11月2日(月)は、Oxford Circus交差点改良事業のオープンイベントに参加。Oxford Circusは、ロンドン最大の繁華街の一つで交通量も歩行者も非常に多いにもかかわらず、歩道が狭く、信号無視の横断が横行していたため、これまで非常に危険な状態でした。これを改良するため、渋谷のスクランブル交差点にヒントを得て、歩道の幅が広げられるとともに、斜め横断可能な交差点の形状に改良が行われ、その竣工式がこの日に行われました。午前8時から、道路管理を行っているCrown Estateのオフィスのホールでブレクファスト・ミーティングがあり、東京都派遣の引場参事と参加。大使館からも、草賀総括公使、岡庭講師他数名が参加されていました。朝食ミーティング後、現地に移動して記念式典。ボリス・ジョンソン ロンドン市長の挨拶の後、和太鼓の演奏、仮装したロンドン市民の交差点横断パフォーマンスなどが行われ、大いににぎわいました。せっかくの機会だから、渋谷区も何かこのイベントにコミットしてみたら、と話を持ちかけてみたのですが、渋谷祭りで忙しいからと断られてしまったのが、ちょっと心残り。TV取材は来ていたし、そのニュースが翌日のTIMES紙の一面を飾ったりもしていたので、結構もったいなかったように思いました。
午後4時には、大阪大学の高山正樹教授が来訪。高山先生は経済学の先生ですが、同僚で国際学の田中仁教授、国際公共政策の野村茂治教授、山田康博准教授と4人でお見えになり、意見交換をしました。勤務時間終了後も、事務所有志を誘って先生たちとパブに繰り出し、大いに話が盛り上がりました。
3日(火)は、23日の日英セミナー終了後に大使館と当事務所との共催で行われる、日英の地方公共団体関係機関幹部による意見交換会の事前打ち合わせのため、午後3時15分に大使館に赴き、政務担当の山上公使、総括の草賀総括公使兼総領事と会談。当事務所からは山口次長とセミナー担当の宮本所長補佐が、大使館からは大塚一等書記官が立会い、当日の進め方等について話し合いました。
4日(水)は、午前10時に大阪市議会副議長の奥野正美氏と大阪市高齢福祉企画担当課長の田丸氏が来訪。挨拶の後、イギリスの地方制度等についての説明をさせていただきました。
6日(金)は、シティグループ証券のシニアクレジットアナリストの江夏あかねさんが来訪。今年3月まで事務所の所長補佐だった川本君(現在沖縄県財政企画官)がMBAの論文を書く際にお世話になったそうで、そのご縁で事務所に立ち寄ってくれました。彼女は、いくつかの金融機関を渡り歩いていますが、一貫して公共部門のクレジットアナリシスを担当してきた方。総務省の応援団です。神林所長補佐と一緒にいろいろ金融関係のお話しをうかがいました。また、今後、彼女からメールで定期的に公共団体のクレジットに関する金融情報をいただけることになりました。
12日(木)は、午前中健康診断で午後から出勤。午後3時には、沖縄県観光交流統括官の知念英信氏が、沖縄観光コンベンションビューローの内間氏、県観光振興課の山城さん、天願さんといっしょに来訪。11月9日~12日にExcel Londonで開催されていた World Travel Market に県として出展し、出席された機会に、JNTOの吉田所長を通じてコンタクトを取られ、うちの事務所にお寄りいただいたものでした。知念氏は民間企業のご出身とのことで、非常に腰が低くて話がうまく、さすがといった感じ。天願さんはクレアの海外事務所派遣経験があるそうで、その経験を活かして大いにご活躍の模様。楽しいお話し合いでした。
13日(金)は、3ヶ月間のクレア国際塾の今回の生徒のうち、警視庁から派遣されてきた高野さんが、イギリスでの課程を終えてロンドンに戻って来られたので、勤務時間終了後、彼女を囲んでパブで打ち上げ。ご苦労様でした。
16日(月)は、すべての国際塾生が集まり、午前9時半から中間報告会。バーミンガム大学のChris Watson先生のほか、研修でお世話になったJapan Foundationの石田所長もお見えになって、先生方の前で今回の6人の塾生がそれぞれ英語でプレゼンテーション。なかなか内容のあるしっかりした英語のプレゼンで、先生方からも暖かい評価を受けていました。彼ら6人は、この日の午後にユーロスターでパリに向かい、残りの2週間の過程を受けることとなっています。
17日(火)は、市民セクター政策機構の澤口隆志理事長が来訪。この組織は、生活協同組合である生活クラブ連合会のシンクタンクだそうで、澤口氏は以前ロンドンで留学されていたことがあり、その折にも当時の横田所長のお世話になったとのことで、久々に当事務所にお見えになったもの。英国の行政における市民参加の現状について、非常に突っ込んだ質問をされ、一緒に応対していたキルヒナー主任研究員も一瞬ややたじたじとなる場面も。澤口さんがまとめられていた市民参与にかかわるイギリスの政策の変遷についての表が非常によくまとまっていたので、キルヒナーさんがそれをいただけないかと要請する一幕もあり、お互いにとって有意義な意見交換となりました。
18日(水)は、午前9時半に神奈川県労働者福祉協議会の調査団の方々が来訪。最初、地方職員共済組合の幸田理事を通じて訪問依頼があり、事務局次長の田中氏を窓口に調整して、この日の来訪となったもの。協議会長の小西正典氏が団長で、連合神奈川の柏木事務局長ほか、十数名の方々からなる大訪問団。冒頭僕からご挨拶をさせていただいた後、山口次長からイギリスの地方自治概要の説明、キルヒナー主任調査員から調査の主眼である「コンパクト」についての説明をさせていただきました。
その終了後、午後12時半からは、定例の広報連絡会に参加。今回の当番はJALのロンドン支店。この日は、本来のメンバーのアスロン真智子さんではなく、その上司の岡田支店長がご参加。大使館の岡庭公使、JETROの長谷部次長、JNTOの吉田所長、JSPSの古川所長、商工会議所の花岡事務総長が参加で、JFの石田所長と日本クラブの小林事務局長はお休み。通常のお互いの広報活動の報告以外に、岡田社長からはJALの現状についていろいろ詳しいお話しをお聞きできたのは収穫でした。それにしてもJALは大変です。
19日(木)は、午後1時半に明治大学公共政策大学院の兼村高文教授が来訪。我々の大先輩の山下茂教授からのご依頼もあってお越しいただいたものですが、イギリスの政策評価の話など、かなり話が盛り上がり、2時半のDCLGへのご訪問を、当初は歩いて行こうとされていたのが、時間が押してしまったので結局タクシーで向かわれることとなりました。調査の結果は、満足のいくものだったそうで、何よりでした。
そして23日(月)は、いよいよ事務所20周年記念の日英セミナーの日。
22日(日)には、神林所長補佐とともに、午後1時20分にヒースロー空港第3ターミナルに行って、理事長と事務局長を出迎え。午後2時半ごろ、無事到着。タクシーでホテルまでお送りし、4人で夕食をご一緒しました。
23日(月)は、午前中、事務所職員の半分がセミナー会場であるLocal Government House に行って会場準備。そして午後からセミナー本番。夜は大使館との共催でのディナーを兼ねた意見交換会。この話はちょっと長いので、いずれ改めて詳しく書きたいと思います。
24日(火)は、午前中、理事長、事務局長、赤松総務省国際室長等とともに、海老原大使を表敬訪問。訪問終了後、サウス・ケンジントンを視察して昼食。さらに視察後、タクシーでヒースロー空港にお送りし、無事日程終了。
25日(水)は、午後6時半から、大英博物館でJapan-UK150記念イベントのフィナーレとなるパーティに参加。大勢の顔見知りになった方々と、いろいろお話しをしました。
26日(木)は、午後12時半から、時事通信トップセミナーに参加。この日の講演は、Financial Times紙の編集委員でもあるジャーナリストのGillian Tett女史による「金融界の現状と問題点」。彼女は日本での仕事も長かったそうで、英語の講演ながら、非常に聞きやすく、実におもしろい講演だった。クレジットのストラクチャリングをソーセージにたとえるというのは実に秀逸な比喩で、さすがはジャーナリスト。シティの金融マン達の生態を、ご自身の博士号研究である社会人類学とのアナロジーで説明するのも、ユーモアたっぷりで楽しい。この人の「愚者の黄金」という本は、いずれぜひ読んでみたい。
27日(金)は、僕は所用があって欠席させていただきましたが、事務所でスピーカーシリーズを開催し、バーミンガム大学地方自治研究所のIan Briggs氏に、イギリス地方自治体における人材育成についてのご講演をいただきました。
2009年12月1日火曜日
2009年11月3日火曜日
10月の活動
ブログの更新が大幅に間が空いてしまったので、他のところに書いた10月分の活動を、ここにも掲載。
10月には、たっぷりとイベントがあり、大忙しでした。
まず、2日(金)には、午前10時から、Local Government Association の本部 Local Government House で 「Local Government Leaders International Symposium 2009」というシンポジウムが開かれ、事務所のキルヒナー主任調査員とともに参加してきました。
このシンポジウムでは、事前にLGAからのリクエストがあり、クレアロンドン事務所の役割のほか、日本の自治体のベストプラクティスの発表を行うこととなっていました。
自治体のベストプラクティスの発表については、本来であれば適切な日本の地方公共団体を選定し、その担当者と打ち合わせをして資料を作成し、ロンドンに来てもらって発表を行ってもらうというのがベストだったのでしょうが、年度途中の急な要望ではそのようなわけにもいかず、こちらにいるメンバーで対応することとしました。
ちょうど、LGAからの要望テーマの一つに「危機管理」があり、現在在英日本大使館一等書記官をしている大塚さんが、直前のポストで総務省消防庁総務課課長補佐だったこと、彼が英語が堪能であることを思いついて、大塚さんにプレゼンをお願いすることとしました。
短い準備期間でしたが、大塚さんは午前11時20分から50分間のセッションの前半のプレゼンを卒なくこなし、会場からの質問についても的確にお答えいただいて、面目を施しました。
もうひとつのクレアの役割については、午後2時40分からのパネルディスカッションに僕自身が参加して発表したのですが、あらかじめ原稿を用意しての発表そのものはなんとかこなしたものの、その後のパネラーと会場との間のディスカッションにはなかなか入って行けず(なにしろ、僕以外の参加者全員が英語を母国語とする人たちでした)、終了直前に日本の状況についての意見をたどたどしく言うのが関の山といったありさま。英語力不足を改めて痛感させられる場となってしまいました。
しかし、シンポジウム全体としては、気候変動への取り組み、危機管理、児童貧困対策、経費削減のためのイノベーションを生み出すための海外事例の学習等といった魅力的なテーマで、英国のみならず、スウェーデン、カナダからの参加者も加わってのプレゼン、議論はなかなか興味深く、おもしろいものでした。特に、貧困者の社会的排除解決への取り組みを、ヨーロッパの諸都市と連携してアイデアを交換しながら行っているニューカッスル市のSimon Underwood氏のプレゼンは非常に感銘深いもので、政策連携のモデルケースを見る思いでした。
5日(月)には、大使館で開催された元朝日新聞論説主幹の若宮啓文氏による「Japan'sTumultuous Politics Today」という講演を聴講に行ってきました。民主党政権発足の背景について英語で説明されたものでしたが、日本人である我々には、比較的なじみ深い話で聞きやすかったものの、新しい情報といった点では、やや物足りないものでした。しかし、隣の席に座っていた馴染みのイギリス人の人と講演終了後にお話ししたところ、日本の政治状況についてそれほど馴染みのない彼にとっては、なかなか興味深くおもしろい話だったようです。
6日(火)は、今年11月に行われるJapan Study Tourのプレ・オリエンテーションを事務所で行いました。11名のツアー参加者のうち6名が参加し、僕の挨拶、銘々の自己紹介の後、事務所から日本の自治制度の概略、文化や習慣のほか、今回の視察予定地である北海道についての基本的な情報のプレゼンテーションを行いました。参加者全員、日本への関心が非常に強く、ツアーへの期待は高いように感じられました。東京、北海道でのイベントの成功を祈ります。
11日(日)には、地方公共団体金融機構の福永副理事長が、仕事でロンドンに来訪されたため、夕食をご一緒させていただきました。福永副理事長は、元東京都の副知事ということであったため、東京都派遣の木村所長補佐に随行の廣澤秘書役ともども市内視察の随行をしてもらったあと、同じく東京都派遣の引場参事とレストランで合流して歓談させていただきました。
12日(月)から15日(木)までは、欧州評議会出席のため、ストラスブールに出張しました。会議は13日から15日までの3日間でしたが、13日の会議が朝からあったため、前泊したものです。本部からは上田専務、パリ事務所からは鳴田所長とウゼさんが出席し、現地では基本的に4人で行動を共にしました。日本からは、初日の夕方に野坂米子市長、3日目の朝に西川福井県知事がプレゼンテーションをされましたが、それぞれ達者な英語で立派なプレゼンでした。
16日(金)には、現在千葉県からバーミンガム大学地方自治研究所に留学中の青木さんが事務所に挨拶に来られ、勤務時間終了後に事務所有志でパブでの意見交換会を行いました。青木さんは、前ロンドン事務所次長の風間さんの部下であり、当事務所の神林所長補佐とも彼女の千葉県勤務時代以来面識があるとのことで、非常に打ち解けた意見交換会でした。
19日(月)は、仕事の面では特期すべきことはありませんでしたが、午後、息子の小学校の面談があったため、妻と一緒に息子の担任の先生や校長先生とお話ししてきました。息子はこちらでは現在小6であるため、来年の中学校進学についてどうすべきか、悩ましいところです。
20日(火)から22日(木)にかけては、ブライトン市で行われた SOLACE(Society of Local Authority Chief Executives、英国地方団体事務総長協会)の年次カンファレンスにキルヒナー調査員と一緒に参加してきました。昨年のベルファストでの会議に続く2回目の出席で、だいぶ勝手がわかるようになり、今年は結構カンファレンスをしっかりと楽しむことができました。いろいろな情報を吸収してきましたが、その内容については、また別の機会にまとめて書きたいと思います。
23日(金)は、前日からロンドンに来て行われていた、成田監事、彌栄総務課長、高橋さん、赤池さんによる本部監査の講評をお聞きするとともに、成田監事との情報交換を行いました。
27日(火)には、白鴎大学法学部準教授で現在バーミンガム大学地方自治研究所に客員研究員として来られている児玉先生が事務所にご来訪。キルヒナーさん、宮本さんと意見交換。
28日(水)は、事務所主催の勉強会「スピーカーシリーズ」で、今月のテーマは松野下所長補佐がクレアレポートのテーマとして選んだ「Buisiness Improvement Districts」。このBIDsの代表例の一つであるロンドンにあるBetter BanksideでChief Executiveを務めておられるPeter Williams氏を読んで、BIDsの制度やBetter Banksideの活動の実際についてのご講演をいただきました。
この日の午後には、11月23日の日英セミナーとタイアップして大使館との共催で開催する予定の晩さん会の会場の視察。
30日(木)は、時事通信社開催の在英日系企業・政府機関等の幹部を対象にしたトップセミナーに参加。この日の講演者は、日本銀行欧州統括役の久田高正氏で、講演テーマは「国際金融情勢の現状と課題」。昨年のクレジットクランチ後、各国の政府・中央銀行が財政・金融政策を総動員して、短期間で信用不安を収束させ、景気回復の兆しが見えるところまでこぎつけたけれど、政策効果が切れたときにその状態が継続できるのかどうかは未知数。銀行のBS調整はまだ不十分だし、クレジット供与も戻り切ってはいないので、予断を許さない。このようなクレジットクランチを再発させないための金融規制の在り方も検討中、といった興味深い話を聞くことができました。
10月には、たっぷりとイベントがあり、大忙しでした。
まず、2日(金)には、午前10時から、Local Government Association の本部 Local Government House で 「Local Government Leaders International Symposium 2009」というシンポジウムが開かれ、事務所のキルヒナー主任調査員とともに参加してきました。
このシンポジウムでは、事前にLGAからのリクエストがあり、クレアロンドン事務所の役割のほか、日本の自治体のベストプラクティスの発表を行うこととなっていました。
自治体のベストプラクティスの発表については、本来であれば適切な日本の地方公共団体を選定し、その担当者と打ち合わせをして資料を作成し、ロンドンに来てもらって発表を行ってもらうというのがベストだったのでしょうが、年度途中の急な要望ではそのようなわけにもいかず、こちらにいるメンバーで対応することとしました。
ちょうど、LGAからの要望テーマの一つに「危機管理」があり、現在在英日本大使館一等書記官をしている大塚さんが、直前のポストで総務省消防庁総務課課長補佐だったこと、彼が英語が堪能であることを思いついて、大塚さんにプレゼンをお願いすることとしました。
短い準備期間でしたが、大塚さんは午前11時20分から50分間のセッションの前半のプレゼンを卒なくこなし、会場からの質問についても的確にお答えいただいて、面目を施しました。
もうひとつのクレアの役割については、午後2時40分からのパネルディスカッションに僕自身が参加して発表したのですが、あらかじめ原稿を用意しての発表そのものはなんとかこなしたものの、その後のパネラーと会場との間のディスカッションにはなかなか入って行けず(なにしろ、僕以外の参加者全員が英語を母国語とする人たちでした)、終了直前に日本の状況についての意見をたどたどしく言うのが関の山といったありさま。英語力不足を改めて痛感させられる場となってしまいました。
しかし、シンポジウム全体としては、気候変動への取り組み、危機管理、児童貧困対策、経費削減のためのイノベーションを生み出すための海外事例の学習等といった魅力的なテーマで、英国のみならず、スウェーデン、カナダからの参加者も加わってのプレゼン、議論はなかなか興味深く、おもしろいものでした。特に、貧困者の社会的排除解決への取り組みを、ヨーロッパの諸都市と連携してアイデアを交換しながら行っているニューカッスル市のSimon Underwood氏のプレゼンは非常に感銘深いもので、政策連携のモデルケースを見る思いでした。
5日(月)には、大使館で開催された元朝日新聞論説主幹の若宮啓文氏による「Japan'sTumultuous Politics Today」という講演を聴講に行ってきました。民主党政権発足の背景について英語で説明されたものでしたが、日本人である我々には、比較的なじみ深い話で聞きやすかったものの、新しい情報といった点では、やや物足りないものでした。しかし、隣の席に座っていた馴染みのイギリス人の人と講演終了後にお話ししたところ、日本の政治状況についてそれほど馴染みのない彼にとっては、なかなか興味深くおもしろい話だったようです。
6日(火)は、今年11月に行われるJapan Study Tourのプレ・オリエンテーションを事務所で行いました。11名のツアー参加者のうち6名が参加し、僕の挨拶、銘々の自己紹介の後、事務所から日本の自治制度の概略、文化や習慣のほか、今回の視察予定地である北海道についての基本的な情報のプレゼンテーションを行いました。参加者全員、日本への関心が非常に強く、ツアーへの期待は高いように感じられました。東京、北海道でのイベントの成功を祈ります。
11日(日)には、地方公共団体金融機構の福永副理事長が、仕事でロンドンに来訪されたため、夕食をご一緒させていただきました。福永副理事長は、元東京都の副知事ということであったため、東京都派遣の木村所長補佐に随行の廣澤秘書役ともども市内視察の随行をしてもらったあと、同じく東京都派遣の引場参事とレストランで合流して歓談させていただきました。
12日(月)から15日(木)までは、欧州評議会出席のため、ストラスブールに出張しました。会議は13日から15日までの3日間でしたが、13日の会議が朝からあったため、前泊したものです。本部からは上田専務、パリ事務所からは鳴田所長とウゼさんが出席し、現地では基本的に4人で行動を共にしました。日本からは、初日の夕方に野坂米子市長、3日目の朝に西川福井県知事がプレゼンテーションをされましたが、それぞれ達者な英語で立派なプレゼンでした。
16日(金)には、現在千葉県からバーミンガム大学地方自治研究所に留学中の青木さんが事務所に挨拶に来られ、勤務時間終了後に事務所有志でパブでの意見交換会を行いました。青木さんは、前ロンドン事務所次長の風間さんの部下であり、当事務所の神林所長補佐とも彼女の千葉県勤務時代以来面識があるとのことで、非常に打ち解けた意見交換会でした。
19日(月)は、仕事の面では特期すべきことはありませんでしたが、午後、息子の小学校の面談があったため、妻と一緒に息子の担任の先生や校長先生とお話ししてきました。息子はこちらでは現在小6であるため、来年の中学校進学についてどうすべきか、悩ましいところです。
20日(火)から22日(木)にかけては、ブライトン市で行われた SOLACE(Society of Local Authority Chief Executives、英国地方団体事務総長協会)の年次カンファレンスにキルヒナー調査員と一緒に参加してきました。昨年のベルファストでの会議に続く2回目の出席で、だいぶ勝手がわかるようになり、今年は結構カンファレンスをしっかりと楽しむことができました。いろいろな情報を吸収してきましたが、その内容については、また別の機会にまとめて書きたいと思います。
23日(金)は、前日からロンドンに来て行われていた、成田監事、彌栄総務課長、高橋さん、赤池さんによる本部監査の講評をお聞きするとともに、成田監事との情報交換を行いました。
27日(火)には、白鴎大学法学部準教授で現在バーミンガム大学地方自治研究所に客員研究員として来られている児玉先生が事務所にご来訪。キルヒナーさん、宮本さんと意見交換。
28日(水)は、事務所主催の勉強会「スピーカーシリーズ」で、今月のテーマは松野下所長補佐がクレアレポートのテーマとして選んだ「Buisiness Improvement Districts」。このBIDsの代表例の一つであるロンドンにあるBetter BanksideでChief Executiveを務めておられるPeter Williams氏を読んで、BIDsの制度やBetter Banksideの活動の実際についてのご講演をいただきました。
この日の午後には、11月23日の日英セミナーとタイアップして大使館との共催で開催する予定の晩さん会の会場の視察。
30日(木)は、時事通信社開催の在英日系企業・政府機関等の幹部を対象にしたトップセミナーに参加。この日の講演者は、日本銀行欧州統括役の久田高正氏で、講演テーマは「国際金融情勢の現状と課題」。昨年のクレジットクランチ後、各国の政府・中央銀行が財政・金融政策を総動員して、短期間で信用不安を収束させ、景気回復の兆しが見えるところまでこぎつけたけれど、政策効果が切れたときにその状態が継続できるのかどうかは未知数。銀行のBS調整はまだ不十分だし、クレジット供与も戻り切ってはいないので、予断を許さない。このようなクレジットクランチを再発させないための金融規制の在り方も検討中、といった興味深い話を聞くことができました。
2009年9月3日木曜日
沖縄・オーランド交流セミナー
9月1日、2日と、フィンランド領オーランド諸島で、「沖縄・オーランド交流セミナー」を開催しました。
このセミナーは、前ロンドン所長の務台さんの強い思い入れによって実現したもので、ロンドン事務所としては、僕の知る限り初めて英国外で開催したセミナーでした。
もともと、2002年度から2004年度にかけて、中央大学の9研究所が合同してオーランド島と沖縄島との比較研究を行っており、その成果は「リージョンの時代と島の自治 - バルト海オーランド島と東シナ海沖縄島の比較研究」(古城利明編、中央大学出版部)という書籍の形でまとめられていました。
務台前所長は、ロンドン事務所着任前からこれをご存じで非常にオーランド島に興味を持たれており、在任中には早速オーランドに直接出向いて関係者との意見交換をされてきたそうです。そして、その折に、ぜひオーランドで沖縄県と共同でのセミナーを開催し、沖縄と直接意見交換を行いたいというオーランドの希望を聞き、ロンドン事務所がその場を提供することを約束して、今回のセミナーに至ったものでした。
当初、ロンドン事務所管轄地域とはいえ、事務所からみると「外国」であるオーランドでセミナーを開催することに、不安がなかったわけではありませんでしたが、オーランド側では、オーランド平和研究所が事務局を務め、会場確保からオーランド側の講師確保、宿泊所・食事の手配等々、現地での実務をすべて積極的に行ってくれましたので、当初懸念したよりも円滑にセミナーを開催することができました。
とはいえ、やはり開催に至るまでには、いろいろ紆余曲折がありました。
オーランド平和研究所からの当初要望では、3日間にわたるセミナーで、経済・平和・自治制度の3つのテーマごとに、それぞれ沖縄側とオーランド側それぞれから各2名ずつ講師を招き、合計12セッションで深く議論したいということだったのですが、残念ながら、平和研究所が申請を出していたチャリティ団体からの補助金の確保ができなかったため、セミナー規模を縮小し、講師はテーマごとにオーランド、沖縄各1名として、講師確保の予算はすべてクレア側で賄うことに。その結果、開催期間は2日間として、当初オーランド側で計画していたセミナー終了後の視察ツアーも中止になりました。
講師の選定に当たっても、オーランド側講師は地元なので特に問題なかったのですが、沖縄側の講師については、県庁から部長クラス以上、琉球大学の教授+アルファということでいろいろ当たってみたのですが、なかなか日程の都合が折り合わず、講師が確定しなくてひやひやしました。結果としては、県庁のご努力によって、上原勝則観光商工部産業雇用統括官、島袋純琉球大学教授の日程を押さえていただき、また、オーランドから紹介のあった、中央大学の研究時にも参加されていたストックホルム大学の池上雅子教授を3人目の講師としてお迎えすることで、無事事なきを得ました。
ちなみに、上原統括官は経済のセッション、池上教授が平和のセッションで、島袋教授が地方自治のセッション担当で、それぞれ深い専門知識・経験を有する、しっかりした講師陣となりました。オーランド側は、経済がオーランド統計研究センターのリチャード・パーマー博士、平和はもちろんオーランド平和研究所のシア・スピリオポロ・アケルマルク所長(発音がこれで正しいのかどうかは、ちょっと自信ありませんが)、そして自治制度は元オーランド議会官房長官のラース・イングマー・ヨハンソン氏で、こちらも専門知識・経験の豊富なしっかりしたメンバーでした。
言葉の問題も、やや不安材料だったのですが、フィンランド領でありながらスウェーデン語を公用語としているオーランドの人たちは皆、同時に英語にも非常に堪能で、英語でのコミュニケーションには全く問題なく、セミナーもすべて英語で行われました。
2日間にわたるセッションの最後には、パネルディスカッションが行われました。パネラーは、講演も行っていただいた島袋、池上両教授、アケルマルク平和研究所長のほか、本年初めまでノルウェー北部のバレンツ研究所で客員研究員をされていた静岡県立大学の大西富士夫氏、およびオーランド島政府長官であるエリザベート・ナウクレールさんも加わって、沖縄・オーランドの未来に関して、活発な意見交換が行われました。
短い時間ながらも非常に濃い情報交換が行われた、有意義な会議だったと思います。聴衆も、オーランド島の参加者だけでなく、フィンランド大使館から挨拶にいらした安田邦彦一等書記官(セミナー開会の挨拶もしていただきました)ほか、フィンランド大使館から関係機関にこのセミナーを広くアナウンスしていただいたそうで、それを聞いてやってきたとおっしゃっていた、ヘルシンキ大学の先生や学生、インドネシア政府ヘルシンキ大使館の職員の方など、幅広い方々にご参加いただき、その意味でも意義深いものとなりました。
このセミナーは、前ロンドン所長の務台さんの強い思い入れによって実現したもので、ロンドン事務所としては、僕の知る限り初めて英国外で開催したセミナーでした。
もともと、2002年度から2004年度にかけて、中央大学の9研究所が合同してオーランド島と沖縄島との比較研究を行っており、その成果は「リージョンの時代と島の自治 - バルト海オーランド島と東シナ海沖縄島の比較研究」(古城利明編、中央大学出版部)という書籍の形でまとめられていました。
務台前所長は、ロンドン事務所着任前からこれをご存じで非常にオーランド島に興味を持たれており、在任中には早速オーランドに直接出向いて関係者との意見交換をされてきたそうです。そして、その折に、ぜひオーランドで沖縄県と共同でのセミナーを開催し、沖縄と直接意見交換を行いたいというオーランドの希望を聞き、ロンドン事務所がその場を提供することを約束して、今回のセミナーに至ったものでした。
当初、ロンドン事務所管轄地域とはいえ、事務所からみると「外国」であるオーランドでセミナーを開催することに、不安がなかったわけではありませんでしたが、オーランド側では、オーランド平和研究所が事務局を務め、会場確保からオーランド側の講師確保、宿泊所・食事の手配等々、現地での実務をすべて積極的に行ってくれましたので、当初懸念したよりも円滑にセミナーを開催することができました。
とはいえ、やはり開催に至るまでには、いろいろ紆余曲折がありました。
オーランド平和研究所からの当初要望では、3日間にわたるセミナーで、経済・平和・自治制度の3つのテーマごとに、それぞれ沖縄側とオーランド側それぞれから各2名ずつ講師を招き、合計12セッションで深く議論したいということだったのですが、残念ながら、平和研究所が申請を出していたチャリティ団体からの補助金の確保ができなかったため、セミナー規模を縮小し、講師はテーマごとにオーランド、沖縄各1名として、講師確保の予算はすべてクレア側で賄うことに。その結果、開催期間は2日間として、当初オーランド側で計画していたセミナー終了後の視察ツアーも中止になりました。
講師の選定に当たっても、オーランド側講師は地元なので特に問題なかったのですが、沖縄側の講師については、県庁から部長クラス以上、琉球大学の教授+アルファということでいろいろ当たってみたのですが、なかなか日程の都合が折り合わず、講師が確定しなくてひやひやしました。結果としては、県庁のご努力によって、上原勝則観光商工部産業雇用統括官、島袋純琉球大学教授の日程を押さえていただき、また、オーランドから紹介のあった、中央大学の研究時にも参加されていたストックホルム大学の池上雅子教授を3人目の講師としてお迎えすることで、無事事なきを得ました。
ちなみに、上原統括官は経済のセッション、池上教授が平和のセッションで、島袋教授が地方自治のセッション担当で、それぞれ深い専門知識・経験を有する、しっかりした講師陣となりました。オーランド側は、経済がオーランド統計研究センターのリチャード・パーマー博士、平和はもちろんオーランド平和研究所のシア・スピリオポロ・アケルマルク所長(発音がこれで正しいのかどうかは、ちょっと自信ありませんが)、そして自治制度は元オーランド議会官房長官のラース・イングマー・ヨハンソン氏で、こちらも専門知識・経験の豊富なしっかりしたメンバーでした。
言葉の問題も、やや不安材料だったのですが、フィンランド領でありながらスウェーデン語を公用語としているオーランドの人たちは皆、同時に英語にも非常に堪能で、英語でのコミュニケーションには全く問題なく、セミナーもすべて英語で行われました。
2日間にわたるセッションの最後には、パネルディスカッションが行われました。パネラーは、講演も行っていただいた島袋、池上両教授、アケルマルク平和研究所長のほか、本年初めまでノルウェー北部のバレンツ研究所で客員研究員をされていた静岡県立大学の大西富士夫氏、およびオーランド島政府長官であるエリザベート・ナウクレールさんも加わって、沖縄・オーランドの未来に関して、活発な意見交換が行われました。
短い時間ながらも非常に濃い情報交換が行われた、有意義な会議だったと思います。聴衆も、オーランド島の参加者だけでなく、フィンランド大使館から挨拶にいらした安田邦彦一等書記官(セミナー開会の挨拶もしていただきました)ほか、フィンランド大使館から関係機関にこのセミナーを広くアナウンスしていただいたそうで、それを聞いてやってきたとおっしゃっていた、ヘルシンキ大学の先生や学生、インドネシア政府ヘルシンキ大使館の職員の方など、幅広い方々にご参加いただき、その意味でも意義深いものとなりました。
2009年9月2日水曜日
Sister Cities International Conference
7月29日(水)から8月1日(土)まで、ベルファストで「国際姉妹都市会議」の年次総会が開かれ、ニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐とともに、当事務所からも僕、キルヒナー主任調査員、松野下所長補佐の3名が参加した。この会議は、メンバーのほとんどがアメリカの地方自治体ということから、これまではずっとアメリカの都市で開かれていたそうだが、今年は初めて英国で開催されることとなった。
例年500名以上が参加している非常に規模の大きなカンファレンスだそうだが、今年は北米から遠い北アイルランドの地での開催だった上、昨年来の不況の影響もあって、参加者はかなり少なめ。それでも300名以上の参加があったということなので、大したもの。
数多くのセッションやワークショップ、視察プログラムが設けられており、参加できたのはそのうちのごく一部のプログラムだけだった。
ロンドン事務所は2日目の7月30日(木)からの参加。朝、ヒースロー空港で松野下さん、キルヒナーさんと落ち合って、飛行機でベルファストへ。空港からはタクシーで会場である Waterfront Hall に向かった。会場に着くと昼食休憩の時間で、受付で登録を済ませたのち、サンドイッチと飲み物を受け取りに列に並んだ。その途中で、ニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐と合流し、一緒に昼食をいただいた。
昼食後、午後1時45分から3時まで、ワークショップの「Stories of Success: 1 Year, 20 Years, 50 Years」を聞く。複数のプレゼンターが、それぞれの体験談を披露。姉妹都市成功の要因として重要なのは、市長・議会のサポート、財源の裏付け、若者の参加、メディアとの関係であるといった内容。アメリカでの姉妹都市活動は、日本とは異なり民間のボランティア団体主導なので、人材の継続性の点では有利だが、いろいろなところとの調整はなかなか大変そう。特に行政と異なって「予算措置」というわけにはいかないので、活動資金の確保は大きな大きな課題のようだ。しかし、それだけに成功しているところの人々は、非常にエネルギッシュな活動家、という印象を受けた。
ワークショップの後、ホテルに行ってチェックイン。その後、6時半から、Ulster Hallで開かれた市長招宴に参加。少女たちの踊る地元北アイルランドのダンスや音楽や歌など、催しは楽しかったが、飲み物と食事はかなり少なめだったため、終了後、ニューヨーク事務所の人たちと一緒に近くのイタリアン・レストランで食事をしなおした。
翌31日(金)は、午前10時15分からのワークショップ「The Best of European Twinning」に参加。このワークショップでは、事前の要請があったため、ニューヨーク事務所とともに、プレゼンターとして発表を行った。モデレーターは、日頃から懇意にしている英国 Local Government Association の Susan Handley。発表者は、僕と佐々木所長以外に、Africa Global Sister Cities Foundation の Prince Kwame Kludjeson氏(ガーナ)、U.S. Mexico Sister Cities Association の Gil Garcia女史、Ismael Perez 氏など、まさに International。ただ、タイトルは「European Twinning」と銘打たれていたが、プレゼンターを見てわかるとおり、ヨーロッパ関係の発表を行ったのは僕だけ。つまり英国と日本の関係だけ。実質的には日本、アフリカ、メキシコの姉妹都市推進への努力を紹介しあうセッションとなった。しかも、プレゼンターの一人の到着が遅れた関係で、開始時間が遅れ、時間が押したために、ほとんど質疑のない発表しっぱなしのセッションで、議論の深まりにはやや乏しかった。そんな中、モデレーターのスーザンの司会ぶりはうまく、それだけが救いだった感じ。
昼食後、午後1時から5時過ぎまでは、Offsite Workshop。つまり「視察旅行」。「Bridging the Gap across Borders」というタイトルで、ベルファストからバスで1時間の北アイルランドとアイルランドとの国境の町 Newry and Morne に行き、住民の融和に関する取り組みの話を聞いたり、地元のボランティア手作りの歴史博物館を見学したりしてきた。
ベルファストに戻ってきた後、6時半からは、来年の開催地、アメリカの Albaquerque 市主催のレセプションに参加。食事をすませたフリータイムには、アメリカのフォートワース、ジャクソンビルからの人や韓国から参加されている方々など、いろいろな人とお話。終了後は、再びニューヨーク事務所と一緒になり、パブに繰り出した。
その日もホテルに泊まり、ニューヨーク組は翌9月1日(土)午前中の会議にも参加したが、我々ロンドン組は、朝タクシーで空港に向かい、そのまま飛行機でロンドンに戻った。
例年500名以上が参加している非常に規模の大きなカンファレンスだそうだが、今年は北米から遠い北アイルランドの地での開催だった上、昨年来の不況の影響もあって、参加者はかなり少なめ。それでも300名以上の参加があったということなので、大したもの。
数多くのセッションやワークショップ、視察プログラムが設けられており、参加できたのはそのうちのごく一部のプログラムだけだった。
ロンドン事務所は2日目の7月30日(木)からの参加。朝、ヒースロー空港で松野下さん、キルヒナーさんと落ち合って、飛行機でベルファストへ。空港からはタクシーで会場である Waterfront Hall に向かった。会場に着くと昼食休憩の時間で、受付で登録を済ませたのち、サンドイッチと飲み物を受け取りに列に並んだ。その途中で、ニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐と合流し、一緒に昼食をいただいた。
昼食後、午後1時45分から3時まで、ワークショップの「Stories of Success: 1 Year, 20 Years, 50 Years」を聞く。複数のプレゼンターが、それぞれの体験談を披露。姉妹都市成功の要因として重要なのは、市長・議会のサポート、財源の裏付け、若者の参加、メディアとの関係であるといった内容。アメリカでの姉妹都市活動は、日本とは異なり民間のボランティア団体主導なので、人材の継続性の点では有利だが、いろいろなところとの調整はなかなか大変そう。特に行政と異なって「予算措置」というわけにはいかないので、活動資金の確保は大きな大きな課題のようだ。しかし、それだけに成功しているところの人々は、非常にエネルギッシュな活動家、という印象を受けた。
ワークショップの後、ホテルに行ってチェックイン。その後、6時半から、Ulster Hallで開かれた市長招宴に参加。少女たちの踊る地元北アイルランドのダンスや音楽や歌など、催しは楽しかったが、飲み物と食事はかなり少なめだったため、終了後、ニューヨーク事務所の人たちと一緒に近くのイタリアン・レストランで食事をしなおした。
翌31日(金)は、午前10時15分からのワークショップ「The Best of European Twinning」に参加。このワークショップでは、事前の要請があったため、ニューヨーク事務所とともに、プレゼンターとして発表を行った。モデレーターは、日頃から懇意にしている英国 Local Government Association の Susan Handley。発表者は、僕と佐々木所長以外に、Africa Global Sister Cities Foundation の Prince Kwame Kludjeson氏(ガーナ)、U.S. Mexico Sister Cities Association の Gil Garcia女史、Ismael Perez 氏など、まさに International。ただ、タイトルは「European Twinning」と銘打たれていたが、プレゼンターを見てわかるとおり、ヨーロッパ関係の発表を行ったのは僕だけ。つまり英国と日本の関係だけ。実質的には日本、アフリカ、メキシコの姉妹都市推進への努力を紹介しあうセッションとなった。しかも、プレゼンターの一人の到着が遅れた関係で、開始時間が遅れ、時間が押したために、ほとんど質疑のない発表しっぱなしのセッションで、議論の深まりにはやや乏しかった。そんな中、モデレーターのスーザンの司会ぶりはうまく、それだけが救いだった感じ。
昼食後、午後1時から5時過ぎまでは、Offsite Workshop。つまり「視察旅行」。「Bridging the Gap across Borders」というタイトルで、ベルファストからバスで1時間の北アイルランドとアイルランドとの国境の町 Newry and Morne に行き、住民の融和に関する取り組みの話を聞いたり、地元のボランティア手作りの歴史博物館を見学したりしてきた。
ベルファストに戻ってきた後、6時半からは、来年の開催地、アメリカの Albaquerque 市主催のレセプションに参加。食事をすませたフリータイムには、アメリカのフォートワース、ジャクソンビルからの人や韓国から参加されている方々など、いろいろな人とお話。終了後は、再びニューヨーク事務所と一緒になり、パブに繰り出した。
その日もホテルに泊まり、ニューヨーク組は翌9月1日(土)午前中の会議にも参加したが、我々ロンドン組は、朝タクシーで空港に向かい、そのまま飛行機でロンドンに戻った。
2009年8月3日月曜日
7月21日~8月14日
相変わらず更新が滞っているけど、なんとか思い出せるうちに、出来事の記録だけでも。
