5月22日(金)にロンドンでの仕事を済ませてから、6月1日(月)まで日本に出張していて、その後も時差ぼけで体調がいまいちだったため、ブログの更新がずいぶん滞ってしまった。
今思い出せる範囲で、その間のことをとりあえず書いておき、機会があればあとから補足したい。
5月20日(水)は、月例のスピーカーシリーズ。ケンブリッジ大学で博士課程を履修中の土野賢氏の講演。土野氏は、完全に日本人名前だけれど、元々ハーフで海外生活が長く、日本にいたときにもインターナショナル・スクールに通っておられたとのことで、英語がFirst Language。この日の講演も、最初は楽な英語でされたいとのことだったのだが、日本語の講演原稿を用意され、日本語で講義。いつものように講演前には一緒に昼食を取ったのだけれど、いやいやどうして実に達者な日本語。ちょっと海外生活が長くて言葉が外国語風になった日本人、って感じで、日本語でのコミュニケーションも、全く問題なし。講演テーマも、日本の地方議会・地方政治の変化に関するもので、もう並の生まれながらの日本人よりよほど日本通。
現在博士論文執筆中のもののダイジェスト版だそうで、日本、英国、スウェーデンの地方政治のあり方の比較がおもしろかった。
21日(木)には、仕事終了後にChelsea Flower Showに行く。僕は特に園芸に興味があるわけでもないのだけれど、せっかくチェルシーに住んでいて、この世界的に有名な催し(だそうだ)に行かないのももったいない、ということでチケットを予約して行ってきた。
小一時間ほどかけてざっと回ってみただけだけれど、思いの外おもしろかった。単に花が植えてあるのではなく、各ブースごとに非常に趣向がこらされていて、まさに「ショー」。園芸にはさほど興味のない僕のような人間が行っても、非常に楽しめる。
写真もしっかり撮ってきたので、雰囲気を見てみたい方は、こちらへ。
でも、せっかくなら、一人で行くより誰かと一緒に行って感想を言い合いながら楽しみたいもの。来年は家族で来たい。
22日(金)は、12時半から広報連絡会議。2ヶ月に1度、在ロンドンの大使館、政府関係機関や商工会議所、日本クラブ、JALといった日本を英国に売り込むミッションを持った組織の責任者の意見交換会。幹事は持ち回りで、今回は商工会議所の当番。長年いらした商工会議所の高橋事務総長が今回でご退任とのことで、メモリアルの会議となった。
会議終了後、一度事務所に戻り、打ち合わせや決済などを片付け、そそくさと帰宅。速攻で着替えてスーツケース2個持ってヒースロー空港へ。19時15分のJAL402便で日本に飛び立った。
機内では、ワインの飲みながら機内食を食べた後、機内映画の「カリブの海賊」だけ見て爆睡。目が覚めたときには、すでに着陸まで2時間を切っており、あっという間に日本に着いた感じ。結構疲れていたということか。ともあれ、日本までの旅が短くてちょっと儲かった気分。成田到着は、23日(土)の午後3時。
24日(日)と25日(月)は、7月にロンドンに連れてくる予定の家族のための、家の片付けやら手続きやら、とりあえずできること諸々。最優先事項は、もちろん木曜日の午前中に予約を入れている家族ビザの申請書類そろえ。翌日火曜日には本部に持って行って問題ないかチェックしてもらい、水曜日に受け取って木曜日に申請という段取りなので、月曜中には必要書類がすべて整えておかなければならない。なんとか用意できた、はず。
26日(火)は、午前中総務省に寄り、状況報告等。昼は前の職場である地域放送課の現課長と昼食を取りながら意見交換。その後、外務省に寄り、昨年12月まで在英日本大使館広報文かセンター所長だった水鳥会計課長を表敬訪問。実は課長は前日までアフリカに行っていらしたとお聞きし、お会いできた幸運に感謝。
27日(水)は、午前10時半からクレア事務局長と面談。ロンドン事務所の状況、家族の渡航関係などいろいろお話しさせていただいた。本来30分の予定が10分オーバー。この日の昼は、総務省の海外勤務経験者の先輩方との昼食会。その後、総務省に寄って昨日行けなかったところを回り、午後3時過ぎにクレアに戻る。3時半から所長会議。この日はおおむね事務局長と所長だけの内輪の会議で、ざっくばらんに本音の意見交換を行った。
その会議の終了後、クレアに自治体から派遣されて来て、来年4月からロンドン事務所に派遣予定の職員との意見交換。来年は、静岡県、岐阜県、神戸市から職員がやってくる予定。7月に来英予定の総務省と東京都の職員の方にも、せっかくの機会なのでご一緒に参加願った。
28日(木)は、朝9時から新橋のUKビザセンターに行って、家族のビザ申請。前日に、子供達の学校にはビザ申請のため遅刻する旨を連絡してあったが、学校に行く用意をさせて出発。あいにくの雨で、駅まで自転車が使えなかった上、新橋までの京浜東北線が通勤ラッシュでかなり大変だった。体の小さい息子が押しつぶされないか、娘が痴漢に遭わないかとひやひやしどおし。ともあれ、無事9時にはビザセンターに着き、荷物チェック、ボディチェックの後受付に。窓口が2つで入ったときには両方ふさがっており、10分ほど待たされたけれど、割とすんなり受付スタート。審査が始まってしばらくすると、僕と家族全員のパスポートのコピーが必要なのにないと言われ、慌てて1回のローソンに降りてコピーを取る一幕があったり、僕のビザのカテゴリーについて、昨年7月に渡英した際の Oversea's Government Employee から Tier 5 の International Agreement に切り替わったことについて説明する必要があったりと、若干のばたばたはあったけれど、ともあれ無事に受け付け終了。でも、やはり僕の帰国のタイミングに申請をすることにしておいてよかった。妻だけでは、とても昨年の英国移民法改正におけるビザのカテゴリーの変更なんてわかるはずがない。
