため、興味深く聞いたが、うちの事務所との関係は、やや薄かった。終了後、6時半から立食の意見交換パーティ。いつもながら、いろいろな人とお話できるのでおもしろい。ただ、ほとんど食べずにワインを飲みながらの歓談で、しかもワインだけはウェイターさんがどんどん注ぎに来るので、酔っぱらいやすいのが危ない。

5日(金)は第318回時事通信社ロンドン・トップセミナー。12時からランドマークホテルでランチの後講演会。後援者は東京大学社会科学研究所の中村民雄教授で、テーマは「欧州連合を考える:どうなるアイルランド国民投票否決後の統合」。この先生は、現在オックスフォード大学に研究に来られていて、9月いっぱいで日本に戻られるとのこと。務台さんが見つけられ、まずクレアのスピーカーシリーズの講師でお呼びし、そのご縁で時事のセミナーの講師になられたとのことだったが、もちろん僕にとっては初対面、初めての話題で、とても興味深かった。短い時間だったが、「EU」というものの構造や位置づけが、かなり具体的にイメージできた。ちなみに、昼食時に隣の席になったマクドナルド昭子さんという起業家の女性も、パワフル、ユニークでおもしろく、非常に有意義なセミナーだった。

土曜、日曜は、雨が降っていたこともあり、スポーツクラブで泳いだり、買い物に行ったりしたほかは、特段のイベントはなし。その分、家で読書にふけり、「ローマ帝国衰亡史」の残りと「さむらいウィリアムス」を読了。まあ、これはこれで有意義か。

2008年9月1日月曜日

ブロードバンド復活 & プレミアリーグアーセナル観戦

BT からは、9月1日からブロードバンドが使えるようになるとのレターが来ていたが、なぜか8月30日(土)の朝からネット環境復活。しかも、モデムやネット ワーク環境の設定変更も何もなく、単純にPCを立ち上げてWebにアクセスすると、インターネットにつながっていた。もちろんスカイプもOK。ということ で、土曜日には久々に家族とゆっくりスカイプ。

ちなみに、そのその30日には、かねてよりチケットを入手していた、プレミアリーグのアーセナル対ニューキャッスルの試合をアーセナルの本拠地エミレーツスタジアムで観戦。試合開始までの写真も若干撮っておいた。(アルバムは、こちら

日本にいたときには北区に住んでいたので、場所柄さいたまスタジアムまでのアクセスが結構便利で、息子と何回か浦和レッズの試合観戦に行ったことがあった が、アーセナルの試合に行ってみて、あまりにそっくりだったのに驚いた。もちろん、国民性の違いがあるので、違いを挙げればいっぱいあるんだけれど、まあ それにしてもよく似ている。なるほど浦和の応援団はアーセナルから学んだのかと納得。

ともあれ、試合はアーセナルが3:0で完勝し、観客席も大いに盛り上がって素直に楽しめた。今のロンドンの家がチェルシーなので、とりあえずチェルシーを チェックしていたけれど、なんか心情的にはアーセナルの方がむしろ親近感。スペインのセスク・ファブレガスやフランスのナスリといった、再来年のワールド カップでは間違いなく大黒柱になっていそうな若手の活躍もおもしろいし。

1試合50ポンド弱とチケットが結構高いのがやや難だけど、せっかくロンドンに住むという僥倖に恵まれたことだし、できるだけチャンスを見つけてこれからも観戦しよう。

2008年8月26日火曜日

ブロードバンド不通

8月18日(月)に妻が渡英。僕も仕事の夏休みをとって、一緒に学校見学に出かけたり、ロンドン観光やコンサート、食事などに出かけたり、コッツウォルズに出かけたりと、ゆっくりと楽しんだ1週間だった。

ところが、その途中の8月21日、ブロードバンドが突然不通に。実は、これまで使っていた自宅のネット環境は、前任の所長さんが使っていたものを、そのま ま引き継いでいたものだった。しかし、その契約が20日で切れたため、ネットが使えなくなったみたい。電話のほうは、番号が変わっただけでほぼ引き続きそ のまま使えているのだが、ネットのほうは新たに僕の名義で契約しなおすだけでは足らず、なんかBTの側での手続きもいるそうで、改めての開通には9月1日 まで待てという。実に不便になった。