7月21日の週は、あまり大きな仕事はなく、事務所での打ち合わせなどが中心だった。早めに家に帰って、家族(と親戚)との時間を過ごすことができた。
23日(木)の昼には、国際交流基金の石田所長、村田副所長、当事務所の宮本所長補佐とで昼食。石田所長の出身地が広島ということから、一度広島市から派遣中の宮本さんと顔合わせをしておきたいというご希望を伺っていたため、基金の新しい女性副所長の村田さんを誘っていただいて、4人で昼食を取りながら、今後のイベントの協力関係などについての意見交換をしたもの。来年広島市立大学がロンドンでイベントを催すという話もあるので、そのあたりでの協力関係もありうるかもしれない。
24日(金)は、午後3時半にJNTO(政府観光局)で今度帰任することとなった高橋次長と、その後任として着任された板垣次長とが来訪。板垣次長も女性で、ロンドンの政府関係機関も、結構女性が増えてきた。世界で活躍する女性が増えるのは、本当に結構なこと。その日午後5時半ころから、事務所の Andrew Stevens研究員の案内で、ロンドンオリンピックの開催予定地を視察。東京都から派遣の引場参事、神林所長補佐、吉川調査助手と僕との5人で、地下鉄とDLRに乗ってStratfordまで行った。途中、地下鉄からDLRに乗り換えたCanary Warfでは、いきなり汐留かニューヨークかというような超近代的なビルのオフィス街が目の前に現れてびっくり。実は1年ロンドンにいて、ここにはまだ来たことがなかったのだが、全くの近代的金融街。金曜日の夕方ということもあって、非常に大勢のサラリーマンたちでにぎわっており、不況もどこ吹く風。オリンピックにはまだ3年あるので、スタジアムの建設は、まだようやく1~2割の進捗といったところか。しかし、Stratfordには、大きなショッピングセンターもできていて、今後かなりにぎわってきそうな感じ。
引場さんは、その後の予定があるとのことで、視察だけで引き揚げたが、残りの4人は、Andrewの案内で、East End でインド人が経営する和食(?)店「一番」へ行き、夕食。非常に安くて、意外とおいしかったのでびっくり。
27日(月)は、成蹊大学法学部の西村教授が来訪。日本で公務員への業績給与制度の導入を検討されておられるとのことで、すでに業績給を導入しているイングランドの例を調査したいということで来られたもの。しかしながら、夏休みということもあってか、アポイントメントを取るのに悪戦苦闘。先生とも往復で20回近くメールのやり取りをしたけれど、ようやくのことでなんとか2団体インタビュー先を確保。調査がうまくいっていただければよいけれど。
また、この日からは、2週間の予定で子供たちがサマースクールに。朝は妻が娘の校舎、僕が出勤前に息子の校舎まで送って行った。結構不安を抱えながらのスタート。
28日(火)は、先週金曜日24日にロンドンにやってきて、明日29日まで滞在していた母と叔母が、この日は自由行動日ということで、僕も仕事をお休みしてお付き合い。妻と一緒に車でホテルまで迎えに行った後、ちょっとお買い物をして我が家に来ていただき、一緒に昼食。おそばとほうれん草のおひたしで、なかなか好評だった。母は疲れて我が家でお昼寝。叔母は元気に妻と再び買い物に。夕食は特にいいとのことだったので、3時ごろに車でホテルまで送ってお開き。
30日(木)から8月1日(土)にかけて、ベルファストで開かれた Sister Cities International Conference に出席。キルヒナーさん、松野下さんが同行。この会議は、アメリカが中心となって例年アメリカ国内で行われている会議だけれど、今年は一度アメリカ外で開催しようということになって、ベルファストにやってきたもの。
例年は500人規模の会議らしいけれど、今年は遠隔地と不況のダブルパンチでやや少なめだったとか。それでも300人は超えていた。
会議ではニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐とも会って、いくつか行動を共にした。会議の様子は、また稿を改めて。
8月3日(月)は、午前11時に自治省の先輩で今新生銀行にお勤めの陶山さん来訪。クレアの委託研究をされているとのことで、スコットランドの分権についての調査に来られており、スコットランドでの調査の前に、事務所にお立ち寄りになられたもの。
正午には、ベルファストからこちらに回ってきたニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐が来訪。うちの事務所のメンバー何人かと一緒に昼食を取りながら、もろもろの意見交換。
8月4日(火)は、午前10時に岡山県早島町の佐藤友彦町長来訪。イングランドのSt.Annesというパリッシュとの姉妹提携の可能性を探るため単身出張されて来られたとのこと。30分ほど僕とお話した後、キルヒナー主任調査員からの、イングランドの地方自治についての一般的なレクチャーをお聞きいただいた。後日お礼のメールをいただいたが「St.Annesはパリッシュながら自分たちのcouncilをつくり、町づくりを進めています。我々とのTwinningについても積極的で、新しい市長以下で歓迎してくれました。二日間のスケジュールで町の姿は概ね掴むことが出来ましたが、風俗、習慣の異なる市民がお互いに交流することに大いに意義深いものを感じました。お互いの町が夫々key station になって両国の交流に貢献出来ればと期待しています」とおっしゃっておられた。話がうまく進めば、日本の町とパリッシュとの初めての提携事例になる。期待したい。
午前11時30分には、シンガポール事務所から望月所長補佐が来訪。今回は休暇でイギリスに来たので、事務所に寄ってくれたらしい。その後、12時頃には、昨日事務所に来られた陶山さんが再度来訪。スコットランドに調査に行く前に、資料の準備のため事務所のコピー機等をご利用になりたいとのことでお立ち寄り。昼食にもお誘いいただいたのだが、あいにく僕が弁当持参だったため、所長室にサンドイッチを持って来られて事務所でお話ししながらの昼食会。
その週の残りの日は、夏休みに入っている関係もあって、特に大きな行事なし。事務所での仕事に専念。
翌週も特に大きな行事はなかったが、この機会を使って、所員が手分けしてまとめている「英国の地方自治」の2009年版の総チェック。14日までに一通り所員から説明を聞き、宿題を出し終えて、僕自身の夏休みに入る。
15日(土)から23日(日)にかけては、夏休みで家族一同パリに行く。その間のことは、妻のブログに詳しく書かれている。
7月21日の週は、あまり大きな仕事はなく、事務所での打ち合わせなどが中心だった。早めに家に帰って、家族(と親戚)との時間を過ごすことができた。
23日(木)の昼には、国際交流基金の石田所長、村田副所長、当事務所の宮本所長補佐とで昼食。石田所長の出身地が広島ということから、一度広島市から派遣中の宮本さんと顔合わせをしておきたいというご希望を伺っていたため、基金の新しい女性副所長の村田さんを誘っていただいて、4人で昼食を取りながら、今後のイベントの協力関係などについての意見交換をしたもの。来年広島市立大学がロンドンでイベントを催すという話もあるので、そのあたりでの協力関係もありうるかもしれない。
24日(金)は、午後3時半にJNTO(政府観光局)で今度帰任することとなった高橋次長と、その後任として着任された板垣次長とが来訪。板垣次長も女性で、ロンドンの政府関係機関も、結構女性が増えてきた。世界で活躍する女性が増えるのは、本当に結構なこと。その日午後5時半ころから、事務所の Andrew Stevens研究員の案内で、ロンドンオリンピックの開催予定地を視察。東京都から派遣の引場参事、神林所長補佐、吉川調査助手と僕との5人で、地下鉄とDLRに乗ってStratfordまで行った。途中、地下鉄からDLRに乗り換えたCanary Warfでは、いきなり汐留かニューヨークかというような超近代的なビルのオフィス街が目の前に現れてびっくり。実は1年ロンドンにいて、ここにはまだ来たことがなかったのだが、全くの近代的金融街。金曜日の夕方ということもあって、非常に大勢のサラリーマンたちでにぎわっており、不況もどこ吹く風。オリンピックにはまだ3年あるので、スタジアムの建設は、まだようやく1~2割の進捗といったところか。しかし、Stratfordには、大きなショッピングセンターもできていて、今後かなりにぎわってきそうな感じ。
引場さんは、その後の予定があるとのことで、視察だけで引き揚げたが、残りの4人は、Andrewの案内で、East End でインド人が経営する和食(?)店「一番」へ行き、夕食。非常に安くて、意外とおいしかったのでびっくり。
27日(月)は、成蹊大学法学部の西村教授が来訪。日本で公務員への業績給与制度の導入を検討されておられるとのことで、すでに業績給を導入しているイングランドの例を調査したいということで来られたもの。しかしながら、夏休みということもあってか、アポイントメントを取るのに悪戦苦闘。先生とも往復で20回近くメールのやり取りをしたけれど、ようやくのことでなんとか2団体インタビュー先を確保。調査がうまくいっていただければよいけれど。
また、この日からは、2週間の予定で子供たちがサマースクールに。朝は妻が娘の校舎、僕が出勤前に息子の校舎まで送って行った。結構不安を抱えながらのスタート。
28日(火)は、先週金曜日24日にロンドンにやってきて、明日29日まで滞在していた母と叔母が、この日は自由行動日ということで、僕も仕事をお休みしてお付き合い。妻と一緒に車でホテルまで迎えに行った後、ちょっとお買い物をして我が家に来ていただき、一緒に昼食。おそばとほうれん草のおひたしで、なかなか好評だった。母は疲れて我が家でお昼寝。叔母は元気に妻と再び買い物に。夕食は特にいいとのことだったので、3時ごろに車でホテルまで送ってお開き。
30日(木)から8月1日(土)にかけて、ベルファストで開かれた Sister Cities International Conference に出席。キルヒナーさん、松野下さんが同行。この会議は、アメリカが中心となって例年アメリカ国内で行われている会議だけれど、今年は一度アメリカ外で開催しようということになって、ベルファストにやってきたもの。
例年は500人規模の会議らしいけれど、今年は遠隔地と不況のダブルパンチでやや少なめだったとか。それでも300人は超えていた。
会議ではニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐とも会って、いくつか行動を共にした。会議の様子は、また稿を改めて。
8月3日(月)は、午前11時に自治省の先輩で今新生銀行にお勤めの陶山さん来訪。クレアの委託研究をされているとのことで、スコットランドの分権についての調査に来られており、スコットランドでの調査の前に、事務所にお立ち寄りになられたもの。
正午には、ベルファストからこちらに回ってきたニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐が来訪。うちの事務所のメンバー何人かと一緒に昼食を取りながら、もろもろの意見交換。
8月4日(火)は、午前10時に岡山県早島町の佐藤友彦町長来訪。イングランドのSt.Annesというパリッシュとの姉妹提携の可能性を探るため単身出張されて来られたとのこと。30分ほど僕とお話した後、キルヒナー主任調査員からの、イングランドの地方自治についての一般的なレクチャーをお聞きいただいた。後日お礼のメールをいただいたが「St.Annesはパリッシュながら自分たちのcouncilをつくり、町づくりを進めています。我々とのTwinningについても積極的で、新しい市長以下で歓迎してくれました。二日間のスケジュールで町の姿は概ね掴むことが出来ましたが、風俗、習慣の異なる市民がお互いに交流することに大いに意義深いものを感じました。お互いの町が夫々key station になって両国の交流に貢献出来ればと期待しています」とおっしゃっておられた。話がうまく進めば、日本の町とパリッシュとの初めての提携事例になる。期待したい。
午前11時30分には、シンガポール事務所から望月所長補佐が来訪。今回は休暇でイギリスに来たので、事務所に寄ってくれたらしい。その後、12時頃には、昨日事務所に来られた陶山さんが再度来訪。スコットランドに調査に行く前に、資料の準備のため事務所のコピー機等をご利用になりたいとのことでお立ち寄り。昼食にもお誘いいただいたのだが、あいにく僕が弁当持参だったため、所長室にサンドイッチを持って来られて事務所でお話ししながらの昼食会。
その週の残りの日は、夏休みに入っている関係もあって、特に大きな行事なし。事務所での仕事に専念。
翌週も特に大きな行事はなかったが、この機会を使って、所員が手分けしてまとめている「英国の地方自治」の2009年版の総チェック。14日までに一通り所員から説明を聞き、宿題を出し終えて、僕自身の夏休みに入る。
15日(土)から23日(日)にかけては、夏休みで家族一同パリに行く。その間のことは、妻のブログに詳しく書かれている。
2009年7月21日火曜日
7月6日~20日
いろいろなイベントが連続的にあったため、落ち着いたら書こうと思っているうちに、どんどん書くべきことがたまっていくまま時間は過ぎる一方。
とりあえず、あったことだけを記録しておき、もし時間ができれば肉付けする方針で行こう。
6日(月)は、クレア本部に静岡県から派遣中の赤池さんご夫妻が来訪。夏期休暇でフランス・イギリスと回っている。赤池さんは、来年4月からロンドン事務所に勤務予定。その下見も兼ねているとのこと。事務所によってもらい、少し雑談。昼食は、事務所の所長補佐の人たちと。
で、僕自身の昼食は、地共連時代の知人で野村アセットマネジメントUKの社長として最近こちらにこられた渡辺さんとご一緒。電話ではお話していたけれど、再会はかなり久しぶり。一緒にカナダ、アメリカを視察して回った頃の話などで盛り上がった。
夕方、仕事終了後には再度赤池夫妻が事務所に寄ってくれ、有志でパブに繰り出した。
8日(水)は、サイボーズ社来訪。国産のグループウェア会社で、日本ではグループウェアのシェアトップらしい。知らなかった。ウチの事務所でも、Share360 というグループウェアを共用の予定表として利用させていただいており、重宝している。ただ、デザインが今となってはやや古くさいのと、メールの使い勝手が悪いのが弱点で、正直にそう申し上げておいた。
9日(木)は、昼にホテル・ジュメイラで時事通信社トップセミナーに参加。講師は、デービッド・ウォレン駐日英国大使で、演題は「英大使の見る日本の政治と社会」。日本の政治辛みの話もおもしろかったけれど、それよりも大使の父だったか祖父だったかがベラルーシ出身というのには驚いた。イギリスは、そういう人も大使にするんだ。度量が広い。この日昼食時に同席したのは、不動産エージェント「JAC Strattons」 の内田社長とペインクリニック「Dr. 伊藤クリニック」の伊藤いづみさん。内田さんはお父さんが英国教会の神父さんだとかで、不動産の話以外にも教会の話などをいろいろ聞くことができて、こちらも非常におもしろかった。
10日(金)は、宮本所長補佐、キース・ケリー調査員とバーミンガムに出張。バーミンガム市の地域再生事業の視察と、短期研修事業に関するバーミンガム大学との打ち合わせが目的。地域再生事業との視察では、元バーミンガム市役所で開発を担当しており、現在はバーミンガム大学博士となっておられるDr. Jon Bloomfieldさんの案内で、やはりバーミンガム大学のSimon先生ともども街中をたっぷりと歩いて、様々な取り組みをじっくり見させていただいた。中心街を道路中心から歩行者中心にするため、非常にユニークな構造に作り替え、実にモダンな都市に生まれ変わった。一方、まだ工場街が残って汚いところも同時に視察。また、運河も再生前の汚いものと、再生後の美しいものとの両方をみせていただき、その対比に非常に感銘を受けた。バーミンガム大学では、ちょうど卒業式に当たり、単に打ち合わせだけでなく、イギリスの老舗大学の卒業式風景を見ることができたのも、大きな収穫。
13日(月)は、仕事終了後、JETAAロンドン支部との意見交換会。JETAA担当の小川所長補佐、山口次長のほか、新しく事務所に来たばかりの引場参事、神林所長補佐にも参加してもらい、JETAAたちへのお披露目。英会話の練習でもある。UK代表のJosy、ロンドン代表のSharonをはじめ、Stewert、Hugh、Vanessa、Christine、Jesica とみんな元気で楽しい人たちで、大いに盛り上がった。
14日(火)は、仕事終了後に、引場参事、神林所長補佐の事務所歓迎会。事務所で軽食をつまんだ後、パブで一杯。その後、僕の自宅に有志で行って3次会。
15日(水)は、事務所主催の勉強会「スピーカーシリーズ」。今回は、先日グラスゴー大学でのセミナーでお世話になった戸田先生に、講師を務めていただいた。戸田先生は、産経新聞記者としてスタートし、退職後エチオピアの難民救済事業に従事した後、開発経済を学ぶためにグラスゴー大学で勉強し、結局そこにいついて、今はスコットランドのベンチャー企業が国際的に活躍できるための橋渡し役となるプロジェクトをやっているという非常にユニークな経歴の持ち主。期待通り、イギリスの教育事情、大学事情から、雑談では日本の政治談義まで、いろいろおもしろいお話を聞くことができた。
17日(金)は、午後4時半からJETROで広報連絡会議。隔月に行っている、在ロンドン日系機関(主として政府系)による、広報活動の打合会。通常の会議の後、商工会議所の人事異動で新たにメンバーとなられた、花岡事務総長の歓迎会も兼ねての懇親会も行った。
18日(土)は、午後4時の飛行機で家族が来訪。妻の姉とその子供達も、夏休みで一緒に来英。ヒースロー空港は、夏休みのため非常な混雑だった。
19日(日)には、早速市内観光。大英博物館を1時間ほど歩く。ツタンカーメンがいなくなっているのは、初めて知った。下調べもせず行ったため、結局ロゼッタストーンも見つけられず。その後、中華街で昼食。
20日(月)は、日本の海の日に合わせて、事務所休暇を設定したのでお休み。娘の候補学校の一つの見学に行く。学校視察後、リージェント・パークでくつろぐ。いったん帰宅して昼食を取ると、妻と義姉はハロッズへ買い物に。ほんと元気。
かくいう僕も、午後6時からは、大使館でJET出国者レセプションに出席。6時半からの大使の挨拶、JETAAの挨拶、JET出発者代表の挨拶の後、僕が乾杯の音頭。自分で書いた原稿で話したが、まあまあのウケだった。帰国者レセプションの時には、さらにがんばろう。終了後、JETやJETAAたちとパブに繰り出す。午後11時の閉店まで粘って帰宅。
とりあえず、あったことだけを記録しておき、もし時間ができれば肉付けする方針で行こう。
6日(月)は、クレア本部に静岡県から派遣中の赤池さんご夫妻が来訪。夏期休暇でフランス・イギリスと回っている。赤池さんは、来年4月からロンドン事務所に勤務予定。その下見も兼ねているとのこと。事務所によってもらい、少し雑談。昼食は、事務所の所長補佐の人たちと。
で、僕自身の昼食は、地共連時代の知人で野村アセットマネジメントUKの社長として最近こちらにこられた渡辺さんとご一緒。電話ではお話していたけれど、再会はかなり久しぶり。一緒にカナダ、アメリカを視察して回った頃の話などで盛り上がった。
夕方、仕事終了後には再度赤池夫妻が事務所に寄ってくれ、有志でパブに繰り出した。
8日(水)は、サイボーズ社来訪。国産のグループウェア会社で、日本ではグループウェアのシェアトップらしい。知らなかった。ウチの事務所でも、Share360 というグループウェアを共用の予定表として利用させていただいており、重宝している。ただ、デザインが今となってはやや古くさいのと、メールの使い勝手が悪いのが弱点で、正直にそう申し上げておいた。
9日(木)は、昼にホテル・ジュメイラで時事通信社トップセミナーに参加。講師は、デービッド・ウォレン駐日英国大使で、演題は「英大使の見る日本の政治と社会」。日本の政治辛みの話もおもしろかったけれど、それよりも大使の父だったか祖父だったかがベラルーシ出身というのには驚いた。イギリスは、そういう人も大使にするんだ。度量が広い。この日昼食時に同席したのは、不動産エージェント「JAC Strattons」 の内田社長とペインクリニック「Dr. 伊藤クリニック」の伊藤いづみさん。内田さんはお父さんが英国教会の神父さんだとかで、不動産の話以外にも教会の話などをいろいろ聞くことができて、こちらも非常におもしろかった。
10日(金)は、宮本所長補佐、キース・ケリー調査員とバーミンガムに出張。バーミンガム市の地域再生事業の視察と、短期研修事業に関するバーミンガム大学との打ち合わせが目的。地域再生事業との視察では、元バーミンガム市役所で開発を担当しており、現在はバーミンガム大学博士となっておられるDr. Jon Bloomfieldさんの案内で、やはりバーミンガム大学のSimon先生ともども街中をたっぷりと歩いて、様々な取り組みをじっくり見させていただいた。中心街を道路中心から歩行者中心にするため、非常にユニークな構造に作り替え、実にモダンな都市に生まれ変わった。一方、まだ工場街が残って汚いところも同時に視察。また、運河も再生前の汚いものと、再生後の美しいものとの両方をみせていただき、その対比に非常に感銘を受けた。バーミンガム大学では、ちょうど卒業式に当たり、単に打ち合わせだけでなく、イギリスの老舗大学の卒業式風景を見ることができたのも、大きな収穫。
13日(月)は、仕事終了後、JETAAロンドン支部との意見交換会。JETAA担当の小川所長補佐、山口次長のほか、新しく事務所に来たばかりの引場参事、神林所長補佐にも参加してもらい、JETAAたちへのお披露目。英会話の練習でもある。UK代表のJosy、ロンドン代表のSharonをはじめ、Stewert、Hugh、Vanessa、Christine、Jesica とみんな元気で楽しい人たちで、大いに盛り上がった。
14日(火)は、仕事終了後に、引場参事、神林所長補佐の事務所歓迎会。事務所で軽食をつまんだ後、パブで一杯。その後、僕の自宅に有志で行って3次会。
15日(水)は、事務所主催の勉強会「スピーカーシリーズ」。今回は、先日グラスゴー大学でのセミナーでお世話になった戸田先生に、講師を務めていただいた。戸田先生は、産経新聞記者としてスタートし、退職後エチオピアの難民救済事業に従事した後、開発経済を学ぶためにグラスゴー大学で勉強し、結局そこにいついて、今はスコットランドのベンチャー企業が国際的に活躍できるための橋渡し役となるプロジェクトをやっているという非常にユニークな経歴の持ち主。期待通り、イギリスの教育事情、大学事情から、雑談では日本の政治談義まで、いろいろおもしろいお話を聞くことができた。
17日(金)は、午後4時半からJETROで広報連絡会議。隔月に行っている、在ロンドン日系機関(主として政府系)による、広報活動の打合会。通常の会議の後、商工会議所の人事異動で新たにメンバーとなられた、花岡事務総長の歓迎会も兼ねての懇親会も行った。
18日(土)は、午後4時の飛行機で家族が来訪。妻の姉とその子供達も、夏休みで一緒に来英。ヒースロー空港は、夏休みのため非常な混雑だった。
19日(日)には、早速市内観光。大英博物館を1時間ほど歩く。ツタンカーメンがいなくなっているのは、初めて知った。下調べもせず行ったため、結局ロゼッタストーンも見つけられず。その後、中華街で昼食。
20日(月)は、日本の海の日に合わせて、事務所休暇を設定したのでお休み。娘の候補学校の一つの見学に行く。学校視察後、リージェント・パークでくつろぐ。いったん帰宅して昼食を取ると、妻と義姉はハロッズへ買い物に。ほんと元気。
かくいう僕も、午後6時からは、大使館でJET出国者レセプションに出席。6時半からの大使の挨拶、JETAAの挨拶、JET出発者代表の挨拶の後、僕が乾杯の音頭。自分で書いた原稿で話したが、まあまあのウケだった。帰国者レセプションの時には、さらにがんばろう。終了後、JETやJETAAたちとパブに繰り出す。午後11時の閉店まで粘って帰宅。
2009年7月5日日曜日
6月29日~7月5日
この間も盛りだくさんだったけれど、ごくかいつまんで、主なものだけ。
6月30日(火)から7月2日(木)にかけて、Yorkshire 地方の Harrogate市で Lacal Goverment Association の年次総会が行われた。うちの事務所は、この年次総会に毎年ブースを出してきたけれど、今年は「Bronz Sponcer」として、ブースのほか、各種掲示やパンフレットなどに、事務所のロゴも出してもらうことにして、露出を高めることに。また、ブースも、昨年はJNTO(政府観光局)からもらってきた日本の自治体の観光パンフレットを配ったり、観光PR用DVDを流したりといった企画で、今ひとつ「クレアらしさ」に欠けていたという反省の元、今年は、日本の自治体のベスト・プラクティスを紹介することを企画し、所員、特にローカルスタッフのJesonや東京都派遣の木村所長補佐に、かなりがんばってもらった。
ベストプラクティスとしては、「環境」「高齢者福祉」「産業振興」をテーマにそれぞれ2~3地域の施策を取り上げたけれど、その中では、リサイクル(徳島県上勝村)、風力発電(青森県)、介護セラピー用ロボット「ぱろ」(茨城県、富山県)などが注目を浴びた。
特に、富山県に「ぱろ」について問い合わせた際、業者から実物を無料でお借りすることができることに話がつき、ブースに本物を用意することができたため、効果は絶大。大いにPRとなった。
僕自身は、30日と7月1日の2日間だけの滞在で、カンファレンスのうち、前駐米大使の講演、自治体の市民対応の実践演習を役者を使ってロールプレイとして行うワークショップ、学校の国際交流の実践例を紹介するワークショップなどを聴講。他の仕事の関係もあって、昨年行ったSolaceカンファレンスに比べて滞在期間が短かかったのがやや残念だったけれど、今年のJapan Day Seminarに向けての関係者とのお話や、来年に向けての課題やアイデアなども得られて、それなりに有意義だったと思う。ちなみに、Harrogateは、想像以上に垢抜けて良い街だった。イギリスの田舎は、やはり侮りがたい。
1日(水)は、Harrogateから帰ってきたその足で、そのまま午後6時半から大使館で行われた、「自衛隊の日」の記念式典に参加。立食パーティだったけれど、さすがに疲れた。大使館の大塚書記官、JNTOの吉田所長ご夫妻など、馴染みの方とお話ししたほか、吉田ご夫妻と一緒におられた、カーディフに長年在住し、今も日本人学校などおお世話をされておられるという松井みどりさんとお会いし、ウェールズの良さについていろいろなお話を聞くことができたのは、おもしろかった。
2日(木)は、朝10時半から、JET Programme の出国前オリエンテーションに、小川所長補佐と一緒に出席。会場は Queen Mary University of London の People's Palaceという名前の建物内の教室。この日はよく晴れて非常に暑い日だった上、会場はJETに参加する若者達の熱気でむんむん。実に暑かった。
会を主催してくれている EJEF の岩永照子社長の司会で会が始まり、まずは大使館の岡庭公使のご挨拶。公使は帰国子女で海外生活も長かったとのことで、さすがに英語は堪能。原稿なしで、ジョークも交え、おもしろおかしくJETたちの日本生活での注意点などをお話しされ、JETたちもリラックスして聞いているのがよく見えた。次が、エディンバラ総領事館から井上書記官の挨拶。こちらは、あらかじめ用意してきた原稿を読む挨拶だったけれど、やはりジョークも入れており、なかなかのもの。それに引き替え、その後に続いた僕の挨拶は、まず原稿からして型どおりのおもしろみのないものだったし、しかもそれを単に読むのさえ緊張してかなり早口になってしまい、散々な出来。猛反省。僕に続いた小川所長補佐も、英語は本来うまいんだけれど、やはり初めて大勢の前で話をするというので、緊張してか早口になってしまっていた。課題は多い。
続いて英国外務省の担当からの挨拶だけれど、これは挨拶というより、日本に行ってトラブルに遭った際に具体的にどのような行動を取るべきか、また、そもそもトラブルを未然に防ぐためにどのような準備をしていくかといった非常に実践的な内容に関するプレゼン。しかも、パワーポイントのスライドに加えて、非常に凝った作りのショートビデオ付き。恐れ入った。
しかし、わかりやすい話をするためには、パワーポイントという手があるかと、勉強になった。
そして、British Councilの方から、英国と日本との学校交流についてのお話があり、その後、今年のJET達のお世話をしてくれるミキトラベルからの話が始まるところで、岡庭公使と僕は、先に退席させていただいた。
3日(金)は、12時から商工会議所主催のパーマストン会。この日の講師は、海老原紳英国大使ということで、いつもより集まりが良かったような気がする。場所は、シティにある London Capital Club。日本外交が現在直面している問題について、単に英国との関係にとどまらず、北朝鮮問題や中国問題、アメリカ問題などまで、率直に語っていただき、大変勉強になった。やはり、英国大使までされるほどの人の話は、説得力が断然違う。また、大使の話意外にも、その前に昼食時間中に、たまたま隣の席になったAlpine Electronics of UK社長(欧州副支配人)の井上氏とのお話も勉強になった。クレアが最近大阪府の橋下知事などから批判され、厳しい立場に置かれていることに関して、単にやっていることが「国際交流」というものであれば、今や民間でもできるし現に役所よりはるかにやっているのだから、そのような機能を担うものは、いらない。しかし、「外交」は昔から、そして将来も「国」の仕事でアリ続けると思うし、外交の中の「ソフト外交」になると官民の境界はあいまいになるけれども、やはり「国」なり地方も含めた「政府」としての役割はあり得るのだろう。要は、やっている仕事に、民間ではできない「外交」であるのだと胸を張って言える中身があるのかどうかということだ。というご意見。この日の講演テーマにも関係しており、胸に刺さった。JET Programmeも含め、まさにそういうものをやってきたし、これからもやり続けるのだという気概はあるものの、現実にはそうでない仕事も多いような気もする。いろいろ考えさせられた。
6月30日(火)から7月2日(木)にかけて、Yorkshire 地方の Harrogate市で Lacal Goverment Association の年次総会が行われた。うちの事務所は、この年次総会に毎年ブースを出してきたけれど、今年は「Bronz Sponcer」として、ブースのほか、各種掲示やパンフレットなどに、事務所のロゴも出してもらうことにして、露出を高めることに。また、ブースも、昨年はJNTO(政府観光局)からもらってきた日本の自治体の観光パンフレットを配ったり、観光PR用DVDを流したりといった企画で、今ひとつ「クレアらしさ」に欠けていたという反省の元、今年は、日本の自治体のベスト・プラクティスを紹介することを企画し、所員、特にローカルスタッフのJesonや東京都派遣の木村所長補佐に、かなりがんばってもらった。
ベストプラクティスとしては、「環境」「高齢者福祉」「産業振興」をテーマにそれぞれ2~3地域の施策を取り上げたけれど、その中では、リサイクル(徳島県上勝村)、風力発電(青森県)、介護セラピー用ロボット「ぱろ」(茨城県、富山県)などが注目を浴びた。
特に、富山県に「ぱろ」について問い合わせた際、業者から実物を無料でお借りすることができることに話がつき、ブースに本物を用意することができたため、効果は絶大。大いにPRとなった。
僕自身は、30日と7月1日の2日間だけの滞在で、カンファレンスのうち、前駐米大使の講演、自治体の市民対応の実践演習を役者を使ってロールプレイとして行うワークショップ、学校の国際交流の実践例を紹介するワークショップなどを聴講。他の仕事の関係もあって、昨年行ったSolaceカンファレンスに比べて滞在期間が短かかったのがやや残念だったけれど、今年のJapan Day Seminarに向けての関係者とのお話や、来年に向けての課題やアイデアなども得られて、それなりに有意義だったと思う。ちなみに、Harrogateは、想像以上に垢抜けて良い街だった。イギリスの田舎は、やはり侮りがたい。
1日(水)は、Harrogateから帰ってきたその足で、そのまま午後6時半から大使館で行われた、「自衛隊の日」の記念式典に参加。立食パーティだったけれど、さすがに疲れた。大使館の大塚書記官、JNTOの吉田所長ご夫妻など、馴染みの方とお話ししたほか、吉田ご夫妻と一緒におられた、カーディフに長年在住し、今も日本人学校などおお世話をされておられるという松井みどりさんとお会いし、ウェールズの良さについていろいろなお話を聞くことができたのは、おもしろかった。
2日(木)は、朝10時半から、JET Programme の出国前オリエンテーションに、小川所長補佐と一緒に出席。会場は Queen Mary University of London の People's Palaceという名前の建物内の教室。この日はよく晴れて非常に暑い日だった上、会場はJETに参加する若者達の熱気でむんむん。実に暑かった。
会を主催してくれている EJEF の岩永照子社長の司会で会が始まり、まずは大使館の岡庭公使のご挨拶。公使は帰国子女で海外生活も長かったとのことで、さすがに英語は堪能。原稿なしで、ジョークも交え、おもしろおかしくJETたちの日本生活での注意点などをお話しされ、JETたちもリラックスして聞いているのがよく見えた。次が、エディンバラ総領事館から井上書記官の挨拶。こちらは、あらかじめ用意してきた原稿を読む挨拶だったけれど、やはりジョークも入れており、なかなかのもの。それに引き替え、その後に続いた僕の挨拶は、まず原稿からして型どおりのおもしろみのないものだったし、しかもそれを単に読むのさえ緊張してかなり早口になってしまい、散々な出来。猛反省。僕に続いた小川所長補佐も、英語は本来うまいんだけれど、やはり初めて大勢の前で話をするというので、緊張してか早口になってしまっていた。課題は多い。
続いて英国外務省の担当からの挨拶だけれど、これは挨拶というより、日本に行ってトラブルに遭った際に具体的にどのような行動を取るべきか、また、そもそもトラブルを未然に防ぐためにどのような準備をしていくかといった非常に実践的な内容に関するプレゼン。しかも、パワーポイントのスライドに加えて、非常に凝った作りのショートビデオ付き。恐れ入った。
しかし、わかりやすい話をするためには、パワーポイントという手があるかと、勉強になった。
そして、British Councilの方から、英国と日本との学校交流についてのお話があり、その後、今年のJET達のお世話をしてくれるミキトラベルからの話が始まるところで、岡庭公使と僕は、先に退席させていただいた。
3日(金)は、12時から商工会議所主催のパーマストン会。この日の講師は、海老原紳英国大使ということで、いつもより集まりが良かったような気がする。場所は、シティにある London Capital Club。日本外交が現在直面している問題について、単に英国との関係にとどまらず、北朝鮮問題や中国問題、アメリカ問題などまで、率直に語っていただき、大変勉強になった。やはり、英国大使までされるほどの人の話は、説得力が断然違う。また、大使の話意外にも、その前に昼食時間中に、たまたま隣の席になったAlpine Electronics of UK社長(欧州副支配人)の井上氏とのお話も勉強になった。クレアが最近大阪府の橋下知事などから批判され、厳しい立場に置かれていることに関して、単にやっていることが「国際交流」というものであれば、今や民間でもできるし現に役所よりはるかにやっているのだから、そのような機能を担うものは、いらない。しかし、「外交」は昔から、そして将来も「国」の仕事でアリ続けると思うし、外交の中の「ソフト外交」になると官民の境界はあいまいになるけれども、やはり「国」なり地方も含めた「政府」としての役割はあり得るのだろう。要は、やっている仕事に、民間ではできない「外交」であるのだと胸を張って言える中身があるのかどうかということだ。というご意見。この日の講演テーマにも関係しており、胸に刺さった。JET Programmeも含め、まさにそういうものをやってきたし、これからもやり続けるのだという気概はあるものの、現実にはそうでない仕事も多いような気もする。いろいろ考えさせられた。
2009年6月28日日曜日
6月15日~28日
ドイツ出張以後の出来事をかいつまんで。
15日(月)は、朝出勤前に、Sloane Square Clinicで理学療法。昨年赴任以来ずっと続いていた背中と肩の痛みも、おおむね気にならないところまで回復。まだ100%とは言えないものの、ここ数ヶ月、特に悪化もしなくなったので、今回でとりあえず治療は終了することにした。
16日(火)は、仕事終了後、高校・大学の9年下の後輩で、今クレディ・スイスのロンドン支店に勤めている棚瀬さんと会う。昨年の灘校ロンドン同窓会で初めて会ったのだけれど、僕のブログを見て僕が英語で苦戦していることを知り、一肌脱ぎましょうかとの申し出から、合ってみることとしたもの。この日は特にレッスンとかはせず、お互いの近況などの雑談や、彼の考えているメソッドなどを聞いたりしただけで、1時間ほどで別れる。でも、かなりおもしろそうだったので、来週から実際にレッスンを受けてみることにした。
17日(水)は、この夏、西堀全日空前支店長の後任として着任された、藤村支店長が事務所にご挨拶に来られる。いつもの皆戸さん、北沢さんとご一緒に。藤村さんは、ロンドンに来られる前は空港対策関係のお仕事もされていたそうで、今国土交通省に出向中の僕の先輩の話や、藤村さんも学齢期のお子様がおられるとのことで、学校選びの話などで盛り上がった。
この日は、仕事終了後、あらかじめ予約してあった、シェークスピア・グローブ座の「ロミオとジュリエット」を見に行った。午後7時半から10時40分過ぎまでの長丁場。「ロミオとジュリエット」は、映画しか見たことがなく、原作はまったく読んだことがなかったので、途中結構卑猥なギャグなどが出てきたのには驚いた。脚色かと思ったら、意外と原作通りらしい。また、ジュリエットはイメージ通りの清楚系の女優さんだったけれど、ロミオは黒人の乗りの良い男優で、こんなのもアリなのかとびっくり。やはり実際に見てみると、いろいろおもしろい。長くてちょっと疲れたけれど。
18日(木)は、今月いっぱいで帰国となる、千葉県から派遣の風間次長と東京都から派遣の石田参事の送別会。やや早めではあるけれど、所員ができるだけ多く揃う日ということで、この日になった。しかし、それにもかかわらず、後から別件が入ってきて、結局山口次長とキルヒナーさんが早めにおいとま、僕も2次会のパブを乾杯程度で次の場へ。
で、その「次の場」というのが、企業人材育成をやっているHey Groupという企業からのお誘いのセミナー。山口次長とキルヒナーさんとは、セミナーから出席し、僕は終了後のレセプションから出席。ピカデリーのRoyal Academyが会場で、アマチュア芸術展の封切りを鑑賞しながらレセプションというのがコンセプトらしく、いろいろな現代作品を鑑賞しながら、立食で歓談。お目当てというか、送別会を切り上げてそもそもわざわざここに来ることとしたのは、先日所員がワークプレイスメントでお世話になった、Tambridge Council の Chief Executive である Stephan Weigel氏に誘われたから。広い会場での立食で、ちゃんと会えるのかとやや心配だったが、無事美人の娘さん連れのWeigel氏とお会いすることができた。日本と中国とワインに造形が深く、アンティーク収集が趣味とのことで、かなりの趣味人。お話ししたのは短い時間だったけれど、楽しかった。
20日(土)は、あらかじめチケットを購入していた Taste of London に行ってみた。これは、ロンドンで年1回行われる「食の祭典」だそうで、妻がロンドン在住の人のブログで見つけてきて勧めてくれたもの。天気が良かったこともあって、かなりの人手。僕は、タイカレーその他いくつか食べてみたけれど、事前の情報収集不足のためか、残念ながら「これぞ」というものには今ひとつ巡り会えなかった。むしろ、お金を出して食べたものより、無料で振る舞われていた、フランスパンにパテを塗ったカナッペのようなものを、白ワインと一緒に食べたのが一番おいしかったくらい。来年は、もうちょっとちゃんと調べてから、妻と一緒に来よう。
21日(日)は、Jet Walk。チャタム・ハウスに研究のため1年間来られていた、先輩で今環境省の審議官をされている鷺坂さんが、今回が最後のご参加だと言うことで僕も参加することに。今回は、EssexのWakes ColneからBuresまでの11.2mile(18km)の行程。今まで参加した中で、一番長い。朝8時半にリバプール・ストリート駅集合。今回の参加者は11人とやや多め。男女半々でバランスがいいのはいつもの通り。すでに知った顔の人が多かった。当日の写真は、僕の公開Webアルバムの中の「20090621_JetWalk_Essex」にアップロードしておいたけれど、今回は、GPS Trackerを装備し、写真を撮った位置情報をすべて写真そのものに埋め込んだので、歩いたルートが一目瞭然。結構おもしろいアルバムとなった。
天気が良く、道も平らで歩きやすく、気持ちよかったけれど、何しろ距離が長かったので、結構疲れた。
22日(月)は、事務所の休日(ロンドンが日本より祝日が少ないため、日本の勤務日数を合わせるために、事務所独自で休日と定めている日)だったので、出勤はしなかったけれど、たまたまこの日に開催された Japan Fixed Income Seminar に誘われたため、それを聞きに行ってきた。朝9時スタートで、大使館近くのPark Lane Hotelが会場。まず、9時半頃からの日本国債のついての財務省国債課長からのプレゼント、その後のディスカッションを聞いた。国債課長は、非常に英語の堪能な人で、流暢な英語でプレゼンをしていたし、ディスカッションもまったく淀むところなし。しかし、日本国債も投資家の多様化を図ろうとしているというのはよくわかるとしても、ヘッジファンドにまで買ってもらいたいと思っていると言っていたのは、言葉の綾なのか本気なのかわからないけど、結構驚いた。僕なら、やはりレバレッジを掛けずに現物をちゃんと比較的長期に保有してくれる、年金や生保に買ってもらう方が、よほどありがたいと思うけれど。
