2009年2月28日土曜日

ストックホルム・ミュンヘン出張

2月24日(火)から27日(金)まで、自治体調査のためストックホルムとミュンヘンに出張。ストックホルムでは、主として桑原所長補佐が研究テーマとしている自治体の効率性を上げるための工夫についての実態調査のため、SARA(Swedish Association of Local Authorities and Regions)並びにストックホルム近郊のSOLNA市、Tyreso市を訪問し、ミュンヘンでは、主として竹田所長補佐が研究テーマとしているシティ・ブランディングの調査のため、ミュンヘン市役所を訪問した。

24日は、朝7時15分ヒースロー発の飛行機に乗るため、朝4時40分にタクシーに乗った。ちなみに、頼んだタクシーは1台で、一緒に行ったメンバーを拾いながら最後にうちに来てくれたため、最初に乗った人は午前4時ピックアップ。僕自身は、午前4時に目覚ましをかけたのだけど、寝過ごしたらまずいと緊張して、夜中に2回も目を覚ましてしまい、実質的に眠ったのが3時間足らず。結構ハードなスタートだった。ともあれ、がんばった甲斐あって午前5時過ぎには空港に着き、余裕を持ってチェックインできた。
飛行機も特に遅れることなく飛び、現地時間で午前11時にはストックホルム空港に到着。電車は高いのでタクシーでホテルに行き、荷物を預けた後、市内を見ながら歩いてSARAへ。覚悟していたけれど、気温は摂氏2度で、道にはまだたっぷりと雪が残っていた。
途中で昼食も取ったので、SARAに着いたのが午後1時30分頃。ちょっと早すぎたので、喫茶店で時間をつぶし、2時15分にSARAにお邪魔。そこで通訳の中村さんと合流。2時半にこの日の説明役Christine Feukさんが迎えに来てくれ、ミーティング開始。彼女はLomma市からのSARAへの出向者で、FinanceとGovernanceの担当。この日のミーティングの目的は、スウェーデン一般の話と言うよりも、むしろLomma市自身の取り組みを聞くことだったけど、午後5時までの2時間半。たっぷりとお話を聞かせていただいた。クリスティンさんは、立ちっぱなしのプレゼンで、しかも通訳を介しながらのちょっと効率の悪いやりとりだったので、大変だったと思う。しかしいやな顔ひとつすることなく、最後まで真摯に対応してくださった。ありがとうございます。

25日(水)は、午前9時からSolna市、午後2時からTyreso市でミーティング。どちらも、しっかりと資料を用意してくださっており、非常に中身の濃い話を聞くことができた。Solnaは、ストックホルムの隣に位置しているという有利さを活かし、住宅建設やサッカースタジアム建設などのプロジェクトを企画して、積極的な開発を行っている。また、Tyreso市も、市の南半分が国立公園という環境の良さや、やはりストックホルムまで車で30分という地の利、充実した行政サービスと、ていねいな市民参加の取り組みなどで、毎年人口が3%ずつ増加しているという状況。どちらの市も、非常に自分の町に誇りを持っていることが感じられ、行政運営に対する自信がうかがえて印象的だった。それにしても、日本と同様長寿を誇るスウェーデンで、この人口の伸びはなんなのだろう。今回の調査では、そのこと自体はテーマに入れていなかったので原因を知るための情報は得られなかったけれど、とても気になる。

26日(木)は、ミュンヘンへの移動。午前中、少し時間が空いたので、ガムラスタン島を歩いて一周し、古い町並みを見てきた。残念ながら、博物館などが空く時間が午前11時からというのが多く、また、冬場はそもそも開いていない場所もあったりして、ざっと眺めた程度。次回はぜひ夏来たいもの。午後2時の飛行機でミュンヘンに行ったが、ミュンヘンもストックホルム同様、かなり寒かった。この日は、ホテルにチェックインしたら、そのまま夕食を食べに行って寝ただけ。