まあ、とりあえず仕事に来れば、職場からはネットが使えるのでいいのだが、やはりあまりプライベートなことに使うのははばかられるので、不便なことには変わりない。

ともあれ、そういうことで、この日記も本格的再開は、9月2日以降。

2008年8月17日日曜日

8月11日~17日

今回も先週1週間分をまとめて。

11日(月)は読売新聞ヨーロッパの販売を担当されている副支社長さんが来訪。彼は僕同様まだこちらに来たばかりとのことだったが、女性社員はベテラン。 基本的に四方山世間話だったが、イギリスの折りたたみ傘はできが悪いので、日本から持ってくるのが吉、という生活情報は、何気に役に立った。午後4時半か らは、Sloane Square Clinid で左肩の治療。

12日(火)は、特に公式の予定なし。空き時間に、ニッポンクラブクリニックで肩の痛み止めの薬が切れたのを、改めて処方してもらう。勤務終了後、PSイングリッシュでの英会話研修の第1回。その終了後、初めてオフィスの戸締まり。

13日(水)は、メドウェーセミナー担当の、長野市の佐藤さんと一緒に大使館に西が廣公使を訪問。大使館の河合一等書記官にもご同席いただいた。噂には聞 いていたものの、西が廣公使の博識には改めて感嘆。いろいろな話を伺えてためになったが、個人的には、King's Road が、チャールズ1世とその愛妾ネル・グインとの逢瀬のためにできた道路だというのが一番印象に残った。

14日(木)も、特に公式の行事なし。日中はデスクワーク。終了後、英会話の第2回。今回、開始時間を30分繰り上げてもらったおかげで、戸締まりはなし。

15日(金)も、仕事上の予定はなかったので、空き時間に携帯電話の購入。iPhoneにチャレンジしてみたけれど、結局クレジットチェックにはじかれて 購入断念。SonyEricson の PayAsYouGo タイプのWalkman携帯に。まあ、おかげでずいぶん安く上がった。勤務終了後は、またSloane Square Clinic で左肩の治療。一応徐々に改善はしているように思うけれど、なかなかしゃきっとよくはならない。がまんがまん。

16日(土)は、Stamford Bridge に行って、Chelsea FC のグッズをあさる。どうも値段の相場観がわからないので、結局安くて無難なTシャツと文房具だけ購入。

17日(日)も、再度Stamford Bridge に行ってみたんだけれど、今日はプレミアリーグのある日だったせいで、お昼に行ったのに道路は渋滞会場周辺は大混雑で大変。メガストアも入場制限で、結局 購入断念。チケットもないのに、プレミアリーグの開催日にStamford Bridge になんて行くものではないと肝に銘記。

午後、職場のメールをチェックしていたら、国際交流基金の石田所長から、週末食事でもどうですかというお誘い発見。すぐに電話してアポゲット。サウスケン ジントンに一緒に行き、お目当ての中華はお休みだったものの、カジュアルなイタリアンで夕食をご一緒に。外務省と自治省のカラーの違いなどもわかり、なか なか楽しかった。

明日、妻がこちらにやってきて、来週はたっぷりと夏休みを楽しむ予定。ブログの方は、妻にお任せ、かな。

2008年8月10日日曜日

8月1日~8日

かなり手抜きだけれど、1週間を振り返ってのおもな出来事を、備忘録的に。

8月1日(金)は、経理担当のローカルスタッフ丹羽さんが着任。ご主人が大学でバイオ関係の研究をされており、イギリス在住すでに3年以上。ご本人ももち ろん英語は達者で、日本でCATVの市民レポーターをしたり、教員をしたり、というご経験のある才媛。しっかりしていて頼りになりそうな方。三重県ご出身 というのも、親近感。

2日(土)から3日(日)にかけて、パリ事務所の谷君が来訪。こちらでアーセナル主催のサッカーのプレシーズンマッチがあり、それを見に来たとのこと。試 合終了後、サウス・ケンジントン駅で落ち合い、キングス・ロードでピザを食べた後、我が家に宿泊。二人でガッツリ飲んだ。3日は、ロンドン事務所の川本君 と午前8時にハイドパークで落ち合って、3人で朝食。10時半にナイツブリッジで別れる。