で、その後はいったん家に帰って家周りのことをし、午後1時から再びセミナーに参加。おめあての「地方債」のプレゼン。地方公共団体金融機構、東京都、千葉県からのプレゼンがあった。しっかり資料を用意して、がんばってプレゼンしていた。会場に集まっている人の数は、多少少なめかな、とも思ったけれど、一所懸命聞きながらメモを取っている聴衆の人もいたので、悪くはなかったと思う。まあ、このクレジットクランチで円高局面では、なかなかちょっとくらいIRをやっても直接の結果には結びつきにくいだろうけれど、ともあれ金融商品は投資家に知ってもらわなければ買ってもらえない。それには日頃からの地道な努力が必要。こういう催しは、継続すればとても意義のあることだと思う。
23日(火)は、その昨日セミナーでプレゼンを行った、東京都の関公債課長さん、静岡県の鈴木財務室参事さんが、相次いで来訪。東京都の関課長さんは、クレアの運営にも深くコミットしていただいている方で、率直な意見交換をさせていただくことができた。また、鈴木参事さんとは、昨日のセミナーの話のほか、来る静岡県知事選の話などが話題となった。
その日の仕事後は、先週約束していた、棚瀬さんの英会話レッスン初回。緊張しながらのスタートだったけれど、これまでに受けてきたレッスンとはかなり違い、ユニークで実践的。これはかなり良さそう。しかし、Transport for Londonに電話して、Finchley Road から Big Benまでの行き方を聞くのに、Big Benをなかなか聞き取ってもらうことができずに難儀したし、Quick Response Method も、結構難しい。当然ながら、一朝一夕に改善するものではない。が、ともあれおもしろかった。次回は、再来週きてもらうことに。
24日(水)は、月例の事務所勉強会「スピーカーシリーズ」。この日の講師は、昨年四日市市、亀山市、京都市訪問をアレンジしてあげた、コミュニティ・地方自治省職員のJenifer Ashbey さん。彼女は、ノーフォーク基金のお金で、他の5人のさまざまな出自のメンバーと一緒に、世界6カ国の都市を巡り、都市開発についての比較研究を行っており、今回は、その成果の一部をかいつまんでお話ししていただいた。
25日(木)は、午前中休暇を取り、明日日本に帰国する風間次長から、自動車の引き渡しを受けた。実はその自動車は修理に出されていて、この日の朝10時に修理業者が我が家に直接持ってきてくれることになっていたのだけれど、待てど暮らせどやってこない。11時に風間次長がしびれを切らして電話すると、「今出たところ」。結局11時半過ぎにようやくやってきて、無事引き継ぎを終わらせることができた。まったくヨーロッパ的。昼は、事務所に寄った後、有志でイングリッシュ・パブで次長の送別昼食会。
その日、夜7時からは、ハイド・パーク東のHilton on Park Laneホテルで、「The MJ 2009 Achievement Awards」に出席。これは、Municipal Journal誌という地方公共団体向け専門機関誌が主催で、毎年その年の評価の高かった地方公共団体の表彰を行うもの。ただ、日本の「表彰式」とは全く異なり、日本で言えば「レコード大賞」みたいな、あるいは映画の「アカデミー賞」みたいな、一種のエンターテイメントショー。これにはかなりのカルチャーショックだった。
そもそも、レセプションに出席するためのドレスコードがタキシードで、僕は持っていなかったので、貸衣装屋に行って蝶ネクタイなどと一緒に借りて来なければならなかったところからして普通ではない。で、仕事後に着慣れないタキシードに蝶ネクタイ姿になってホテルまで行き(この格好で公共バスに乗って行ったのが、ちょっと情けないところ)、ホールでウェルカム・レセプション。誰か知り合いの自治体の人でも来ていないかと見て回ってみたけれど、誰も見あたらない。人数が多すぎて、探せない。結局かなり寂しい30分間を、シャンペンをすすりながら過ごした。
これでは、式の間の食事中も、結構厳しいものがあるかと覚悟していたら、ディナーの席に着いてみると、隣は先日Royal Academyでお会いした、Tambridge CouncilのWeigel氏。これには本当にほっとした。また、反対側に座っていた、自治体向けコンサルタントのCrispin Derby氏も気さくな方で、気兼ねなくお話をすることができ、存外と楽しい会になった。
会には、受賞にノミネートされた各自治体のプロジェクトの担当者のほか、各自治体からリーダーやエグゼクティブクラスが大勢集まり、男性も女性もフォーマルな装いでありながら、実に賑やかで乗りが良く、非常に華やかな式典だった。
夕食後、受賞自治体の発表と表彰セレモニーがあり、グランプリの発表があって終わったのが、すでに夜の11時20分ころ。実は、その後もディスコなどが午前2時まであったらしいのだが、僕はさすがに疲れていたのでそのまま引き上げさせていただいた。日本人は、僕以外には誰一人としていなかったこともあって、気疲れも少し。
しかし、非常に感銘を受けた。日本にもこういう催しがあればいいのに、とちょっとうらやましい気持ちにもなった。企画するのは至難の業だろうけれど。
15日(月)は、朝出勤前に、Sloane Square Clinicで理学療法。昨年赴任以来ずっと続いていた背中と肩の痛みも、おおむね気にならないところまで回復。まだ100%とは言えないものの、ここ数ヶ月、特に悪化もしなくなったので、今回でとりあえず治療は終了することにした。
16日(火)は、仕事終了後、高校・大学の9年下の後輩で、今クレディ・スイスのロンドン支店に勤めている棚瀬さんと会う。昨年の灘校ロンドン同窓会で初めて会ったのだけれど、僕のブログを見て僕が英語で苦戦していることを知り、一肌脱ぎましょうかとの申し出から、合ってみることとしたもの。この日は特にレッスンとかはせず、お互いの近況などの雑談や、彼の考えているメソッドなどを聞いたりしただけで、1時間ほどで別れる。でも、かなりおもしろそうだったので、来週から実際にレッスンを受けてみることにした。
17日(水)は、この夏、西堀全日空前支店長の後任として着任された、藤村支店長が事務所にご挨拶に来られる。いつもの皆戸さん、北沢さんとご一緒に。藤村さんは、ロンドンに来られる前は空港対策関係のお仕事もされていたそうで、今国土交通省に出向中の僕の先輩の話や、藤村さんも学齢期のお子様がおられるとのことで、学校選びの話などで盛り上がった。
この日は、仕事終了後、あらかじめ予約してあった、シェークスピア・グローブ座の「ロミオとジュリエット」を見に行った。午後7時半から10時40分過ぎまでの長丁場。「ロミオとジュリエット」は、映画しか見たことがなく、原作はまったく読んだことがなかったので、途中結構卑猥なギャグなどが出てきたのには驚いた。脚色かと思ったら、意外と原作通りらしい。また、ジュリエットはイメージ通りの清楚系の女優さんだったけれど、ロミオは黒人の乗りの良い男優で、こんなのもアリなのかとびっくり。やはり実際に見てみると、いろいろおもしろい。長くてちょっと疲れたけれど。
18日(木)は、今月いっぱいで帰国となる、千葉県から派遣の風間次長と東京都から派遣の石田参事の送別会。やや早めではあるけれど、所員ができるだけ多く揃う日ということで、この日になった。しかし、それにもかかわらず、後から別件が入ってきて、結局山口次長とキルヒナーさんが早めにおいとま、僕も2次会のパブを乾杯程度で次の場へ。
で、その「次の場」というのが、企業人材育成をやっているHey Groupという企業からのお誘いのセミナー。山口次長とキルヒナーさんとは、セミナーから出席し、僕は終了後のレセプションから出席。ピカデリーのRoyal Academyが会場で、アマチュア芸術展の封切りを鑑賞しながらレセプションというのがコンセプトらしく、いろいろな現代作品を鑑賞しながら、立食で歓談。お目当てというか、送別会を切り上げてそもそもわざわざここに来ることとしたのは、先日所員がワークプレイスメントでお世話になった、Tambridge Council の Chief Executive である Stephan Weigel氏に誘われたから。広い会場での立食で、ちゃんと会えるのかとやや心配だったが、無事美人の娘さん連れのWeigel氏とお会いすることができた。日本と中国とワインに造形が深く、アンティーク収集が趣味とのことで、かなりの趣味人。お話ししたのは短い時間だったけれど、楽しかった。
20日(土)は、あらかじめチケットを購入していた Taste of London に行ってみた。これは、ロンドンで年1回行われる「食の祭典」だそうで、妻がロンドン在住の人のブログで見つけてきて勧めてくれたもの。天気が良かったこともあって、かなりの人手。僕は、タイカレーその他いくつか食べてみたけれど、事前の情報収集不足のためか、残念ながら「これぞ」というものには今ひとつ巡り会えなかった。むしろ、お金を出して食べたものより、無料で振る舞われていた、フランスパンにパテを塗ったカナッペのようなものを、白ワインと一緒に食べたのが一番おいしかったくらい。来年は、もうちょっとちゃんと調べてから、妻と一緒に来よう。
21日(日)は、Jet Walk。チャタム・ハウスに研究のため1年間来られていた、先輩で今環境省の審議官をされている鷺坂さんが、今回が最後のご参加だと言うことで僕も参加することに。今回は、EssexのWakes ColneからBuresまでの11.2mile(18km)の行程。今まで参加した中で、一番長い。朝8時半にリバプール・ストリート駅集合。今回の参加者は11人とやや多め。男女半々でバランスがいいのはいつもの通り。すでに知った顔の人が多かった。当日の写真は、僕の公開Webアルバムの中の「20090621_JetWalk_Essex」にアップロードしておいたけれど、今回は、GPS Trackerを装備し、写真を撮った位置情報をすべて写真そのものに埋め込んだので、歩いたルートが一目瞭然。結構おもしろいアルバムとなった。
天気が良く、道も平らで歩きやすく、気持ちよかったけれど、何しろ距離が長かったので、結構疲れた。
22日(月)は、事務所の休日(ロンドンが日本より祝日が少ないため、日本の勤務日数を合わせるために、事務所独自で休日と定めている日)だったので、出勤はしなかったけれど、たまたまこの日に開催された Japan Fixed Income Seminar に誘われたため、それを聞きに行ってきた。朝9時スタートで、大使館近くのPark Lane Hotelが会場。まず、9時半頃からの日本国債のついての財務省国債課長からのプレゼント、その後のディスカッションを聞いた。国債課長は、非常に英語の堪能な人で、流暢な英語でプレゼンをしていたし、ディスカッションもまったく淀むところなし。しかし、日本国債も投資家の多様化を図ろうとしているというのはよくわかるとしても、ヘッジファンドにまで買ってもらいたいと思っていると言っていたのは、言葉の綾なのか本気なのかわからないけど、結構驚いた。僕なら、やはりレバレッジを掛けずに現物をちゃんと比較的長期に保有してくれる、年金や生保に買ってもらう方が、よほどありがたいと思うけれど。
で、その後はいったん家に帰って家周りのことをし、午後1時から再びセミナーに参加。おめあての「地方債」のプレゼン。地方公共団体金融機構、東京都、千葉県からのプレゼンがあった。しっかり資料を用意して、がんばってプレゼンしていた。会場に集まっている人の数は、多少少なめかな、とも思ったけれど、一所懸命聞きながらメモを取っている聴衆の人もいたので、悪くはなかったと思う。まあ、このクレジットクランチで円高局面では、なかなかちょっとくらいIRをやっても直接の結果には結びつきにくいだろうけれど、ともあれ金融商品は投資家に知ってもらわなければ買ってもらえない。それには日頃からの地道な努力が必要。こういう催しは、継続すればとても意義のあることだと思う。
23日(火)は、その昨日セミナーでプレゼンを行った、東京都の関公債課長さん、静岡県の鈴木財務室参事さんが、相次いで来訪。東京都の関課長さんは、クレアの運営にも深くコミットしていただいている方で、率直な意見交換をさせていただくことができた。また、鈴木参事さんとは、昨日のセミナーの話のほか、来る静岡県知事選の話などが話題となった。
その日の仕事後は、先週約束していた、棚瀬さんの英会話レッスン初回。緊張しながらのスタートだったけれど、これまでに受けてきたレッスンとはかなり違い、ユニークで実践的。これはかなり良さそう。しかし、Transport for Londonに電話して、Finchley Road から Big Benまでの行き方を聞くのに、Big Benをなかなか聞き取ってもらうことができずに難儀したし、Quick Response Method も、結構難しい。当然ながら、一朝一夕に改善するものではない。が、ともあれおもしろかった。次回は、再来週きてもらうことに。
24日(水)は、月例の事務所勉強会「スピーカーシリーズ」。この日の講師は、昨年四日市市、亀山市、京都市訪問をアレンジしてあげた、コミュニティ・地方自治省職員のJenifer Ashbey さん。彼女は、ノーフォーク基金のお金で、他の5人のさまざまな出自のメンバーと一緒に、世界6カ国の都市を巡り、都市開発についての比較研究を行っており、今回は、その成果の一部をかいつまんでお話ししていただいた。
25日(木)は、午前中休暇を取り、明日日本に帰国する風間次長から、自動車の引き渡しを受けた。実はその自動車は修理に出されていて、この日の朝10時に修理業者が我が家に直接持ってきてくれることになっていたのだけれど、待てど暮らせどやってこない。11時に風間次長がしびれを切らして電話すると、「今出たところ」。結局11時半過ぎにようやくやってきて、無事引き継ぎを終わらせることができた。まったくヨーロッパ的。昼は、事務所に寄った後、有志でイングリッシュ・パブで次長の送別昼食会。
その日、夜7時からは、ハイド・パーク東のHilton on Park Laneホテルで、「The MJ 2009 Achievement Awards」に出席。これは、Municipal Journal誌という地方公共団体向け専門機関誌が主催で、毎年その年の評価の高かった地方公共団体の表彰を行うもの。ただ、日本の「表彰式」とは全く異なり、日本で言えば「レコード大賞」みたいな、あるいは映画の「アカデミー賞」みたいな、一種のエンターテイメントショー。これにはかなりのカルチャーショックだった。
そもそも、レセプションに出席するためのドレスコードがタキシードで、僕は持っていなかったので、貸衣装屋に行って蝶ネクタイなどと一緒に借りて来なければならなかったところからして普通ではない。で、仕事後に着慣れないタキシードに蝶ネクタイ姿になってホテルまで行き(この格好で公共バスに乗って行ったのが、ちょっと情けないところ)、ホールでウェルカム・レセプション。誰か知り合いの自治体の人でも来ていないかと見て回ってみたけれど、誰も見あたらない。人数が多すぎて、探せない。結局かなり寂しい30分間を、シャンペンをすすりながら過ごした。
これでは、式の間の食事中も、結構厳しいものがあるかと覚悟していたら、ディナーの席に着いてみると、隣は先日Royal Academyでお会いした、Tambridge CouncilのWeigel氏。これには本当にほっとした。また、反対側に座っていた、自治体向けコンサルタントのCrispin Derby氏も気さくな方で、気兼ねなくお話をすることができ、存外と楽しい会になった。
会には、受賞にノミネートされた各自治体のプロジェクトの担当者のほか、各自治体からリーダーやエグゼクティブクラスが大勢集まり、男性も女性もフォーマルな装いでありながら、実に賑やかで乗りが良く、非常に華やかな式典だった。
夕食後、受賞自治体の発表と表彰セレモニーがあり、グランプリの発表があって終わったのが、すでに夜の11時20分ころ。実は、その後もディスコなどが午前2時まであったらしいのだが、僕はさすがに疲れていたのでそのまま引き上げさせていただいた。日本人は、僕以外には誰一人としていなかったこともあって、気疲れも少し。
しかし、非常に感銘を受けた。日本にもこういう催しがあればいいのに、とちょっとうらやましい気持ちにもなった。企画するのは至難の業だろうけれど。
2009年6月20日土曜日
iPhone 3.0 アップデート後、パケット通信が使えなくなる不具合への対処
ここ2週間の仕事の話など、書いておかなければならない話題はいろいろあるのだけれど、とりあえず、表題に書いた話題が緊急かつ重要に思えたので、書いておこう。
昨年9月からイギリスでiPhone 3GをO2のPay and Goで使っていたが、イギリスでのこの契約には、イギリス国内のパケット通信1年分無料というおまけがついている(2年目からは月額10ポンドの定額)。そのおかげで、無線LANの使えないところでも、携帯電話の使えるところなら、どこでもメールやWebやグーグルマップなどが使えて、めちゃくちゃ重宝だった。
で、もちろんフルに使い倒していたのだけれど、6月17日(水)の夜に、iPhone のOSを3.0にアップグレードして以後、無線LANは使えるけれど、パケット通信が全く使えなくなってしまった。
でも、木曜、金曜と忙しかったことと、バージョンアップ前にも一度1日ちょっとパケット通信が使えなかったことがあり、そのときはある時点からまた普通に使えるようになった経験があったので、とりあえず不便ながらもそのままにしておいた。
しかし、土曜日になってもまったくつながる気配がなかったため、これはさすがにiPhoneの不具合だろうと思い、本腰を入れてgoogleで検索。
すると早速「Apple、iPhone OS 3.0 のサポート記事を多数公開」がヒット。その中に、そのものずばりの「iPhone OS 3.0 へのアップグレード後にカスタムAPNを使って携帯電話ネットワークデータサービスが使用できない」という項目があり、これこれと思っていそいそと行ってみた。
しかしそこに書かれていたのは、「これは、「Cellular Data Network」の設定で、APN (アクセスポイント名) を、手動または iPhone OS 3.0 のインストール前に iPhone 構成ユーティリティを使って編集した場合に起こる可能性があります」。で、解決法は「iPhone に iPhone OS 3.0 をインストールする前に「Cellular Data Network」の設定を編集しなかったにもかかわらず、携帯電話ネットワークデータサービスが使用できない場合は、携帯電話会社に、お持ちのワイヤレスアカウントで利用できるこれらのサービスについてお問い合わせください。また、一方で「Cellular Data Network」の設定を編集した場合、これらの設定は iPhone OS 3.0 へのアップデート後、デフォルトの値にリセットされるので、再度 設定を編集する 必要があります。」というもの。で、結局なのをすべきなのか、今ひとつ要領を得ない。
そこで、「iPhone 3.0 cellular data network o2」と検索語を英語にして英文ページを探したところ、「The Home of Mac Troubleshooting」というサイトの「iPhone 3G "Could not activate cellular data network You are not subscribed to a cellular data service" 」という記事が先頭にヒット。うん、まさにこれ。
この記事も、途中までは「設定をリセットしなさい」とかなんとか、すでに試みて効果のなかったことしか書かれていなかったが、最後に一番重要な情報があった。
In the Uk you can try this APN alteration which has worked many times for us.
In the APN : Settings>General>Network>Cellular Data Network
change mobile.o2.co.uk to payandgo.o2.co.uk
自分のiPhoneで「設定」→「一般」→「ネットワーク」→「パケット通信」を見てみると、「パケット接続」の「APN」の欄が、「ideta.o2.co.uk」になっている。ここはたしかに以前は「payandgo.o2.co.uk」だったはず。
で、そのように書き換えたら、無事パケット通信成功。やれやれ。
わかってみればたわいのないことだけど、見つけるのにはほんと時間がかかる。まあiPhoneは非常に多くの国で使われているわけだから、一般的なことしか書きにくいのもわかるけれど、せめて主要国については国別の解決方法を載せてくれてもよさそうなもの。現に「The Home of Mac Troubleshooting」はそうしてくれていたわけだし。
ともあれ、これにてこの問題は一件落着。
昨年9月からイギリスでiPhone 3GをO2のPay and Goで使っていたが、イギリスでのこの契約には、イギリス国内のパケット通信1年分無料というおまけがついている(2年目からは月額10ポンドの定額)。そのおかげで、無線LANの使えないところでも、携帯電話の使えるところなら、どこでもメールやWebやグーグルマップなどが使えて、めちゃくちゃ重宝だった。
で、もちろんフルに使い倒していたのだけれど、6月17日(水)の夜に、iPhone のOSを3.0にアップグレードして以後、無線LANは使えるけれど、パケット通信が全く使えなくなってしまった。
でも、木曜、金曜と忙しかったことと、バージョンアップ前にも一度1日ちょっとパケット通信が使えなかったことがあり、そのときはある時点からまた普通に使えるようになった経験があったので、とりあえず不便ながらもそのままにしておいた。
しかし、土曜日になってもまったくつながる気配がなかったため、これはさすがにiPhoneの不具合だろうと思い、本腰を入れてgoogleで検索。
すると早速「Apple、iPhone OS 3.0 のサポート記事を多数公開」がヒット。その中に、そのものずばりの「iPhone OS 3.0 へのアップグレード後にカスタムAPNを使って携帯電話ネットワークデータサービスが使用できない」という項目があり、これこれと思っていそいそと行ってみた。
しかしそこに書かれていたのは、「これは、「Cellular Data Network」の設定で、APN (アクセスポイント名) を、手動または iPhone OS 3.0 のインストール前に iPhone 構成ユーティリティを使って編集した場合に起こる可能性があります」。で、解決法は「iPhone に iPhone OS 3.0 をインストールする前に「Cellular Data Network」の設定を編集しなかったにもかかわらず、携帯電話ネットワークデータサービスが使用できない場合は、携帯電話会社に、お持ちのワイヤレスアカウントで利用できるこれらのサービスについてお問い合わせください。また、一方で「Cellular Data Network」の設定を編集した場合、これらの設定は iPhone OS 3.0 へのアップデート後、デフォルトの値にリセットされるので、再度 設定を編集する 必要があります。」というもの。で、結局なのをすべきなのか、今ひとつ要領を得ない。
そこで、「iPhone 3.0 cellular data network o2」と検索語を英語にして英文ページを探したところ、「The Home of Mac Troubleshooting」というサイトの「iPhone 3G "Could not activate cellular data network You are not subscribed to a cellular data service" 」という記事が先頭にヒット。うん、まさにこれ。
この記事も、途中までは「設定をリセットしなさい」とかなんとか、すでに試みて効果のなかったことしか書かれていなかったが、最後に一番重要な情報があった。
In the Uk you can try this APN alteration which has worked many times for us.
In the APN : Settings>General>Network>Cellular Data Network
change mobile.o2.co.uk to payandgo.o2.co.uk
自分のiPhoneで「設定」→「一般」→「ネットワーク」→「パケット通信」を見てみると、「パケット接続」の「APN」の欄が、「ideta.o2.co.uk」になっている。ここはたしかに以前は「payandgo.o2.co.uk」だったはず。
で、そのように書き換えたら、無事パケット通信成功。やれやれ。
わかってみればたわいのないことだけど、見つけるのにはほんと時間がかかる。まあiPhoneは非常に多くの国で使われているわけだから、一般的なことしか書きにくいのもわかるけれど、せめて主要国については国別の解決方法を載せてくれてもよさそうなもの。現に「The Home of Mac Troubleshooting」はそうしてくれていたわけだし。
ともあれ、これにてこの問題は一件落着。
2009年6月14日日曜日
ドイツ出張
6月11日(木)から12日(金)の2日間、キルヒナー主任研究員とドイツ・ブランデンブルク州に出張。
一昨年(2007年11月)にも、当時の務台所長がキルヒナーさんとブランデンブルク州に出張しており、その折には、都市と農村の交流をテーマに、ブランデンブルク州の市町村幹部を相手に務台所長がプレゼンテーションをしており、そのとき世話をしてくれていた州市町村連盟のJenz Graf部長が、昨年(2008年)のJapan Study Tourに参加して来日されたというご縁があり、今回は、再びGrafさんからのお勧めがあって再訪することとしたもの。
当初、4月20日に市町村連盟総会があり、そこには州の首相なども参加するからそこに来ないかとの提案もあったのだけれど、日が折り合わずに断念。その後も、できるなら早いうちにと5月にも日程調整をしてみたが、5月は向こうもこちらも日程が結構つまっており、結局折り合わずに6月のこの日となった。訪問先についても、いろいろとやりとりはあったが、せっかくだからということで、かなりみっちりと詰まった訪問スケジュールとなった。
11日(木)は、午前中にGrafさんの本拠地、ブランデンブルク州市町村連盟で、州の自治制度についてのご説明を受けるということで、午前7時15分ヒースロー発の飛行機でベルリンへ。ちなみに、余裕を見て朝5時前に起き、5時半にタクシーを拾ったら、6時にヒースロー空港に着いた。いつも渋滞のロンドンだけれど、やはり朝は空いている。
ベルリンのティーゲル空港には現地時間で10時5分着。飛行機がやや早く着いたため、Grafさんはまだいなかったが、まもなく到着。空港からGrafさんの運転でポツダムの市町村連盟まで連れて行ってもらった。当日は、あいにくの雨と、市町村連盟と同居している福祉関係の政府機関への保育士さん達のデモの騒音とかもあって、結構厳しい滑り出しだった。
しかし、英語のスライド、英語のプレゼンで、非常にわかりやすくブランデンブルク州の自治制度についての説明をお聞きできた。自治制度や市町村の現状についての概括的な話をお聞きしたのだが、一つ驚いたのは、市長は直接公選なのに、当選すると議会の一員になるということ。議院内閣制と大統領制の中間、というか、併せ持った形態で、僕は今までそのような政治形態が現実にあるのを知らなかった。市町村と州とは、都市計画の方針や権限を巡って、結構厳しい対立関係にあるというのも、身につまされた話。
その後、ポツダム市内の、旧町の議事堂だった建物にある Ratokeller(議会食堂、みたいな意味。でも今は普通のドイツレストラン)に連れて行っていただき、ドイツ伝統料理の昼食。ちょうどアスパラガスが旬だったため、アスパラガスとシュニッツェルのプレートをいただいた。とてもおいしかった。
昼食後は、午後2時半からポツダム大学自治研究所を訪問。ポツダム大学とは、ドイツの自治体に関する情報を年間契約でうちの事務所にいれてもらっており、今回はその契約更改。もちろん、契約を詰めはすでに終わっており、今回は本契約書にサインをしにきただけ。でも、契約公開前にJann教授からうかがった話は、ドイツの実情がうかがえてなかなかおもしろかった。一応知っていたことではあるけれど、やはりドイツというのは本物の連邦国家で、州ごとの独立性が強く、違いは非常に大きい。「日本の地方自治」みたいなノリで「ドイツの地方自治」を語ることはできない。当然それにふさわしい研究や調査のアプローチ方法があるはずで、そういう意味でもポツダム大学は貴重なパートナー。
その後、再度Grafさんに迎えに来ていただき、その案内で午後4時半からポツダム市を訪問。残念ながら市長とはお会いできなかったが、ハディッヒさん、エッシェンスブルクさんから、ポツダム市の子育て支援や都市政策等についてのお話をうかがうことができた。
ポツダムは、ベルリンの隣で、かつ旧東ドイツだったところであるため、西からの投資資金が結構入ってきており、元々プロイセン国王の居住地で風光明媚な土地柄という恵まれた環境にあるおかげもあって、現在人口が増え、子供の数も増えているらしい。もちろんそれはそれで保育所や学校の配置とか、行政上のいろいろな悩みはあるわけだけれど、何にせようらやましい話。
ミーティング後、ホテルに引き上げ。朝が早かったので、結構疲れた。
12日(金)は、朝7時半にホテルを出て、再度Grafさんの運転・案内でコットブス市に訪問。ポツダムからは高速を飛ばして1時間半くらいだった。コットブス市役所訪問の予定は10時からだったので、小一時間空きができたこともあって、Grafさんの案内で、Cottbus市の中心街をしばらく散策。町並みを見て回った。
10時からのミーティングでは、主として市の住宅政策についてのお話をうかがった。かつて炭鉱の町として栄え、東ドイツ下では工業・エネルギー計画都市として計画的な移住が行われ、ピーク時15万人いた人口が、東西ドイツの統一後、8万人を切るまで減ってしまったとのこと。当然住居があまるようになったため、周辺部のもので老朽化したものを削って、中心に近いところに建設した住宅に移ってもらって、市をコンパクト化したいという計画だったそうで、それなりに進んではきているものの、やはり社会が自由主義になると、「ごねる自由」も強くなってしまうこと。また、統一後の自由化時に、公営住宅の一部だけを個人に売却するという誤った政策をとってしまったため、今は住宅再建が本当に大変だということであった。
でも、そうはいいつつ中心部の町並みは新しく、とてもきれいで、また、敷石にはコットブス出身のオリンピック・メダリスト達(ものすごく大勢いた)のプレートなどがはめ込まれ、街に対して誇りを持っているところがうかがえ、結構後口が良かった。
昼食時には、コットブス市で日本との交流に携わっている人たち(全員ドイツ人を中心として非日本人)と、市の開発公社(のようなもの)の会議室で、サンドイッチをつまみながらの意見交換会。いろいろユニークな試みをされておられる方も多く、頼もしい限りだったが、このご時世、どうしてもお金の悩みがつきまというというのも、致し方ないところ。
コットブスからベルリンに戻った足で、すぐにブランデンブルク州政府に赴き、Hams官房長官と懇談。英語が実に堪能で(Grafさんももちろん堪能だけど)、人当たりの良い有能そうな長身のドイツ人で、話していてとても楽しかった。いかにもGrafさんの「ライバル」というか、「敵方であるメンター」というか、そういったイメージ。
しかし、州政府と市町村連盟とのコミュニケーションは非常によさそうで、いいことだと思った。
仕事終了後、午後7時半からは、ベルリン周辺在住の元JETの人たちに集まってきてもらい、夕食を取りながらの意見交換会。大使館からJET担当の西井一等書記官と現地スタッフのレナータ・フォン・ビュローさんも参加。みなさん英語も日本語も結構おできになるので、集まったメンバーの中で唯一ドイツ語のできない僕も、疎外感を感じることなく、とても楽しくすごさせていただいた。ドイツはやはりロンドンから遠いので、ロンドン事務所とは疎遠になってしまいがちになるけれど、できるだけこうやって交流とコミュニケーションを続けて行くようにしたいとお約束して、お開き。
その日はベルリンのホテル泊まり。翌日は、せっかくの機会だからと言うことで、ポツダムのお城巡り。仕事中ずっと悪かった天気が、土曜日にはすっかりよくなり、気持ちよく見て回ることができた。午後、お買い物も済ませて、夜の飛行機でロンドンに戻った。
一昨年(2007年11月)にも、当時の務台所長がキルヒナーさんとブランデンブルク州に出張しており、その折には、都市と農村の交流をテーマに、ブランデンブルク州の市町村幹部を相手に務台所長がプレゼンテーションをしており、そのとき世話をしてくれていた州市町村連盟のJenz Graf部長が、昨年(2008年)のJapan Study Tourに参加して来日されたというご縁があり、今回は、再びGrafさんからのお勧めがあって再訪することとしたもの。
当初、4月20日に市町村連盟総会があり、そこには州の首相なども参加するからそこに来ないかとの提案もあったのだけれど、日が折り合わずに断念。その後も、できるなら早いうちにと5月にも日程調整をしてみたが、5月は向こうもこちらも日程が結構つまっており、結局折り合わずに6月のこの日となった。訪問先についても、いろいろとやりとりはあったが、せっかくだからということで、かなりみっちりと詰まった訪問スケジュールとなった。
11日(木)は、午前中にGrafさんの本拠地、ブランデンブルク州市町村連盟で、州の自治制度についてのご説明を受けるということで、午前7時15分ヒースロー発の飛行機でベルリンへ。ちなみに、余裕を見て朝5時前に起き、5時半にタクシーを拾ったら、6時にヒースロー空港に着いた。いつも渋滞のロンドンだけれど、やはり朝は空いている。
ベルリンのティーゲル空港には現地時間で10時5分着。飛行機がやや早く着いたため、Grafさんはまだいなかったが、まもなく到着。空港からGrafさんの運転でポツダムの市町村連盟まで連れて行ってもらった。当日は、あいにくの雨と、市町村連盟と同居している福祉関係の政府機関への保育士さん達のデモの騒音とかもあって、結構厳しい滑り出しだった。
しかし、英語のスライド、英語のプレゼンで、非常にわかりやすくブランデンブルク州の自治制度についての説明をお聞きできた。自治制度や市町村の現状についての概括的な話をお聞きしたのだが、一つ驚いたのは、市長は直接公選なのに、当選すると議会の一員になるということ。議院内閣制と大統領制の中間、というか、併せ持った形態で、僕は今までそのような政治形態が現実にあるのを知らなかった。市町村と州とは、都市計画の方針や権限を巡って、結構厳しい対立関係にあるというのも、身につまされた話。
その後、ポツダム市内の、旧町の議事堂だった建物にある Ratokeller(議会食堂、みたいな意味。でも今は普通のドイツレストラン)に連れて行っていただき、ドイツ伝統料理の昼食。ちょうどアスパラガスが旬だったため、アスパラガスとシュニッツェルのプレートをいただいた。とてもおいしかった。
昼食後は、午後2時半からポツダム大学自治研究所を訪問。ポツダム大学とは、ドイツの自治体に関する情報を年間契約でうちの事務所にいれてもらっており、今回はその契約更改。もちろん、契約を詰めはすでに終わっており、今回は本契約書にサインをしにきただけ。でも、契約公開前にJann教授からうかがった話は、ドイツの実情がうかがえてなかなかおもしろかった。一応知っていたことではあるけれど、やはりドイツというのは本物の連邦国家で、州ごとの独立性が強く、違いは非常に大きい。「日本の地方自治」みたいなノリで「ドイツの地方自治」を語ることはできない。当然それにふさわしい研究や調査のアプローチ方法があるはずで、そういう意味でもポツダム大学は貴重なパートナー。
その後、再度Grafさんに迎えに来ていただき、その案内で午後4時半からポツダム市を訪問。残念ながら市長とはお会いできなかったが、ハディッヒさん、エッシェンスブルクさんから、ポツダム市の子育て支援や都市政策等についてのお話をうかがうことができた。
ポツダムは、ベルリンの隣で、かつ旧東ドイツだったところであるため、西からの投資資金が結構入ってきており、元々プロイセン国王の居住地で風光明媚な土地柄という恵まれた環境にあるおかげもあって、現在人口が増え、子供の数も増えているらしい。もちろんそれはそれで保育所や学校の配置とか、行政上のいろいろな悩みはあるわけだけれど、何にせようらやましい話。
ミーティング後、ホテルに引き上げ。朝が早かったので、結構疲れた。
12日(金)は、朝7時半にホテルを出て、再度Grafさんの運転・案内でコットブス市に訪問。ポツダムからは高速を飛ばして1時間半くらいだった。コットブス市役所訪問の予定は10時からだったので、小一時間空きができたこともあって、Grafさんの案内で、Cottbus市の中心街をしばらく散策。町並みを見て回った。
10時からのミーティングでは、主として市の住宅政策についてのお話をうかがった。かつて炭鉱の町として栄え、東ドイツ下では工業・エネルギー計画都市として計画的な移住が行われ、ピーク時15万人いた人口が、東西ドイツの統一後、8万人を切るまで減ってしまったとのこと。当然住居があまるようになったため、周辺部のもので老朽化したものを削って、中心に近いところに建設した住宅に移ってもらって、市をコンパクト化したいという計画だったそうで、それなりに進んではきているものの、やはり社会が自由主義になると、「ごねる自由」も強くなってしまうこと。また、統一後の自由化時に、公営住宅の一部だけを個人に売却するという誤った政策をとってしまったため、今は住宅再建が本当に大変だということであった。
でも、そうはいいつつ中心部の町並みは新しく、とてもきれいで、また、敷石にはコットブス出身のオリンピック・メダリスト達(ものすごく大勢いた)のプレートなどがはめ込まれ、街に対して誇りを持っているところがうかがえ、結構後口が良かった。
昼食時には、コットブス市で日本との交流に携わっている人たち(全員ドイツ人を中心として非日本人)と、市の開発公社(のようなもの)の会議室で、サンドイッチをつまみながらの意見交換会。いろいろユニークな試みをされておられる方も多く、頼もしい限りだったが、このご時世、どうしてもお金の悩みがつきまというというのも、致し方ないところ。
コットブスからベルリンに戻った足で、すぐにブランデンブルク州政府に赴き、Hams官房長官と懇談。英語が実に堪能で(Grafさんももちろん堪能だけど)、人当たりの良い有能そうな長身のドイツ人で、話していてとても楽しかった。いかにもGrafさんの「ライバル」というか、「敵方であるメンター」というか、そういったイメージ。
しかし、州政府と市町村連盟とのコミュニケーションは非常によさそうで、いいことだと思った。
仕事終了後、午後7時半からは、ベルリン周辺在住の元JETの人たちに集まってきてもらい、夕食を取りながらの意見交換会。大使館からJET担当の西井一等書記官と現地スタッフのレナータ・フォン・ビュローさんも参加。みなさん英語も日本語も結構おできになるので、集まったメンバーの中で唯一ドイツ語のできない僕も、疎外感を感じることなく、とても楽しくすごさせていただいた。ドイツはやはりロンドンから遠いので、ロンドン事務所とは疎遠になってしまいがちになるけれど、できるだけこうやって交流とコミュニケーションを続けて行くようにしたいとお約束して、お開き。
その日はベルリンのホテル泊まり。翌日は、せっかくの機会だからと言うことで、ポツダムのお城巡り。仕事中ずっと悪かった天気が、土曜日にはすっかりよくなり、気持ちよく見て回ることができた。午後、お買い物も済ませて、夜の飛行機でロンドンに戻った。
2009年6月7日日曜日
5月20日~6月5日
5月22日(金)にロンドンでの仕事を済ませてから、6月1日(月)まで日本に出張していて、その後も時差ぼけで体調がいまいちだったため、ブログの更新がずいぶん滞ってしまった。
今思い出せる範囲で、その間のことをとりあえず書いておき、機会があればあとから補足したい。
5月20日(水)は、月例のスピーカーシリーズ。ケンブリッジ大学で博士課程を履修中の土野賢氏の講演。土野氏は、完全に日本人名前だけれど、元々ハーフで海外生活が長く、日本にいたときにもインターナショナル・スクールに通っておられたとのことで、英語がFirst Language。この日の講演も、最初は楽な英語でされたいとのことだったのだが、日本語の講演原稿を用意され、日本語で講義。いつものように講演前には一緒に昼食を取ったのだけれど、いやいやどうして実に達者な日本語。ちょっと海外生活が長くて言葉が外国語風になった日本人、って感じで、日本語でのコミュニケーションも、全く問題なし。講演テーマも、日本の地方議会・地方政治の変化に関するもので、もう並の生まれながらの日本人よりよほど日本通。
現在博士論文執筆中のもののダイジェスト版だそうで、日本、英国、スウェーデンの地方政治のあり方の比較がおもしろかった。
21日(木)には、仕事終了後にChelsea Flower Showに行く。僕は特に園芸に興味があるわけでもないのだけれど、せっかくチェルシーに住んでいて、この世界的に有名な催し(だそうだ)に行かないのももったいない、ということでチケットを予約して行ってきた。
小一時間ほどかけてざっと回ってみただけだけれど、思いの外おもしろかった。単に花が植えてあるのではなく、各ブースごとに非常に趣向がこらされていて、まさに「ショー」。園芸にはさほど興味のない僕のような人間が行っても、非常に楽しめる。
写真もしっかり撮ってきたので、雰囲気を見てみたい方は、こちらへ。
でも、せっかくなら、一人で行くより誰かと一緒に行って感想を言い合いながら楽しみたいもの。来年は家族で来たい。
22日(金)は、12時半から広報連絡会議。2ヶ月に1度、在ロンドンの大使館、政府関係機関や商工会議所、日本クラブ、JALといった日本を英国に売り込むミッションを持った組織の責任者の意見交換会。幹事は持ち回りで、今回は商工会議所の当番。長年いらした商工会議所の高橋事務総長が今回でご退任とのことで、メモリアルの会議となった。
会議終了後、一度事務所に戻り、打ち合わせや決済などを片付け、そそくさと帰宅。速攻で着替えてスーツケース2個持ってヒースロー空港へ。19時15分のJAL402便で日本に飛び立った。
機内では、ワインの飲みながら機内食を食べた後、機内映画の「カリブの海賊」だけ見て爆睡。目が覚めたときには、すでに着陸まで2時間を切っており、あっという間に日本に着いた感じ。結構疲れていたということか。ともあれ、日本までの旅が短くてちょっと儲かった気分。成田到着は、23日(土)の午後3時。
24日(日)と25日(月)は、7月にロンドンに連れてくる予定の家族のための、家の片付けやら手続きやら、とりあえずできること諸々。最優先事項は、もちろん木曜日の午前中に予約を入れている家族ビザの申請書類そろえ。翌日火曜日には本部に持って行って問題ないかチェックしてもらい、水曜日に受け取って木曜日に申請という段取りなので、月曜中には必要書類がすべて整えておかなければならない。なんとか用意できた、はず。