申請終了後、妻は娘を送って渋谷方面へ。僕は息子と一緒に赤羽に戻る。息子を小学校の担任の先生のところまで連れて行き、その足でクレアへ。この日の昼は、クレア本部の役員との意見交換昼食会。その後、引き続いて所長会議の本番があり、さらに総務省総括審議官との意見交換。終了は午後6時。6時半からはルポール麹町に場所を移して、総務省幹部の方達への「海外活動報告会」。立食パーティ形式。
すさまじく忙しい1日だった。
29日(金)は、午前中は幸い仕事が入っていなかったので、歯医者の予約を入れ、歯石取り。日本だと健康保険が利くが、英国での海外傷害保険は歯科医療が対象外なので、この機会は非常に重要。海外にいる間は、虫歯にはなれない。その後、7月にロンドン事務所勤務となる東京都の職員が、せっかくの機会なので一度東京都のオリンピック誘致現場を見ていただきたいというお誘いを受けていたので(ちなみに、彼は現在オリンピック招致委員会に出向中)、都庁へ。一緒に45階の食堂で昼食を取ってロンドンに来てからのいろいろな話をした後、招致委員会事務局と招致本部の事務所を見せていただいた。現在どちらも100人を超える大所帯で、オリンピック招致に賭ける都の熱意がひしひしと伝わってきた。10月2日が運命の日。
その後、前の前の職場であった地方公務員共済組合連合会に寄り、昨今の金融・経済情勢についての意見交換をした後、またまたクレアへ。この日は、午後4時から外務省との意見交換会。縄張り争いをすることなく、非常に協調的にいい関係を築けていることを感じた。
そして午後6時半からは、虎ノ門パストラルで「クレア会」。クレアの現職・OB達が一同に集う総会で、歴代先輩事務所長から叱咤激励を受ける場。今回の全日程の中で、正直これが一番大変だった。
30日(土)は、朝一番に、雨の中、大量の粗大ゴミを指定場所に持って行く。今回の引っ越しは、今までの引っ越しとは訳が違う。僕もいないので、妻が大車輪の活躍。頭が下がる。その後、午前中に、息子と北区の温水プールに行って一緒に泳ぐ。実に1年ぶり。娘は学校があったので一緒に行けなかったのが、ちょっと残念。夕方は、同期のうち3人が現在海外勤務になっていることもあって、帰国中のこの時期に合わせての総務省同期会。知事、課長、大学教授とみんなそれぞれひとかどのポストに就いていることもあり、貴重な機会。
31日(日)は、今回の帰国の最終日ということで、自分の残っていた荷物の総整理。日本に残してきた本のほとんどをブックオフに持って行き(段ボール箱3箱分)、洋服を大量に捨て、証書類をふるい分けし、可能な限り後腐れのないよう整理してきた、つもり。しかし、引っ越しの瞬間に自分が海外にいて立ち会えないというのは、かなり不安の残る状況。国内単身赴任とは、やはり根本的に状況が異なることを痛感。夕方には、先頃婚約してこの7月5日に結婚する予定の妻の弟カップルが我が家を訪問。結婚式に出席できない僕のために、妻がセットしておいてくれたもの。美人で非常に感じの良い女性で、一安心。
1日(月)は、正午初のJAL401便でロンドンに戻る。朝8時過ぎには妻と車で家を出たのだが、想像を絶する渋滞で、途中ひょっとして飛行機に遅れてしまうんじゃないかと非常に焦った。しかし、何とか10時半には成田に着き、チェックインもスムーズに終わって一安心。今回は、家族の引っ越しの前触れということで持って帰る荷物も多く、自動車を使わざるを得なかったのだけれど、やはり車は心臓に悪い。
飛行機は、当初午後4時35分ヒースロー着の予定だったけれど、予定より早く午後4時には到着。大量の荷物をタクシーに詰め込み。無事帰還。
2日、3日は事務所でたまっていた事務処理。
4日(木)は、午後2時半から大使館で行われたJOCとラフバラ大学との調印式に出席。2012年ロンドンオリンピックの日本選手団の合宿先としてラフバラ大学を利用させてもらうというもの。この大学は、スポーツ・サイエンスで有名な大学で、北京オリンピックにも学生から50名以上参加しているとのことで、非常に有意義な提携。東京オリンピック誘致の一助にもという意図も、もちろんあり。
調印式後のレセプションでは、河野一郎東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長にご挨拶。昔の有名政治家と同姓同名だけれど縁戚関係にはないらしい。また、ラフバラ大学のJon Walker渉外部長ともお話した。
5日(金)は、朝、出勤前に9月から息子が通う予定の小学校に訪問。3月末に息子と一緒に訪問した折には、現在空きがないため入学は難しいとのことだったのだけれど、幸運にも空きができたようで、入学のオファーが手紙できており、早速入学手続きに行ってきたもの。
こちらでどこの学校に行かせるかについては、1年間ずっと悩んできたけれど、とりあえず息子については一段落。まあこの選択で本当に良かったのかどうかは、行ってみるまでわからないけれど、ともあれ行くところが一つでもきちんと見つかってよかった。
日本では考えられないことだけれど、こちらでは、学校はとにかく自力で見つけなければならない。行政を頼ることは基本的にできない、というのは大きな勉強だった。
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