4日(月)は、メドウェー出張。9月12日のセミナーの下打ち合わせ。現地での進捗状況がよくわからなくて、やや不安であったものの、行ってみると地元も 乗り気だし、会場も実に風情のある教会(なんでも13世紀に建てられたものだとか)で、しかもセミナーのための設備もそれなりに整いそうで、まずは一安 心。予定より早く1時間で打ち合わせを終了して、ロンドンに戻る。午前中のうちに用件終了。ちなみに、イギリスに来てからずっと続いている左肩の痛みは、 なかなかしぶとく治らず、この日からはSloane Square Clinic で physiotherapy の治療を受けることに。今後実際にどういう治療をするのかは、よくわからないが、この日は、検査とマッサージ。来週から週2回の治療だそうだ。早く治って 欲しい。

5日(火)は、午後3時に国際交流基金の石田所長と二子次長来訪。うちのメドウェーセミナーのテーマがウィリアム・アダムスで、その講師として横須賀から 逸見住職をお招きするのだが、逸見さんには、メドウェーの前日に、基金の主催でロンドンでもご講演をお願いすることになっている。その段取りの打ち合わ せ。午後9時からは、フジテレビのロンドン支局長さんが交替になるとのことで、その歓送迎会に出席。リージェントパークにある Queen's Head というパブでの肩肘張らない楽しいパーティだった。在ロンドンの日系マスコミ機関のローカルスタッフの実に多くがJETのOBであることに、うれしい驚 き。

6日(水)は、風間次長といっしょに、ANAの西畑支店長を訪問。アバディーン、メドウェーの両セミナーに協賛し、講師の航空運賃をご負担いただいたことへのお礼を兼ねて着任のご挨拶。なかなか豪快でおもしろい方だった。話の中には、ブログには書けない内容も。

7日(木)は、川本君と一緒に、Barclays Global Investors のヨーロッパ・アジア担当CEOのデイビッド・セマイヤさんを訪問。地共連時代に、一緒にカナダ・アメリカ視察に行ったとき以来の知り合い。当時のセマイ ヤさんは、日本のバークレイズ信託銀行社長だったが、2年前から今のポストに。そうだという話は、当時一緒に旅行に行った、他の日本の金融機関の仲間たち から聞いていたが、こういう形で再開できることになったのは、実にラッキー。歓談の後、BGIのロンドン支社の中をご案内いただき、たまたま来英中のグロ スマン社長にご紹介いただいたりと、実に暖かいおもてなしで、楽しいひとときを過ごすことができた。BGIはサンフランシスコが本社だし、セマイヤさんは 元々はアメリカの人なので、いつまでこのポストにおられるのかはわからないが、できるだけ長くいていただいて、おつきあいさせていただきたいもの。

8日(金)は、日本政府観光局(JNTO)の吉田所長にご挨拶にうかがう。前日、在ロンドンの政府系機関次長会議というものを初めて開催し、その場所とし てJNTOをご提供いただいたお礼を兼ねて。吉田所長も、この6月にご着任されたばかりで、しかも、赴任が正式に決まってから着任までが極めて短くて大変 だったという、僕と似たような境遇だったことをうかがって、親近感が深まった。