26日(火)は、午前中総務省に寄り、状況報告等。昼は前の職場である地域放送課の現課長と昼食を取りながら意見交換。その後、外務省に寄り、昨年12月まで在英日本大使館広報文かセンター所長だった水鳥会計課長を表敬訪問。実は課長は前日までアフリカに行っていらしたとお聞きし、お会いできた幸運に感謝。
27日(水)は、午前10時半からクレア事務局長と面談。ロンドン事務所の状況、家族の渡航関係などいろいろお話しさせていただいた。本来30分の予定が10分オーバー。この日の昼は、総務省の海外勤務経験者の先輩方との昼食会。その後、総務省に寄って昨日行けなかったところを回り、午後3時過ぎにクレアに戻る。3時半から所長会議。この日はおおむね事務局長と所長だけの内輪の会議で、ざっくばらんに本音の意見交換を行った。
その会議の終了後、クレアに自治体から派遣されて来て、来年4月からロンドン事務所に派遣予定の職員との意見交換。来年は、静岡県、岐阜県、神戸市から職員がやってくる予定。7月に来英予定の総務省と東京都の職員の方にも、せっかくの機会なのでご一緒に参加願った。
28日(木)は、朝9時から新橋のUKビザセンターに行って、家族のビザ申請。前日に、子供達の学校にはビザ申請のため遅刻する旨を連絡してあったが、学校に行く用意をさせて出発。あいにくの雨で、駅まで自転車が使えなかった上、新橋までの京浜東北線が通勤ラッシュでかなり大変だった。体の小さい息子が押しつぶされないか、娘が痴漢に遭わないかとひやひやしどおし。ともあれ、無事9時にはビザセンターに着き、荷物チェック、ボディチェックの後受付に。窓口が2つで入ったときには両方ふさがっており、10分ほど待たされたけれど、割とすんなり受付スタート。審査が始まってしばらくすると、僕と家族全員のパスポートのコピーが必要なのにないと言われ、慌てて1回のローソンに降りてコピーを取る一幕があったり、僕のビザのカテゴリーについて、昨年7月に渡英した際の Oversea's Government Employee から Tier 5 の International Agreement に切り替わったことについて説明する必要があったりと、若干のばたばたはあったけれど、ともあれ無事に受け付け終了。でも、やはり僕の帰国のタイミングに申請をすることにしておいてよかった。妻だけでは、とても昨年の英国移民法改正におけるビザのカテゴリーの変更なんてわかるはずがない。
申請終了後、妻は娘を送って渋谷方面へ。僕は息子と一緒に赤羽に戻る。息子を小学校の担任の先生のところまで連れて行き、その足でクレアへ。この日の昼は、クレア本部の役員との意見交換昼食会。その後、引き続いて所長会議の本番があり、さらに総務省総括審議官との意見交換。終了は午後6時。6時半からはルポール麹町に場所を移して、総務省幹部の方達への「海外活動報告会」。立食パーティ形式。
すさまじく忙しい1日だった。
29日(金)は、午前中は幸い仕事が入っていなかったので、歯医者の予約を入れ、歯石取り。日本だと健康保険が利くが、英国での海外傷害保険は歯科医療が対象外なので、この機会は非常に重要。海外にいる間は、虫歯にはなれない。その後、7月にロンドン事務所勤務となる東京都の職員が、せっかくの機会なので一度東京都のオリンピック誘致現場を見ていただきたいというお誘いを受けていたので(ちなみに、彼は現在オリンピック招致委員会に出向中)、都庁へ。一緒に45階の食堂で昼食を取ってロンドンに来てからのいろいろな話をした後、招致委員会事務局と招致本部の事務所を見せていただいた。現在どちらも100人を超える大所帯で、オリンピック招致に賭ける都の熱意がひしひしと伝わってきた。10月2日が運命の日。
その後、前の前の職場であった地方公務員共済組合連合会に寄り、昨今の金融・経済情勢についての意見交換をした後、またまたクレアへ。この日は、午後4時から外務省との意見交換会。縄張り争いをすることなく、非常に協調的にいい関係を築けていることを感じた。
そして午後6時半からは、虎ノ門パストラルで「クレア会」。クレアの現職・OB達が一同に集う総会で、歴代先輩事務所長から叱咤激励を受ける場。今回の全日程の中で、正直これが一番大変だった。
30日(土)は、朝一番に、雨の中、大量の粗大ゴミを指定場所に持って行く。今回の引っ越しは、今までの引っ越しとは訳が違う。僕もいないので、妻が大車輪の活躍。頭が下がる。その後、午前中に、息子と北区の温水プールに行って一緒に泳ぐ。実に1年ぶり。娘は学校があったので一緒に行けなかったのが、ちょっと残念。夕方は、同期のうち3人が現在海外勤務になっていることもあって、帰国中のこの時期に合わせての総務省同期会。知事、課長、大学教授とみんなそれぞれひとかどのポストに就いていることもあり、貴重な機会。
31日(日)は、今回の帰国の最終日ということで、自分の残っていた荷物の総整理。日本に残してきた本のほとんどをブックオフに持って行き(段ボール箱3箱分)、洋服を大量に捨て、証書類をふるい分けし、可能な限り後腐れのないよう整理してきた、つもり。しかし、引っ越しの瞬間に自分が海外にいて立ち会えないというのは、かなり不安の残る状況。国内単身赴任とは、やはり根本的に状況が異なることを痛感。夕方には、先頃婚約してこの7月5日に結婚する予定の妻の弟カップルが我が家を訪問。結婚式に出席できない僕のために、妻がセットしておいてくれたもの。美人で非常に感じの良い女性で、一安心。
1日(月)は、正午初のJAL401便でロンドンに戻る。朝8時過ぎには妻と車で家を出たのだが、想像を絶する渋滞で、途中ひょっとして飛行機に遅れてしまうんじゃないかと非常に焦った。しかし、何とか10時半には成田に着き、チェックインもスムーズに終わって一安心。今回は、家族の引っ越しの前触れということで持って帰る荷物も多く、自動車を使わざるを得なかったのだけれど、やはり車は心臓に悪い。
飛行機は、当初午後4時35分ヒースロー着の予定だったけれど、予定より早く午後4時には到着。大量の荷物をタクシーに詰め込み。無事帰還。
2日、3日は事務所でたまっていた事務処理。
4日(木)は、午後2時半から大使館で行われたJOCとラフバラ大学との調印式に出席。2012年ロンドンオリンピックの日本選手団の合宿先としてラフバラ大学を利用させてもらうというもの。この大学は、スポーツ・サイエンスで有名な大学で、北京オリンピックにも学生から50名以上参加しているとのことで、非常に有意義な提携。東京オリンピック誘致の一助にもという意図も、もちろんあり。
調印式後のレセプションでは、河野一郎東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長にご挨拶。昔の有名政治家と同姓同名だけれど縁戚関係にはないらしい。また、ラフバラ大学のJon Walker渉外部長ともお話した。
5日(金)は、朝、出勤前に9月から息子が通う予定の小学校に訪問。3月末に息子と一緒に訪問した折には、現在空きがないため入学は難しいとのことだったのだけれど、幸運にも空きができたようで、入学のオファーが手紙できており、早速入学手続きに行ってきたもの。
こちらでどこの学校に行かせるかについては、1年間ずっと悩んできたけれど、とりあえず息子については一段落。まあこの選択で本当に良かったのかどうかは、行ってみるまでわからないけれど、ともあれ行くところが一つでもきちんと見つかってよかった。
日本では考えられないことだけれど、こちらでは、学校はとにかく自力で見つけなければならない。行政を頼ることは基本的にできない、というのは大きな勉強だった。
今思い出せる範囲で、その間のことをとりあえず書いておき、機会があればあとから補足したい。
5月20日(水)は、月例のスピーカーシリーズ。ケンブリッジ大学で博士課程を履修中の土野賢氏の講演。土野氏は、完全に日本人名前だけれど、元々ハーフで海外生活が長く、日本にいたときにもインターナショナル・スクールに通っておられたとのことで、英語がFirst Language。この日の講演も、最初は楽な英語でされたいとのことだったのだが、日本語の講演原稿を用意され、日本語で講義。いつものように講演前には一緒に昼食を取ったのだけれど、いやいやどうして実に達者な日本語。ちょっと海外生活が長くて言葉が外国語風になった日本人、って感じで、日本語でのコミュニケーションも、全く問題なし。講演テーマも、日本の地方議会・地方政治の変化に関するもので、もう並の生まれながらの日本人よりよほど日本通。
現在博士論文執筆中のもののダイジェスト版だそうで、日本、英国、スウェーデンの地方政治のあり方の比較がおもしろかった。
21日(木)には、仕事終了後にChelsea Flower Showに行く。僕は特に園芸に興味があるわけでもないのだけれど、せっかくチェルシーに住んでいて、この世界的に有名な催し(だそうだ)に行かないのももったいない、ということでチケットを予約して行ってきた。
小一時間ほどかけてざっと回ってみただけだけれど、思いの外おもしろかった。単に花が植えてあるのではなく、各ブースごとに非常に趣向がこらされていて、まさに「ショー」。園芸にはさほど興味のない僕のような人間が行っても、非常に楽しめる。
写真もしっかり撮ってきたので、雰囲気を見てみたい方は、こちらへ。
でも、せっかくなら、一人で行くより誰かと一緒に行って感想を言い合いながら楽しみたいもの。来年は家族で来たい。
22日(金)は、12時半から広報連絡会議。2ヶ月に1度、在ロンドンの大使館、政府関係機関や商工会議所、日本クラブ、JALといった日本を英国に売り込むミッションを持った組織の責任者の意見交換会。幹事は持ち回りで、今回は商工会議所の当番。長年いらした商工会議所の高橋事務総長が今回でご退任とのことで、メモリアルの会議となった。
会議終了後、一度事務所に戻り、打ち合わせや決済などを片付け、そそくさと帰宅。速攻で着替えてスーツケース2個持ってヒースロー空港へ。19時15分のJAL402便で日本に飛び立った。
機内では、ワインの飲みながら機内食を食べた後、機内映画の「カリブの海賊」だけ見て爆睡。目が覚めたときには、すでに着陸まで2時間を切っており、あっという間に日本に着いた感じ。結構疲れていたということか。ともあれ、日本までの旅が短くてちょっと儲かった気分。成田到着は、23日(土)の午後3時。
24日(日)と25日(月)は、7月にロンドンに連れてくる予定の家族のための、家の片付けやら手続きやら、とりあえずできること諸々。最優先事項は、もちろん木曜日の午前中に予約を入れている家族ビザの申請書類そろえ。翌日火曜日には本部に持って行って問題ないかチェックしてもらい、水曜日に受け取って木曜日に申請という段取りなので、月曜中には必要書類がすべて整えておかなければならない。なんとか用意できた、はず。
26日(火)は、午前中総務省に寄り、状況報告等。昼は前の職場である地域放送課の現課長と昼食を取りながら意見交換。その後、外務省に寄り、昨年12月まで在英日本大使館広報文かセンター所長だった水鳥会計課長を表敬訪問。実は課長は前日までアフリカに行っていらしたとお聞きし、お会いできた幸運に感謝。
27日(水)は、午前10時半からクレア事務局長と面談。ロンドン事務所の状況、家族の渡航関係などいろいろお話しさせていただいた。本来30分の予定が10分オーバー。この日の昼は、総務省の海外勤務経験者の先輩方との昼食会。その後、総務省に寄って昨日行けなかったところを回り、午後3時過ぎにクレアに戻る。3時半から所長会議。この日はおおむね事務局長と所長だけの内輪の会議で、ざっくばらんに本音の意見交換を行った。
その会議の終了後、クレアに自治体から派遣されて来て、来年4月からロンドン事務所に派遣予定の職員との意見交換。来年は、静岡県、岐阜県、神戸市から職員がやってくる予定。7月に来英予定の総務省と東京都の職員の方にも、せっかくの機会なのでご一緒に参加願った。
28日(木)は、朝9時から新橋のUKビザセンターに行って、家族のビザ申請。前日に、子供達の学校にはビザ申請のため遅刻する旨を連絡してあったが、学校に行く用意をさせて出発。あいにくの雨で、駅まで自転車が使えなかった上、新橋までの京浜東北線が通勤ラッシュでかなり大変だった。体の小さい息子が押しつぶされないか、娘が痴漢に遭わないかとひやひやしどおし。ともあれ、無事9時にはビザセンターに着き、荷物チェック、ボディチェックの後受付に。窓口が2つで入ったときには両方ふさがっており、10分ほど待たされたけれど、割とすんなり受付スタート。審査が始まってしばらくすると、僕と家族全員のパスポートのコピーが必要なのにないと言われ、慌てて1回のローソンに降りてコピーを取る一幕があったり、僕のビザのカテゴリーについて、昨年7月に渡英した際の Oversea's Government Employee から Tier 5 の International Agreement に切り替わったことについて説明する必要があったりと、若干のばたばたはあったけれど、ともあれ無事に受け付け終了。でも、やはり僕の帰国のタイミングに申請をすることにしておいてよかった。妻だけでは、とても昨年の英国移民法改正におけるビザのカテゴリーの変更なんてわかるはずがない。
申請終了後、妻は娘を送って渋谷方面へ。僕は息子と一緒に赤羽に戻る。息子を小学校の担任の先生のところまで連れて行き、その足でクレアへ。この日の昼は、クレア本部の役員との意見交換昼食会。その後、引き続いて所長会議の本番があり、さらに総務省総括審議官との意見交換。終了は午後6時。6時半からはルポール麹町に場所を移して、総務省幹部の方達への「海外活動報告会」。立食パーティ形式。
すさまじく忙しい1日だった。
29日(金)は、午前中は幸い仕事が入っていなかったので、歯医者の予約を入れ、歯石取り。日本だと健康保険が利くが、英国での海外傷害保険は歯科医療が対象外なので、この機会は非常に重要。海外にいる間は、虫歯にはなれない。その後、7月にロンドン事務所勤務となる東京都の職員が、せっかくの機会なので一度東京都のオリンピック誘致現場を見ていただきたいというお誘いを受けていたので(ちなみに、彼は現在オリンピック招致委員会に出向中)、都庁へ。一緒に45階の食堂で昼食を取ってロンドンに来てからのいろいろな話をした後、招致委員会事務局と招致本部の事務所を見せていただいた。現在どちらも100人を超える大所帯で、オリンピック招致に賭ける都の熱意がひしひしと伝わってきた。10月2日が運命の日。
その後、前の前の職場であった地方公務員共済組合連合会に寄り、昨今の金融・経済情勢についての意見交換をした後、またまたクレアへ。この日は、午後4時から外務省との意見交換会。縄張り争いをすることなく、非常に協調的にいい関係を築けていることを感じた。
そして午後6時半からは、虎ノ門パストラルで「クレア会」。クレアの現職・OB達が一同に集う総会で、歴代先輩事務所長から叱咤激励を受ける場。今回の全日程の中で、正直これが一番大変だった。
30日(土)は、朝一番に、雨の中、大量の粗大ゴミを指定場所に持って行く。今回の引っ越しは、今までの引っ越しとは訳が違う。僕もいないので、妻が大車輪の活躍。頭が下がる。その後、午前中に、息子と北区の温水プールに行って一緒に泳ぐ。実に1年ぶり。娘は学校があったので一緒に行けなかったのが、ちょっと残念。夕方は、同期のうち3人が現在海外勤務になっていることもあって、帰国中のこの時期に合わせての総務省同期会。知事、課長、大学教授とみんなそれぞれひとかどのポストに就いていることもあり、貴重な機会。
31日(日)は、今回の帰国の最終日ということで、自分の残っていた荷物の総整理。日本に残してきた本のほとんどをブックオフに持って行き(段ボール箱3箱分)、洋服を大量に捨て、証書類をふるい分けし、可能な限り後腐れのないよう整理してきた、つもり。しかし、引っ越しの瞬間に自分が海外にいて立ち会えないというのは、かなり不安の残る状況。国内単身赴任とは、やはり根本的に状況が異なることを痛感。夕方には、先頃婚約してこの7月5日に結婚する予定の妻の弟カップルが我が家を訪問。結婚式に出席できない僕のために、妻がセットしておいてくれたもの。美人で非常に感じの良い女性で、一安心。
1日(月)は、正午初のJAL401便でロンドンに戻る。朝8時過ぎには妻と車で家を出たのだが、想像を絶する渋滞で、途中ひょっとして飛行機に遅れてしまうんじゃないかと非常に焦った。しかし、何とか10時半には成田に着き、チェックインもスムーズに終わって一安心。今回は、家族の引っ越しの前触れということで持って帰る荷物も多く、自動車を使わざるを得なかったのだけれど、やはり車は心臓に悪い。
飛行機は、当初午後4時35分ヒースロー着の予定だったけれど、予定より早く午後4時には到着。大量の荷物をタクシーに詰め込み。無事帰還。
2日、3日は事務所でたまっていた事務処理。
4日(木)は、午後2時半から大使館で行われたJOCとラフバラ大学との調印式に出席。2012年ロンドンオリンピックの日本選手団の合宿先としてラフバラ大学を利用させてもらうというもの。この大学は、スポーツ・サイエンスで有名な大学で、北京オリンピックにも学生から50名以上参加しているとのことで、非常に有意義な提携。東京オリンピック誘致の一助にもという意図も、もちろんあり。
調印式後のレセプションでは、河野一郎東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長にご挨拶。昔の有名政治家と同姓同名だけれど縁戚関係にはないらしい。また、ラフバラ大学のJon Walker渉外部長ともお話した。
5日(金)は、朝、出勤前に9月から息子が通う予定の小学校に訪問。3月末に息子と一緒に訪問した折には、現在空きがないため入学は難しいとのことだったのだけれど、幸運にも空きができたようで、入学のオファーが手紙できており、早速入学手続きに行ってきたもの。
こちらでどこの学校に行かせるかについては、1年間ずっと悩んできたけれど、とりあえず息子については一段落。まあこの選択で本当に良かったのかどうかは、行ってみるまでわからないけれど、ともあれ行くところが一つでもきちんと見つかってよかった。
日本では考えられないことだけれど、こちらでは、学校はとにかく自力で見つけなければならない。行政を頼ることは基本的にできない、というのは大きな勉強だった。
2009年5月19日火曜日
ビル・エモット氏講演
19日(火)は、12時半からバークレーズ・ホテルで行われた、時事通信のトップセミナーに出席。今回の講師は、先日読み終えた「アジア三国志」の著者のビル・エモット氏。テーマは「国際金融・経済危機とアジア」。本もおもしろかったが、講演も歯切れの良い、わかりやすい英語で聞き取りやすい上に、切れの良い明快な分析で理解しやすく、おもしろかった。本を読んでいても感じたが、基本的にアジアに対して非常に強い思い入れを持たれている人で、短期的にはともかく、中期的には将来に対して楽観的な見方をされている人。エコノミストとしては、結構珍しいタイプのように思った。日本に対しては、小泉改革で構造改革を成し遂げたのはいいものの、企業や経済を健全化させようとするあまり、あまりにも勤労者に犠牲を強いすぎたので、消費が慢性的に落ち込む結果となってしまい、経済の立ち直りが遅れているのだから、雇用保障であるとか、賃金アップだとかの社会民主主義的政策をとった方が、むしろ経済も上向くだろうという意見。激しく同感。
講演後の質疑で、「現在の経済化で、利益を出している企業はあるか」という質問に、「タミフルを作っている会社」と、まずは即興でジョークで切り返したのも、センスを感じさせた。ちなみに、その後には、どんな経済化でも、個々の企業を見ると、必ず儲かっているところ、安定して成長しているところはある、経営努力次第、というまっとうな解答も、ちゃんとされていたけれど。
ともあれ、行って大正解だった。
講演後の質疑で、「現在の経済化で、利益を出している企業はあるか」という質問に、「タミフルを作っている会社」と、まずは即興でジョークで切り返したのも、センスを感じさせた。ちなみに、その後には、どんな経済化でも、個々の企業を見ると、必ず儲かっているところ、安定して成長しているところはある、経営努力次第、というまっとうな解答も、ちゃんとされていたけれど。
ともあれ、行って大正解だった。
2009年5月18日月曜日
グラスゴー出張
18日(月)は、セミナー出席のため、日帰りでグラスゴーまで往復。
午前5時半に起床し、6時15分頃家を出て、7時20分頃ヒースロー空港に到着。ここで同行する風間次長、松野下所長補佐、宮本所長補佐と合流し、8時半のBAでグラスゴーへ。
9時50分にグラスゴー空港に到着したのだが、あいにくグラスゴーは雨で、かなり寒かった。が、会場のグラスゴー大学に着く頃には雨が上がり、雲の晴れ間が見えてきて、暖かくなった。
10時半から12時までは、JETROロンドン主催で、午後のセミナーに参加するためにヨーロッパから集まったJETRO関係の自治体関係者たちとの意見交換会。JETROロンドンからの主催者江口次長と中尾さん、片岡さんのほか、自治体関係者として、うちの事務所からは、千葉県の風間さん、徳島県の松野下さん、広島市の宮本さんの3人が参加したが、JETROロンドンからは神奈川県の鈴木さん、JETROデュッセルドルフからは東京都の田川さん、兵庫県パリ事務所からは濱上所長とパスカル・ギスさん、福岡県フランクフルト事務所からは西山さん、大阪市パリ事務所からは上原さんと佐野さん、横浜市フランクフルト事務所からは岡本さんらが参加。欧州からの企業誘致に関しての現状報告のほか、自治体からのニーズや、将来の可能性などについて、かなり突っ込んだ議論が行われた。普段はばらばらに仕事をしている欧州派遣中の自治体職員の方達が一堂に会して、企業誘致という共通テーマで意見交換する場というのは非常に有意義だと思った。JETROロンドンのタイムリーヒット。
午後1時半からは、同じグラスゴー大学のキャンパス内だけれど、場所を変えて大学主催のセミナーに参加。スコットランドのベンチャー企業に、日本を知ってもらい、投資の魅力をPRするのが目的。スコットランド企業関係者がどの程度来てくれるかが鍵になるところだけれど、20~30名は集まっていた感じ。初回であり、かつ景気の悪い時代にしては、かなりよくがんばっていただいたのではないかと思う。主催者挨拶、来賓である主席総領事、JETROロンドン副所長、僕、スコットランド政府代表の挨拶の後、JETROから日本の投資のメリットについて英語でプレゼン。担当の中尾さんは、元々英国育ちの上、すでにJETROロンドン事務所で3年以上の勤務とのことで、流暢なQueen's English を駆使して、堂々たるプレゼンだった。
コーヒーブレイクの後、スコットランド関係者と日本関係者との個別面談会。僕も3組ほどお相手をさせていただいた。しかし、産業医関連サービスだとか、語学サービスだとか、ちょっと日本でのビジネスには敷居の高すぎる分野の質問だったため、自分の英語が下手なこととも相まって、対応にはかなり悪戦苦闘した。他のJLGCメンバーも結構苦労していたようだけれど、それぞれ出身自治体のPRは、しっかりやっていたみたい。
5時頃おいとまして、7時半の飛行機でロンドンに戻った。
午前5時半に起床し、6時15分頃家を出て、7時20分頃ヒースロー空港に到着。ここで同行する風間次長、松野下所長補佐、宮本所長補佐と合流し、8時半のBAでグラスゴーへ。
9時50分にグラスゴー空港に到着したのだが、あいにくグラスゴーは雨で、かなり寒かった。が、会場のグラスゴー大学に着く頃には雨が上がり、雲の晴れ間が見えてきて、暖かくなった。
10時半から12時までは、JETROロンドン主催で、午後のセミナーに参加するためにヨーロッパから集まったJETRO関係の自治体関係者たちとの意見交換会。JETROロンドンからの主催者江口次長と中尾さん、片岡さんのほか、自治体関係者として、うちの事務所からは、千葉県の風間さん、徳島県の松野下さん、広島市の宮本さんの3人が参加したが、JETROロンドンからは神奈川県の鈴木さん、JETROデュッセルドルフからは東京都の田川さん、兵庫県パリ事務所からは濱上所長とパスカル・ギスさん、福岡県フランクフルト事務所からは西山さん、大阪市パリ事務所からは上原さんと佐野さん、横浜市フランクフルト事務所からは岡本さんらが参加。欧州からの企業誘致に関しての現状報告のほか、自治体からのニーズや、将来の可能性などについて、かなり突っ込んだ議論が行われた。普段はばらばらに仕事をしている欧州派遣中の自治体職員の方達が一堂に会して、企業誘致という共通テーマで意見交換する場というのは非常に有意義だと思った。JETROロンドンのタイムリーヒット。
午後1時半からは、同じグラスゴー大学のキャンパス内だけれど、場所を変えて大学主催のセミナーに参加。スコットランドのベンチャー企業に、日本を知ってもらい、投資の魅力をPRするのが目的。スコットランド企業関係者がどの程度来てくれるかが鍵になるところだけれど、20~30名は集まっていた感じ。初回であり、かつ景気の悪い時代にしては、かなりよくがんばっていただいたのではないかと思う。主催者挨拶、来賓である主席総領事、JETROロンドン副所長、僕、スコットランド政府代表の挨拶の後、JETROから日本の投資のメリットについて英語でプレゼン。担当の中尾さんは、元々英国育ちの上、すでにJETROロンドン事務所で3年以上の勤務とのことで、流暢なQueen's English を駆使して、堂々たるプレゼンだった。
コーヒーブレイクの後、スコットランド関係者と日本関係者との個別面談会。僕も3組ほどお相手をさせていただいた。しかし、産業医関連サービスだとか、語学サービスだとか、ちょっと日本でのビジネスには敷居の高すぎる分野の質問だったため、自分の英語が下手なこととも相まって、対応にはかなり悪戦苦闘した。他のJLGCメンバーも結構苦労していたようだけれど、それぞれ出身自治体のPRは、しっかりやっていたみたい。
5時頃おいとまして、7時半の飛行機でロンドンに戻った。
2009年5月17日日曜日
雨のプレミアリーグ観戦
17日(日)は、チケットが取れたので、久々にプレミアリーグの試合を見に行ってきた。チェルシー対ブラックバーン戦。昨日マンチェスター・ユナイテッドの優勝が決まったので、今日の試合は消化試合となってしまっていたのだが、それでも会場のスタンフォード・ブリッジは9割以上の入り。単に消化試合というだけでなく、この土日は地下鉄ディストリクト線運休のためフルハム・ブロードウェイ駅が使えず、かつこの日は雨でかなり寒いという最悪の条件が、これでもかとばかりに重なったにもかかわらず、この人の入り。さすが人気クラブ。
ちなみに、僕はTシャツの上に長袖のインター、さらにジャケットという日本の5月末ではありえない厚着で出かけていったけど、それでも寒かった。まあ、気温11度と言えば、日本では思い切り冬なので、当然と言えば当然。
でも、試合そのものはとてもレベルが高くておもしろかった。消化試合なので、勝利にこだわるがつがつとした感じではないが、かといってプレーに手を抜いている感じは、両チームとも微塵もない。ブラックバーンの選手のことはよく知らないけれど、チェルシーに関しては、出場メンバーも完全にフルベストメンバーだったし。スタンフォード・ブリッジ最終戦ということで、ファンに対して精一杯ベストの試合を披露しようとしたということだろう。レベルの高いプレーの数々は、見ていて十分満足だった。
結果は、順当にチェルシーが2対0で勝ったけれど、実際はもう2~3点入っていてもおかしくない展開。最近ちょっと話題になっていたけれど、確かにプレミアリーグでも「ビッグ4」のマンチェスター、リバプール、チェルシー、アーセナルと、その他のチームでは、やや実力に段差がある感じ。エバートンファンのスポーツ担当大臣は、少しでも平均化させるために、これらビッグ4がチャンピオンズ・リーグで得た収入の一部をプレミアリーグに還元させる手段を講ずべきだというような話もしていたみたいだけれど、それも理屈の通りにくい話ではある。でも、もう一つの提案されているらしい、各クラブとも、自国の国籍を持った選手を、最低4人はプレーさせることを義務づけるようにしようというのは、まあなんかわかる気がする。チェルシーにはテリー、ランパード、コールのようなイングランド代表の名選手が結構いるけれど、マンチェスターはルーニー、リバプールはジェラードくらいしか有名でなく、アーセナルに至っては若手のウォルコットがサブでいるだけというのは、さすがにちょっといかがなものかって感じではあるし。
ともあれ、プレミアリーグも来週で終わり、チャンピオンズ・リーグの27日の決勝戦で一区切り。楽しかったサッカーも、来月からはオフシーズン。ちょっと寂しい。
ちなみに、僕はTシャツの上に長袖のインター、さらにジャケットという日本の5月末ではありえない厚着で出かけていったけど、それでも寒かった。まあ、気温11度と言えば、日本では思い切り冬なので、当然と言えば当然。
でも、試合そのものはとてもレベルが高くておもしろかった。消化試合なので、勝利にこだわるがつがつとした感じではないが、かといってプレーに手を抜いている感じは、両チームとも微塵もない。ブラックバーンの選手のことはよく知らないけれど、チェルシーに関しては、出場メンバーも完全にフルベストメンバーだったし。スタンフォード・ブリッジ最終戦ということで、ファンに対して精一杯ベストの試合を披露しようとしたということだろう。レベルの高いプレーの数々は、見ていて十分満足だった。
結果は、順当にチェルシーが2対0で勝ったけれど、実際はもう2~3点入っていてもおかしくない展開。最近ちょっと話題になっていたけれど、確かにプレミアリーグでも「ビッグ4」のマンチェスター、リバプール、チェルシー、アーセナルと、その他のチームでは、やや実力に段差がある感じ。エバートンファンのスポーツ担当大臣は、少しでも平均化させるために、これらビッグ4がチャンピオンズ・リーグで得た収入の一部をプレミアリーグに還元させる手段を講ずべきだというような話もしていたみたいだけれど、それも理屈の通りにくい話ではある。でも、もう一つの提案されているらしい、各クラブとも、自国の国籍を持った選手を、最低4人はプレーさせることを義務づけるようにしようというのは、まあなんかわかる気がする。チェルシーにはテリー、ランパード、コールのようなイングランド代表の名選手が結構いるけれど、マンチェスターはルーニー、リバプールはジェラードくらいしか有名でなく、アーセナルに至っては若手のウォルコットがサブでいるだけというのは、さすがにちょっといかがなものかって感じではあるし。
ともあれ、プレミアリーグも来週で終わり、チャンピオンズ・リーグの27日の決勝戦で一区切り。楽しかったサッカーも、来月からはオフシーズン。ちょっと寂しい。
2009年5月13日水曜日
Greater London Authority Information Service
13日(水)は、午前10時半に「Greater London Authority Information Service」を訪問。4月から赴任になった山口次長、宮本所長補佐、小川所長補佐の研修を兼ねて、GLA の説明を聞きに行く。実は、僕自身もなぜか着任以来これまで機会がなく、GLA 訪問は、これが初めて。
午前9時45分頃、キース研究員を案内役に、新任の3人と僕との合計5人で事務所を出発。ウェストミンスター駅からジュビリー線でロンドンブリッジ駅へ。10分ほど歩いてGLAのオフィスに到着。入り口でセキュリティ・チェックを受けた後、迎えに来てくれた Information Manager の Liz Osborne さんの案内で説明用の会議室へ。そこで、まず Liz からGreater London Authority の一般的な説明を聞いた後、Senior Information Officer の Claire O'Kaneさんから GLIS のサービスについての説明を受ける。GLISでは、基本的にあらゆる情報をデータベース化しているそうで、15のポータルから必要な情報にオンラインでアクセスできるとのこと。また、利用者への定期的な情報提供も重要なサービスとのことであった。
GLA自体は、労働党政権になった2000年にできた組織だけれど、GLIS のサービスそのものはもう30年になるとのこと。もちろん当初はいまのようなメールではなく、紙媒体での情報提供だったらしい。顧客は、ロンドン内のバラ・カウンシル等の自治体がもちろん中心だkれど、ロンドン周辺自治体のほか、学者などにもよく使われているとのことであった。
説明後、ライブラリを見学。ほとんどの図書は地下室に保存してあるとのことで、ライブラリの蔵書は思ったほど多くない。一つおもしろかったのが、本や雑誌が、いわゆる図書館的な分類ではなく、シリアル番号による管理になっているものが多く、基本的にデータベースの図書目録での利用がメインという構成になっていた点。テレビで見たことのある「アマゾン」のストレージを思い起こさせた。
その後、展望台に案内しましょうかとの提案があったのだが、可否を確認してみると、実は前市長の時には週1回展望台に上がることができたのが、現市長になってから、年1回に減ってしまって、よほどのことがない限り展望台には上がれなくなったとのこと。残念ながら、諦める。その代わり、という訳でもないが、ロンドン市議会議事堂を見学。実にコンパクトでモダン、しかも総ガラス張りのオープンな作りで驚いた。衆人環視の元に議会が開かれているわけだ。さすがイギリス。
非常におもしろくて有意義な視察だった。
午前9時45分頃、キース研究員を案内役に、新任の3人と僕との合計5人で事務所を出発。ウェストミンスター駅からジュビリー線でロンドンブリッジ駅へ。10分ほど歩いてGLAのオフィスに到着。入り口でセキュリティ・チェックを受けた後、迎えに来てくれた Information Manager の Liz Osborne さんの案内で説明用の会議室へ。そこで、まず Liz からGreater London Authority の一般的な説明を聞いた後、Senior Information Officer の Claire O'Kaneさんから GLIS のサービスについての説明を受ける。GLISでは、基本的にあらゆる情報をデータベース化しているそうで、15のポータルから必要な情報にオンラインでアクセスできるとのこと。また、利用者への定期的な情報提供も重要なサービスとのことであった。
GLA自体は、労働党政権になった2000年にできた組織だけれど、GLIS のサービスそのものはもう30年になるとのこと。もちろん当初はいまのようなメールではなく、紙媒体での情報提供だったらしい。顧客は、ロンドン内のバラ・カウンシル等の自治体がもちろん中心だkれど、ロンドン周辺自治体のほか、学者などにもよく使われているとのことであった。
説明後、ライブラリを見学。ほとんどの図書は地下室に保存してあるとのことで、ライブラリの蔵書は思ったほど多くない。一つおもしろかったのが、本や雑誌が、いわゆる図書館的な分類ではなく、シリアル番号による管理になっているものが多く、基本的にデータベースの図書目録での利用がメインという構成になっていた点。テレビで見たことのある「アマゾン」のストレージを思い起こさせた。
その後、展望台に案内しましょうかとの提案があったのだが、可否を確認してみると、実は前市長の時には週1回展望台に上がることができたのが、現市長になってから、年1回に減ってしまって、よほどのことがない限り展望台には上がれなくなったとのこと。残念ながら、諦める。その代わり、という訳でもないが、ロンドン市議会議事堂を見学。実にコンパクトでモダン、しかも総ガラス張りのオープンな作りで驚いた。衆人環視の元に議会が開かれているわけだ。さすがイギリス。
非常におもしろくて有意義な視察だった。
2009年5月8日金曜日
カード詐欺
一昨日、銀行口座をオンラインでチェックすると、「E ON Energy Ltd」から70ポンドという見覚えのない支払いがされていたので、ちょっと妙な気がしていた。が、ひょっとすると請求書の見落としがあったかもしれないので、後でチェックしようと思っていたところ、今日再びオンラインバンキングの口座を見ると、「M & S Money」に対して2000ポンドもの支払いが!
僕は Marks & Spencer のカードはそもそも持っていないし、もちろん日常の買い物以外にM&Sで2000ポンドものお金を使ったことも借りたこともない。これはやはり確実に口座情報が盗まれていると確信し、ローカルスタッフにも付き添ってもらって、問題の支出の書かれたページをプリントアウトして、銀行の支店に直行。支店ですぐさまカードのキャンセルをやってもらった。支払いに覚えのないお金は、来週中に払い戻しになり、新しい口座番号の入ったカードも来週事務所に郵送してもらえることに。とりあえず、事なきを得た。
ただ、これまでDirect Debit やStanding Orderでの自動引き落としにしていた公共料金関係の登録を、またゼロからやりなおさないといけないのが、ちょっとやっかいなところ。
それにしても一体どこから情報が漏れたのか、心当たりは全くないのだが、ネットでの支払いにデビットカードを利用することはよくあるので、どこかの支払いに入力した情報が悪意のある人間の手に渡ってしまったのではないかと想像。本当に危ない。情報管理には細心の注意を払い、銀行やクレジットカードの支払い履歴は、まめにきちんとチェックしないといけないことを、改めて痛感した。
僕は Marks & Spencer のカードはそもそも持っていないし、もちろん日常の買い物以外にM&Sで2000ポンドものお金を使ったことも借りたこともない。これはやはり確実に口座情報が盗まれていると確信し、ローカルスタッフにも付き添ってもらって、問題の支出の書かれたページをプリントアウトして、銀行の支店に直行。支店ですぐさまカードのキャンセルをやってもらった。支払いに覚えのないお金は、来週中に払い戻しになり、新しい口座番号の入ったカードも来週事務所に郵送してもらえることに。とりあえず、事なきを得た。
ただ、これまでDirect Debit やStanding Orderでの自動引き落としにしていた公共料金関係の登録を、またゼロからやりなおさないといけないのが、ちょっとやっかいなところ。
それにしても一体どこから情報が漏れたのか、心当たりは全くないのだが、ネットでの支払いにデビットカードを利用することはよくあるので、どこかの支払いに入力した情報が悪意のある人間の手に渡ってしまったのではないかと想像。本当に危ない。情報管理には細心の注意を払い、銀行やクレジットカードの支払い履歴は、まめにきちんとチェックしないといけないことを、改めて痛感した。
LGAとの打ち合わせ
8日(金)は、午前10時半から、うちの事務所で LGA (Local Goverment Association) で今年新たに設けられた International Best Practice Co-ordinator という役職に就いた Jennifer Watson さんとの意見交換。Jennifer さんからは、事前に LGA の Priority について説明されたペーパーをいただいていて、それには「Tackling the recession」「Housing and housing finance arrangements」「Adult social care/demographic change」の3つの柱が取り上げられていた。LGA としては、主としてこの3つのテーマに絞って、国際的な Best Practice を調査し、英国の自治体の運営に役立てたいというのが当面の目標。で、日本の自治体におけるこれらの Best Practice を調査したいというのが、当事務所に来た彼女の目的。
もちろん、日本の自治体にも、これらのことについてユニークな活動を行っている自治体はあり、中には国際的に紹介するに値するものもあるはずだが、残念ながらうちの事務所で即答できるものではなく、また集めた事例を英文で紹介するにもそれなりの時間は要することから、この日はとりあえず積極的な協力と、今後の連絡を密にすることを約束しただけ。
日英の地方自治には、そもそも憲法の有無から始まって、法制度や歴史的背景に至るまで非常に大きな違いがあるため、日本の事例を単に英訳するだけでは、全く役に立つ情報とはならない。そのあたりをどのように処理して、双方に役立つ本質的な優良事例を集め、紹介することができるかが課題。
一通り打ち合わせした後、LGAから遅れて馴染みの Susan Handley さんも到着。彼女も交えて、今度は当事務所の20周年記念日英セミナーのテーマについての意見交換を行った。これも3つくらい事前に候補を用意しておいたのだけれど、スーザンの食いつきは圧倒的に「Recession」に関するもの。「20周年」ということもあるので、僕としてはもうちょっと中長期的な広がりのある「Community Identity」といったテーマの方がいいんじゃないかと思っていたのだけれど、やはり今の時代、なんと言っても60年に一度の不景気にどう対処するのかが圧倒的な関心事であることは間違いない。当然日本の自治体もいろいろやっていることだし、これを中心にテーマを考えることでおおむね合意。進行役や講師の候補などについても、若干の意見交換を行ったが、とりあえず今回はキックオフ的な位置づけなので、それほど突っ込んだ議論はしなかった。
が、ともあれ11月23日の本番に向けて、これからいろいろ詰めなければならないことは多い。
もちろん、日本の自治体にも、これらのことについてユニークな活動を行っている自治体はあり、中には国際的に紹介するに値するものもあるはずだが、残念ながらうちの事務所で即答できるものではなく、また集めた事例を英文で紹介するにもそれなりの時間は要することから、この日はとりあえず積極的な協力と、今後の連絡を密にすることを約束しただけ。
日英の地方自治には、そもそも憲法の有無から始まって、法制度や歴史的背景に至るまで非常に大きな違いがあるため、日本の事例を単に英訳するだけでは、全く役に立つ情報とはならない。そのあたりをどのように処理して、双方に役立つ本質的な優良事例を集め、紹介することができるかが課題。
一通り打ち合わせした後、LGAから遅れて馴染みの Susan Handley さんも到着。彼女も交えて、今度は当事務所の20周年記念日英セミナーのテーマについての意見交換を行った。これも3つくらい事前に候補を用意しておいたのだけれど、スーザンの食いつきは圧倒的に「Recession」に関するもの。「20周年」ということもあるので、僕としてはもうちょっと中長期的な広がりのある「Community Identity」といったテーマの方がいいんじゃないかと思っていたのだけれど、やはり今の時代、なんと言っても60年に一度の不景気にどう対処するのかが圧倒的な関心事であることは間違いない。当然日本の自治体もいろいろやっていることだし、これを中心にテーマを考えることでおおむね合意。進行役や講師の候補などについても、若干の意見交換を行ったが、とりあえず今回はキックオフ的な位置づけなので、それほど突っ込んだ議論はしなかった。
が、ともあれ11月23日の本番に向けて、これからいろいろ詰めなければならないことは多い。
2009年5月7日木曜日
Japan Management Ltd.