27日(金)は、午前10時からミュンヘン市役所訪問。ここでの通訳は、女性の河村さん。非常に能力の高い通訳の方で、やりとりが実に自然にできてありがたかった。お相手してくださったのは、労働産業部長の Dr. Reinhard Wieczorek さんという方だが、この方は元々法律家で、マックス・プランク研究所の知財部門にいたり、行政裁判所の判事をやっていたりという経験をお持ちのばりばりの法律家。その後市議会議員になって、この職に就いたとのことで、部長と言うよりいわばミュンヘン市の労働産業大臣みたいなもの。人当たりの柔らかな紳士で、こちらの質問にとてもていねいに応対していただいた。
それにしても、ミュンヘン市というのは見た感じもそうだったが、話を聞いても実に住みやすそうな街で、うらやましかった。ドイツ人が多いのかと思いきや、人口の3分の1は外国人だというのは結構意外だったが、それでいて治安の悪さを全く感じさせないところが、すごいところ。都市計画を、哲学を持ってきっちりとやって成功させたことが感じられる。
昼食を夕食を食べたレストランもおいしかったし、街もきれいで風情があったし、ぜひまた再訪したいと感じた。

2009年2月23日月曜日

SECOMの話

2月23日(月)は、月例の「スピーカーシリーズ」と題したロンドン事務所の勉強会。今回の講師は、セコムロンドンの竹沢社長。すでに商工会議所の集まりや大使館の会議などで何回かお会いしたことがあったが、とてもエネルギッシュでセキュリティの普及に情熱を燃やされている方。以前、務台前所長が、川本所長補佐と一緒にセキュリティに関する話を聞きに行ったことがあったそうで、それ以来の事務所とのおつきあいだとか。今回は、事務所に来ていただいて、日本と英国との民間セキュリティの相違について、熱く語ってもらった。
話の内容については、近く事務所のHPに載る予定なので割愛するが、セコム発展のきっかけが、子供の頃僕も見ていた「ザ・ガードマン」のヒットにあったことや、イギリスの民間セキュリティ会社が、イギリスが世界で最初に発明した防犯ブザーの販売からスタートしたため、今でも防犯機器の販売会社にとどまっているのに対し、セコムは警備業からスタートしているため、セキュリティサービスを商品としており、サービスに臨むスタンスが全く異なっていること、このため、イギリスに日本式セキュリティサービスを導入するのに、非常に苦労していることなど、パワーポイントを使った熱演で実によくわかり、とてもおもしろかった。
なお、この日の講演には、調査のためロンドンにいらしていた、摂南大学経営情報学部の経営学博士島田教授と、工学博士三藤教授もご参加され、話に花を添えていただいた。
竹沢さん、島田先生、三藤先生、ありがとうございました。

2009年2月21日土曜日

第4回大学生のための日本語スピーチ・コンテスト

21日(土)は、午後1時から、School of Oriental and African Studies(SOAS)の Khalill Lecture Theatre で開催された「大学生のための日本語スピーチ・コンテスト」に出席。国際交流基金とThe British Association for Teaching Japanese as a forign language(Batj)が秀才のコンテストで、今年で第4回目だそうだ。
大学で選択科目として日本語を学習している学生が対象の「カテゴリー2」と、日本語を専門に学習している学生が対象の「カテゴリー1」の2部門に分かれてのコンテストで、書類審査によって絞り込まれ、この日のファイナルには、それぞれの部門から5名ずつが参加していた。午後1時から主催者挨拶の後、早速カテゴリー2のコンテストが始まったのだが、5人の参加者は、シンガポール、中国、台湾、中国、香港と、偶然なのかいずれもアジア系。選択科目の学生にもかかわらず、みんな結構日本語がうまかったので驚いた。また、講演テーマも「オタクと日本社会」「日本のアニメから学んだこと」「ラルク・アン・シエルと他の音楽の違う点」「校内暴力ー日、中、英国間の違いと解決方法」「変わりゆく日本の中でサラリーマンは生き残れるのか」と、それぞれにユニークなもので、聞いていておもしろかった。結局優勝したのは「サラリーマン」、準優勝が「校内暴力」で、社会性のあるテーマを選んだ人が強かった。
午後2時40分からカテゴリー1。こちらは英国人が多かったが、さすがに専門に勉強しているだけあって、カテゴリー2の人たちに比べても断然うまい。しかも、5人のテーマは、「日本語学習において直面した3つの問題点」「消えつつある日本の銭湯」「手話と聴覚障害教育」「私の夢と日本」「誰のための裁判員制度?」と、実に濃い内容。「私の夢」は演題だけではわかりにくいが、発表者は韓国出身で現在人工知能を研究している人で、ロボットの未来について語り、内容の濃さの点で他の4つとも遜色なかった。正直5人ともすばらしいと思ったが、結局優勝したのは「裁判員制度」、準優勝が「聴覚障害教育」で、やはりより深い社会性を持ったテーマを選んだ人が強かったというのは、カテゴリー2の時と同様。準優勝の女性は、先日JETの国際交流員の面接にも来ていた人だったが、高い知性と日本語能力を活かして、日本の自治体でもぜひがんばっていただきたいもの。
コンテストの後、立食のレセプションがあり、コンテストのスポンサーであるJALの岡田支社長や、東芝ヨーロッパの野波副社長などとお話。その後、国際交流基金の石田所長、学術振興会の古川所長と3人で夕食兼情報交換会。