2008年7月31日木曜日

LGAとテムズ川ミーティング

午 後2時半に、ウェストミンスター・ピアに行き、そこでLGA(Local Gvernment Association)のヨーロッパ・国際プログラム担当ディレクターのイアン・ヒューズさんと、同じくヨーロッパ・国際担当のスーザン・ハンドレイさ んと落ち合って、テムズ川の川下りを楽しみながらミーティング。
ロンドン事務所で同行したのは、東京都の木村さん、奈良県の松野下さん、現地スタッフのキルヒナーさん。木村さんの話によると、以前LGAの人たちが来日 したとき、隅田川の川下りをしながらのミーティングという趣向でお迎えしたため、そのお返しではないかとのこと。僕はもちろんそちらは知らないし、こちら にも来て早々なのにラッキー。
ボートは、ウェストミンスター・ピアからグリニッチまでの往復の行程だったけれど、行きは川下りの途中、両岸に見える様々な建物などの搭乗員の解説を聞き ながらの旅。非常にユーモラスな解説だったようで、乗客からしょっちゅう笑い声が聞こえたいたけれど、ややアクセントの強い英語で、また周りも騒がしいた め僕自身は残念ながら解説はそれほど楽しめずじまい。次回、またチャレンジしようと決意。
帰りは、解説もないので、「本務」としてLGAの人たちと様々な意見交換を行った。ロンドンでも都市のスプロール化で悩みがある話や、ゴミのリサイクルに ついての日英独(キルヒナーさんがドイツ人なので)比較、自治体への帰属意識が、イギリス、特にロンドンでは特に弱いことが行政にも影響を与えているこ と、日本での最近の都市の行政改革(業績評価や市民参加)などなど、話しているとあっという間に時間が過ぎていった。
5時10分頃に再びウェストミンスター・ピアに戻り、今度はホワイトホールの National Liberal Club に場所を移す。
そこで、リバプール市の議員であり、LGAヨーロッパ・国際担当リーダーでもあるリチャード・ケンプ氏と合流。ケンプ氏が自由民主党員であるため、このク ラブを利用させていただくことができた。さすが英国を思わせる、重厚な趣のある施設で、英国自由党全盛期のグラッドストーンの肖像や彫刻が、至る所に見ら れる。
ここで、ケンプ氏を交えて、まずテラスでビールを飲みながら歓談。ケンプ氏の日本の地方自治に大きな関心事として、日本では憲法に地方自治を保障する規定 があり、これが日本の自治に大きな影響を与えているのではないか。今そのような規定がなく、自治が脅かされがちな英国の状況の改善に大いに参考になるので はないか、ということを述べられていた。その点については、今後ぜひ継続して話し合いましょうと約束。
その後、室内に入ってディナー。ここでも、ひょうきんなケンプ氏が様々なジョークで場を盛り上げてくださり、大いに楽しみつつも、テレビにおける方言の使用についての日英比較など、興味深い話題がいろいろ出て有益だった。
ケンプ氏とは、帰る方向が一緒だったため、地下鉄の中までお話させていただくことができたけれど、彼もトルコとドイツに勤務した経験があり、特にトルコで は地方にも行ったため非常に大変だったということをお話いただいた。言語が違うだけでなく、文化や生活習慣が違うと、確かにとても大変だけれど、その分い い経験になるからがんばりなさいと激励のお言葉。
大変感激しつつ、実に有意義なミーティングを終えることができた。

2008年7月13日日曜日

JETAAウェールズ支部ウォーキング

7月12日から13日にかけて、務台さんとJETAAウェールズ支部のイベントに参加。
12日は、朝6時過ぎに起きて、パディントン駅へ。(さすがに朝のスポーツクラブはなし)
家から、ハイドパークを横切って、徒歩で駅へ。途中ちょっと道に迷い、50分ほどかかったけれど、集合時間の7時30分には間に合う。駅の近くのマクドナルドで朝食を購入。
そこで、ロンドン事務所の同行メンバーと落ち合って、7時45分の列車でカーディフへ。ちなみに、イギリスでは、出発電車のホームが、直前(出発予定時刻のおおむね15分前)にならないと決まらないことを、初めて知った。
2時間後の9時50分、ウェールズの首都カーディフ駅着。
ウォーキングの模様は、務台さんのブログに詳しいし、妻もブログに写真を載せてくれた(その1その2)ので、省略。
ちなみに、参加メンバーで、確認が取れたのは、Charlotte Evansさん、Peter Wilisさん、Phillipa Kilty (愛称Pepper)さん、Aaron Miliさん、Barrya O'Sullivanさん、Gemma Dadleyさん、Ben Logsdonさん。あと、関学からカーディフ大学に留学中の学生さんたちも、シャーロットさんからの呼びかけで参加。(彼女がカーディフ大学で、教えて いる関係だとか)
ウォーキング終了後は、近くのパブでみんなで打ち上げ兼意見交換会。
パブでの意見交換終了後、バスでカーディフに戻り、「Seoul House Hotel」に宿泊。部屋にチェックイン後、午後8時から夕食をとりながら、ウェールズ支部役員で今回の企画を立ててくださった、ピーターさん、シャー ロットさんご夫妻と意見交換。JETAAウェールズ支部を立ち上げたものの、ウェールズ地方は、北部と南部との交通の連絡が悪く、南部はロンドンと、北部 はマンチェスターとのつながりが深いので、なかなかまとめるのが難しい、という話が印象的に残った。
翌13日は、宿を早朝にチェックアウトした後、タクシーでカーディフ中心部へ。市内、特にベイエリア周辺を散策し、パブでブランチを食べて、電車でロンドンに戻る。
結構たっぷりと歩いて、疲れた。