7日(木)は、午後2時に Japan Management という会社の Senior Manager である Sascha Kunze(サシャ・クンツェ)氏が事務所に来訪。ドイツ発祥の人材斡旋会社だそうで、主にドイツと英国で活動中だとのこと。キルヒナーさんと前から面識があり、表敬に来られたもの。
クンツェさんはドイツ人だそうだが、英語はもう完全にネイティブ。まだ若そうだけれど、柔らかい人当たりの良い物腰で、とても感じのいい人だった。
これまでは、主に日本企業に現地の専門スタッフを紹介することをメインにしていたけれど、政府系機関などにも幅を広げたいという気持ちがあるようで、うちに寄ったという話。とはいえ、キルヒナーさんの方から、現在JLGCでは定員がいっぱいで新たなスタッフの募集は行っていない旨はお話ししてあり、特に営業っぽい話はなく、むしろ現在の経済情勢、雇用情勢などを中心とした世間話に終始した。ちなみに、日本企業は、そろそろ先を見据えた投資の意味も込めて、欧米での企業買収増やしたり、一度減らした在外スタッフを、徐々にまた戻したりという動きが出てきているとか。まあそうであってもらわなくては。
とりあえず今のところは、うちは顧客にはなれそうな見込みはないのだが、僕個人としては人材マネジメントや組織マネジメントにはとても興味がある、とか、JLGCで今度募集の機会が出てきたら、クンツェさんの会社のような「斡旋のプロ」の活用も考えてみたい、とかのお話をして、別れた。
だいたいにおいて、日本では人の採用は、履歴のほか、採用者の良く言えば直感、悪く言えば趣味で決めてしまっていることも多いので、プロの仕事のやり方というのを見てみるのは、確かにいいことかもしれない。
クンツェさんはドイツ人だそうだが、英語はもう完全にネイティブ。まだ若そうだけれど、柔らかい人当たりの良い物腰で、とても感じのいい人だった。
これまでは、主に日本企業に現地の専門スタッフを紹介することをメインにしていたけれど、政府系機関などにも幅を広げたいという気持ちがあるようで、うちに寄ったという話。とはいえ、キルヒナーさんの方から、現在JLGCでは定員がいっぱいで新たなスタッフの募集は行っていない旨はお話ししてあり、特に営業っぽい話はなく、むしろ現在の経済情勢、雇用情勢などを中心とした世間話に終始した。ちなみに、日本企業は、そろそろ先を見据えた投資の意味も込めて、欧米での企業買収増やしたり、一度減らした在外スタッフを、徐々にまた戻したりという動きが出てきているとか。まあそうであってもらわなくては。
とりあえず今のところは、うちは顧客にはなれそうな見込みはないのだが、僕個人としては人材マネジメントや組織マネジメントにはとても興味がある、とか、JLGCで今度募集の機会が出てきたら、クンツェさんの会社のような「斡旋のプロ」の活用も考えてみたい、とかのお話をして、別れた。
だいたいにおいて、日本では人の採用は、履歴のほか、採用者の良く言えば直感、悪く言えば趣味で決めてしまっていることも多いので、プロの仕事のやり方というのを見てみるのは、確かにいいことかもしれない。
2009年5月4日月曜日
文化三昧
変なタイトルだけれど、この1週間、珍しく出張もイベントも外部の来客もなく、もっぱら事務所でのデスクワークと所内打ち合わせだけだったので、特にブログに特記するだけの仕事ネタがなかった。(豚インフルエンザ対策はもちろん重要テーマで、それなりに手は打ったけれど)
その代わりというか、金曜日の勤務時間後と週末に、コンサートと博物館にいくつか行ってきた。
5月1日(金)は、午後7時半から、Royal Festival Hall での London Philharmonic Orchestra のコンサート。指揮は Mark Elder。演目は、ヤナーチェク作曲の「シュルークとヤウ」の劇付随音楽から「2つの動き」、ドボルザークのバイオリン協奏曲、ラフマニノフの交響曲第3番。先週は最前列で聞いたので、今回はためしに逆に一番安い最後列で聞いてみた。もちろん、音楽を楽しむ分にはこれでも問題ないのだけれど、「演奏を見る」ためには、やはりもうちょっと前の方の席がいいなと感じた。
ヤナーチェクの曲はもともとが劇のBGMだから当然だけれど、それだけでなく、ラフマニノフの交響曲も非常にビジュアルというか、楽器の個性をはっきり打ち出していて、聞いていて情景がクリアに浮かんでくるタイプの曲なので、今どの演奏者がこのシーンを描き出しているのか知りたい、と思ったから。どうでもいいことなのかもしれないけれど。
ともあれ、このクオリティのコンサートが、数日前に予約して12ポンドで聞けてしまうのだから、ロンドンは本当に恵まれている。
2日(土)は、天気が良かったので、昼食後に散歩がてら English Heritage である Chiswick House まで行く。地下鉄の District線を使えば、Turnham Greenまで一本。でも、そこからの道、というか、Chiswick Houseの入り口がよくわからなくて、結構歩いた。ここは本来とても広くて美しい English Garden のようなのだけれど、現在改装中で、来年3月までは庭のほとんどは閉鎖中。House には入れるのだけれど、この日は結婚式かパーティでもあったのか、正装の人たちがえらく大勢集まっていたので、ちょっと気後れして結局外から見るだけで引き返した。
また改装が終わってから、家族と一緒にゆっくり来よう。
そして、3日(日)は、家の近くの Duku of York Square にある Saatchi Gallery に行ってみた。Duku of York Square にあるスーパー Partridges は、日頃から食材、食事、雑貨とフルにお世話になっていることから、ここには週3~4回は必ず行くという場所なので、「Saatchi Gallery」の大看板は前からずっと気にはなっていたのだけれど、まだ行っていなかった。
で、日曜日に始めて行ってみると、ここは現代アートの美術館(入場無料)。しかも、現在展示中の作品のほとんどが、アラブやイランの若い芸術家達の作品ということで、非常に個性的だった。この地域は、戦争がおおいためか、全体にかなり暗いトーンの作品が目立っていたのだけれど、イランの結婚式を描いた組絵や未来都市のミニチュア、電動車いすに乗った老人達の動く彫刻など、非常にインパクトがあっておもしろいものもあった。ちなみに、今気づいたけれど、HPの動画ですべての展示を見ることができるので、行かなくても行った気分にはなれる。
4日(月)は、朝サウス・ケンジントンのスポーツクラブで泳いだ後、Victoria & Albert Museum に行く。ここも、前から気になってはいたものの、まだ行ったことのなかったところ。
ここも入場料は無料で、イギリスの美術館、博物館は、ほんと気前良い(とはいえ、少額でも寄付をしていくのがマナーなのかもしれないけれど)。
ここは、大英博物館ほどではないにしても、非常に巨大な博物館。ざっと流してみただけだけれど、それでも一通り歩くだけで1時間半かかった。しかも、やや構造が複雑だったので、きっと見逃したところがありそう。
ともあれ、ちょっとおもしろいと思ったのが、東芝が後援している日本コーナーと、ラファエロの巨大なタペストリーの下絵(Cartoonとあるが、漫画ではない)のコーナー、膨大なジュエリーコレクションやシルバーコレクション。ジュエリーやシルバーは、その量に圧倒されるけれど、余り見ていると、さすがにちょっとげっぷが出る感じ。
また、ローマ帝国の巨大石膏モニュメントがあったり、イギリスを代表する風景画か、ターナーやコンスタブルの大きな絵画などがあったりと、なんか本当に盛りだくさん。今度行くときは、もうちょっと下調べをして、目的を決めて行った方がいいかもしれない。
ともあれ、なかなかおもしろかった。無料でたっぷりと時間がつぶせる。
その代わりというか、金曜日の勤務時間後と週末に、コンサートと博物館にいくつか行ってきた。
5月1日(金)は、午後7時半から、Royal Festival Hall での London Philharmonic Orchestra のコンサート。指揮は Mark Elder。演目は、ヤナーチェク作曲の「シュルークとヤウ」の劇付随音楽から「2つの動き」、ドボルザークのバイオリン協奏曲、ラフマニノフの交響曲第3番。先週は最前列で聞いたので、今回はためしに逆に一番安い最後列で聞いてみた。もちろん、音楽を楽しむ分にはこれでも問題ないのだけれど、「演奏を見る」ためには、やはりもうちょっと前の方の席がいいなと感じた。
ヤナーチェクの曲はもともとが劇のBGMだから当然だけれど、それだけでなく、ラフマニノフの交響曲も非常にビジュアルというか、楽器の個性をはっきり打ち出していて、聞いていて情景がクリアに浮かんでくるタイプの曲なので、今どの演奏者がこのシーンを描き出しているのか知りたい、と思ったから。どうでもいいことなのかもしれないけれど。
ともあれ、このクオリティのコンサートが、数日前に予約して12ポンドで聞けてしまうのだから、ロンドンは本当に恵まれている。
2日(土)は、天気が良かったので、昼食後に散歩がてら English Heritage である Chiswick House まで行く。地下鉄の District線を使えば、Turnham Greenまで一本。でも、そこからの道、というか、Chiswick Houseの入り口がよくわからなくて、結構歩いた。ここは本来とても広くて美しい English Garden のようなのだけれど、現在改装中で、来年3月までは庭のほとんどは閉鎖中。House には入れるのだけれど、この日は結婚式かパーティでもあったのか、正装の人たちがえらく大勢集まっていたので、ちょっと気後れして結局外から見るだけで引き返した。
また改装が終わってから、家族と一緒にゆっくり来よう。
そして、3日(日)は、家の近くの Duku of York Square にある Saatchi Gallery に行ってみた。Duku of York Square にあるスーパー Partridges は、日頃から食材、食事、雑貨とフルにお世話になっていることから、ここには週3~4回は必ず行くという場所なので、「Saatchi Gallery」の大看板は前からずっと気にはなっていたのだけれど、まだ行っていなかった。
で、日曜日に始めて行ってみると、ここは現代アートの美術館(入場無料)。しかも、現在展示中の作品のほとんどが、アラブやイランの若い芸術家達の作品ということで、非常に個性的だった。この地域は、戦争がおおいためか、全体にかなり暗いトーンの作品が目立っていたのだけれど、イランの結婚式を描いた組絵や未来都市のミニチュア、電動車いすに乗った老人達の動く彫刻など、非常にインパクトがあっておもしろいものもあった。ちなみに、今気づいたけれど、HPの動画ですべての展示を見ることができるので、行かなくても行った気分にはなれる。
4日(月)は、朝サウス・ケンジントンのスポーツクラブで泳いだ後、Victoria & Albert Museum に行く。ここも、前から気になってはいたものの、まだ行ったことのなかったところ。
ここも入場料は無料で、イギリスの美術館、博物館は、ほんと気前良い(とはいえ、少額でも寄付をしていくのがマナーなのかもしれないけれど)。
ここは、大英博物館ほどではないにしても、非常に巨大な博物館。ざっと流してみただけだけれど、それでも一通り歩くだけで1時間半かかった。しかも、やや構造が複雑だったので、きっと見逃したところがありそう。
ともあれ、ちょっとおもしろいと思ったのが、東芝が後援している日本コーナーと、ラファエロの巨大なタペストリーの下絵(Cartoonとあるが、漫画ではない)のコーナー、膨大なジュエリーコレクションやシルバーコレクション。ジュエリーやシルバーは、その量に圧倒されるけれど、余り見ていると、さすがにちょっとげっぷが出る感じ。
また、ローマ帝国の巨大石膏モニュメントがあったり、イギリスを代表する風景画か、ターナーやコンスタブルの大きな絵画などがあったりと、なんか本当に盛りだくさん。今度行くときは、もうちょっと下調べをして、目的を決めて行った方がいいかもしれない。
ともあれ、なかなかおもしろかった。無料でたっぷりと時間がつぶせる。
2009年4月27日月曜日
時事通信トップセミナーのダグラス・ゴデン氏講演と東大フォーラム
4月27日(月)は、朝定例のミーティング。昨日夕刻、ようやくロンドンに到着した群馬県派遣の小川所長補佐の挨拶があった。これで事務所も振るメンバーがそろったが、ほんとうに「ようやく」といった感じ。
午後12時半から、Hotel Claridge's で時事通信のトップセミナーに参加。この日の講演は、CBI(Confederation of British Industry、イギリス産業連盟)経済・財政グループ長のダグラス・ゴデン氏で、演題は「どうなる英国と欧州の経済」。講演前のレセプションでは、主催者である時事通信の櫻井支局長やロンドン東京プロパティの菊地会長などと最近のPFIの状況などについてお話したほか、みずほコーポレーション銀行欧州地域統括の若生さん、欧州営業第一部次長の石原さん、読売新聞ロンドン支局の是枝記者、ランチの席では、中日新聞ロンドン特派員の松井記者などと名刺交換。ランチの席で隣り合ったのが昨年末に事務所でお会いした日本航空のウォルシュ裕子さんと、今回初めてお会いしたSumitomo Corporation Europe Groupの法務部門にお勤めのGraham D. Holman弁護士。ホルマンさんは、奥様がロンドンで知り合った大阪出身の日本人で、ご自身も7年間日本に住んでいたことがあるとのことで、日本語ぺらぺら。気軽にお話できた。
ゴデン氏の講演は、パワーポイントのスライドを印刷したグラフを使いながら、英国をはじめ、欧州全般の財政の危機的状況について解説してくれたもの。淡々とした話し振りながらも、かなり悲観的な内容だった。講演後の質疑では、英国がユーロ圏に入ることはないのかとの質問に、欧州統合に慎重な政治状況のほか、主体的な利率調整ができなくなる経済政策上のデメリットが大きいという認識が一般的なので、少なくともここ10年から15年の間はないだろうと明確に否定されていたことや、年収15万ポンド以上の高所得者に対する最高税率50%の引き上げは、高所得者の国外移転を促すのでサステイナブルではないのではないかとの質問に強く同意されていたことなどが印象に残った。
そして午後7時からは、The Royal Society で行われた「Todai Forum 2009 in the UK」のレセプションに出席。これは、東京大学が、日本学術振興会のサポートの下、City University London、Imperial College London、Manchester Metropolitan University、University of Cambridge との共催で行っているフォーラムで、今回で7回目を数えるとか。今回は「Human Security and Business」「Harmonization of nuclear utilization with society」「Disability and Economy」の3つをテーマに、ロンドンとマンチェスターを会場に5日間開催されるフォーラムで、今日がその初日。わずか5日間の間に遠く離れた2都市、4大学で連続してセミナーを開催することから、ロジは相当大変のようで、JSPSの方が冗談めかして「同時多発セミナー」と称されていた。
レセプションの会場のThe Royal Societyに7時ちょうどに行ったものの、最初知り合いの顔がほとんど見あたらず、戸惑ったが、まもなく知り合い発見。JNTOの吉田所長。彼も知り合いが見つからずに困っていた様子で、お互い相手を見つけてほっとする。二人で今回の主催者でもあるJSPSの古川所長に挨拶に行き、そこで UK Heigher Education(英国大学協会のようなものらしい)の Head of International の Dr. Shaun Curtis 氏をご紹介いただき、しばらく4人で懇談。しばらくすると、主催者挨拶が始まった。最初が東京大学の濱田純一総長で、今回のフォーラムの趣旨を述べられる。次が大使館の西ヶ廣特命全権公使。ご自身が日本にいらしたとき、外務省から学術会議に出向されていたご経験を交え、原稿なしで朗々とスピーチ。さすが。今回はシェークスピアの話はないのかな、と思っていたら、やっぱり最後に出てきた。この日はマクベスネタ。今回のフォーラムのテーマに選ばれているものは、人文科学と自然科学との融合テーマで、実際的なものと考えるが、イギリス人は実際的な国民なのでいい意見交換ができるだろう、実際的といえばシェークスピアの哲学も実際的であって…と、結構強引に(?)話を持って行っておられた。でも、マクベスとの関係は、正直よくわからなかった。
そして挨拶の最後がJSPSの古川所長。日本で景気対策関連の予算措置のため、JSPSの予算が例年の2倍に増えたので、大いにご活用いただきたいとのご挨拶に、会場がどよめく。挨拶後に司会が「いつでも使う用意はありますよ」とコメントして、大うけだった。
その後、再び懇談に。ビュッフェの食事を取った後、大使館の文部科学省アタッシェである松永一等書記官を見つけて、吉田所長と3人で話。その後、吉田所長と一緒に濱田総長にご挨拶に行き、8時20分頃引き上げた。
午後12時半から、Hotel Claridge's で時事通信のトップセミナーに参加。この日の講演は、CBI(Confederation of British Industry、イギリス産業連盟)経済・財政グループ長のダグラス・ゴデン氏で、演題は「どうなる英国と欧州の経済」。講演前のレセプションでは、主催者である時事通信の櫻井支局長やロンドン東京プロパティの菊地会長などと最近のPFIの状況などについてお話したほか、みずほコーポレーション銀行欧州地域統括の若生さん、欧州営業第一部次長の石原さん、読売新聞ロンドン支局の是枝記者、ランチの席では、中日新聞ロンドン特派員の松井記者などと名刺交換。ランチの席で隣り合ったのが昨年末に事務所でお会いした日本航空のウォルシュ裕子さんと、今回初めてお会いしたSumitomo Corporation Europe Groupの法務部門にお勤めのGraham D. Holman弁護士。ホルマンさんは、奥様がロンドンで知り合った大阪出身の日本人で、ご自身も7年間日本に住んでいたことがあるとのことで、日本語ぺらぺら。気軽にお話できた。
ゴデン氏の講演は、パワーポイントのスライドを印刷したグラフを使いながら、英国をはじめ、欧州全般の財政の危機的状況について解説してくれたもの。淡々とした話し振りながらも、かなり悲観的な内容だった。講演後の質疑では、英国がユーロ圏に入ることはないのかとの質問に、欧州統合に慎重な政治状況のほか、主体的な利率調整ができなくなる経済政策上のデメリットが大きいという認識が一般的なので、少なくともここ10年から15年の間はないだろうと明確に否定されていたことや、年収15万ポンド以上の高所得者に対する最高税率50%の引き上げは、高所得者の国外移転を促すのでサステイナブルではないのではないかとの質問に強く同意されていたことなどが印象に残った。
そして午後7時からは、The Royal Society で行われた「Todai Forum 2009 in the UK」のレセプションに出席。これは、東京大学が、日本学術振興会のサポートの下、City University London、Imperial College London、Manchester Metropolitan University、University of Cambridge との共催で行っているフォーラムで、今回で7回目を数えるとか。今回は「Human Security and Business」「Harmonization of nuclear utilization with society」「Disability and Economy」の3つをテーマに、ロンドンとマンチェスターを会場に5日間開催されるフォーラムで、今日がその初日。わずか5日間の間に遠く離れた2都市、4大学で連続してセミナーを開催することから、ロジは相当大変のようで、JSPSの方が冗談めかして「同時多発セミナー」と称されていた。
レセプションの会場のThe Royal Societyに7時ちょうどに行ったものの、最初知り合いの顔がほとんど見あたらず、戸惑ったが、まもなく知り合い発見。JNTOの吉田所長。彼も知り合いが見つからずに困っていた様子で、お互い相手を見つけてほっとする。二人で今回の主催者でもあるJSPSの古川所長に挨拶に行き、そこで UK Heigher Education(英国大学協会のようなものらしい)の Head of International の Dr. Shaun Curtis 氏をご紹介いただき、しばらく4人で懇談。しばらくすると、主催者挨拶が始まった。最初が東京大学の濱田純一総長で、今回のフォーラムの趣旨を述べられる。次が大使館の西ヶ廣特命全権公使。ご自身が日本にいらしたとき、外務省から学術会議に出向されていたご経験を交え、原稿なしで朗々とスピーチ。さすが。今回はシェークスピアの話はないのかな、と思っていたら、やっぱり最後に出てきた。この日はマクベスネタ。今回のフォーラムのテーマに選ばれているものは、人文科学と自然科学との融合テーマで、実際的なものと考えるが、イギリス人は実際的な国民なのでいい意見交換ができるだろう、実際的といえばシェークスピアの哲学も実際的であって…と、結構強引に(?)話を持って行っておられた。でも、マクベスとの関係は、正直よくわからなかった。
そして挨拶の最後がJSPSの古川所長。日本で景気対策関連の予算措置のため、JSPSの予算が例年の2倍に増えたので、大いにご活用いただきたいとのご挨拶に、会場がどよめく。挨拶後に司会が「いつでも使う用意はありますよ」とコメントして、大うけだった。
その後、再び懇談に。ビュッフェの食事を取った後、大使館の文部科学省アタッシェである松永一等書記官を見つけて、吉田所長と3人で話。その後、吉田所長と一緒に濱田総長にご挨拶に行き、8時20分頃引き上げた。
2009年4月26日日曜日
4月20日~25日
また、先週1週間を振り返って。
4月20日(月)は、朝、定例のミーティング。小川所長補佐のビザについては、まだ発行されておらず、見通しも不明といったちょっと暗い話題。
午後2時から、風間次長、宮本所長補佐と3人でJETRO訪問。5月18日開催予定のグラスゴーセミナーの下打ち合わせ。舟木所長、江口次長、中尾さんのご対応で、最初30分ほど、所長室で宮本さんのご紹介を兼ねてのフリートーキング。僕はその後の用事があったので先に引き上げ、風間次長、宮本さんが、江口次長、中尾さんと事務的な打ち合わせ。
午後4時には、バーミンガム大学 INLOGOV (Institute of Local Government Studies、地方自治研修所)の Chris Game 先生来訪。キルヒナーさんとで応対。先生は、当事務所とは古くからのお付き合いで、調査、意見交換、研修等でいろいろお世話になっている方なのだが、実は僕自身はお会いするのがこれが始めて。英国の地方自治の一般的状況の話から、バーミンガム市の地域再生手法、バーミンガムエリアでの都市連携の難しさなどの具体的なテーマまで、いろいろお話を聞かせていただいた。僕が残念ながらまだバーミンガム市には行っていないと申し上げると、近いうちにぜひ来て見てみるようにと強いお誘い。必ず行きますと堅くお約束してお別れした。
22日(水)は、事務所の月例勉強会「スピーカーシリーズ」。今回の講師は、環境省審議官で現在チャタム・ハウスに研究派遣中の鷺坂審議官。「飲み友達」と言ってしまうと大先輩には失礼な言い方で恐縮だけれど、こちらに来て以来、そういうお付き合いをさせていただいているので、講師のお願いもしやすかった。この日のテーマは「地球温暖化問題について」。「不都合な真実」に出てきたような温暖化による影響に関する具体的事例から始まって、温暖化のメカニズム、IPCCの果たした役割、京都議定書以来の国際交渉の推移、洞爺湖サミットでの議論、セクター別アプローチによる打開提案、日本の役割、長期目標、排出権取引、日本の国内対策、英国の国内対策等、短い時間にたっぷりと情報を詰め込んだご講演をいただいた。現在一番ホットな話題が、実にわかりやすく概観できてラッキーだった。
また、講演前には、今回初参加になる同志社大学政策学部からケンブリッジ大学に派遣中の田中宏樹教授(国際公共政策)とも、20分ほど挨拶を兼ねて所長室で懇談。政策効果について、計量経済的手法での実証研修に取り組んでおられるとのこと。講演でも積極的に質問をされていた。
23日(木)は、午後2時に国立スポーツ科学センター(JISS、Japan Institute of Sports Sciences)、ナショナルトレーニングセンターの高橋運営調整役が、同じくJISSロンドン事務所の佐野氏とともに来訪。高橋氏は、今度ロンドン事務所の所長として赴任予定で、下見のための来英の機会に当事務所に表敬されたもの。現在、JISSの事務所はユーストンにあるJSPS(学術振興会)の事務所に間借りしているところだけれど、近くに物件を手配できたので、近く新事務所を構えることになるとのこと。でも、ゼロからの立ち上げであり、まったくの手探り状態なので、密接な情報交換をお願いしたいとのこと。ブログにはちょっと載せにくいような、アマチュアスポーツ界の裏話的お話もいただき、勉強になった。
その日の夜7時からは、ロンドンで長く事業をされておられる日本人の方の主催によるワインパーティに出席。時事通信社のセミナーで、隣の席に座ったのがご縁でお誘いいただいたもの。ただ、このパーティは月例で催されているようなのだが、なかなかスケジュールが合わず、4回目のお誘いでようやく出席することができた。
ワイン自体ももちろんおいしかったが、集まったメンバーとのお話がまた楽しい。自分で「きちがい」とおっしゃるほどのワイン通のJFEヨーロッパの小島さん、フジサンケイ・コミュニケーション・インタナショナルの青田所長や木野さん、国際交流基金の日本語教師の宇田川さん、主婦で1児の母親でソムリエの渡辺さんなど、ワインの話ばかりでなく、なぜかサッカーの話まで広がって、実に楽しいひとときを過ごすことができた。ぜひまた参加したい。
24日(金)は、午前10時に日本学術振興会(JSPS)ロンドン研究連絡センター(要するにロンドン事務所)から、植村アドバイザー、金子国際協力員、寺澤国際協力員が来訪。植村さんは文部科学省から、金子さんは福岡教育大学から、寺澤さんは長岡技術大学から、この4月から1年間の予定で派遣されてこられたとのこと。JSPSの古川所長とは着任以来のお付き合いで、非常に親しくお付き合いいただいているところだけれど、共同事業などで、今後より一層お付き合いを深めていきましょうねと約束。
25日(土)は、午後7時半から、Royal Festival Hallのコンサートに行ってきた、Vladimir Jurowski指揮、Martin Helmchenピアノ、London Philharmonic Orchestraの演奏で、曲は第1部がメンデルスゾーンの「組曲 夏の夜の夢」とショスタコヴィッチの「ピアノ協奏曲第2番」、第2部がマーラーの「交響曲第1番」。
僕は、クラシックはワインと一緒で、好きだけれどまったく知識はなく、ただ単純に楽しむだけで、まったく批評はできない。そもそも、かの有名な「結婚行進曲」が「組曲 夏の夜の夢」の一部であったことすら、今回初めて知ったくらい。この日の演奏は、実はスローな曲調の時には寝てしまいそうになったこともあったけれど、いずれもラストが豪快でカタルシスが味わえるもので楽しかった。
こんな演奏が、23日にぶらっとネットで予約して、何の苦労もなく最前列の席を28ポンドで確保できて聞けてしまうのだから、ロンドンはとてつもなく恵まれている。というか、なぜ日本ではこれくらい気軽に演奏を楽しめるような環境ができないのか、考えさせられてしまう。先日のJISSから来られた人の話でも、日本の芸術家や演奏家の卵達は、芸大や音大を出ても就職先が見つからないので、海外に行って活路を見出さざるを得ない、それで日本人の芸術家が海外で活躍するケースが、アマチュアスポーツと比べてとても多いのだという話を聞いたばかり。日本の各地には立派なコンサートホールも数多くあるけれど、地方自治体の資金難で運営に困っているところばかりだというのに、どうしたものなのか。今超高齢化が進行中で、成熟社会に向かってまっしぐらの日本にとって、非常に大きな課題だと思った。
4月20日(月)は、朝、定例のミーティング。小川所長補佐のビザについては、まだ発行されておらず、見通しも不明といったちょっと暗い話題。
午後2時から、風間次長、宮本所長補佐と3人でJETRO訪問。5月18日開催予定のグラスゴーセミナーの下打ち合わせ。舟木所長、江口次長、中尾さんのご対応で、最初30分ほど、所長室で宮本さんのご紹介を兼ねてのフリートーキング。僕はその後の用事があったので先に引き上げ、風間次長、宮本さんが、江口次長、中尾さんと事務的な打ち合わせ。
午後4時には、バーミンガム大学 INLOGOV (Institute of Local Government Studies、地方自治研修所)の Chris Game 先生来訪。キルヒナーさんとで応対。先生は、当事務所とは古くからのお付き合いで、調査、意見交換、研修等でいろいろお世話になっている方なのだが、実は僕自身はお会いするのがこれが始めて。英国の地方自治の一般的状況の話から、バーミンガム市の地域再生手法、バーミンガムエリアでの都市連携の難しさなどの具体的なテーマまで、いろいろお話を聞かせていただいた。僕が残念ながらまだバーミンガム市には行っていないと申し上げると、近いうちにぜひ来て見てみるようにと強いお誘い。必ず行きますと堅くお約束してお別れした。
22日(水)は、事務所の月例勉強会「スピーカーシリーズ」。今回の講師は、環境省審議官で現在チャタム・ハウスに研究派遣中の鷺坂審議官。「飲み友達」と言ってしまうと大先輩には失礼な言い方で恐縮だけれど、こちらに来て以来、そういうお付き合いをさせていただいているので、講師のお願いもしやすかった。この日のテーマは「地球温暖化問題について」。「不都合な真実」に出てきたような温暖化による影響に関する具体的事例から始まって、温暖化のメカニズム、IPCCの果たした役割、京都議定書以来の国際交渉の推移、洞爺湖サミットでの議論、セクター別アプローチによる打開提案、日本の役割、長期目標、排出権取引、日本の国内対策、英国の国内対策等、短い時間にたっぷりと情報を詰め込んだご講演をいただいた。現在一番ホットな話題が、実にわかりやすく概観できてラッキーだった。
また、講演前には、今回初参加になる同志社大学政策学部からケンブリッジ大学に派遣中の田中宏樹教授(国際公共政策)とも、20分ほど挨拶を兼ねて所長室で懇談。政策効果について、計量経済的手法での実証研修に取り組んでおられるとのこと。講演でも積極的に質問をされていた。
23日(木)は、午後2時に国立スポーツ科学センター(JISS、Japan Institute of Sports Sciences)、ナショナルトレーニングセンターの高橋運営調整役が、同じくJISSロンドン事務所の佐野氏とともに来訪。高橋氏は、今度ロンドン事務所の所長として赴任予定で、下見のための来英の機会に当事務所に表敬されたもの。現在、JISSの事務所はユーストンにあるJSPS(学術振興会)の事務所に間借りしているところだけれど、近くに物件を手配できたので、近く新事務所を構えることになるとのこと。でも、ゼロからの立ち上げであり、まったくの手探り状態なので、密接な情報交換をお願いしたいとのこと。ブログにはちょっと載せにくいような、アマチュアスポーツ界の裏話的お話もいただき、勉強になった。
その日の夜7時からは、ロンドンで長く事業をされておられる日本人の方の主催によるワインパーティに出席。時事通信社のセミナーで、隣の席に座ったのがご縁でお誘いいただいたもの。ただ、このパーティは月例で催されているようなのだが、なかなかスケジュールが合わず、4回目のお誘いでようやく出席することができた。
ワイン自体ももちろんおいしかったが、集まったメンバーとのお話がまた楽しい。自分で「きちがい」とおっしゃるほどのワイン通のJFEヨーロッパの小島さん、フジサンケイ・コミュニケーション・インタナショナルの青田所長や木野さん、国際交流基金の日本語教師の宇田川さん、主婦で1児の母親でソムリエの渡辺さんなど、ワインの話ばかりでなく、なぜかサッカーの話まで広がって、実に楽しいひとときを過ごすことができた。ぜひまた参加したい。
24日(金)は、午前10時に日本学術振興会(JSPS)ロンドン研究連絡センター(要するにロンドン事務所)から、植村アドバイザー、金子国際協力員、寺澤国際協力員が来訪。植村さんは文部科学省から、金子さんは福岡教育大学から、寺澤さんは長岡技術大学から、この4月から1年間の予定で派遣されてこられたとのこと。JSPSの古川所長とは着任以来のお付き合いで、非常に親しくお付き合いいただいているところだけれど、共同事業などで、今後より一層お付き合いを深めていきましょうねと約束。
25日(土)は、午後7時半から、Royal Festival Hallのコンサートに行ってきた、Vladimir Jurowski指揮、Martin Helmchenピアノ、London Philharmonic Orchestraの演奏で、曲は第1部がメンデルスゾーンの「組曲 夏の夜の夢」とショスタコヴィッチの「ピアノ協奏曲第2番」、第2部がマーラーの「交響曲第1番」。
僕は、クラシックはワインと一緒で、好きだけれどまったく知識はなく、ただ単純に楽しむだけで、まったく批評はできない。そもそも、かの有名な「結婚行進曲」が「組曲 夏の夜の夢」の一部であったことすら、今回初めて知ったくらい。この日の演奏は、実はスローな曲調の時には寝てしまいそうになったこともあったけれど、いずれもラストが豪快でカタルシスが味わえるもので楽しかった。
こんな演奏が、23日にぶらっとネットで予約して、何の苦労もなく最前列の席を28ポンドで確保できて聞けてしまうのだから、ロンドンはとてつもなく恵まれている。というか、なぜ日本ではこれくらい気軽に演奏を楽しめるような環境ができないのか、考えさせられてしまう。先日のJISSから来られた人の話でも、日本の芸術家や演奏家の卵達は、芸大や音大を出ても就職先が見つからないので、海外に行って活路を見出さざるを得ない、それで日本人の芸術家が海外で活躍するケースが、アマチュアスポーツと比べてとても多いのだという話を聞いたばかり。日本の各地には立派なコンサートホールも数多くあるけれど、地方自治体の資金難で運営に困っているところばかりだというのに、どうしたものなのか。今超高齢化が進行中で、成熟社会に向かってまっしぐらの日本にとって、非常に大きな課題だと思った。
2009年4月19日日曜日
JET Walk in Guildford
4月19日(日)は、JETAAロンドン支部有志によって月例で実施されている、「JET Walk」に久々に参加してきた。今回のコースは、Surrey地方のGomshallからGuildfordまでの9.2マイル(約14kmちょっと)。
午前9時10分にVictoria駅待ち合わせということで、ちょっと早いかなと思いながら8時55分頃に駅に着いたけれど、案の定、誰も来ていない。でも、すぐに環境省からチャタム・ハウスに研究派遣中の先輩、鷺坂さん到着。2人で待っているうちに、顔なじみのPeterやClair、小松さんなどが、9時10分を過ぎたあたりから、ようやくぼちぼち集まりだした。これに幹事のCathyと今回初めてお会いするNickとKathyが加わり、総勢8人で9時34分発の電車に乗り込む。途中Redhillで乗り換えて、10時18分発の電車でGomshallへ。11時前にGomshall駅からWalkingがスタートした。
この日はイギリスには珍しくとても良い天気で、歩いているうちにちょっと暑くなってきてジャンパーを脱いだくらい。女性陣などは半袖で歩いていた。それではさすがにちょっと寒いのではないかと思ったんだけれど。雨が降るとぬかるみで歩きにくくなるハイキングコースも、天気が良いと歩きやすくて快適。みんなと楽しくおしゃべりしているうちに、順調に行程が進み、午後12時20分頃には、昼食休憩の地点、「Villagers」パブに到着。僕の昼食はビーフカレー。案外おいしかった。

午後1時20分頃ハイキングを再開した後も、天気がずっと良くて快調。後半の道は、主として川沿いのコースで、景色がとても美しく、歩いていて実に気持ちよかった。

午後3時半頃には、もう目的地のGuildford駅近くに到着し、電車の時間の待ち合わせのため、「White House」というパブで休憩。ビールで軽くのどを潤し、気持ちよくWalkingを終了。
午後4時6分発の電車に乗って、ロンドンWaterloo駅に戻った。
今回は、歩いた距離はそこそこあったと思うのだけど、道が平坦だったのと、天気が良かったのとで、あまり疲れを感じないですんだ。参加して大正解。
午前9時10分にVictoria駅待ち合わせということで、ちょっと早いかなと思いながら8時55分頃に駅に着いたけれど、案の定、誰も来ていない。でも、すぐに環境省からチャタム・ハウスに研究派遣中の先輩、鷺坂さん到着。2人で待っているうちに、顔なじみのPeterやClair、小松さんなどが、9時10分を過ぎたあたりから、ようやくぼちぼち集まりだした。これに幹事のCathyと今回初めてお会いするNickとKathyが加わり、総勢8人で9時34分発の電車に乗り込む。途中Redhillで乗り換えて、10時18分発の電車でGomshallへ。11時前にGomshall駅からWalkingがスタートした。
この日はイギリスには珍しくとても良い天気で、歩いているうちにちょっと暑くなってきてジャンパーを脱いだくらい。女性陣などは半袖で歩いていた。それではさすがにちょっと寒いのではないかと思ったんだけれど。雨が降るとぬかるみで歩きにくくなるハイキングコースも、天気が良いと歩きやすくて快適。みんなと楽しくおしゃべりしているうちに、順調に行程が進み、午後12時20分頃には、昼食休憩の地点、「Villagers」パブに到着。僕の昼食はビーフカレー。案外おいしかった。
午後1時20分頃ハイキングを再開した後も、天気がずっと良くて快調。後半の道は、主として川沿いのコースで、景色がとても美しく、歩いていて実に気持ちよかった。
午後3時半頃には、もう目的地のGuildford駅近くに到着し、電車の時間の待ち合わせのため、「White House」というパブで休憩。ビールで軽くのどを潤し、気持ちよくWalkingを終了。
午後4時6分発の電車に乗って、ロンドンWaterloo駅に戻った。
今回は、歩いた距離はそこそこあったと思うのだけど、道が平坦だったのと、天気が良かったのとで、あまり疲れを感じないですんだ。参加して大正解。
2009年4月13日月曜日
3月20日以後のこと
ブログを見ると、3月19日の記述で切れている。
というのも、3月21日(土)に引っ越しをし、その片付けも完全にはすまないうちに、3月26日(木)から4月4日(土)まで家族がロンドンに来ていたこと、しかも、せっかく来たというのに、息子が到着翌日の27日から30日まで38度を超える熱を出し、それを追いかけるように、娘までも29日から2日までずっと発熱して大わらわだったため。
ということで、家族が日本に戻った後は、ちょっと気が抜けた状態で、あまりパソコンに向かう気力もなかった。
でも、今日でイースター休暇も終わり、明日から平常ペースでの仕事もスタートすることでもあることだし、その間のことも、思い出しながら一応書いておこう。
3月21日(土)はフラットの引っ越し。午前中荷物をまとめて、午後2時にMixBで見つけたお手伝いの人に来てもらい、2時間弱で引っ越し終了。移動距離が短かったこともあって、結構早く終わった。お手伝いのフィーは40ポンド。翌22日(日)は、もちろん荷ほどきと部屋の片付け。26日に家族が到着するので、それなりに気合いを入れて片付けた。
24日(火)は、午前10時に松山大学経済学部の宍戸邦彦教授が来訪。経済統計データが政策にどのように活用されているかについて、国・自治体双方の観点から調査されているとか。僕との挨拶の後、キルヒナー主任調査員から、英国の自治体事情についてレク。
仕事終了後の午後6時過ぎからPS Englishの英会話レッスンの最終回。1回1時間半ずつ、結局全部で40回受講した。結構がんばったとは思うけれど、進歩は微々たるもの。でも、先生には非常に恵まれたと思う。Mathew先生、ありがとうございました。
25日(水)は、大使館で松竹歌舞伎「十二夜」のレセプションパーティ。歌舞伎自体はBarbican Centreで公演中。蜷川幸雄演出、尾上菊五郎主演で、シェークスピア劇を歌舞伎に翻案したものを日本で公演していたものが、今回シェークスピアの本場、イギリスで上演されることとなったもの。尾上菊五郎一座は、とてもアットホームな雰囲気で、とても楽しかった。僕は結局歌舞伎は見られなかったけれど、かなり好評だった模様。
レセプションでは、松竹の大谷信義会長のほか、ナベプロの渡邊美佐社長、その娘で尾上菊之助の所属するアプティバという芸能事務所を経営している渡邊万由美社長、時事通信社文化部の中村記者、LSEの堀田綾子歴史学博士などともお話した。
26日(木)は、家族来英。午後から有給休暇を取ってヒースロー空港に迎えに行った。このときには、子供達も時差ぼけも感じさせずとても元気で、初めてのイギリスに興味津々といった様子でとてもはしゃいでおり、良い感じだったのだけれど…。
27日(金)から4月4日(土)までは、もうぐちゃぐちゃであまりよく覚えていない。とりあえず、今回の家族の来英目的の大きな柱だった、学校見学は一通りこなした。僕も仕事の合間に半日休暇や時間休暇を小刻みに取って付き合ったけれど、子供達の病気で本当に大変だった。もちろん、僕の仕事中も、家で子供の看病をしていなければならなかった妻は、もっと大変だった。よく妻が発熱しなかったものだ。もしそんなことになっていたら、完全に途方に暮れるしかなかったところ。そうそう、30日(月)午後2時半には、大使館からこの3月で退任される岡本一等書記官と、後任の松永一等書記官が挨拶のため来所。文部科学省からの派遣ポストだけれど、JETつながりでうちの事務所とは関係が深い。
4月6日(月)は、まず朝のミーティングで、広島市から派遣され、先週末に到着した宮本所長補佐の挨拶。ビザの発行が遅れてひやひやさせられたけれど、結局1日遅れただけで無事到着。年度末に5人抜けた穴が、ようやく1人埋まった。
午前11時には、日弁連環境委員会からの視察ということで、札幌で活動中の菅澤紀生弁護士が来所。所長室でしばらく話した後、キルヒナーさんから英国自治体の環境政策をレクチャー。
そしてその日の午後から7日(火)にかけては、The National Association of Local Councils (NALC) の Larger Local Councils Committee Meeting にオブザーバーとして参加するため、キルヒナー主任調査員と一緒に、Devon県のBarnstapleに出張。午後2時10分前くらいにPaddington駅に着き、9番ホームから午後2時6分発の電車に乗ったのだが、出発時刻になっても出発しない。そして、あろうことか「この電車は壊れましたので、代わりに3番ホームの電車にお乗りください」とのアナウンスが。あわてて電車を移ったけれど、座席が結構混乱していて、出発が大幅に遅れた。結局20分以上遅れて出発。しかも電車はその後も、途中の駅で停止しまくり、アナウンスの「apology」を何回聞いたことか。で、結局Exeterでの乗り換えは間に合わず、1時間あとの電車に乗ることに。ただ、Exeter駅では、やはりNALCの会議に出席する予定のシェフィールドから来た人やバーミンガムから来た人などとも会うことができ(みんな電車が遅れたそうな)、それなりに楽しかった。
Barnstaple到着後は、タクシーでホテルに行ってチェックインし、すぐにディナー会場の「Old Custom House」へ。田舎離れしたとてもおいしいフレンチで、結構驚いた。NALCのメンバーともすっかり打ち解けて話すことができたが、さすがに2次会にまで付き合う根性はなかった。
7日は、午前中はStudy Tourで、公衆墓地と市民菜園の見学。この2つの管理が、小規模自治体 Parish の仕事の大きなウェイトを占めているそうで、見学中も、他の parish のメンバーから、いろいろ質問が飛んでいた。
午前10時50分には、会議の会場である「Guildhall」に到着し、まずはBarnstapleの上級職員Anne Jenkinsさんからのプレゼン。テーマは「Motivation と Training」で、就任後、いかにやる気のなかった部下にやる気を出させ、能力を高めたかという話。
