6月11日(木)から12日(金)の2日間、キルヒナー主任研究員とドイツ・ブランデンブルク州に出張。
一昨年(2007年11月)にも、当時の務台所長がキルヒナーさんとブランデンブルク州に出張しており、その折には、都市と農村の交流をテーマに、ブランデンブルク州の市町村幹部を相手に務台所長がプレゼンテーションをしており、そのとき世話をしてくれていた州市町村連盟のJenz Graf部長が、昨年(2008年)のJapan Study Tourに参加して来日されたというご縁があり、今回は、再びGrafさんからのお勧めがあって再訪することとしたもの。
当初、4月20日に市町村連盟総会があり、そこには州の首相なども参加するからそこに来ないかとの提案もあったのだけれど、日が折り合わずに断念。その後も、できるなら早いうちにと5月にも日程調整をしてみたが、5月は向こうもこちらも日程が結構つまっており、結局折り合わずに6月のこの日となった。訪問先についても、いろいろとやりとりはあったが、せっかくだからということで、かなりみっちりと詰まった訪問スケジュールとなった。
11日(木)は、午前中にGrafさんの本拠地、ブランデンブルク州市町村連盟で、州の自治制度についてのご説明を受けるということで、午前7時15分ヒースロー発の飛行機でベルリンへ。ちなみに、余裕を見て朝5時前に起き、5時半にタクシーを拾ったら、6時にヒースロー空港に着いた。いつも渋滞のロンドンだけれど、やはり朝は空いている。
ベルリンのティーゲル空港には現地時間で10時5分着。飛行機がやや早く着いたため、Grafさんはまだいなかったが、まもなく到着。空港からGrafさんの運転でポツダムの市町村連盟まで連れて行ってもらった。当日は、あいにくの雨と、市町村連盟と同居している福祉関係の政府機関への保育士さん達のデモの騒音とかもあって、結構厳しい滑り出しだった。
しかし、英語のスライド、英語のプレゼンで、非常にわかりやすくブランデンブルク州の自治制度についての説明をお聞きできた。自治制度や市町村の現状についての概括的な話をお聞きしたのだが、一つ驚いたのは、市長は直接公選なのに、当選すると議会の一員になるということ。議院内閣制と大統領制の中間、というか、併せ持った形態で、僕は今までそのような政治形態が現実にあるのを知らなかった。市町村と州とは、都市計画の方針や権限を巡って、結構厳しい対立関係にあるというのも、身につまされた話。
その後、ポツダム市内の、旧町の議事堂だった建物にある Ratokeller(議会食堂、みたいな意味。でも今は普通のドイツレストラン)に連れて行っていただき、ドイツ伝統料理の昼食。ちょうどアスパラガスが旬だったため、アスパラガスとシュニッツェルのプレートをいただいた。とてもおいしかった。
昼食後は、午後2時半からポツダム大学自治研究所を訪問。ポツダム大学とは、ドイツの自治体に関する情報を年間契約でうちの事務所にいれてもらっており、今回はその契約更改。もちろん、契約を詰めはすでに終わっており、今回は本契約書にサインをしにきただけ。でも、契約公開前にJann教授からうかがった話は、ドイツの実情がうかがえてなかなかおもしろかった。一応知っていたことではあるけれど、やはりドイツというのは本物の連邦国家で、州ごとの独立性が強く、違いは非常に大きい。「日本の地方自治」みたいなノリで「ドイツの地方自治」を語ることはできない。当然それにふさわしい研究や調査のアプローチ方法があるはずで、そういう意味でもポツダム大学は貴重なパートナー。
その後、再度Grafさんに迎えに来ていただき、その案内で午後4時半からポツダム市を訪問。残念ながら市長とはお会いできなかったが、ハディッヒさん、エッシェンスブルクさんから、ポツダム市の子育て支援や都市政策等についてのお話をうかがうことができた。
ポツダムは、ベルリンの隣で、かつ旧東ドイツだったところであるため、西からの投資資金が結構入ってきており、元々プロイセン国王の居住地で風光明媚な土地柄という恵まれた環境にあるおかげもあって、現在人口が増え、子供の数も増えているらしい。もちろんそれはそれで保育所や学校の配置とか、行政上のいろいろな悩みはあるわけだけれど、何にせようらやましい話。
ミーティング後、ホテルに引き上げ。朝が早かったので、結構疲れた。
12日(金)は、朝7時半にホテルを出て、再度Grafさんの運転・案内でコットブス市に訪問。ポツダムからは高速を飛ばして1時間半くらいだった。コットブス市役所訪問の予定は10時からだったので、小一時間空きができたこともあって、Grafさんの案内で、Cottbus市の中心街をしばらく散策。町並みを見て回った。
10時からのミーティングでは、主として市の住宅政策についてのお話をうかがった。かつて炭鉱の町として栄え、東ドイツ下では工業・エネルギー計画都市として計画的な移住が行われ、ピーク時15万人いた人口が、東西ドイツの統一後、8万人を切るまで減ってしまったとのこと。当然住居があまるようになったため、周辺部のもので老朽化したものを削って、中心に近いところに建設した住宅に移ってもらって、市をコンパクト化したいという計画だったそうで、それなりに進んではきているものの、やはり社会が自由主義になると、「ごねる自由」も強くなってしまうこと。また、統一後の自由化時に、公営住宅の一部だけを個人に売却するという誤った政策をとってしまったため、今は住宅再建が本当に大変だということであった。
でも、そうはいいつつ中心部の町並みは新しく、とてもきれいで、また、敷石にはコットブス出身のオリンピック・メダリスト達(ものすごく大勢いた)のプレートなどがはめ込まれ、街に対して誇りを持っているところがうかがえ、結構後口が良かった。
昼食時には、コットブス市で日本との交流に携わっている人たち(全員ドイツ人を中心として非日本人)と、市の開発公社(のようなもの)の会議室で、サンドイッチをつまみながらの意見交換会。いろいろユニークな試みをされておられる方も多く、頼もしい限りだったが、このご時世、どうしてもお金の悩みがつきまというというのも、致し方ないところ。
コットブスからベルリンに戻った足で、すぐにブランデンブルク州政府に赴き、Hams官房長官と懇談。英語が実に堪能で(Grafさんももちろん堪能だけど)、人当たりの良い有能そうな長身のドイツ人で、話していてとても楽しかった。いかにもGrafさんの「ライバル」というか、「敵方であるメンター」というか、そういったイメージ。
しかし、州政府と市町村連盟とのコミュニケーションは非常によさそうで、いいことだと思った。
仕事終了後、午後7時半からは、ベルリン周辺在住の元JETの人たちに集まってきてもらい、夕食を取りながらの意見交換会。大使館からJET担当の西井一等書記官と現地スタッフのレナータ・フォン・ビュローさんも参加。みなさん英語も日本語も結構おできになるので、集まったメンバーの中で唯一ドイツ語のできない僕も、疎外感を感じることなく、とても楽しくすごさせていただいた。ドイツはやはりロンドンから遠いので、ロンドン事務所とは疎遠になってしまいがちになるけれど、できるだけこうやって交流とコミュニケーションを続けて行くようにしたいとお約束して、お開き。
その日はベルリンのホテル泊まり。翌日は、せっかくの機会だからと言うことで、ポツダムのお城巡り。仕事中ずっと悪かった天気が、土曜日にはすっかりよくなり、気持ちよく見て回ることができた。午後、お買い物も済ませて、夜の飛行機でロンドンに戻った。
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