2008年7月11日金曜日

今日から所長

僕の辞令では、昨日までが「審議役」で、今日からが「所長」。でも、まだ務台さんがおられるので、まったくその実感はない。
朝は、昨日同様、務台さんとスポーツクラブ。しかし、出勤はバスを使う。
朝9時半に、Nicolas Maclean 氏という政治アドバイザー(?)の人が来所。いろいろ手広く政治家の知り合いがおられるようだけれど、何をやっている人なのか、いまいちよくわからなかった。
その後、務台さんと昨日のあいさつ回りの残りに出かける。そのうちのひとつが「日本クラブ」で、背中の調子があまりに悪いので、医者に見てもらうことにし て、日本クラブクリニックの来週の月曜日の予約を入れてもらった。このクリニックだと、医者が日本人だし、日本で入ってきた三井住友海上の保険で、キャッ シュレスで受けられるので安心。
この日の夜は、18時45分から、在英商工会議所企画の、日英議員連盟による国会議事堂案内への参加。普段は公開されていない部屋まで行けると言うので、 お値打ちのイベント。上院の豪華さと、下院の質素さの対照が印象的。そのレセプションにしばらく参加した後、国際交流基金セミナーにも出席。務台さんのお 知り合い(?)の映画評論家の方が講師でいらしているからとのことで、お付き合い。行ったのがやや遅くて、最後のほうを少し聞いただけで終わったが、日本 の幽霊と西洋の悪魔の対比の話はおもしろかった。
夕食をちゃんと取らなかったため、務台さんと家の近くのパブで10時ごろから食事。ということで、なんとか在英3日目も終了。

2008年7月10日木曜日

ロンドン到着後、ダイワ・ファウンデーションのセミナー出席

飛行機内では、ワインを飲みながら、映画を2本見た。
ラスベガスをぶっつぶせ」と、デミ・ムーア主演で1960年代ロンドンのダイヤモンド商会からの大量ダイヤ窃盗事件を扱ったミステリー映画「FLAWLESS」。
「ラスベガスをぶっつぶせ」の方は字幕だったので、そのまま。一方「FLAWLESS」は2ヶ国語だったので、最初英語に挑戦しようかと思ったけれど、やはりストーリーが全然わからなさそうだったので、あっさり挫折して日本語吹き替え版に。どちらもおもしろかった。
快適な旅行で、あっという間の12時間だったけれど、途中から古傷の背中が痛み出して、やや心配な状況に。
ヒースロー空港では、ANAのロンドン支店アカウントマネージャーの女性が、飛行機の出口のところでお出迎え。なんでも、クレアのロンドン事務所とお仕事 のお付き合いがあってのご縁との話で、不安な異国の地の到着がいっぺんに楽になった。務台所長に大感謝。空港の出口では、事務所の風間次長と川本所長補佐 が出迎えてくれて、バトンタッチ。車が回ってくるのがやや遅れたけれど、ともあれ無事に英国入りできた。
車に乗ってからは、まっすぐに務台所長の家(僕も今後この家を引き継ぎ、さらに今日からいきなり泊めていただくこととなった)に行って客間に荷物をおろ す。アンラッキーなことに、リフトが故障中で、風間次長と川本君に4階まで85kgの荷物を持って上がってもらうことになってしまった。すみません。
で、風間次長とはここでお別れで、僕は背広に着替えた後、川本君とタクシーでダイワ・ファンデーションのセミナーに出席。務台さんとはそこで合流。ビル・ エモット(Bill Emmott)氏という「Economist」誌の編集者の書いた「RIVALS」という、中国、インド、日本の現況と将来を分析した本を自らスライドで 解説。もちろん英語のため、わかったのは30%くらい。
終了後、立食パーティで、務台所長にいろいろな方に引き合わせていただいた。その後、パブで軽く夕食を取って帰宅。さすがに結構疲れた。