続いて午前11時半からは、本題の会議。途中、昼食を挟んで午後2時過ぎまでの会議だったが、非常に効率的で中身のある会議で感心した。会議運営の模範と言っていい。内容もなかなかおもしろかったが、運営そのものも勉強になった。
8日(水)は、前日に山口新次長が無事ロンドンに到着したとのことで、朝のミーティングでご挨拶。挨拶の英文もしっかりと用意してきており、きっちりした感じの人。
9日(木)は、午前11時に地方自治体系のシンクタンク「Local Government Information Unit」のDan Garfield氏(Public Affairs Manager)とJanathan Carr-West氏(Head of Centre for Local Democracy)が来訪。昨年11月にダービシャーで行った日英セミナーの講師に、Chief Executive の Andy Sawford氏をお招きしたご縁もあり、今後の連携をどのように図っていくことができるかについて打ち合わせ。いろいろおもしろそうなことはできそうだけれど、あと問題はお金。「交渉次第」ということで、具体的な金額の提示はなかったけれど、相手は民間シンクタンクなので、それがちょっと気になるところ。
10日の Good Friday 以後、イースター休暇中は、あまり天気も良くなかったので、もっぱら自宅で取りだめたビデオを見たり、読書をしたりして過ごした。でも、さすがにこもってばかりもどうかと思い、13日(月)の午後は、天気も良くなったので、散歩も兼ねて、Regent Park、Paddington、Notting Hill Gate に学校を見に行ってきた。それにしても、こちらの私立学校は、ほんとフラットと見分けのつかないようなものが多い。日本とはだいぶ感覚が違う。
というのも、3月21日(土)に引っ越しをし、その片付けも完全にはすまないうちに、3月26日(木)から4月4日(土)まで家族がロンドンに来ていたこと、しかも、せっかく来たというのに、息子が到着翌日の27日から30日まで38度を超える熱を出し、それを追いかけるように、娘までも29日から2日までずっと発熱して大わらわだったため。
ということで、家族が日本に戻った後は、ちょっと気が抜けた状態で、あまりパソコンに向かう気力もなかった。
でも、今日でイースター休暇も終わり、明日から平常ペースでの仕事もスタートすることでもあることだし、その間のことも、思い出しながら一応書いておこう。
3月21日(土)はフラットの引っ越し。午前中荷物をまとめて、午後2時にMixBで見つけたお手伝いの人に来てもらい、2時間弱で引っ越し終了。移動距離が短かったこともあって、結構早く終わった。お手伝いのフィーは40ポンド。翌22日(日)は、もちろん荷ほどきと部屋の片付け。26日に家族が到着するので、それなりに気合いを入れて片付けた。
24日(火)は、午前10時に松山大学経済学部の宍戸邦彦教授が来訪。経済統計データが政策にどのように活用されているかについて、国・自治体双方の観点から調査されているとか。僕との挨拶の後、キルヒナー主任調査員から、英国の自治体事情についてレク。
仕事終了後の午後6時過ぎからPS Englishの英会話レッスンの最終回。1回1時間半ずつ、結局全部で40回受講した。結構がんばったとは思うけれど、進歩は微々たるもの。でも、先生には非常に恵まれたと思う。Mathew先生、ありがとうございました。
25日(水)は、大使館で松竹歌舞伎「十二夜」のレセプションパーティ。歌舞伎自体はBarbican Centreで公演中。蜷川幸雄演出、尾上菊五郎主演で、シェークスピア劇を歌舞伎に翻案したものを日本で公演していたものが、今回シェークスピアの本場、イギリスで上演されることとなったもの。尾上菊五郎一座は、とてもアットホームな雰囲気で、とても楽しかった。僕は結局歌舞伎は見られなかったけれど、かなり好評だった模様。
レセプションでは、松竹の大谷信義会長のほか、ナベプロの渡邊美佐社長、その娘で尾上菊之助の所属するアプティバという芸能事務所を経営している渡邊万由美社長、時事通信社文化部の中村記者、LSEの堀田綾子歴史学博士などともお話した。
26日(木)は、家族来英。午後から有給休暇を取ってヒースロー空港に迎えに行った。このときには、子供達も時差ぼけも感じさせずとても元気で、初めてのイギリスに興味津々といった様子でとてもはしゃいでおり、良い感じだったのだけれど…。
27日(金)から4月4日(土)までは、もうぐちゃぐちゃであまりよく覚えていない。とりあえず、今回の家族の来英目的の大きな柱だった、学校見学は一通りこなした。僕も仕事の合間に半日休暇や時間休暇を小刻みに取って付き合ったけれど、子供達の病気で本当に大変だった。もちろん、僕の仕事中も、家で子供の看病をしていなければならなかった妻は、もっと大変だった。よく妻が発熱しなかったものだ。もしそんなことになっていたら、完全に途方に暮れるしかなかったところ。そうそう、30日(月)午後2時半には、大使館からこの3月で退任される岡本一等書記官と、後任の松永一等書記官が挨拶のため来所。文部科学省からの派遣ポストだけれど、JETつながりでうちの事務所とは関係が深い。
4月6日(月)は、まず朝のミーティングで、広島市から派遣され、先週末に到着した宮本所長補佐の挨拶。ビザの発行が遅れてひやひやさせられたけれど、結局1日遅れただけで無事到着。年度末に5人抜けた穴が、ようやく1人埋まった。
午前11時には、日弁連環境委員会からの視察ということで、札幌で活動中の菅澤紀生弁護士が来所。所長室でしばらく話した後、キルヒナーさんから英国自治体の環境政策をレクチャー。
そしてその日の午後から7日(火)にかけては、The National Association of Local Councils (NALC) の Larger Local Councils Committee Meeting にオブザーバーとして参加するため、キルヒナー主任調査員と一緒に、Devon県のBarnstapleに出張。午後2時10分前くらいにPaddington駅に着き、9番ホームから午後2時6分発の電車に乗ったのだが、出発時刻になっても出発しない。そして、あろうことか「この電車は壊れましたので、代わりに3番ホームの電車にお乗りください」とのアナウンスが。あわてて電車を移ったけれど、座席が結構混乱していて、出発が大幅に遅れた。結局20分以上遅れて出発。しかも電車はその後も、途中の駅で停止しまくり、アナウンスの「apology」を何回聞いたことか。で、結局Exeterでの乗り換えは間に合わず、1時間あとの電車に乗ることに。ただ、Exeter駅では、やはりNALCの会議に出席する予定のシェフィールドから来た人やバーミンガムから来た人などとも会うことができ(みんな電車が遅れたそうな)、それなりに楽しかった。
Barnstaple到着後は、タクシーでホテルに行ってチェックインし、すぐにディナー会場の「Old Custom House」へ。田舎離れしたとてもおいしいフレンチで、結構驚いた。NALCのメンバーともすっかり打ち解けて話すことができたが、さすがに2次会にまで付き合う根性はなかった。
7日は、午前中はStudy Tourで、公衆墓地と市民菜園の見学。この2つの管理が、小規模自治体 Parish の仕事の大きなウェイトを占めているそうで、見学中も、他の parish のメンバーから、いろいろ質問が飛んでいた。
午前10時50分には、会議の会場である「Guildhall」に到着し、まずはBarnstapleの上級職員Anne Jenkinsさんからのプレゼン。テーマは「Motivation と Training」で、就任後、いかにやる気のなかった部下にやる気を出させ、能力を高めたかという話。
続いて午前11時半からは、本題の会議。途中、昼食を挟んで午後2時過ぎまでの会議だったが、非常に効率的で中身のある会議で感心した。会議運営の模範と言っていい。内容もなかなかおもしろかったが、運営そのものも勉強になった。
8日(水)は、前日に山口新次長が無事ロンドンに到着したとのことで、朝のミーティングでご挨拶。挨拶の英文もしっかりと用意してきており、きっちりした感じの人。
9日(木)は、午前11時に地方自治体系のシンクタンク「Local Government Information Unit」のDan Garfield氏(Public Affairs Manager)とJanathan Carr-West氏(Head of Centre for Local Democracy)が来訪。昨年11月にダービシャーで行った日英セミナーの講師に、Chief Executive の Andy Sawford氏をお招きしたご縁もあり、今後の連携をどのように図っていくことができるかについて打ち合わせ。いろいろおもしろそうなことはできそうだけれど、あと問題はお金。「交渉次第」ということで、具体的な金額の提示はなかったけれど、相手は民間シンクタンクなので、それがちょっと気になるところ。
10日の Good Friday 以後、イースター休暇中は、あまり天気も良くなかったので、もっぱら自宅で取りだめたビデオを見たり、読書をしたりして過ごした。でも、さすがにこもってばかりもどうかと思い、13日(月)の午後は、天気も良くなったので、散歩も兼ねて、Regent Park、Paddington、Notting Hill Gate に学校を見に行ってきた。それにしても、こちらの私立学校は、ほんとフラットと見分けのつかないようなものが多い。日本とはだいぶ感覚が違う。
2009年3月19日木曜日
George Johns教授ランチミーティング
19日(木)は、London School of Economics のジョージ・ジョーンズ教授とランチミーティング。先日LGAのカンファレンスで、環境省からチャタム・ハウスに来ている鷺坂審議官を教授にご紹介したところ、メールのやりとりが始まって、ランチ・ミーティングをすることになったとのことだったので、大使館の河合書記官ともどもお相伴にあずかることに。場所は、大使館に比較的近い「菊」というお店。日本人の経営する結構おいしい和食で、ランチは20ポンド前後で、クオリティからすると、ロンドン相場としてはそれほど高くない。ロンドンにも良い店があるものだ。
教授とは僕は2回目だったが、今回も実に気さくにいろいろなお話をさせていただいた。公選制市長とキャビネット方式の優劣、政府がユニタリーや市長公選制を進めたい裏の理由、地方税における企業課税のあり方、分権を行うと本当にサービスにばらつきが生じるのか、等々、実に興味深いお話が聞けて、あっというまに2時間が経ってしまった。
今後も、ぜひお付き合いを続けたい方。
教授とは僕は2回目だったが、今回も実に気さくにいろいろなお話をさせていただいた。公選制市長とキャビネット方式の優劣、政府がユニタリーや市長公選制を進めたい裏の理由、地方税における企業課税のあり方、分権を行うと本当にサービスにばらつきが生じるのか、等々、実に興味深いお話が聞けて、あっというまに2時間が経ってしまった。
今後も、ぜひお付き合いを続けたい方。
2009年3月16日月曜日
ベドフォード出張
16日(月)は、ユニタリー(日本の県に当たるカウンティと、市町村に当たるディストリクトの機能を併せ持った市)の調査をしている大使館の河合書記官が、この4月に二層制の市から一層制のユニタリーに移行するBedford CouncilのChief Exectiveのアポイントが取れたというので、当事務所からも僕とキルヒナー主任調査員とが同行。
ベドフォードはロンドンから近く、朝10時にセントパンクラス駅を出て、10時37分にはベドフォード駅に着いた。駅から市役所までは、歩いて15分程度。暖かい日で天気も良かったので、街の中心街を歩いて、町並みを見ながら市役所に赴いた。
事務総長のフィールド氏へのインタビューは、午前11時から1時間の予定だったが、話が弾んで12時半までお話を聞くことができた。氏は、元々民間の技術畑出身とのことだったが、ベドフォード市で39歳の時から11年間事務総長を務め、この3月でユニタリー昇格を花道に退任されるとのこと。これまでの経験談を、表話・裏話交えて、エネルギッシュに語ってくださった。とてもまだ引退するような状態ではないと思うのだが、これからはゴルフやガーデニングやアンティークの趣味の時間をたっぷり取り、自治体へのコンサルティングなどしながら過ごされるそうな。うらやましい話。
本題のユニタリー移行の話でも、ベドフォードの置かれた政治状況、カウンティとの対立、今後の住民サービス向上への見通しなど、熱く語っていただいた。ただ、ベドフォードについては全く問題ない、むしろよくなるであろうことはよくわかったが、ベドフォードのユニタリー化で残された中ベドフォードは今後どうなってしまうのだろう、というのが心配なところ。でもこれは、ベドフォードの事務総長の気にするところではないのだろう。むしろ国の政策の問題。
ベドフォードはロンドンから近く、朝10時にセントパンクラス駅を出て、10時37分にはベドフォード駅に着いた。駅から市役所までは、歩いて15分程度。暖かい日で天気も良かったので、街の中心街を歩いて、町並みを見ながら市役所に赴いた。
事務総長のフィールド氏へのインタビューは、午前11時から1時間の予定だったが、話が弾んで12時半までお話を聞くことができた。氏は、元々民間の技術畑出身とのことだったが、ベドフォード市で39歳の時から11年間事務総長を務め、この3月でユニタリー昇格を花道に退任されるとのこと。これまでの経験談を、表話・裏話交えて、エネルギッシュに語ってくださった。とてもまだ引退するような状態ではないと思うのだが、これからはゴルフやガーデニングやアンティークの趣味の時間をたっぷり取り、自治体へのコンサルティングなどしながら過ごされるそうな。うらやましい話。
本題のユニタリー移行の話でも、ベドフォードの置かれた政治状況、カウンティとの対立、今後の住民サービス向上への見通しなど、熱く語っていただいた。ただ、ベドフォードについては全く問題ない、むしろよくなるであろうことはよくわかったが、ベドフォードのユニタリー化で残された中ベドフォードは今後どうなってしまうのだろう、というのが心配なところ。でもこれは、ベドフォードの事務総長の気にするところではないのだろう。むしろ国の政策の問題。
2009年3月15日日曜日
JETAAUK 年次総会
3月14日(土)から15日(日)にかけて、マンチェスターで行われた、JETAA英国所属6チャプターによる年次総会(Anual General Meeting)に出席した。
14日(土)午前9時ユーストン駅発の電車に乗って、木村所長補佐、キース調査員とマンチェスターへ。この日は、ちょうどプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド対リバプール戦の日に当たっていたため、おそらくロンドンからもそれを見に行くであろう人々で電車は超満員。全席指定なので立っている人はいないが、3人ばらばらの座席。僕は車両も別。午前11時10分に駅についてタクシーに乗ろうとすると、ここも長蛇の列。まいった。ちなみに、宿泊ホテルも、定宿の中心街のものは、普段70ポンドの部屋が、この日だけはなんと150ポンド。さすがに泊まれないので、郊外の安いホテルを取った。しかし、マンチェスターは公共交通機関があまり発達しておらず、電車は本数が少なく、バスは遅いので、どうしてもホテルへの往復をタクシーに頼らざるを得ない。さらに、先にホテルでチェックインしようとしたら、アーリー・チェックインは、一人10ポンド余分にかかるという。ともあれ一部屋だけアーリー・チェックインをして、3人の荷物を置いた。ずいぶん割高な出張になってしまった。
会議は、市内中心部の「Don Giovannis」というレストランの一室で、午後1時から行われた。なんでも、JETAAノースイースト(マンチェスター)チャプターのジュービンのお父さんがここを経営しているとか。きちんとパワーポイントの用意もされているし、会議を行った一室はレストランの他の席とはきちんと離れていて話し合いを行うにも何の問題もなく、いい会場だった。
会議は、各支部からの活動報告、JLGCからのJETAA向け助成金の制度変更についての説明、JETAAの今後の課題についての話し合い、JLGCとJETAAとの協働のあり方についての話し合いと続き、非常に中身の濃いものだった。その日は予定時間通り5時頃に会議を終え、その後はパブでリラックスしながらの意見交換会。ただ、そちらの方もやはりプレミアリーグの影響で、結構な賑わいだった。
15日は、AGM2日目。朝は、ホテルをチェックアウトした後、やはりタクシーで昨日のレストランへ。9時から朝食を食べながらのミーティング、10時から会議という予定になっており、我々は9時ちょうどに会場に着いたのだが、また到着者はゼロ。さすがイギリスの会議。
でも、10時にはちゃんと全員集まり、きちんと会議は行われた。会議と行っても、この日の主要議事は、次のUK代表メンバーを決める選挙。このような場合、日本では、あらかじめ候補者が根回しで決まっていて、当日は全員による承認で決まってしまうことが多いが、そこは民主主義の伝統の長い国。メンバーは16人程度だったと思うが、ちゃんと立候補して、所信を述べさせ、投票して選ぶ。で選ばれなかった人も、拍手で勝者を称えてすんなり代表が決まる。非常に手続きが透明ですがすがしい。
議事進行が早く、当初の予定では12時まで確保されていたのが、結局11時にはすべての議事が終わってしまった。そこで、ちょどこの日がアイルランドの祝祭日「聖パトリック・デー」に当たっており、教会広場でイベントをやっているからとのアドバイスを受けて、みなでその見物に。この日アイルランドのカラー緑色が目立った広場は、人で賑わって楽しかった。その後、12時半から「太湖」という中華レストランでJLGC主催の昼食会。といっても、5.8ポンドでドリンク付きの食べ放題バイキング。ただ、料理が何十種類もあり、実に堪能できた。ロンドンでもこんな店があればいいのにとため息。
帰りは、電車が比較的空いていたので、一番早いやつの自由席に乗ってロンドンに戻った。
14日(土)午前9時ユーストン駅発の電車に乗って、木村所長補佐、キース調査員とマンチェスターへ。この日は、ちょうどプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド対リバプール戦の日に当たっていたため、おそらくロンドンからもそれを見に行くであろう人々で電車は超満員。全席指定なので立っている人はいないが、3人ばらばらの座席。僕は車両も別。午前11時10分に駅についてタクシーに乗ろうとすると、ここも長蛇の列。まいった。ちなみに、宿泊ホテルも、定宿の中心街のものは、普段70ポンドの部屋が、この日だけはなんと150ポンド。さすがに泊まれないので、郊外の安いホテルを取った。しかし、マンチェスターは公共交通機関があまり発達しておらず、電車は本数が少なく、バスは遅いので、どうしてもホテルへの往復をタクシーに頼らざるを得ない。さらに、先にホテルでチェックインしようとしたら、アーリー・チェックインは、一人10ポンド余分にかかるという。ともあれ一部屋だけアーリー・チェックインをして、3人の荷物を置いた。ずいぶん割高な出張になってしまった。
会議は、市内中心部の「Don Giovannis」というレストランの一室で、午後1時から行われた。なんでも、JETAAノースイースト(マンチェスター)チャプターのジュービンのお父さんがここを経営しているとか。きちんとパワーポイントの用意もされているし、会議を行った一室はレストランの他の席とはきちんと離れていて話し合いを行うにも何の問題もなく、いい会場だった。
会議は、各支部からの活動報告、JLGCからのJETAA向け助成金の制度変更についての説明、JETAAの今後の課題についての話し合い、JLGCとJETAAとの協働のあり方についての話し合いと続き、非常に中身の濃いものだった。その日は予定時間通り5時頃に会議を終え、その後はパブでリラックスしながらの意見交換会。ただ、そちらの方もやはりプレミアリーグの影響で、結構な賑わいだった。
15日は、AGM2日目。朝は、ホテルをチェックアウトした後、やはりタクシーで昨日のレストランへ。9時から朝食を食べながらのミーティング、10時から会議という予定になっており、我々は9時ちょうどに会場に着いたのだが、また到着者はゼロ。さすがイギリスの会議。
でも、10時にはちゃんと全員集まり、きちんと会議は行われた。会議と行っても、この日の主要議事は、次のUK代表メンバーを決める選挙。このような場合、日本では、あらかじめ候補者が根回しで決まっていて、当日は全員による承認で決まってしまうことが多いが、そこは民主主義の伝統の長い国。メンバーは16人程度だったと思うが、ちゃんと立候補して、所信を述べさせ、投票して選ぶ。で選ばれなかった人も、拍手で勝者を称えてすんなり代表が決まる。非常に手続きが透明ですがすがしい。
議事進行が早く、当初の予定では12時まで確保されていたのが、結局11時にはすべての議事が終わってしまった。そこで、ちょどこの日がアイルランドの祝祭日「聖パトリック・デー」に当たっており、教会広場でイベントをやっているからとのアドバイスを受けて、みなでその見物に。この日アイルランドのカラー緑色が目立った広場は、人で賑わって楽しかった。その後、12時半から「太湖」という中華レストランでJLGC主催の昼食会。といっても、5.8ポンドでドリンク付きの食べ放題バイキング。ただ、料理が何十種類もあり、実に堪能できた。ロンドンでもこんな店があればいいのにとため息。
帰りは、電車が比較的空いていたので、一番早いやつの自由席に乗ってロンドンに戻った。
2009年3月12日木曜日
広報連絡会議 at JSPS
12日(木)は、12時半から、JSPS(日本学術振興会)のロンドンオフィスで、定例の広報連絡会議。ロンドンにある、日本の広報を手がけている、大使館、政府関係機関や企業・団体の集まりで、おおむね2ヶ月に1度メンバー持ち回りで開催。今回がJSPSの順番だった。
それぞれのメンバーから、前回会議以後の活動報告や、今後の予定を順番に発表。結構活発に質問なども出て、いつも結構長くなる。今回も3時過ぎまでしっかりと意見交換。
お互いに今何を手がけているのかがよくわかり、今後の提携などにも結びつけることきっかけが数多く生まれる良い機会。他の場所でもよく顔を合わせるメンバーなので、すっかり友達になっている。
それぞれのメンバーから、前回会議以後の活動報告や、今後の予定を順番に発表。結構活発に質問なども出て、いつも結構長くなる。今回も3時過ぎまでしっかりと意見交換。
お互いに今何を手がけているのかがよくわかり、今後の提携などにも結びつけることきっかけが数多く生まれる良い機会。他の場所でもよく顔を合わせるメンバーなので、すっかり友達になっている。
2009年3月10日火曜日
姉妹都市会議
10日(火)は、午後2時から大使館で日英姉妹都市会議。英国の自治体で、日本と交流・提携関係にある自治体を一同に呼び集め、日英の自治体交流のあり方について意見交換をしていただこうというのが趣旨で、大使館と当事務所の共催事業。今回初の試み。
こういう会議を持てばおもしろいのではないか、というアイデアは、以前ゲーツヘッド市に行った折に、石川県小松市と姉妹都市関係にあるゲーツヘッド市側から出てきたもので、それはおもしろそうなので、そのうち是非やりましょうと口約束だけしてあった。
しかしながら、今年度は事業予算もないので、来年度の適当な機会にと考えていたところ、大使館から、昨年末に地域連携事業で適当な企画があれば、本省から予算が出ることになったという情報が入ったことで、この企画のアイデアを話したところ、あれよあれよという間に決まったもの。
正直、準備期間がやや短かったこともあって、どれだけ集まってくれるか多少心配な面もあったのだが、姉妹都市・提携都市含めて英国にある該当30自治体のうち13自治体(だったと思う)が集まってくれ、また、LGA(英国自治体協議会)のメンバーも参加していただいたし、日本側も、大使館、クレアロンドン事務所だけでなく、ジェトロ、国際交流基金、政府観光局、学術振興会、ジャパン・ソサイエティと幅広く集まってプレゼンをしていただき、非常に充実した会議となった。
会議では、それぞれの都市が交流を始めた経緯や活動状況などを一通り紹介してもらった後、ディスカッション。どこもやはりお金の悩みが大きいようで、チャリティの活用などがアイデアとして出ていた。また、参加していたバース市の女性議員の方から、姉妹都市提携をしている相手先からまったく音沙汰がないという本音の苦情も聞かれ、そういう実態があぶり出されて修復のきっかけを与えられる機会が得られたことも、逆に収穫。
なんとか今後にもつなげていきたい。
こういう会議を持てばおもしろいのではないか、というアイデアは、以前ゲーツヘッド市に行った折に、石川県小松市と姉妹都市関係にあるゲーツヘッド市側から出てきたもので、それはおもしろそうなので、そのうち是非やりましょうと口約束だけしてあった。
しかしながら、今年度は事業予算もないので、来年度の適当な機会にと考えていたところ、大使館から、昨年末に地域連携事業で適当な企画があれば、本省から予算が出ることになったという情報が入ったことで、この企画のアイデアを話したところ、あれよあれよという間に決まったもの。
正直、準備期間がやや短かったこともあって、どれだけ集まってくれるか多少心配な面もあったのだが、姉妹都市・提携都市含めて英国にある該当30自治体のうち13自治体(だったと思う)が集まってくれ、また、LGA(英国自治体協議会)のメンバーも参加していただいたし、日本側も、大使館、クレアロンドン事務所だけでなく、ジェトロ、国際交流基金、政府観光局、学術振興会、ジャパン・ソサイエティと幅広く集まってプレゼンをしていただき、非常に充実した会議となった。
会議では、それぞれの都市が交流を始めた経緯や活動状況などを一通り紹介してもらった後、ディスカッション。どこもやはりお金の悩みが大きいようで、チャリティの活用などがアイデアとして出ていた。また、参加していたバース市の女性議員の方から、姉妹都市提携をしている相手先からまったく音沙汰がないという本音の苦情も聞かれ、そういう実態があぶり出されて修復のきっかけを与えられる機会が得られたことも、逆に収穫。
なんとか今後にもつなげていきたい。
2009年3月9日月曜日
総務省情報システム管理室来所
9日(月)は、出張の後ということもあって、実に忙しかった。
午前9時40分からは、週初めの定例ミーティング。
午前10時に、総務省情報システム管理室長の岡本氏、補佐の松本氏、係長の藤井氏が来所。電子政府に関する調査のための訪欧ということで、英国では政府機関への訪問を予定されておられるそうだが、うちには、電子自治体についての状況調査のために来られたもの。キルヒナー主任調査員、スティーブンス調査員、川本所長補佐の方から、約2時間にわたって説明。英国の場合、一口に「電子自治体」と言っても、地方制度の仕組みや業務内容が日本とはかなり異なるため、英国の地方自治の仕組みあたりから説き起こさなければきちんとした説明にはならないため、どうしても説明にはある程度時間がかかる。かといって、本やホームページを見ればそれくらいのことは日本にいてもわかるだろうか、というと、実は単に英語が読める程度ではだめで、よほど深く英国のことをあらかじめ知らないと、そもそもどこを探せばいいのかさえわからないだろうというのが実際のところ。
なにしろ、こちらはコモン・ローの国で、必ずしもきちんとした法体系が整っていないし、情報公開は相当進んでいるけれど、新旧・玉石混淆なので、的確な情報を集めてまとめあげるには、相当の経験と努力が必要である。もちろん、このポストについてまだたった8ヶ月の僕には、とても「調査」そのものは無理で、そのために事務所として優秀なローカルスタッフを雇い、相応の処遇をして長期間雇用している。いざというときに一番頼りになるのはこういうスタッフで、日本の自治体から派遣されてきている所長補佐達も、得るところは非常に大きいと思う。でも、ローカルスタッフには、結構大雑把なところや、逆に日本のことを十分には理解していないことも多々あるので、結局のところそれを本当に日本の自治体に役立つ情報にまとめ上げるには、日本人スタッフとのコラボレーションがやはり重要。
ともあれ、電子自治体の調査に関しては、それなりにご満足いただいたご様子で、ほっとした。
午後は、たまっていた決済のほか、事務所開設20周年セミナーの打ち合わせ、スウェーデン情報でWebサイトにアップロードする予定のトピックのブラッシュアップ、4月からの来年度の新体制での調査担当の割り振りの打ち合わせ等々。
午前9時40分からは、週初めの定例ミーティング。
午前10時に、総務省情報システム管理室長の岡本氏、補佐の松本氏、係長の藤井氏が来所。電子政府に関する調査のための訪欧ということで、英国では政府機関への訪問を予定されておられるそうだが、うちには、電子自治体についての状況調査のために来られたもの。キルヒナー主任調査員、スティーブンス調査員、川本所長補佐の方から、約2時間にわたって説明。英国の場合、一口に「電子自治体」と言っても、地方制度の仕組みや業務内容が日本とはかなり異なるため、英国の地方自治の仕組みあたりから説き起こさなければきちんとした説明にはならないため、どうしても説明にはある程度時間がかかる。かといって、本やホームページを見ればそれくらいのことは日本にいてもわかるだろうか、というと、実は単に英語が読める程度ではだめで、よほど深く英国のことをあらかじめ知らないと、そもそもどこを探せばいいのかさえわからないだろうというのが実際のところ。
なにしろ、こちらはコモン・ローの国で、必ずしもきちんとした法体系が整っていないし、情報公開は相当進んでいるけれど、新旧・玉石混淆なので、的確な情報を集めてまとめあげるには、相当の経験と努力が必要である。もちろん、このポストについてまだたった8ヶ月の僕には、とても「調査」そのものは無理で、そのために事務所として優秀なローカルスタッフを雇い、相応の処遇をして長期間雇用している。いざというときに一番頼りになるのはこういうスタッフで、日本の自治体から派遣されてきている所長補佐達も、得るところは非常に大きいと思う。でも、ローカルスタッフには、結構大雑把なところや、逆に日本のことを十分には理解していないことも多々あるので、結局のところそれを本当に日本の自治体に役立つ情報にまとめ上げるには、日本人スタッフとのコラボレーションがやはり重要。
ともあれ、電子自治体の調査に関しては、それなりにご満足いただいたご様子で、ほっとした。
午後は、たまっていた決済のほか、事務所開設20周年セミナーの打ち合わせ、スウェーデン情報でWebサイトにアップロードする予定のトピックのブラッシュアップ、4月からの来年度の新体制での調査担当の割り振りの打ち合わせ等々。
2009年3月8日日曜日
3月2日~8日
また元に戻って、先週一週間分のまとめ書き。
3月3日(火)は、盛りだくさんな一日だった。
午前10時に、大使館の河合書記官が来訪。10日(火)に大使館での開催を予定している、日英姉妹都市会議の打ち合わせ。ロンドン事務所のローカルスタッフも交えての会議だったので、基本的に英語での会議。でも効率的に進めることができ、会議の具体的イメージが固まった。
11時には、オフィス設計の金安氏来訪先日、時事通信のセミナーで同じテーブルに着いたご縁。今年、ロンドン事務所が事務所の契約更改の年に当たっているので、何かお手伝いできることはありませんかという、営業のお話。
午後12時半からは、商工会議所主催のパーマストン会というセミナー。Canon Streetにある「London Capital Club」で、一橋大学大学院教授の佐山展生氏が「M&A 最新事情と企業価値向上」という演題で講演。佐山氏は、「教授」とは言っても元は三井住友銀行出身で現在もM&A関係のアセットマネジメント会社を経営するバリバリの金融マン。実は僕は、以前地共連資金運用部長時代に、佐山氏の講演を聴いたことがあった。そのときも話の内容が具体的でおもしろかったという記憶があったが、この日の講演も実におもしろかった。聴衆のほとんどは、日本の大手企業のロンドン支社長クラスなので、メインは「企業価値とは何か」「どうやって企業価値を高めるべきか」「買収に値する良い企業はどうやって見分けるのか」といった。もろ経営の話。今の仕事に直接役立つものではないかもしれないが、経済の現場で起きている話というのは、世の中を知る上でとても重要。
4日(水)は、事務所の松野下所長補佐、キルヒナー主任調査員と一緒に、Local Government Association(LGA)の本部にお伺いして、ランチミーティング。ミーティングの主なテーマは、クレアロンドン事務所の20周年記念セミナー開催に際して、LGAにも一肌脱いでもらえないかというお願い。具体的には、セミナー会場としてLGA本部の大会議室をお借りできないか、ということと、LGA幹部をゲストスピーカーでお招きできないか、というのがメイン。
12時5分前にLGAに着くと、玄関ホールに、すでに懇意のSusan Handleyが迎えに来てくれ、会議室に案内してくれた。そこで国際部長のIan Hughes氏とJames Beadle氏が来て、合計6人で、SusanがM&Sで買って来たというお寿司を食べながらミーティング。イギリスのスーパーで売っているお寿司は、正直ちょっとリスキーすぎる感じがして食べたことがなかったが、マークス・アンド・スペンサーのお寿司は、意外にもなかなかいけた。
ミーティングの方も、単に20周年の話だけでなく、今後のロンドン事務所とLGAとの提携のあり方全般から、来春のLGA総会でロンドン事務所が出すブースのアイデア、ロンドン事務所の英国向け機関誌「Myliad Leaves」とLGA国際部の機関誌とのタイアップのアイデアなど具体的な話まで、実に幅広い意見交換ができてありがたかった。
実は、LGAは、今事務総長が会長とうまくいかずに事実上罷免されたりして結構ごたごたして、会員(英国の自治体)の脱会なども噂される大変な状況なのだが、現場にはどうやら関係ないようで、ほぼ2時間近くにわたって、実に和気藹々と楽しく話し合いができた。
同じ日の午後4時には、アバディーン大学の Peter Smart 先生が事務所に来訪。先生とは、まだ僕が着任する前に行われたアバディーンセミナー以来の、うちの事務所とのお付き合い。先生は大変日本通で、現在は関西学院大学と提携して先日も来日されたばかりの上、今年の11月頃には、また来日する予定がおありだとか。昨年11月には、うちの事務所主催のJapan Study Tour にもご参加くださっており、実に良い関係にある。行革全般が研究対象で、なかでも専門がHuman Resourcesということなので、ほんと大事にしたい先生。
事務所で1時間ほど意見交換した後、風間次長、アバディーンセミナーの担当だった静岡県から派遣の竹田所長補佐と4人で会食。会食の時には、仕事の話にとどまらず、日英文化、スコットランドの特色から、政治の話題、プールの話、その他もろもろ、大量におもしろいお話をうかがうことができた。それにしても、竹田さんは、質問がうまく、おもしろい話を引き出す技に長けていると感心。
5日(木)から6日(金)にかけて、今年の秋開催予定のフィンランド領オーランド島でのセミナーの打ち合わせのため、松野下所長補佐、キース調査員と3人で出張。5日はストックホルムに前泊し、6日早朝にオーランドに行き、ミーティングの後、ストックホルム経由で一気にロンドンに帰国という強行軍。ロンドンとの時差が、スウェーデンが1時間、フィンランドが2時間あり、移動距離もそこそこあるので、思ったより結構ハードで、ロンドンに戻ったときにはさすがに疲れた。
オーランドでは、これまでセミナーのオーランド側カウンターパートとして中心となって働いてくれていたオーランド島平和研究所のペトラさんが、旅先での急病のため帰国できなくなり、ミーティングに参加できなくなったという連絡が直前に入ってちょっと不安だったが、代わりに、平和研究所の客員教授でDirectorのSia Splliopoulou Akermark(スプリオプーロウ・アケルマルク)さんがお相手してくれ、全く問題なし。アケルマルクさんは、ギリシア人とスウェーデン人とのハーフで、元々スウェーデンで勉強した後オーランドに渡ってきた方とのことだが、実に精力的で聡明な女性。もちろん英語もぺらぺら。
飛行機(実に久々に乗ったプロペラ機で、小型機とは言えなんと座席が自由席。でも国際便)のオーランド到着が11時だったので、まず会場候補地である施設を見せてもらった後、近所のレストランで、ランチを取りながらミーティング。施設は今年4月にオープン予定というできたてのほやほやの立派な施設で、実にきれいで充実しており文句なし。ホールでのレセプションももちろんできるが、近所にホテルやレストランもあって、全く不自由ない。ちなみにフィンランド領なので、通貨はユーロというのも便利。
オーランドは、北国でありながら、結構日照時間が長く、それがグラファイト(って言っていたと思う)に反射した光が印象的で、また島なので当然水が多くて景色が美しいことなどもあって、芸術家を魅了させる要素が数多くあることから、スウェーデンやフィンランド本国から、結構な数の芸術家達が移り住んできているらしい。そのためか、島は実にきれいで品が良く、離島のハンディキャップを感じさせられるところはまったくなかった。実にうらやましい話。ともあれ、そういうことで、セミナーを開いてもお客様のおもてなしに不自由することは、まったくなさそう。むしろ、ゲストは後でかなりうらやましがられることになるかもしれない。
ランチには、オーランド議会の与党(と言っていたと思う)の有力者の一人のバーバラさんもご一緒していただいたが、どうやら彼女が島内関係方面へのつなぎ役となっていただけるご様子。ペトラさん、アケルマルクさんとも、全く抜け目がない。バーバラさんの英語も全く問題なく(というか、少なくとも僕なんかよりはるかにうまい)、フィンランドに来てミーティングをすることによる不自由さは、何一つ感じなかった。
ランチ後、平和研究所の会議室に場所を移してミーティングの続き。終了したのが3時頃。実は、我々のミーティングの後、今度はロシアからの訪問客とのミーティングもあったようで、平和研究所大忙し。しかもインターナショナルで、本当にすごい。
うちの事務所の3人は、ミーティング後、飛行機の時間まで若干余裕があったので、島を軽く回り、美術館を見て時間を過ごした。3月とはいえ、まだ雪もかなり残っていて寒かったが、町並みは美しく、夏に来たら本当にきれいだろうなと思った。セミナーの本番が今から楽しみ。
7日(土)は、再来週の引っ越しに向けて、荷物の整理に着手。あとは、日曜日ともども、のんびり。
3月3日(火)は、盛りだくさんな一日だった。
午前10時に、大使館の河合書記官が来訪。10日(火)に大使館での開催を予定している、日英姉妹都市会議の打ち合わせ。ロンドン事務所のローカルスタッフも交えての会議だったので、基本的に英語での会議。でも効率的に進めることができ、会議の具体的イメージが固まった。
11時には、オフィス設計の金安氏来訪先日、時事通信のセミナーで同じテーブルに着いたご縁。今年、ロンドン事務所が事務所の契約更改の年に当たっているので、何かお手伝いできることはありませんかという、営業のお話。
午後12時半からは、商工会議所主催のパーマストン会というセミナー。Canon Streetにある「London Capital Club」で、一橋大学大学院教授の佐山展生氏が「M&A 最新事情と企業価値向上」という演題で講演。佐山氏は、「教授」とは言っても元は三井住友銀行出身で現在もM&A関係のアセットマネジメント会社を経営するバリバリの金融マン。実は僕は、以前地共連資金運用部長時代に、佐山氏の講演を聴いたことがあった。そのときも話の内容が具体的でおもしろかったという記憶があったが、この日の講演も実におもしろかった。聴衆のほとんどは、日本の大手企業のロンドン支社長クラスなので、メインは「企業価値とは何か」「どうやって企業価値を高めるべきか」「買収に値する良い企業はどうやって見分けるのか」といった。もろ経営の話。今の仕事に直接役立つものではないかもしれないが、経済の現場で起きている話というのは、世の中を知る上でとても重要。
4日(水)は、事務所の松野下所長補佐、キルヒナー主任調査員と一緒に、Local Government Association(LGA)の本部にお伺いして、ランチミーティング。ミーティングの主なテーマは、クレアロンドン事務所の20周年記念セミナー開催に際して、LGAにも一肌脱いでもらえないかというお願い。具体的には、セミナー会場としてLGA本部の大会議室をお借りできないか、ということと、LGA幹部をゲストスピーカーでお招きできないか、というのがメイン。
12時5分前にLGAに着くと、玄関ホールに、すでに懇意のSusan Handleyが迎えに来てくれ、会議室に案内してくれた。そこで国際部長のIan Hughes氏とJames Beadle氏が来て、合計6人で、SusanがM&Sで買って来たというお寿司を食べながらミーティング。イギリスのスーパーで売っているお寿司は、正直ちょっとリスキーすぎる感じがして食べたことがなかったが、マークス・アンド・スペンサーのお寿司は、意外にもなかなかいけた。
ミーティングの方も、単に20周年の話だけでなく、今後のロンドン事務所とLGAとの提携のあり方全般から、来春のLGA総会でロンドン事務所が出すブースのアイデア、ロンドン事務所の英国向け機関誌「Myliad Leaves」とLGA国際部の機関誌とのタイアップのアイデアなど具体的な話まで、実に幅広い意見交換ができてありがたかった。
実は、LGAは、今事務総長が会長とうまくいかずに事実上罷免されたりして結構ごたごたして、会員(英国の自治体)の脱会なども噂される大変な状況なのだが、現場にはどうやら関係ないようで、ほぼ2時間近くにわたって、実に和気藹々と楽しく話し合いができた。
同じ日の午後4時には、アバディーン大学の Peter Smart 先生が事務所に来訪。先生とは、まだ僕が着任する前に行われたアバディーンセミナー以来の、うちの事務所とのお付き合い。先生は大変日本通で、現在は関西学院大学と提携して先日も来日されたばかりの上、今年の11月頃には、また来日する予定がおありだとか。昨年11月には、うちの事務所主催のJapan Study Tour にもご参加くださっており、実に良い関係にある。行革全般が研究対象で、なかでも専門がHuman Resourcesということなので、ほんと大事にしたい先生。
事務所で1時間ほど意見交換した後、風間次長、アバディーンセミナーの担当だった静岡県から派遣の竹田所長補佐と4人で会食。会食の時には、仕事の話にとどまらず、日英文化、スコットランドの特色から、政治の話題、プールの話、その他もろもろ、大量におもしろいお話をうかがうことができた。それにしても、竹田さんは、質問がうまく、おもしろい話を引き出す技に長けていると感心。
5日(木)から6日(金)にかけて、今年の秋開催予定のフィンランド領オーランド島でのセミナーの打ち合わせのため、松野下所長補佐、キース調査員と3人で出張。5日はストックホルムに前泊し、6日早朝にオーランドに行き、ミーティングの後、ストックホルム経由で一気にロンドンに帰国という強行軍。ロンドンとの時差が、スウェーデンが1時間、フィンランドが2時間あり、移動距離もそこそこあるので、思ったより結構ハードで、ロンドンに戻ったときにはさすがに疲れた。
オーランドでは、これまでセミナーのオーランド側カウンターパートとして中心となって働いてくれていたオーランド島平和研究所のペトラさんが、旅先での急病のため帰国できなくなり、ミーティングに参加できなくなったという連絡が直前に入ってちょっと不安だったが、代わりに、平和研究所の客員教授でDirectorのSia Splliopoulou Akermark(スプリオプーロウ・アケルマルク)さんがお相手してくれ、全く問題なし。アケルマルクさんは、ギリシア人とスウェーデン人とのハーフで、元々スウェーデンで勉強した後オーランドに渡ってきた方とのことだが、実に精力的で聡明な女性。もちろん英語もぺらぺら。
飛行機(実に久々に乗ったプロペラ機で、小型機とは言えなんと座席が自由席。でも国際便)のオーランド到着が11時だったので、まず会場候補地である施設を見せてもらった後、近所のレストランで、ランチを取りながらミーティング。施設は今年4月にオープン予定というできたてのほやほやの立派な施設で、実にきれいで充実しており文句なし。ホールでのレセプションももちろんできるが、近所にホテルやレストランもあって、全く不自由ない。ちなみにフィンランド領なので、通貨はユーロというのも便利。
オーランドは、北国でありながら、結構日照時間が長く、それがグラファイト(って言っていたと思う)に反射した光が印象的で、また島なので当然水が多くて景色が美しいことなどもあって、芸術家を魅了させる要素が数多くあることから、スウェーデンやフィンランド本国から、結構な数の芸術家達が移り住んできているらしい。そのためか、島は実にきれいで品が良く、離島のハンディキャップを感じさせられるところはまったくなかった。実にうらやましい話。ともあれ、そういうことで、セミナーを開いてもお客様のおもてなしに不自由することは、まったくなさそう。むしろ、ゲストは後でかなりうらやましがられることになるかもしれない。
ランチには、オーランド議会の与党(と言っていたと思う)の有力者の一人のバーバラさんもご一緒していただいたが、どうやら彼女が島内関係方面へのつなぎ役となっていただけるご様子。ペトラさん、アケルマルクさんとも、全く抜け目がない。バーバラさんの英語も全く問題なく(というか、少なくとも僕なんかよりはるかにうまい)、フィンランドに来てミーティングをすることによる不自由さは、何一つ感じなかった。
ランチ後、平和研究所の会議室に場所を移してミーティングの続き。終了したのが3時頃。実は、我々のミーティングの後、今度はロシアからの訪問客とのミーティングもあったようで、平和研究所大忙し。しかもインターナショナルで、本当にすごい。
うちの事務所の3人は、ミーティング後、飛行機の時間まで若干余裕があったので、島を軽く回り、美術館を見て時間を過ごした。3月とはいえ、まだ雪もかなり残っていて寒かったが、町並みは美しく、夏に来たら本当にきれいだろうなと思った。セミナーの本番が今から楽しみ。
7日(土)は、再来週の引っ越しに向けて、荷物の整理に着手。あとは、日曜日ともども、のんびり。
2009年2月28日土曜日
ストックホルム・ミュンヘン出張
2月24日(火)から27日(金)まで、自治体調査のためストックホルムとミュンヘンに出張。ストックホルムでは、主として桑原所長補佐が研究テーマとしている自治体の効率性を上げるための工夫についての実態調査のため、SARA(Swedish Association of Local Authorities and Regions)並びにストックホルム近郊のSOLNA市、Tyreso市を訪問し、ミュンヘンでは、主として竹田所長補佐が研究テーマとしているシティ・ブランディングの調査のため、ミュンヘン市役所を訪問した。
24日は、朝7時15分ヒースロー発の飛行機に乗るため、朝4時40分にタクシーに乗った。ちなみに、頼んだタクシーは1台で、一緒に行ったメンバーを拾いながら最後にうちに来てくれたため、最初に乗った人は午前4時ピックアップ。僕自身は、午前4時に目覚ましをかけたのだけど、寝過ごしたらまずいと緊張して、夜中に2回も目を覚ましてしまい、実質的に眠ったのが3時間足らず。結構ハードなスタートだった。ともあれ、がんばった甲斐あって午前5時過ぎには空港に着き、余裕を持ってチェックインできた。
飛行機も特に遅れることなく飛び、現地時間で午前11時にはストックホルム空港に到着。電車は高いのでタクシーでホテルに行き、荷物を預けた後、市内を見ながら歩いてSARAへ。覚悟していたけれど、気温は摂氏2度で、道にはまだたっぷりと雪が残っていた。
途中で昼食も取ったので、SARAに着いたのが午後1時30分頃。ちょっと早すぎたので、喫茶店で時間をつぶし、2時15分にSARAにお邪魔。そこで通訳の中村さんと合流。2時半にこの日の説明役Christine Feukさんが迎えに来てくれ、ミーティング開始。彼女はLomma市からのSARAへの出向者で、FinanceとGovernanceの担当。この日のミーティングの目的は、スウェーデン一般の話と言うよりも、むしろLomma市自身の取り組みを聞くことだったけど、午後5時までの2時間半。たっぷりとお話を聞かせていただいた。クリスティンさんは、立ちっぱなしのプレゼンで、しかも通訳を介しながらのちょっと効率の悪いやりとりだったので、大変だったと思う。しかしいやな顔ひとつすることなく、最後まで真摯に対応してくださった。ありがとうございます。
25日(水)は、午前9時からSolna市、午後2時からTyreso市でミーティング。どちらも、しっかりと資料を用意してくださっており、非常に中身の濃い話を聞くことができた。Solnaは、ストックホルムの隣に位置しているという有利さを活かし、住宅建設やサッカースタジアム建設などのプロジェクトを企画して、積極的な開発を行っている。また、Tyreso市も、市の南半分が国立公園という環境の良さや、やはりストックホルムまで車で30分という地の利、充実した行政サービスと、ていねいな市民参加の取り組みなどで、毎年人口が3%ずつ増加しているという状況。どちらの市も、非常に自分の町に誇りを持っていることが感じられ、行政運営に対する自信がうかがえて印象的だった。それにしても、日本と同様長寿を誇るスウェーデンで、この人口の伸びはなんなのだろう。今回の調査では、そのこと自体はテーマに入れていなかったので原因を知るための情報は得られなかったけれど、とても気になる。
26日(木)は、ミュンヘンへの移動。午前中、少し時間が空いたので、ガムラスタン島を歩いて一周し、古い町並みを見てきた。残念ながら、博物館などが空く時間が午前11時からというのが多く、また、冬場はそもそも開いていない場所もあったりして、ざっと眺めた程度。次回はぜひ夏来たいもの。午後2時の飛行機でミュンヘンに行ったが、ミュンヘンもストックホルム同様、かなり寒かった。この日は、ホテルにチェックインしたら、そのまま夕食を食べに行って寝ただけ。
27日(金)は、午前10時からミュンヘン市役所訪問。ここでの通訳は、女性の河村さん。非常に能力の高い通訳の方で、やりとりが実に自然にできてありがたかった。お相手してくださったのは、労働産業部長の Dr. Reinhard Wieczorek さんという方だが、この方は元々法律家で、マックス・プランク研究所の知財部門にいたり、行政裁判所の判事をやっていたりという経験をお持ちのばりばりの法律家。その後市議会議員になって、この職に就いたとのことで、部長と言うよりいわばミュンヘン市の労働産業大臣みたいなもの。人当たりの柔らかな紳士で、こちらの質問にとてもていねいに応対していただいた。
それにしても、ミュンヘン市というのは見た感じもそうだったが、話を聞いても実に住みやすそうな街で、うらやましかった。ドイツ人が多いのかと思いきや、人口の3分の1は外国人だというのは結構意外だったが、それでいて治安の悪さを全く感じさせないところが、すごいところ。都市計画を、哲学を持ってきっちりとやって成功させたことが感じられる。
昼食を夕食を食べたレストランもおいしかったし、街もきれいで風情があったし、ぜひまた再訪したいと感じた。
24日は、朝7時15分ヒースロー発の飛行機に乗るため、朝4時40分にタクシーに乗った。ちなみに、頼んだタクシーは1台で、一緒に行ったメンバーを拾いながら最後にうちに来てくれたため、最初に乗った人は午前4時ピックアップ。僕自身は、午前4時に目覚ましをかけたのだけど、寝過ごしたらまずいと緊張して、夜中に2回も目を覚ましてしまい、実質的に眠ったのが3時間足らず。結構ハードなスタートだった。ともあれ、がんばった甲斐あって午前5時過ぎには空港に着き、余裕を持ってチェックインできた。
飛行機も特に遅れることなく飛び、現地時間で午前11時にはストックホルム空港に到着。電車は高いのでタクシーでホテルに行き、荷物を預けた後、市内を見ながら歩いてSARAへ。覚悟していたけれど、気温は摂氏2度で、道にはまだたっぷりと雪が残っていた。
途中で昼食も取ったので、SARAに着いたのが午後1時30分頃。ちょっと早すぎたので、喫茶店で時間をつぶし、2時15分にSARAにお邪魔。そこで通訳の中村さんと合流。2時半にこの日の説明役Christine Feukさんが迎えに来てくれ、ミーティング開始。彼女はLomma市からのSARAへの出向者で、FinanceとGovernanceの担当。この日のミーティングの目的は、スウェーデン一般の話と言うよりも、むしろLomma市自身の取り組みを聞くことだったけど、午後5時までの2時間半。たっぷりとお話を聞かせていただいた。クリスティンさんは、立ちっぱなしのプレゼンで、しかも通訳を介しながらのちょっと効率の悪いやりとりだったので、大変だったと思う。しかしいやな顔ひとつすることなく、最後まで真摯に対応してくださった。ありがとうございます。
25日(水)は、午前9時からSolna市、午後2時からTyreso市でミーティング。どちらも、しっかりと資料を用意してくださっており、非常に中身の濃い話を聞くことができた。Solnaは、ストックホルムの隣に位置しているという有利さを活かし、住宅建設やサッカースタジアム建設などのプロジェクトを企画して、積極的な開発を行っている。また、Tyreso市も、市の南半分が国立公園という環境の良さや、やはりストックホルムまで車で30分という地の利、充実した行政サービスと、ていねいな市民参加の取り組みなどで、毎年人口が3%ずつ増加しているという状況。どちらの市も、非常に自分の町に誇りを持っていることが感じられ、行政運営に対する自信がうかがえて印象的だった。それにしても、日本と同様長寿を誇るスウェーデンで、この人口の伸びはなんなのだろう。今回の調査では、そのこと自体はテーマに入れていなかったので原因を知るための情報は得られなかったけれど、とても気になる。
26日(木)は、ミュンヘンへの移動。午前中、少し時間が空いたので、ガムラスタン島を歩いて一周し、古い町並みを見てきた。残念ながら、博物館などが空く時間が午前11時からというのが多く、また、冬場はそもそも開いていない場所もあったりして、ざっと眺めた程度。次回はぜひ夏来たいもの。午後2時の飛行機でミュンヘンに行ったが、ミュンヘンもストックホルム同様、かなり寒かった。この日は、ホテルにチェックインしたら、そのまま夕食を食べに行って寝ただけ。
27日(金)は、午前10時からミュンヘン市役所訪問。ここでの通訳は、女性の河村さん。非常に能力の高い通訳の方で、やりとりが実に自然にできてありがたかった。お相手してくださったのは、労働産業部長の Dr. Reinhard Wieczorek さんという方だが、この方は元々法律家で、マックス・プランク研究所の知財部門にいたり、行政裁判所の判事をやっていたりという経験をお持ちのばりばりの法律家。その後市議会議員になって、この職に就いたとのことで、部長と言うよりいわばミュンヘン市の労働産業大臣みたいなもの。人当たりの柔らかな紳士で、こちらの質問にとてもていねいに応対していただいた。
それにしても、ミュンヘン市というのは見た感じもそうだったが、話を聞いても実に住みやすそうな街で、うらやましかった。ドイツ人が多いのかと思いきや、人口の3分の1は外国人だというのは結構意外だったが、それでいて治安の悪さを全く感じさせないところが、すごいところ。都市計画を、哲学を持ってきっちりとやって成功させたことが感じられる。
昼食を夕食を食べたレストランもおいしかったし、街もきれいで風情があったし、ぜひまた再訪したいと感じた。
2009年2月23日月曜日
SECOMの話
2月23日(月)は、月例の「スピーカーシリーズ」と題したロンドン事務所の勉強会。今回の講師は、セコムロンドンの竹沢社長。すでに商工会議所の集まりや大使館の会議などで何回かお会いしたことがあったが、とてもエネルギッシュでセキュリティの普及に情熱を燃やされている方。以前、務台前所長が、川本所長補佐と一緒にセキュリティに関する話を聞きに行ったことがあったそうで、それ以来の事務所とのおつきあいだとか。今回は、事務所に来ていただいて、日本と英国との民間セキュリティの相違について、熱く語ってもらった。
話の内容については、近く事務所のHPに載る予定なので割愛するが、セコム発展のきっかけが、子供の頃僕も見ていた「ザ・ガードマン」のヒットにあったことや、イギリスの民間セキュリティ会社が、イギリスが世界で最初に発明した防犯ブザーの販売からスタートしたため、今でも防犯機器の販売会社にとどまっているのに対し、セコムは警備業からスタートしているため、セキュリティサービスを商品としており、サービスに臨むスタンスが全く異なっていること、このため、イギリスに日本式セキュリティサービスを導入するのに、非常に苦労していることなど、パワーポイントを使った熱演で実によくわかり、とてもおもしろかった。
なお、この日の講演には、調査のためロンドンにいらしていた、摂南大学経営情報学部の経営学博士島田教授と、工学博士三藤教授もご参加され、話に花を添えていただいた。
竹沢さん、島田先生、三藤先生、ありがとうございました。
話の内容については、近く事務所のHPに載る予定なので割愛するが、セコム発展のきっかけが、子供の頃僕も見ていた「ザ・ガードマン」のヒットにあったことや、イギリスの民間セキュリティ会社が、イギリスが世界で最初に発明した防犯ブザーの販売からスタートしたため、今でも防犯機器の販売会社にとどまっているのに対し、セコムは警備業からスタートしているため、セキュリティサービスを商品としており、サービスに臨むスタンスが全く異なっていること、このため、イギリスに日本式セキュリティサービスを導入するのに、非常に苦労していることなど、パワーポイントを使った熱演で実によくわかり、とてもおもしろかった。
なお、この日の講演には、調査のためロンドンにいらしていた、摂南大学経営情報学部の経営学博士島田教授と、工学博士三藤教授もご参加され、話に花を添えていただいた。
竹沢さん、島田先生、三藤先生、ありがとうございました。
2009年2月21日土曜日
第4回大学生のための日本語スピーチ・コンテスト
21日(土)は、午後1時から、School of Oriental and African Studies(SOAS)の Khalill Lecture Theatre で開催された「大学生のための日本語スピーチ・コンテスト」に出席。国際交流基金とThe British Association for Teaching Japanese as a forign language(Batj)が秀才のコンテストで、今年で第4回目だそうだ。
大学で選択科目として日本語を学習している学生が対象の「カテゴリー2」と、日本語を専門に学習している学生が対象の「カテゴリー1」の2部門に分かれてのコンテストで、書類審査によって絞り込まれ、この日のファイナルには、それぞれの部門から5名ずつが参加していた。午後1時から主催者挨拶の後、早速カテゴリー2のコンテストが始まったのだが、5人の参加者は、シンガポール、中国、台湾、中国、香港と、偶然なのかいずれもアジア系。選択科目の学生にもかかわらず、みんな結構日本語がうまかったので驚いた。また、講演テーマも「オタクと日本社会」「日本のアニメから学んだこと」「ラルク・アン・シエルと他の音楽の違う点」「校内暴力ー日、中、英国間の違いと解決方法」「変わりゆく日本の中でサラリーマンは生き残れるのか」と、それぞれにユニークなもので、聞いていておもしろかった。結局優勝したのは「サラリーマン」、準優勝が「校内暴力」で、社会性のあるテーマを選んだ人が強かった。
午後2時40分からカテゴリー1。こちらは英国人が多かったが、さすがに専門に勉強しているだけあって、カテゴリー2の人たちに比べても断然うまい。しかも、5人のテーマは、「日本語学習において直面した3つの問題点」「消えつつある日本の銭湯」「手話と聴覚障害教育」「私の夢と日本」「誰のための裁判員制度?」と、実に濃い内容。「私の夢」は演題だけではわかりにくいが、発表者は韓国出身で現在人工知能を研究している人で、ロボットの未来について語り、内容の濃さの点で他の4つとも遜色なかった。正直5人ともすばらしいと思ったが、結局優勝したのは「裁判員制度」、準優勝が「聴覚障害教育」で、やはりより深い社会性を持ったテーマを選んだ人が強かったというのは、カテゴリー2の時と同様。準優勝の女性は、先日JETの国際交流員の面接にも来ていた人だったが、高い知性と日本語能力を活かして、日本の自治体でもぜひがんばっていただきたいもの。
コンテストの後、立食のレセプションがあり、コンテストのスポンサーであるJALの岡田支社長や、東芝ヨーロッパの野波副社長などとお話。その後、国際交流基金の石田所長、学術振興会の古川所長と3人で夕食兼情報交換会。
大学で選択科目として日本語を学習している学生が対象の「カテゴリー2」と、日本語を専門に学習している学生が対象の「カテゴリー1」の2部門に分かれてのコンテストで、書類審査によって絞り込まれ、この日のファイナルには、それぞれの部門から5名ずつが参加していた。午後1時から主催者挨拶の後、早速カテゴリー2のコンテストが始まったのだが、5人の参加者は、シンガポール、中国、台湾、中国、香港と、偶然なのかいずれもアジア系。選択科目の学生にもかかわらず、みんな結構日本語がうまかったので驚いた。また、講演テーマも「オタクと日本社会」「日本のアニメから学んだこと」「ラルク・アン・シエルと他の音楽の違う点」「校内暴力ー日、中、英国間の違いと解決方法」「変わりゆく日本の中でサラリーマンは生き残れるのか」と、それぞれにユニークなもので、聞いていておもしろかった。結局優勝したのは「サラリーマン」、準優勝が「校内暴力」で、社会性のあるテーマを選んだ人が強かった。
午後2時40分からカテゴリー1。こちらは英国人が多かったが、さすがに専門に勉強しているだけあって、カテゴリー2の人たちに比べても断然うまい。しかも、5人のテーマは、「日本語学習において直面した3つの問題点」「消えつつある日本の銭湯」「手話と聴覚障害教育」「私の夢と日本」「誰のための裁判員制度?」と、実に濃い内容。「私の夢」は演題だけではわかりにくいが、発表者は韓国出身で現在人工知能を研究している人で、ロボットの未来について語り、内容の濃さの点で他の4つとも遜色なかった。正直5人ともすばらしいと思ったが、結局優勝したのは「裁判員制度」、準優勝が「聴覚障害教育」で、やはりより深い社会性を持ったテーマを選んだ人が強かったというのは、カテゴリー2の時と同様。準優勝の女性は、先日JETの国際交流員の面接にも来ていた人だったが、高い知性と日本語能力を活かして、日本の自治体でもぜひがんばっていただきたいもの。
コンテストの後、立食のレセプションがあり、コンテストのスポンサーであるJALの岡田支社長や、東芝ヨーロッパの野波副社長などとお話。その後、国際交流基金の石田所長、学術振興会の古川所長と3人で夕食兼情報交換会。
2009年2月20日金曜日
時事通信社ロンドン・トップセミナー
20日(金)は、12時からホテルバークレーで行われた時事通信社ロンドン・トップセミナーに参加。この日の講演は、日本政策金融公庫・国際協力銀行副経営責任者の森田嘉彦氏による「欧州のエネルギー事情」。
講演前のレセプションでは、久しぶりにお会いした日本テレビの大脇さんと、ランチの時にはテーブルの隣り合わせになった、伊藤忠欧州会社欧州金属・エネルギーグループ長の平賀(こちらは始めてお会いした)と主にお話しした。平賀さんは、1年前にロンドンに来られたそうだが、僕と同様家族を日本に残してこられたそうで、しかも子供の年齢もとても似通っていたので、教育問題に花が咲いた。
講演の方は、講師の森田氏が、講演の前日サハリン2の開所式(?)に出席されていたということもあり、もっぱらロシアの話。講演後の質疑応答では、「サハリン2」はロシアのごり押しで日本にはあまりメリットなくなっているのではないか、といった意地悪な質問もされていたが、やんわりと受け流されていた。
講演前のレセプションでは、久しぶりにお会いした日本テレビの大脇さんと、ランチの時にはテーブルの隣り合わせになった、伊藤忠欧州会社欧州金属・エネルギーグループ長の平賀(こちらは始めてお会いした)と主にお話しした。平賀さんは、1年前にロンドンに来られたそうだが、僕と同様家族を日本に残してこられたそうで、しかも子供の年齢もとても似通っていたので、教育問題に花が咲いた。
講演の方は、講師の森田氏が、講演の前日サハリン2の開所式(?)に出席されていたということもあり、もっぱらロシアの話。講演後の質疑応答では、「サハリン2」はロシアのごり押しで日本にはあまりメリットなくなっているのではないか、といった意地悪な質問もされていたが、やんわりと受け流されていた。
2009年2月18日水曜日
エディンバラ出張
18日(水)は、スコットランドにおける日英修好150周年イベントの意見交換を行うため、エディンバラ総領事館で開催されたミーティングに出席。
朝6時に起きて、ロンドン・シティ空港からエディンバラへ。
元々予約していた便が前日になって突然飛ばないことになってしまったので、やむなく1時間早い便に乗った。
おかげで、エディンバラで時間ができたので、市内を見て回ることに。空港からバスで市内中心部のプリンセス通りまで出た後、エディンバラ城から旧市街のロイヤル・マイルを通ってスコットランド議会まで歩き、途中昼食を取って、帰りは新市街のプリンセス通りを通って総領事館へ。たっぷり1時間半くらい歩いた。
エディンバラ中心街は、プリンセス通りとそれに隣接して走っている鉄道を境に南は伝統的な街並みの色濃く残る旧市街、北はモダンなショッピング街の新市街とくっきりと分かれていて面白い。運良く雨も降らず暖かかったので、気持ち良く見て回れた。
そして午後2時半から4時まで、本番のミーティング。ミーティング前に、アバディーンのロバート・ゴードン大学のピーター・スマート先生と再会を祝して雑談。先生は、昨年11月にうちの事務所主催のJapan Study Tourに参加された後も、また今年1月にも日本に行かれて、関学での講義やビジネスミーティングを行われたとのこと。しかも今年の11月頃にも三たび日本にいらっしゃるご予定もあるとか。御熱心で頭が下がる。本当にありがたい。
ミーティングは、いつものように、参加者各人から活動報告や今後の予定の発表を行った後、フリーディスカッション。今回は、各人からの発表で会議時間のほとんどを使ってしまったので、ディスカッションは少なめだった。総領事からの宿題は、スコットランドにおけるクロージング・イベントのアイデアを出して欲しいというもの。次回は5月開催の予定なので、その時のメインテーマになりそう。
朝6時に起きて、ロンドン・シティ空港からエディンバラへ。
元々予約していた便が前日になって突然飛ばないことになってしまったので、やむなく1時間早い便に乗った。
おかげで、エディンバラで時間ができたので、市内を見て回ることに。空港からバスで市内中心部のプリンセス通りまで出た後、エディンバラ城から旧市街のロイヤル・マイルを通ってスコットランド議会まで歩き、途中昼食を取って、帰りは新市街のプリンセス通りを通って総領事館へ。たっぷり1時間半くらい歩いた。
エディンバラ中心街は、プリンセス通りとそれに隣接して走っている鉄道を境に南は伝統的な街並みの色濃く残る旧市街、北はモダンなショッピング街の新市街とくっきりと分かれていて面白い。運良く雨も降らず暖かかったので、気持ち良く見て回れた。
そして午後2時半から4時まで、本番のミーティング。ミーティング前に、アバディーンのロバート・ゴードン大学のピーター・スマート先生と再会を祝して雑談。先生は、昨年11月にうちの事務所主催のJapan Study Tourに参加された後も、また今年1月にも日本に行かれて、関学での講義やビジネスミーティングを行われたとのこと。しかも今年の11月頃にも三たび日本にいらっしゃるご予定もあるとか。御熱心で頭が下がる。本当にありがたい。
ミーティングは、いつものように、参加者各人から活動報告や今後の予定の発表を行った後、フリーディスカッション。今回は、各人からの発表で会議時間のほとんどを使ってしまったので、ディスカッションは少なめだった。総領事からの宿題は、スコットランドにおけるクロージング・イベントのアイデアを出して欲しいというもの。次回は5月開催の予定なので、その時のメインテーマになりそう。
2009年2月13日金曜日
長州ファイブ
先日(2月11日)、国際交流基金の企画でInstitusin of Contemporary Artsで上映された「長州ファイブ」を見てきた。これは、幕末、長州藩から幕府に無断で英国に渡って勉強し、その後日本に戻って明治維新による近代化の立役者となった5人の青年たち(伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三)の活躍を描いたもので、日本では2007年に全国ロードショーが行われ、第40回ヒューストン国際映画祭でレミアワードグランプリ(最優秀賞)に輝いた名作。(HPは、 http://www.chosyufive-movie.com/ )
史実には必ずしも忠実ではなく、娯楽映画として楽しめるよう脚色が施されてはいたが、それでも明治時代にヨーロッパに留学するということが、どれだけ大きな苦労を伴うものであったか、それを乗り越えて勉学をやり終え、日本に近代技術をもたらした彼らは如何に立派だったのかは十分に感じられる内容で、とても感銘を受けた。
それと同時におもしろかったのが、当時の日本の街の景色と今の日本の街の景色とは似ても似つかないものであるのに対し、ロンドンの街の景色については、現在とそれほど大きく変わってはいないように感じられたこと。これを「伝統を守ってすばらしい」と見るべきなのか、「進歩が遅い」と見るべきなのかは、見解の分かれるところかもしれないが、ともあれ事実としておもしろい。
一つの考え方としては、イギリスはすでに19世紀後半には国家としての成熟を遂げており、そこからの大変化をもはや必要としなかったのに対し、日本はまだ近代国家として生まれたばかりであり、そこから国家として成熟するまでに大きく変化することを必要としていた、ということなのかもしれない。
とすると、すでに成熟した経済国家になった日本の今後を考える場合、19世紀末から今世紀に至るイギリスのたどった道を、いいにつけ悪いにつけ振り返ってみることは、大きな示唆が得られるのかもしれない、映画を見終えて、そんなことを考えた。
こちらに来て痛切に感じることだが、イギリスというのは、本当に複雑な懐の深い国。アメリカや日本に比べて、時代遅れなところ、サービスの行き届かないところなど多々あるのだが、国民一人一人がとても成熟しており、それを反映して政治やマスコミにバランス感が感じられ、議論の透明性や納得度が高くて、うらやましく感じられるところが多いというのも偽らざる実感。別に生粋のイングランド人やスコットランド人でなく、移民出身であっても、また階級も貴族階級だけでなく中産階級や労働者階級に属する(未だにそういうものが残っているのがこちらの社会です)人たちであっても、この「議論の成熟」というのはおおむね例外なく見られるところが、興味深い。
史実には必ずしも忠実ではなく、娯楽映画として楽しめるよう脚色が施されてはいたが、それでも明治時代にヨーロッパに留学するということが、どれだけ大きな苦労を伴うものであったか、それを乗り越えて勉学をやり終え、日本に近代技術をもたらした彼らは如何に立派だったのかは十分に感じられる内容で、とても感銘を受けた。
それと同時におもしろかったのが、当時の日本の街の景色と今の日本の街の景色とは似ても似つかないものであるのに対し、ロンドンの街の景色については、現在とそれほど大きく変わってはいないように感じられたこと。これを「伝統を守ってすばらしい」と見るべきなのか、「進歩が遅い」と見るべきなのかは、見解の分かれるところかもしれないが、ともあれ事実としておもしろい。
一つの考え方としては、イギリスはすでに19世紀後半には国家としての成熟を遂げており、そこからの大変化をもはや必要としなかったのに対し、日本はまだ近代国家として生まれたばかりであり、そこから国家として成熟するまでに大きく変化することを必要としていた、ということなのかもしれない。
とすると、すでに成熟した経済国家になった日本の今後を考える場合、19世紀末から今世紀に至るイギリスのたどった道を、いいにつけ悪いにつけ振り返ってみることは、大きな示唆が得られるのかもしれない、映画を見終えて、そんなことを考えた。
こちらに来て痛切に感じることだが、イギリスというのは、本当に複雑な懐の深い国。アメリカや日本に比べて、時代遅れなところ、サービスの行き届かないところなど多々あるのだが、国民一人一人がとても成熟しており、それを反映して政治やマスコミにバランス感が感じられ、議論の透明性や納得度が高くて、うらやましく感じられるところが多いというのも偽らざる実感。別に生粋のイングランド人やスコットランド人でなく、移民出身であっても、また階級も貴族階級だけでなく中産階級や労働者階級に属する(未だにそういうものが残っているのがこちらの社会です)人たちであっても、この「議論の成熟」というのはおおむね例外なく見られるところが、興味深い。
2009年2月8日日曜日
1月26日~2月8日
娘の受験のサポートのため一時帰国していたこともあって、先週はブログを書けなかった。
2週間分まとめて簡潔に。
26日(月)は、事務所の契約更新・移転についてサーベイヤーと打ち合わせ。事務所を移転するとした場合の候補物件のいくつかについて、実際のレイアウトプランを提示してもらい、それできちんと仕事ができそうかどうかを確認。その結果、現在事務所が保管している資料の量や、事務所が月例で開催しているミニセミナーのための会議室の確保のことを考えると、2000平米以下では事実上無理なことが判明。今後のターゲットは、2500平米を基準に考えることに。
27日(火)は、大和リース株式会社の梶本会長が訪英されたことに伴い、英国の概況説明を兼ねて夕食をご一緒する。エコハウス関係の勉強にこちらにこられ、日中は事務所の村瀬次長の紹介でこちらのグリーンハウスをご視察されたとのこと。そもそもこちらの事務所を頼ってこられたのは、以前こちらでご一緒した北九州市長さんからのご紹介だとのことで、人のつながりというのはありがたいもの。
28日(水)は、ものすごく忙しい1日だった。
朝、King's Cross 駅から電車に乗って Peterborough へ。以前ベルファストで行われたSOLASのカンファレンスで、僕が行政のパフォーマンス改善に強い関心を持っていると言ったところ、自分たちの取り組みをぜひ一度見て欲しいという手紙が来て、視察に行かせてもらうこととしたもの。SOLASに一緒に行ったキルヒナー主任調査員、今年のクレアレポートで行政の効率性をテーマに選んだ桑原所長補佐が同行。
午前11時から午後3時半頃までの視察だったが、さすが効率性の優等生というべきか、短時間にものすごく内容の詰まったプレゼン&案内だった。正直言って、日本の自治体では、これに比肩しうるところはないのではないだろうか。日本の製造業レベルといっても過言ではないかもしれない。でも、事務的に流れることはなく、ちゃんと心がこもっていて、とても気持ちの良い視察をさせていただいた。いろいろ感銘を受けたことがあったが、具体的な中身については、桑原さんのレポートにお譲りする。日本の自治体がこれを真似するのは、社会的条件が違いすぎるので正直難しいと思うが、世界にはこういう自治体もあるのだ、ということは、知っておいた方がいいように思った。そして、それは決してここだけではないのだ、ということも。
で、その後別の調査でニューキャッスルに向かう桑原さんと別れ、キルヒナーさんと電車で午後5時半頃King's Crossに戻ってきた後、ただちに地下鉄でPimlicoに向かう。午後6時から、Local Gavernment Associasions 主催のカンファレンスに出席するため。テーマは、ヨーロッパの地方分権について。テーマのおもしろさもさることながら、これまでコペンハーゲンのCERNカンファレンスやベルファストのSOLASでお会いしたイギリス、デンマークなどの地方自治関係実務担当者、学者などが集まる会議だと言うことで、無理をおして参加させていただいたのだが、残念ながら体力的限界。話の半分程度しかわからず、レセプションもパス。今のロンドン事務所長という仕事を十全にこなすためには、単に知識や英語力だけでなく、体力も重要だと痛感した一幕。
29日(水)から2月4日(水)までは、子供の受験サポートのため、有給休暇と本部の承認を取っての一時帰国。正直言って、本来楽しいはずの帰国が、人生で最大の試練とも言えるものになってしまった。2日の夜は、時差ぼけも多少はあったのだろうけれど、文字通り一睡もできなかったし。本当に、この経験だけは、今後一生忘れられそうにない。ただ、一時帰国が終わり、ロンドンに戻った翌々日、吉報が舞い込んで、すべてのいやな思い出がクリア。奇跡が起こったとしか言いようがない。
2月5日(木)と6日(金)は、JETのCIR(国際交流員)志願者の面接。朝10時から午後3時半まで、大使館の会議室で。チーフは岡本一等書記官で、CIRのOBで今英国で働いているフィオナさんとの3人で面接に当たる。1人の持ち時間は30分間で、面接はすべて日本語で行われる。正直言って、これは結構過酷な面接試験だと思う。そうでなくても面接試験というのは、どんなことを聞かれ、どのように答えればいいのかいろいろ考えて緊張するのに、それを母国語でない言語でしなければならないとなると、そのプレッシャーは想像するに余りある。僕が逆の立場で、英語でこの面接を受けなければならないとすると、逃げ出したくなってしまうと思う。
でも、今回、木曜日、金曜日それぞれ7人ずつ面接したが、全員実にしっかりと受け答えしていた。トップバッターのひとりだけが、日本語能力にやや問題があり、コミュニケーションが取りにくかったが、とてもまじめで一生懸命な青年で、人柄にはとても好感が持てた。あとの13人は、少なくとも会話レベルでコミュニケーションの困難を感じることは、ほとんどなかった。これはすごい。残念ながら、僕の英語レベルは、ここまで行っていない。
また、面接試験の最後に日本語能力テストがあるのだけれど、これがまたいやらしい。日本人でも、読解力の多少弱い人なら間違えそうなレベルの文章と質問。僕から言わせると、多少なりとも日本語のわかる外国人に、間違った答をさせるような日本語の文章そのものに問題があるのではないか、といった気持ちが強かった。ただ、チーフの岡本書記官の話によると、正しい答をするのかどうかではなく、文章の意味がきちんと読み取れたかどうかを見るのが主な目的だ、ということで納得。確かに、日本にいて日常目にするのは、このような調子の文章なのだから、それにどれくらい「適応」できるか、というのを見るのは重要なのだろう。要は、いきなり正しく答えられるかどうかではなく、文章を論理的に読み、意味の不明確なところをきちんと分別し、正しく質問できるかどうかこそが重要と言うこと。でも、そうだとしても、設問の内容やテストの実施の仕方には、結構疑問が残ったけれど。
7日(土)と8日(日)は、珍しく何の予定もなく、ゆっくりと自宅で過ごした。時差ぼけもなく、久々にたっぷりと眠ることができたのが、何よりもうれしい。ようやく平穏な生活が戻った。
2週間分まとめて簡潔に。
26日(月)は、事務所の契約更新・移転についてサーベイヤーと打ち合わせ。事務所を移転するとした場合の候補物件のいくつかについて、実際のレイアウトプランを提示してもらい、それできちんと仕事ができそうかどうかを確認。その結果、現在事務所が保管している資料の量や、事務所が月例で開催しているミニセミナーのための会議室の確保のことを考えると、2000平米以下では事実上無理なことが判明。今後のターゲットは、2500平米を基準に考えることに。
27日(火)は、大和リース株式会社の梶本会長が訪英されたことに伴い、英国の概況説明を兼ねて夕食をご一緒する。エコハウス関係の勉強にこちらにこられ、日中は事務所の村瀬次長の紹介でこちらのグリーンハウスをご視察されたとのこと。そもそもこちらの事務所を頼ってこられたのは、以前こちらでご一緒した北九州市長さんからのご紹介だとのことで、人のつながりというのはありがたいもの。
28日(水)は、ものすごく忙しい1日だった。
朝、King's Cross 駅から電車に乗って Peterborough へ。以前ベルファストで行われたSOLASのカンファレンスで、僕が行政のパフォーマンス改善に強い関心を持っていると言ったところ、自分たちの取り組みをぜひ一度見て欲しいという手紙が来て、視察に行かせてもらうこととしたもの。SOLASに一緒に行ったキルヒナー主任調査員、今年のクレアレポートで行政の効率性をテーマに選んだ桑原所長補佐が同行。
午前11時から午後3時半頃までの視察だったが、さすが効率性の優等生というべきか、短時間にものすごく内容の詰まったプレゼン&案内だった。正直言って、日本の自治体では、これに比肩しうるところはないのではないだろうか。日本の製造業レベルといっても過言ではないかもしれない。でも、事務的に流れることはなく、ちゃんと心がこもっていて、とても気持ちの良い視察をさせていただいた。いろいろ感銘を受けたことがあったが、具体的な中身については、桑原さんのレポートにお譲りする。日本の自治体がこれを真似するのは、社会的条件が違いすぎるので正直難しいと思うが、世界にはこういう自治体もあるのだ、ということは、知っておいた方がいいように思った。そして、それは決してここだけではないのだ、ということも。
で、その後別の調査でニューキャッスルに向かう桑原さんと別れ、キルヒナーさんと電車で午後5時半頃King's Crossに戻ってきた後、ただちに地下鉄でPimlicoに向かう。午後6時から、Local Gavernment Associasions 主催のカンファレンスに出席するため。テーマは、ヨーロッパの地方分権について。テーマのおもしろさもさることながら、これまでコペンハーゲンのCERNカンファレンスやベルファストのSOLASでお会いしたイギリス、デンマークなどの地方自治関係実務担当者、学者などが集まる会議だと言うことで、無理をおして参加させていただいたのだが、残念ながら体力的限界。話の半分程度しかわからず、レセプションもパス。今のロンドン事務所長という仕事を十全にこなすためには、単に知識や英語力だけでなく、体力も重要だと痛感した一幕。
29日(水)から2月4日(水)までは、子供の受験サポートのため、有給休暇と本部の承認を取っての一時帰国。正直言って、本来楽しいはずの帰国が、人生で最大の試練とも言えるものになってしまった。2日の夜は、時差ぼけも多少はあったのだろうけれど、文字通り一睡もできなかったし。本当に、この経験だけは、今後一生忘れられそうにない。ただ、一時帰国が終わり、ロンドンに戻った翌々日、吉報が舞い込んで、すべてのいやな思い出がクリア。奇跡が起こったとしか言いようがない。
2月5日(木)と6日(金)は、JETのCIR(国際交流員)志願者の面接。朝10時から午後3時半まで、大使館の会議室で。チーフは岡本一等書記官で、CIRのOBで今英国で働いているフィオナさんとの3人で面接に当たる。1人の持ち時間は30分間で、面接はすべて日本語で行われる。正直言って、これは結構過酷な面接試験だと思う。そうでなくても面接試験というのは、どんなことを聞かれ、どのように答えればいいのかいろいろ考えて緊張するのに、それを母国語でない言語でしなければならないとなると、そのプレッシャーは想像するに余りある。僕が逆の立場で、英語でこの面接を受けなければならないとすると、逃げ出したくなってしまうと思う。
でも、今回、木曜日、金曜日それぞれ7人ずつ面接したが、全員実にしっかりと受け答えしていた。トップバッターのひとりだけが、日本語能力にやや問題があり、コミュニケーションが取りにくかったが、とてもまじめで一生懸命な青年で、人柄にはとても好感が持てた。あとの13人は、少なくとも会話レベルでコミュニケーションの困難を感じることは、ほとんどなかった。これはすごい。残念ながら、僕の英語レベルは、ここまで行っていない。
また、面接試験の最後に日本語能力テストがあるのだけれど、これがまたいやらしい。日本人でも、読解力の多少弱い人なら間違えそうなレベルの文章と質問。僕から言わせると、多少なりとも日本語のわかる外国人に、間違った答をさせるような日本語の文章そのものに問題があるのではないか、といった気持ちが強かった。ただ、チーフの岡本書記官の話によると、正しい答をするのかどうかではなく、文章の意味がきちんと読み取れたかどうかを見るのが主な目的だ、ということで納得。確かに、日本にいて日常目にするのは、このような調子の文章なのだから、それにどれくらい「適応」できるか、というのを見るのは重要なのだろう。要は、いきなり正しく答えられるかどうかではなく、文章を論理的に読み、意味の不明確なところをきちんと分別し、正しく質問できるかどうかこそが重要と言うこと。でも、そうだとしても、設問の内容やテストの実施の仕方には、結構疑問が残ったけれど。
7日(土)と8日(日)は、珍しく何の予定もなく、ゆっくりと自宅で過ごした。時差ぼけもなく、久々にたっぷりと眠ることができたのが、何よりもうれしい。ようやく平穏な生活が戻った。
2009年1月25日日曜日
1月19日~25日
いつものように、先週1週間を振り返って。
19日(月)は、Japan Study Tour の報告会。昨年11月に、イギリスとドイツの地方自治体幹部12名を、日本に招待して、東京と長野県飯田市で意見交換や日本生活の体験学習をしていただいたツアーの反省会。全部で8名の方にご参加いただいたので、まずまずの参加率。午前11時から、国際交流基金の会議室をお借りして実施。ジェイソン調査員の司会で、僕の挨拶、自己紹介、参加者のSimon Bovey氏(スコットランドの Daventry Districe Council の Managing Director)からのパワーポイントを使った結果報告、意見交換と続いた。意見交換では、非常に活発な意見が出て、当初12時半には会を終了して立食パーティに移る予定が、結局15分ほど遅れた。でも、非常にありがたいこと。終了後、わざわざドイツからお越しいただいた、Jens Graf氏(ブランデンブルク州市町村連盟の部長)、Simon Bovey氏、キルヒナー首席調査員、ジェイソン調査員の5人で、近くのラッセルホテルでコーヒーを飲み、さらに歓談。その後も、Graf氏はまだ飛行機の時間まで間があったので、うちの事務所に来ていただき、4時15分くらいまでお話しした。とても充実した報告会で、よかった。
20日(火)は、19時から Japan Society Annual Dinner に参加。Tower Hill にある「The Grange City Hotel」で。ゲストに葉加瀬太郎、高田真由子ご夫妻がご参加され、葉加瀬太郎のミニコンサート付きというゴージャスなもの。レセプションでは、大使館の岡経済公使ご夫妻や、富田公使などとお話。とても混んでいて、歩き回るのが難しく、あまり大勢とはお話しせず。ディナーのテーブルは、なかなか良い場所で、演奏をよく見ることができた。わかりやすい曲が多く、気軽に聞けるのもグッド。テーブルでは、Elizabeth Fusae Thurley さんという、もうイギリスに来て50年になるという女性の方が隣に座られ、もっぱらこの方からいろいろなお話をおうかがいした。結構長く続き、結局終わったのは夜10時45分くらい。家に帰って寝た頃には、もう日が変わっていた。
21日(水)は、午後2時半から、大使館で、日英150周年記念の第4回実行委員会。今年の目玉行事だった、大相撲ロンドン場所が、大相撲協会の財政難のためキャンセルになってしまったとのことで、実行委員のお一人、Japan Society のクリストファー・パーヴィス会長が、せっかく時間をかけて準備してきたのに、と、とても残念がっておられたのが印象的だった。
22日(木)は、午後3時に、全日空の西堀支配人と皆戸さんが来訪。新年のご挨拶。やはり経営がめちゃくちゃ大変というお話。
午後6時からは、大使館で、明日から始まる日本財団のセミナーの前夜祭に当たるレセプション。「現代日本を知るための100冊」を、日本財団の資金で選定・購入・配布する企画があるそうで、それが展示されていた。100冊並ぶと、かなり壮観。紀伊國屋書店ロンドンオフィスがその手配をしたとのことで、支店長の浅井さんからいろいろお話をうかがった。また、イギリスで、日本研究をされている若手研究者のフェローシップの紹介があった。いろいろな人とお話ししたが、SOASのポール・ウェブレー学長とお話しでき、バーミンガム大学のクリス・ワトソン先生と再会できたのが、一番の収穫、かな。ただ、ほとんど食べるものがなかったので、おなかがすいたこともあって、日本学術振興会の古川所長、政府観光局の高橋次長と3人で、近くのMiyamaで夕食。結構飲んだため、帰る頃にはふらふらになってしまった。
23日(金)は、とても盛りだくさん。まず、正午からバークレーホテルで、時事通信社のトップセミナー。昼食前のレセプションでは、日本郵船の専務で欧州統括会社社長の諸岡さんとの話がおもしろかった。日本郵船には、徳川将軍家の末裔がおられるとのことで、いろいろおもしろいエピソードがあった。で、本番が、元駐日大使のグラハム・フライさんの講演。時節柄、オバマ大統領に関する話が多かった。ディナーのテーブルには、こちらの日系不動産会社、ロンドン・東京プロパティの菊池会長がお隣で、いろいろお話しさせていただいた。菊池会長は、なんと自宅にワイン3000本のコレクションを有するというワイン通だそうで、こちらでワインを楽しむ会をされておられるとのこと。今度誘ってくださいね、とお願いしておいたが、さて?