2008年7月9日水曜日

怒涛の引継ぎ

英国到着2日目は、やはり時差ぼけのため、夜中の2時ごろから1時間おきに目が覚め、4時半くらいからは結局眠れず。
務台さんに連れられて、一緒に近くの「LA Fitness」というスポーツクラブに行った。日本であらかじめ3日間おためしのバウチャーをゲットしていたため、無料入場。軽く泳いで、プール横のお 風呂(?)につかったり、サウナやアロマサウナを使ったり。終了後、Sainsbury's というスーパーで買い物。家に戻って着替えて出勤。地下鉄 Sloan Square 駅でオイスターカードを購入し、そのまま地下鉄には乗らずに事務所まで歩く。自宅から事務所までは徒歩で40分ちょっとの行程。歩くのはそれほど苦になら ないほうだけど、飛行機からずっと続いている背中の痛みには閉口。
事務所近くのパブで、イングリッシュ・ブレクファーストの朝食。こってりしてすごいボリュームだった。
事務所では、職員に挨拶をしようとしたけど、英語が全然出てこない。やむなく日本語の挨拶でお茶を濁す。前途多難。
荷物を置いて一息ついたら、10時に大使館の河合書記官が挨拶に来所。その後、事務所で30分ほど引継ぎをしたら、務台所長と一緒にいよいよ怒涛のあいさ つ回り。地下鉄、バス、徒歩織り交ぜて、市内だけだけれど、ものすごい距離を移動した。「朝しっかり食ったから、昼飯はいらないよな」の一言で、昼食も抜 きで。でも、おかげさまで、実に効率よくあいさつ回りができた。
夕方6時からは、大使館でJETのレセプション。ここで海老原大使、岡本一等書記官に挨拶したほか、JETAA(JETのOB)の人たちなどともいろいろお話できた。会合の中身は、務台さんのブログに詳しい。僕の天然ボケの話なんかも取り上げていただいた。
実はその後、務台さんはエプソンヨーロッパ副社長の滝沢氏との会食もご用意していたのだけれど、さすがに疲れが出て、先に引き上げさせていただく。家に帰れるか、やや不安だったものの、バスでなんとか帰還成功。そのまま眠り込む。

今日から「ロンドン日記」

今、成田空港のANAラウンジでこれを書いている。
今朝、7時50分頃、息子を学校に送り出してすぐに、妻と車で成田へ。
成田空港には、9時15分頃着いた。順調。
預けた手荷物は、ビジネスクラスの赴任コンボの制限容量をめいっぱい使って、スーツケース2個、段ボール箱3個で85.3kg也。よくぞここまでめいっぱい使えたもんだと妻と感心。ちなみに、機内持ち込み手荷物のボストンバッグにも、もちろんめいっぱい中身が入っている。(苦笑)
セキュリティチェックの後、出国審査。いずれも一瞬で終了。英国入国もこうあってほしいけれど、今回は観光や公用出張ではなく、海外赴任なので、多少めんどうかも。でも、職場から推薦レターをもらっていて、入国審査の時にはこれを見せればいいらしい。至れり尽くせりだけど、果たして?
ラウンジでは、ビールと白ワインとミニサンドイッチをのみながら、アクセスポイントに接続。最初、ちょっとチョンボって時間をロスしてしまったが、接続後はいつも家でアクセスするのと何も変わらない。ほんと、インターネットに接続さえしてしまえば、どこにいても、何も環境は変わらない。家族とも、ネットとSkypeがあれば、普通の国内出張の旅先からとなにもかわらずコンタクトできる。ほんと便利な時代。
成田発NH201便、11:30出発で、ヒースロー着が16:00。時差がサマータイムで8時間なので、日本時間の24:00着、ということは、12時間30分のフライト。僕にとっては、7月9日が8時間伸びる勘定なので、着いてからしばらくが眠く、寝る頃になると逆に目が冴える感じになるのかな。まあ、すでに到着後の現地での予定をしっかりと組んでくださっているので、動きながら体を慣らしていく感じになるのだろう。
とか書いているうちに、すでに10時50分。そろそろ搭乗口に向かうようにしよう。