終了後、一度事務所に戻って、16時から政府観光局で広報連絡会議。そういう名前だけれど、実質は、政府系機関の所長会議。大使館の広報担当公使で、水鳥さんの後任で着任された岡庭公使が初参加。とてもまじめな方で、それぞれの機関からの発表に対して、一つ一つ質問されていた。結局、ほぼ丸2時間の会議となった。その終了後、6時半からは、レストラン三越に場所を変えて、新年会。本当は、岡庭公使の歓迎会とする予定だったのだけれど、岡庭公使は別のお仕事だとのことで、残念ながら、よく見知った内輪の飲み会になってしまった。ただ、それぞれの方の話の濃いこと濃いこと。めちゃくちゃ勉強になった。
24日(土)は、午後6時半から、ホルボーンの「祭」で、英国赤門学友会(東京大学同窓会)の発足式。東大次期総長の濱田氏がロンドンに来られる機会に合わせて実施されたもの。理事長は、フジサンケイグループの鹿内氏。今はロンドンに住まわれておられるらしい。名簿はとりあえず80名分くらいできているそうで、この日の出席者は50名ほど。結構よく集まった。ただ、本来「大口」であるはずの大使館の人が誰も入っていなかったりしているし、本来ならまだまだ大勢いるはず。これから拡大していきそう。
25日(日)は、ようやく何もない一日。雨が降っていたこともあったので、家でのんびりしていた。もちろん、来週いよいよ入試本番の、娘の勉強にも付き合う。しかし、しばらくは問題のなかった背中の調子がやけに悪くて、難儀した。
19日(月)は、Japan Study Tour の報告会。昨年11月に、イギリスとドイツの地方自治体幹部12名を、日本に招待して、東京と長野県飯田市で意見交換や日本生活の体験学習をしていただいたツアーの反省会。全部で8名の方にご参加いただいたので、まずまずの参加率。午前11時から、国際交流基金の会議室をお借りして実施。ジェイソン調査員の司会で、僕の挨拶、自己紹介、参加者のSimon Bovey氏(スコットランドの Daventry Districe Council の Managing Director)からのパワーポイントを使った結果報告、意見交換と続いた。意見交換では、非常に活発な意見が出て、当初12時半には会を終了して立食パーティに移る予定が、結局15分ほど遅れた。でも、非常にありがたいこと。終了後、わざわざドイツからお越しいただいた、Jens Graf氏(ブランデンブルク州市町村連盟の部長)、Simon Bovey氏、キルヒナー首席調査員、ジェイソン調査員の5人で、近くのラッセルホテルでコーヒーを飲み、さらに歓談。その後も、Graf氏はまだ飛行機の時間まで間があったので、うちの事務所に来ていただき、4時15分くらいまでお話しした。とても充実した報告会で、よかった。
20日(火)は、19時から Japan Society Annual Dinner に参加。Tower Hill にある「The Grange City Hotel」で。ゲストに葉加瀬太郎、高田真由子ご夫妻がご参加され、葉加瀬太郎のミニコンサート付きというゴージャスなもの。レセプションでは、大使館の岡経済公使ご夫妻や、富田公使などとお話。とても混んでいて、歩き回るのが難しく、あまり大勢とはお話しせず。ディナーのテーブルは、なかなか良い場所で、演奏をよく見ることができた。わかりやすい曲が多く、気軽に聞けるのもグッド。テーブルでは、Elizabeth Fusae Thurley さんという、もうイギリスに来て50年になるという女性の方が隣に座られ、もっぱらこの方からいろいろなお話をおうかがいした。結構長く続き、結局終わったのは夜10時45分くらい。家に帰って寝た頃には、もう日が変わっていた。
21日(水)は、午後2時半から、大使館で、日英150周年記念の第4回実行委員会。今年の目玉行事だった、大相撲ロンドン場所が、大相撲協会の財政難のためキャンセルになってしまったとのことで、実行委員のお一人、Japan Society のクリストファー・パーヴィス会長が、せっかく時間をかけて準備してきたのに、と、とても残念がっておられたのが印象的だった。
22日(木)は、午後3時に、全日空の西堀支配人と皆戸さんが来訪。新年のご挨拶。やはり経営がめちゃくちゃ大変というお話。
午後6時からは、大使館で、明日から始まる日本財団のセミナーの前夜祭に当たるレセプション。「現代日本を知るための100冊」を、日本財団の資金で選定・購入・配布する企画があるそうで、それが展示されていた。100冊並ぶと、かなり壮観。紀伊國屋書店ロンドンオフィスがその手配をしたとのことで、支店長の浅井さんからいろいろお話をうかがった。また、イギリスで、日本研究をされている若手研究者のフェローシップの紹介があった。いろいろな人とお話ししたが、SOASのポール・ウェブレー学長とお話しでき、バーミンガム大学のクリス・ワトソン先生と再会できたのが、一番の収穫、かな。ただ、ほとんど食べるものがなかったので、おなかがすいたこともあって、日本学術振興会の古川所長、政府観光局の高橋次長と3人で、近くのMiyamaで夕食。結構飲んだため、帰る頃にはふらふらになってしまった。
23日(金)は、とても盛りだくさん。まず、正午からバークレーホテルで、時事通信社のトップセミナー。昼食前のレセプションでは、日本郵船の専務で欧州統括会社社長の諸岡さんとの話がおもしろかった。日本郵船には、徳川将軍家の末裔がおられるとのことで、いろいろおもしろいエピソードがあった。で、本番が、元駐日大使のグラハム・フライさんの講演。時節柄、オバマ大統領に関する話が多かった。ディナーのテーブルには、こちらの日系不動産会社、ロンドン・東京プロパティの菊池会長がお隣で、いろいろお話しさせていただいた。菊池会長は、なんと自宅にワイン3000本のコレクションを有するというワイン通だそうで、こちらでワインを楽しむ会をされておられるとのこと。今度誘ってくださいね、とお願いしておいたが、さて?
終了後、一度事務所に戻って、16時から政府観光局で広報連絡会議。そういう名前だけれど、実質は、政府系機関の所長会議。大使館の広報担当公使で、水鳥さんの後任で着任された岡庭公使が初参加。とてもまじめな方で、それぞれの機関からの発表に対して、一つ一つ質問されていた。結局、ほぼ丸2時間の会議となった。その終了後、6時半からは、レストラン三越に場所を変えて、新年会。本当は、岡庭公使の歓迎会とする予定だったのだけれど、岡庭公使は別のお仕事だとのことで、残念ながら、よく見知った内輪の飲み会になってしまった。ただ、それぞれの方の話の濃いこと濃いこと。めちゃくちゃ勉強になった。
24日(土)は、午後6時半から、ホルボーンの「祭」で、英国赤門学友会(東京大学同窓会)の発足式。東大次期総長の濱田氏がロンドンに来られる機会に合わせて実施されたもの。理事長は、フジサンケイグループの鹿内氏。今はロンドンに住まわれておられるらしい。名簿はとりあえず80名分くらいできているそうで、この日の出席者は50名ほど。結構よく集まった。ただ、本来「大口」であるはずの大使館の人が誰も入っていなかったりしているし、本来ならまだまだ大勢いるはず。これから拡大していきそう。
25日(日)は、ようやく何もない一日。雨が降っていたこともあったので、家でのんびりしていた。もちろん、来週いよいよ入試本番の、娘の勉強にも付き合う。しかし、しばらくは問題のなかった背中の調子がやけに悪くて、難儀した。
2009年1月18日日曜日
1月12日~18日
今週もまた、1週間を振り返って。
12日(月)は、午後、International Business Wales の Gavin Hamilton 氏来訪。彼は、若い頃長野県に行っていたことがあるとのことで、現在も Japan Society の会員。その関係で、時々セミナーでお会いして雑談することがあった。多少は日本語も話せる人。今回は、年始の表敬ということで、雑談を少々。
13日(火)は、夕方から商工会議所の年頭賀詞交換会。リバプールストリートにある Draypers Hall で、午後6時からとのことだったのだけれど、挨拶が7時スタートとのことだったので、事務所を6時に出た。しかし、サークル線で行く予定が、いつまでたっても目的の電車が来ない。あまりに時間がかかりそうだったので、結局あきらめてジュビリー線からビクトリア線を使って回り道。おかげで、着いたのがすでに6時40分頃で、会場は超満員だった。ここで初めてお会いしたのが、日本政策金融公庫(国際協力銀行)の欧阿中東地域外事審議役の小川さん、大和証券SMBCヨーロッパ社長の小松さん、Japan Society の Robert Guy 氏など。先日大使館での賀詞交換会で挨拶した岡庭公使にも、子供の学校の話とかいろいろさせていただいた。
14日(水)から15日(木)にかけて、エディンバラ出張。スコットランド国会議事堂で午後6時から開催される、領事館主催の経済セミナー出席のため。
午後12時過ぎに役所を出て、パディントン駅からヒースロー・エクスプレスで空港へ。午後1時10過ぎ着。チェックインはあらかじめWebで終えてあったので、手荷物検査とセキュリティチェックだけ。順調に1時半には終わる。午後2時45分の出発までには十分時間があるので、空港内のレストランでパスタの昼食。で、2時10分頃終えて、案内掲示板を見たけれど、まだ出発ゲートの案内がない。それどころか、11時ころ以降の便が軒並みまだ掲示板に残っていて、欠便、遅れの嵐。外を見ると、霧で真っ白。参った。結局2時半頃ようやく、午後4時20分に遅れるという案内が出た。とりあえず、事務所に電話して事情を告げ、領事館に報告しておいてもらう。その後、3時過ぎには、飛行機の出発が午後5時15分まで遅れると訂正が入る。改めて事務所に連絡。ちなみに、これだとエディンバラのスコットランド国会に着くのが7時を回りそうなので、キャンセルができないか、一応確認を依頼。でも、当日のことで、飛行機もちゃんと飛ぶようなので、それは無理でしょうとのこと。しかたなしに、とりあえずエディンバラに行くことに。
結局、飛行機は無事5時15分には飛び立ち、6時40分にエディンバラ空港に着いた。飛行機の中で出会った、やはり同じセミナーに向かっているジェトロの江口さんと一緒に、空港からタクシーで国会へ。着いたのは午後7時20分。結局、セミナーには出席できず、終了後のレセプションで、数人の人とお話ししただけで、8時には解散。雨も降っていたし、さんざんだった。夕食も取っていないので、江口さんと近くのパブに入って、ビールとハギス&チップスの夕食。ようやくひとごごちつけて、午後9時過ぎにホテルにチェックイン。そのまま泊まる。
15日(木)は、朝6時に起きてシャワー。6時半からビュッフェの朝食。7時半にチェックアウトして、タクシーで空港へ。今度は順調に、9時半の飛行機に乗れ、ロンドンに無事戻った。午後は、普通にお仕事。
夜は、大使館の河合一等書記官からのご紹介で、北海道新聞社の高田支局長、時事通信社の高橋記者と会食。事務所の川本君との5人で、チャイナタウンのハーバー・シティ・レストランで、会食と言うより気楽な飲み会。非常に話がはずんで楽しかったけれど、内容を書いていいのかどうかは、多少疑義があるので、とりあえず省略。
16日(金)は、午後2時に福岡市役所から今ロンドン大学に留学中の吉田さんが来訪。彼は、派遣でも奨学金付きでもなく、純粋に自己資金で、仕事を求職して都市計画の勉強しているらしい。偉い。総務省にも4年ほど勤務した経験があるそうで、いろいろ話に花が咲いた。彼からの要望は、大学にいると実務の勉強ができないので、うちの事務所で相談にのって欲しいとのこと。川本君に、事務所のメンバーを紹介してあげてもらった。
17日(土)は、下見に行った不動産の確認。ビクトリア駅周辺やサウスケンジントン駅周辺を歩いた。
18日(日)も、不動産の周辺地域の確認。マーブルアーチ駅、メリルボーン駅からオックスフォードストリートあたりをいろいろ歩いた。
不動産の下見のおかげで、今まであまり歩いていなかったセントラルロンドンの地域、それも割とにぎやかなところをいろいろ見ることができておもしろかった。
12日(月)は、午後、International Business Wales の Gavin Hamilton 氏来訪。彼は、若い頃長野県に行っていたことがあるとのことで、現在も Japan Society の会員。その関係で、時々セミナーでお会いして雑談することがあった。多少は日本語も話せる人。今回は、年始の表敬ということで、雑談を少々。
13日(火)は、夕方から商工会議所の年頭賀詞交換会。リバプールストリートにある Draypers Hall で、午後6時からとのことだったのだけれど、挨拶が7時スタートとのことだったので、事務所を6時に出た。しかし、サークル線で行く予定が、いつまでたっても目的の電車が来ない。あまりに時間がかかりそうだったので、結局あきらめてジュビリー線からビクトリア線を使って回り道。おかげで、着いたのがすでに6時40分頃で、会場は超満員だった。ここで初めてお会いしたのが、日本政策金融公庫(国際協力銀行)の欧阿中東地域外事審議役の小川さん、大和証券SMBCヨーロッパ社長の小松さん、Japan Society の Robert Guy 氏など。先日大使館での賀詞交換会で挨拶した岡庭公使にも、子供の学校の話とかいろいろさせていただいた。
14日(水)から15日(木)にかけて、エディンバラ出張。スコットランド国会議事堂で午後6時から開催される、領事館主催の経済セミナー出席のため。
午後12時過ぎに役所を出て、パディントン駅からヒースロー・エクスプレスで空港へ。午後1時10過ぎ着。チェックインはあらかじめWebで終えてあったので、手荷物検査とセキュリティチェックだけ。順調に1時半には終わる。午後2時45分の出発までには十分時間があるので、空港内のレストランでパスタの昼食。で、2時10分頃終えて、案内掲示板を見たけれど、まだ出発ゲートの案内がない。それどころか、11時ころ以降の便が軒並みまだ掲示板に残っていて、欠便、遅れの嵐。外を見ると、霧で真っ白。参った。結局2時半頃ようやく、午後4時20分に遅れるという案内が出た。とりあえず、事務所に電話して事情を告げ、領事館に報告しておいてもらう。その後、3時過ぎには、飛行機の出発が午後5時15分まで遅れると訂正が入る。改めて事務所に連絡。ちなみに、これだとエディンバラのスコットランド国会に着くのが7時を回りそうなので、キャンセルができないか、一応確認を依頼。でも、当日のことで、飛行機もちゃんと飛ぶようなので、それは無理でしょうとのこと。しかたなしに、とりあえずエディンバラに行くことに。
結局、飛行機は無事5時15分には飛び立ち、6時40分にエディンバラ空港に着いた。飛行機の中で出会った、やはり同じセミナーに向かっているジェトロの江口さんと一緒に、空港からタクシーで国会へ。着いたのは午後7時20分。結局、セミナーには出席できず、終了後のレセプションで、数人の人とお話ししただけで、8時には解散。雨も降っていたし、さんざんだった。夕食も取っていないので、江口さんと近くのパブに入って、ビールとハギス&チップスの夕食。ようやくひとごごちつけて、午後9時過ぎにホテルにチェックイン。そのまま泊まる。
15日(木)は、朝6時に起きてシャワー。6時半からビュッフェの朝食。7時半にチェックアウトして、タクシーで空港へ。今度は順調に、9時半の飛行機に乗れ、ロンドンに無事戻った。午後は、普通にお仕事。
夜は、大使館の河合一等書記官からのご紹介で、北海道新聞社の高田支局長、時事通信社の高橋記者と会食。事務所の川本君との5人で、チャイナタウンのハーバー・シティ・レストランで、会食と言うより気楽な飲み会。非常に話がはずんで楽しかったけれど、内容を書いていいのかどうかは、多少疑義があるので、とりあえず省略。
16日(金)は、午後2時に福岡市役所から今ロンドン大学に留学中の吉田さんが来訪。彼は、派遣でも奨学金付きでもなく、純粋に自己資金で、仕事を求職して都市計画の勉強しているらしい。偉い。総務省にも4年ほど勤務した経験があるそうで、いろいろ話に花が咲いた。彼からの要望は、大学にいると実務の勉強ができないので、うちの事務所で相談にのって欲しいとのこと。川本君に、事務所のメンバーを紹介してあげてもらった。
17日(土)は、下見に行った不動産の確認。ビクトリア駅周辺やサウスケンジントン駅周辺を歩いた。
18日(日)も、不動産の周辺地域の確認。マーブルアーチ駅、メリルボーン駅からオックスフォードストリートあたりをいろいろ歩いた。
不動産の下見のおかげで、今まであまり歩いていなかったセントラルロンドンの地域、それも割とにぎやかなところをいろいろ見ることができておもしろかった。
2009年1月11日日曜日
引っ越しの検討
今住んでいるチェルシーのフラットは、前任の務台所長から引き継いだもので、僕一人住んでいる分については、便利でおしゃれで快適で、何も問題はないのだけれど、今年の夏に家族を呼ぶことを考えたときには、いくつか深刻な問題がある。
一つは、家の狭さ。2ベッドルームのうち、1つはシングルルームなので、そこに来たとき13歳の娘と10歳の息子とを押し込むことになる。一応エクストラベッドはあるのだけれど、かなり窮屈なのは確か。もちろん、お客様が来たときにお泊めするスペースは全くない。
二つ目は、ボイラータンクの容量。お湯を節約してシャワーだけ使う分にはとりあえず大丈夫そうだけれど、湯船に湯を張ってはいろうとすると、下手すれば1人分でタンクの熱い湯がなくなってしまう。節約してぎりぎり2人分といったところで、あとの2人が入るには、再びタンクが熱い湯で満たされるまで、半日待たないといけない。
三つ目が、部屋は4階にあるのに、エレベータが使えないこと。一応フラットについてはいるんだけれど、昨年7月に来て以来、一度も動いていたことがなく、修理の予定も聞かない。日常生活には特に問題はなくても、旅行などで大きなトランクを上げ下げする時や、大きな荷物が配達されたときに、それを持って上がるのが本当に大変。
四つ目が、冷蔵庫の小ささ。明らかに独身用のサイズ。ただ、作り付けなので、取り替えてもらうこともできず、買い足すしかない。その場合も、それを置くスペースが悩ましい。
五つ目が、地区に公立中学校が異常に少ないこと。フラットのあるケンジントン・チェルシー地区には、公立中学校(英国では高校も一体)が一応4つあるのだけれど、そのうち1つは男子校、2つはカトリック校で原則としてカトリックの信者しか入れない学校なので、カトリックではない娘が入学できるのが、実質的に1つしかない。しかもそれのあるのがホランド・パークで、ここからかなり遠い。一応、チェルシー地区にあるカトリック校に入学できないか、いろいろ当たってみたんだけれど、少なくとも今後日曜日に毎週教会に通うことが条件になるような感じ。まあやってやれなくはないんだけど、なんというか…
さすがにこれでは困るので、一応ウェストミンスター地区の中学校にも当たって、一つはなんとか入れそうなところを見つけた。でも、越境入学というのは、別の学校を探したくなったときにちょっと難しい。
真剣に引っ越しを検討するようになったのは、実は昨年秋にボイラーが壊れて、熱い湯が全く出なくなってしまい、シャワーが全く使えなくなったとき。その後、2週間程度でとりあえずぬるま湯程度は出るようになったのだけれど、相変わらずシャワーを浴びると寒い、という状態が続いて閉口した。大家さんの努力で、途中で業者を変えて何回もみてもらったおかげで、なんとか12月には熱いお湯が出るところまで復活したんだけど、正直まいった。
実は、僕自身は毎朝スポーツクラブに通って水泳をしており、そこでシャワーを浴びてくることができるので、とりあえず家のシャワーが使えなくてもなんとかなるのだけれど、家族が来て、女性が2人になると、これでは日本人は生活できない。
今のところ、ボイラーが直ったので、とりあえず狭いことにはがまんして、学校を見つけて、冷蔵庫を買い足せば、なんとかここでも一応家族で生活はできそうではあるのだけれど、せっかくイギリスに来ているのに、住居費の割高なチェルシーにこだわって(それでも、いま住んでいるところは、その中ではかなり割安な家賃ではある)、そこまで不便な生活に耐える必要があるのか、というところも疑問であり、やはり引っ越しは重要な選択肢。
もうしばらく、いろいろ物件に当たってみて、最終結論を出す予定。
一つは、家の狭さ。2ベッドルームのうち、1つはシングルルームなので、そこに来たとき13歳の娘と10歳の息子とを押し込むことになる。一応エクストラベッドはあるのだけれど、かなり窮屈なのは確か。もちろん、お客様が来たときにお泊めするスペースは全くない。
二つ目は、ボイラータンクの容量。お湯を節約してシャワーだけ使う分にはとりあえず大丈夫そうだけれど、湯船に湯を張ってはいろうとすると、下手すれば1人分でタンクの熱い湯がなくなってしまう。節約してぎりぎり2人分といったところで、あとの2人が入るには、再びタンクが熱い湯で満たされるまで、半日待たないといけない。
三つ目が、部屋は4階にあるのに、エレベータが使えないこと。一応フラットについてはいるんだけれど、昨年7月に来て以来、一度も動いていたことがなく、修理の予定も聞かない。日常生活には特に問題はなくても、旅行などで大きなトランクを上げ下げする時や、大きな荷物が配達されたときに、それを持って上がるのが本当に大変。
四つ目が、冷蔵庫の小ささ。明らかに独身用のサイズ。ただ、作り付けなので、取り替えてもらうこともできず、買い足すしかない。その場合も、それを置くスペースが悩ましい。
五つ目が、地区に公立中学校が異常に少ないこと。フラットのあるケンジントン・チェルシー地区には、公立中学校(英国では高校も一体)が一応4つあるのだけれど、そのうち1つは男子校、2つはカトリック校で原則としてカトリックの信者しか入れない学校なので、カトリックではない娘が入学できるのが、実質的に1つしかない。しかもそれのあるのがホランド・パークで、ここからかなり遠い。一応、チェルシー地区にあるカトリック校に入学できないか、いろいろ当たってみたんだけれど、少なくとも今後日曜日に毎週教会に通うことが条件になるような感じ。まあやってやれなくはないんだけど、なんというか…
さすがにこれでは困るので、一応ウェストミンスター地区の中学校にも当たって、一つはなんとか入れそうなところを見つけた。でも、越境入学というのは、別の学校を探したくなったときにちょっと難しい。
真剣に引っ越しを検討するようになったのは、実は昨年秋にボイラーが壊れて、熱い湯が全く出なくなってしまい、シャワーが全く使えなくなったとき。その後、2週間程度でとりあえずぬるま湯程度は出るようになったのだけれど、相変わらずシャワーを浴びると寒い、という状態が続いて閉口した。大家さんの努力で、途中で業者を変えて何回もみてもらったおかげで、なんとか12月には熱いお湯が出るところまで復活したんだけど、正直まいった。
実は、僕自身は毎朝スポーツクラブに通って水泳をしており、そこでシャワーを浴びてくることができるので、とりあえず家のシャワーが使えなくてもなんとかなるのだけれど、家族が来て、女性が2人になると、これでは日本人は生活できない。
今のところ、ボイラーが直ったので、とりあえず狭いことにはがまんして、学校を見つけて、冷蔵庫を買い足せば、なんとかここでも一応家族で生活はできそうではあるのだけれど、せっかくイギリスに来ているのに、住居費の割高なチェルシーにこだわって(それでも、いま住んでいるところは、その中ではかなり割安な家賃ではある)、そこまで不便な生活に耐える必要があるのか、というところも疑問であり、やはり引っ越しは重要な選択肢。
もうしばらく、いろいろ物件に当たってみて、最終結論を出す予定。
1月5日~10日
またまた1週間まとめて。
5日(月)は、事務所の仕事始め。
日本だと、いろいろな関係団体が挨拶に来て、挨拶ばかりで仕事にならないようなところがあるけれど、こちらだとそんなことはない。普通に通常業務。むしろ、12月19日から休みに入っていたこともあって、休み中の日本からのメールがかなりたまっており、その処理に結構時間を費やした。
仕事時間終了後には、事務所内で軽く仕事始めパーティ。ビール、ワインと乾き物。クリスマスパーティよりは質素に。チャタムハウスに出向中の、鷺坂審議官も飛び入り参加。事務所でのパーティお開きの後は、有志で近所のパブに繰り出す。遅くはならなかったけれど、ワインですっかりよっぱらった。2009年も気持ちよくスタート。
6日(火)は、正午から大使館で新年名刺交換会。村瀬次長、風間次長と3人で出かける。
村瀬次長からのご紹介で、トヨタ自動車ヨーロッパの津江ロンドン支社長にご挨拶。やはりエコノミック・クライシスでものすごく大変だとのこと。作っても売れないから、生産調整をするしかない。でも、将来に向けての研究開発投資は必須だから、とにかく今は我慢の時だというお話だった。あと、水鳥公使の後任でいらした岡庭公使にもご挨拶。その他、いつもの(?)河合書記官や時事通信社の桜井支局長などとも雑談。後の予定があったので、12時50分に引き上げる。
午後1時からは、英国の地方自治体専門誌「Municipal Journal」のMichael Burton編集長と昼食会。キルヒナー主任調査員、アンドリュー調査員と4人で、レストラン三越で。バートン氏は、2005年のJapan Study Tourにもご参加いただいており、歴代所長のご尽力で、クレアロンドン事務所とはとても良好な関係を持っていただいている。もっと早くご面識を得たかったところだけれど、なかなかお忙しい方で、今般ようやくアポイントが取れた。特に、今年は事務所開設20周年の年で、日英セミナーを記念イベントにする予定でいるので、氏との関係は重要。
英国の自治体改革や日本の状況のまじめな意見交換から、軽い雑談まで含めて、楽しくお話させていただいた。もちろん、20周年の話も、しっかりお願いしておいた。
7日(水)は、午前10時から議員会館で労働党のNick Raynsford議員に会う。元地方自治担当大臣。大使館の河合書記官から、アポを取れたのでご一緒にどうですかとのお誘いがあったので、ありがたくお受けし、アンドリュー調査員ともども同行させていただくことにしたもの。アンドリューとは以前からかなり面識があった様子。
議員会館1階のラウンジで、コーヒーをごちそうになりながら、約1時間ほどお話しした。河合君の方で、あらかじめ質問事項をしっかり用意してくれていたこともあり、非常に効率的に濃密なお話が聞けた。リージョン、市町村合併、ユニタリー、直接公選制、今後の政治の行方などなど、実にいろいろな話をしていただいた。内容については、河合君の要領の良いメモがメーリングリストには投稿されていたのだけれど、公開はしてくれていないのかな?
その夜は、Berkleys Global Investment の欧州統括CEOの David Semaya 氏と夕食。インデックス運用に定評のあるグローバルな運用機関で、本社はアメリカのサンフランシスコ。セマイヤさんも、元々はアメリカ人。僕が地共連の資金運用部長をしていたとき、日本のバークレーズ信託銀行社長をしていて、地共連の北米運用視察旅行にご一緒して以来の友人。奥様が日本人で、日本での留学経験や三洋証券での勤務経験もある超のつく日本通で、本人も日本語ペラペラ。で、会話はすべて日本語ですむので、とても楽。昨年、ロンドン在住総務省関係者の忘年会をやった「菊池」という居酒屋で楽しく飲み食いした。やはり、昨年9月から11月くらいまでの状況は、全く手の打ちようがなかったとのこと。でも、BGIはもともとリスク管理が強みだとのことで、運用部隊でロング・ショートをやっているところは、株のインデックスが40%下落する中、8%のロスに留めたとのこと。さすが。オルタナティブ運用で「ロング・ショート」というのは、割安な株を買うと同時に、割高な株を空売りしてダブルで稼ごうとする運用なのだけれど、空売り専門の「ショート・セリング」とは違い、どうしても買いの方がメインになってしまい、株が下がるとやっぱり同じようにやられることが多い運用。それを株式インデックスを32%上回らせるというのは、結構優秀だと思う。
おいしいおつまみを食べ、ビールや日本酒を飲みながら、いろいろな話をしたり、していただいたりしたけれど、バブルの崩壊したドバイはこれから大変だよ、という話が特に印象に残った。
8日(木)は、通常業務だけで、特記事項なし。
9日(金)は、不動産視察。これについては改めて書こうと思っているけれど、昨年末以来、ちょっと引っ越しを検討中。まだ本当に引っ越しするかどうかは決めていないのだけれど、とりあえずいくつか物件を実際に見てみて、考えてみることに。この日は、JAC Strattons という日系不動産会社の物件を、鳥居さんという方の案内で見せてもらった。3ベッドルームで、週800ポンド以下のものを3件。やはり、3ベッドルームだと、広い。ただ、不動産はなんでもそうだけれど、やはりそれぞれに特徴があって一長一短。来週も、仕事の時間の空いたときに、また別のものを見せてもらうことに。
10日(土)は、僕の予定は特になし。日本では、娘の中学受験の第一弾。いよいよ本番が始まった。うまくいってくれればいいけれど。
5日(月)は、事務所の仕事始め。
日本だと、いろいろな関係団体が挨拶に来て、挨拶ばかりで仕事にならないようなところがあるけれど、こちらだとそんなことはない。普通に通常業務。むしろ、12月19日から休みに入っていたこともあって、休み中の日本からのメールがかなりたまっており、その処理に結構時間を費やした。
仕事時間終了後には、事務所内で軽く仕事始めパーティ。ビール、ワインと乾き物。クリスマスパーティよりは質素に。チャタムハウスに出向中の、鷺坂審議官も飛び入り参加。事務所でのパーティお開きの後は、有志で近所のパブに繰り出す。遅くはならなかったけれど、ワインですっかりよっぱらった。2009年も気持ちよくスタート。
6日(火)は、正午から大使館で新年名刺交換会。村瀬次長、風間次長と3人で出かける。
村瀬次長からのご紹介で、トヨタ自動車ヨーロッパの津江ロンドン支社長にご挨拶。やはりエコノミック・クライシスでものすごく大変だとのこと。作っても売れないから、生産調整をするしかない。でも、将来に向けての研究開発投資は必須だから、とにかく今は我慢の時だというお話だった。あと、水鳥公使の後任でいらした岡庭公使にもご挨拶。その他、いつもの(?)河合書記官や時事通信社の桜井支局長などとも雑談。後の予定があったので、12時50分に引き上げる。
午後1時からは、英国の地方自治体専門誌「Municipal Journal」のMichael Burton編集長と昼食会。キルヒナー主任調査員、アンドリュー調査員と4人で、レストラン三越で。バートン氏は、2005年のJapan Study Tourにもご参加いただいており、歴代所長のご尽力で、クレアロンドン事務所とはとても良好な関係を持っていただいている。もっと早くご面識を得たかったところだけれど、なかなかお忙しい方で、今般ようやくアポイントが取れた。特に、今年は事務所開設20周年の年で、日英セミナーを記念イベントにする予定でいるので、氏との関係は重要。
英国の自治体改革や日本の状況のまじめな意見交換から、軽い雑談まで含めて、楽しくお話させていただいた。もちろん、20周年の話も、しっかりお願いしておいた。
7日(水)は、午前10時から議員会館で労働党のNick Raynsford議員に会う。元地方自治担当大臣。大使館の河合書記官から、アポを取れたのでご一緒にどうですかとのお誘いがあったので、ありがたくお受けし、アンドリュー調査員ともども同行させていただくことにしたもの。アンドリューとは以前からかなり面識があった様子。
議員会館1階のラウンジで、コーヒーをごちそうになりながら、約1時間ほどお話しした。河合君の方で、あらかじめ質問事項をしっかり用意してくれていたこともあり、非常に効率的に濃密なお話が聞けた。リージョン、市町村合併、ユニタリー、直接公選制、今後の政治の行方などなど、実にいろいろな話をしていただいた。内容については、河合君の要領の良いメモがメーリングリストには投稿されていたのだけれど、公開はしてくれていないのかな?
その夜は、Berkleys Global Investment の欧州統括CEOの David Semaya 氏と夕食。インデックス運用に定評のあるグローバルな運用機関で、本社はアメリカのサンフランシスコ。セマイヤさんも、元々はアメリカ人。僕が地共連の資金運用部長をしていたとき、日本のバークレーズ信託銀行社長をしていて、地共連の北米運用視察旅行にご一緒して以来の友人。奥様が日本人で、日本での留学経験や三洋証券での勤務経験もある超のつく日本通で、本人も日本語ペラペラ。で、会話はすべて日本語ですむので、とても楽。昨年、ロンドン在住総務省関係者の忘年会をやった「菊池」という居酒屋で楽しく飲み食いした。やはり、昨年9月から11月くらいまでの状況は、全く手の打ちようがなかったとのこと。でも、BGIはもともとリスク管理が強みだとのことで、運用部隊でロング・ショートをやっているところは、株のインデックスが40%下落する中、8%のロスに留めたとのこと。さすが。オルタナティブ運用で「ロング・ショート」というのは、割安な株を買うと同時に、割高な株を空売りしてダブルで稼ごうとする運用なのだけれど、空売り専門の「ショート・セリング」とは違い、どうしても買いの方がメインになってしまい、株が下がるとやっぱり同じようにやられることが多い運用。それを株式インデックスを32%上回らせるというのは、結構優秀だと思う。
おいしいおつまみを食べ、ビールや日本酒を飲みながら、いろいろな話をしたり、していただいたりしたけれど、バブルの崩壊したドバイはこれから大変だよ、という話が特に印象に残った。
8日(木)は、通常業務だけで、特記事項なし。
9日(金)は、不動産視察。これについては改めて書こうと思っているけれど、昨年末以来、ちょっと引っ越しを検討中。まだ本当に引っ越しするかどうかは決めていないのだけれど、とりあえずいくつか物件を実際に見てみて、考えてみることに。この日は、JAC Strattons という日系不動産会社の物件を、鳥居さんという方の案内で見せてもらった。3ベッドルームで、週800ポンド以下のものを3件。やはり、3ベッドルームだと、広い。ただ、不動産はなんでもそうだけれど、やはりそれぞれに特徴があって一長一短。来週も、仕事の時間の空いたときに、また別のものを見せてもらうことに。
10日(土)は、僕の予定は特になし。日本では、娘の中学受験の第一弾。いよいよ本番が始まった。うまくいってくれればいいけれど。
2009年1月4日日曜日
時差ぼけ
元旦に正午成田発のVS901便でロンドンに戻ってきた。
機内預け荷物の重量の23kgは、自宅でしっかり量ってぎりぎりのところで修めてきたのだけれど、手荷物の重量も6kgの制限があったらしく、こちらがかなりオーバーしていてちょっとあわてた。手荷物からトランクにいくらか移し、若干の重量オーバーは目をつぶってもらってようやくチェックイン。焦った。
それ以外は特に問題もなく、予定通り(というか、乗客が少なかったこともあってか、予定より5分ほど早く)フライト。機内は今回もがらがらで、ゆったりすわることができたのは良かったのだけれど、じゃあ10月始めに予約したときには12月22日以前や1月2日以後の便が全部ふさがっていたのは何だったの、って感じ。
今回も、機内ではたっぷり映画を見た。肩肘張らないエンターテイメントで、Wall-E、カンフーパンダ、センター・オブ・ジ・アースの3本。どれもそこそこおもしろかったけど、一番楽しかったのは、センター・オブ・ジ・アースかな。インディ・ジョーンズ4より良かった感じ。
12時間のフライトだけれど、時差の関係でその日の午後3時過ぎにヒースロー空港着。チェックアウトも問題なし。午後4時過ぎには地下鉄に乗ることができ、5時半頃帰宅。
さすがに疲れたので、荷ほどきもほどほどに夕食を取って寝たけれど、やはり、というべきか、夜中の3時に目が覚めて、そのまま6時までまんじりともせず。でも、朝6時頃再度眠ることができ、11時過ぎまでぐっすり休んで体力回復。午後からはプールにも行った。
しかし、調子が良いと思ったのはそこまでで、2日以後も体がだるい。夜9時過ぎには寝るんだけど、やはり3時に目が覚めて、6時頃まで眠れない。昨日3日の晩は、なんとせっかく10時に寝たのに12時半にもう目が覚めてしまい、結局そのまま朝5時まで本を読んで過ごした。そこから再度眠って、8時半過ぎまで眠ることはできたんだけれど、こんな調子で仕事が始まって大丈夫なのか、一抹の不安。とりあえず、食欲はあるので大丈夫だとは思うが。
機内預け荷物の重量の23kgは、自宅でしっかり量ってぎりぎりのところで修めてきたのだけれど、手荷物の重量も6kgの制限があったらしく、こちらがかなりオーバーしていてちょっとあわてた。手荷物からトランクにいくらか移し、若干の重量オーバーは目をつぶってもらってようやくチェックイン。焦った。
それ以外は特に問題もなく、予定通り(というか、乗客が少なかったこともあってか、予定より5分ほど早く)フライト。機内は今回もがらがらで、ゆったりすわることができたのは良かったのだけれど、じゃあ10月始めに予約したときには12月22日以前や1月2日以後の便が全部ふさがっていたのは何だったの、って感じ。
今回も、機内ではたっぷり映画を見た。肩肘張らないエンターテイメントで、Wall-E、カンフーパンダ、センター・オブ・ジ・アースの3本。どれもそこそこおもしろかったけど、一番楽しかったのは、センター・オブ・ジ・アースかな。インディ・ジョーンズ4より良かった感じ。
12時間のフライトだけれど、時差の関係でその日の午後3時過ぎにヒースロー空港着。チェックアウトも問題なし。午後4時過ぎには地下鉄に乗ることができ、5時半頃帰宅。
さすがに疲れたので、荷ほどきもほどほどに夕食を取って寝たけれど、やはり、というべきか、夜中の3時に目が覚めて、そのまま6時までまんじりともせず。でも、朝6時頃再度眠ることができ、11時過ぎまでぐっすり休んで体力回復。午後からはプールにも行った。
しかし、調子が良いと思ったのはそこまでで、2日以後も体がだるい。夜9時過ぎには寝るんだけど、やはり3時に目が覚めて、6時頃まで眠れない。昨日3日の晩は、なんとせっかく10時に寝たのに12時半にもう目が覚めてしまい、結局そのまま朝5時まで本を読んで過ごした。そこから再度眠って、8時半過ぎまで眠ることはできたんだけれど、こんな調子で仕事が始まって大丈夫なのか、一抹の不安。とりあえず、食欲はあるので大丈夫だとは思うが。
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