2009年2月20日金曜日

時事通信社ロンドン・トップセミナー

20日(金)は、12時からホテルバークレーで行われた時事通信社ロンドン・トップセミナーに参加。この日の講演は、日本政策金融公庫・国際協力銀行副経営責任者の森田嘉彦氏による「欧州のエネルギー事情」。
講演前のレセプションでは、久しぶりにお会いした日本テレビの大脇さんと、ランチの時にはテーブルの隣り合わせになった、伊藤忠欧州会社欧州金属・エネルギーグループ長の平賀(こちらは始めてお会いした)と主にお話しした。平賀さんは、1年前にロンドンに来られたそうだが、僕と同様家族を日本に残してこられたそうで、しかも子供の年齢もとても似通っていたので、教育問題に花が咲いた。
講演の方は、講師の森田氏が、講演の前日サハリン2の開所式(?)に出席されていたということもあり、もっぱらロシアの話。講演後の質疑応答では、「サハリン2」はロシアのごり押しで日本にはあまりメリットなくなっているのではないか、といった意地悪な質問もされていたが、やんわりと受け流されていた。

2009年2月18日水曜日

エディンバラ出張

18日(水)は、スコットランドにおける日英修好150周年イベントの意見交換を行うため、エディンバラ総領事館で開催されたミーティングに出席。
朝6時に起きて、ロンドン・シティ空港からエディンバラへ。
元々予約していた便が前日になって突然飛ばないことになってしまったので、やむなく1時間早い便に乗った。
おかげで、エディンバラで時間ができたので、市内を見て回ることに。空港からバスで市内中心部のプリンセス通りまで出た後、エディンバラ城から旧市街のロイヤル・マイルを通ってスコットランド議会まで歩き、途中昼食を取って、帰りは新市街のプリンセス通りを通って総領事館へ。たっぷり1時間半くらい歩いた。
エディンバラ中心街は、プリンセス通りとそれに隣接して走っている鉄道を境に南は伝統的な街並みの色濃く残る旧市街、北はモダンなショッピング街の新市街とくっきりと分かれていて面白い。運良く雨も降らず暖かかったので、気持ち良く見て回れた。
そして午後2時半から4時まで、本番のミーティング。ミーティング前に、アバディーンのロバート・ゴードン大学のピーター・スマート先生と再会を祝して雑談。先生は、昨年11月にうちの事務所主催のJapan Study Tourに参加された後も、また今年1月にも日本に行かれて、関学での講義やビジネスミーティングを行われたとのこと。しかも今年の11月頃にも三たび日本にいらっしゃるご予定もあるとか。御熱心で頭が下がる。本当にありがたい。
ミーティングは、いつものように、参加者各人から活動報告や今後の予定の発表を行った後、フリーディスカッション。今回は、各人からの発表で会議時間のほとんどを使ってしまったので、ディスカッションは少なめだった。総領事からの宿題は、スコットランドにおけるクロージング・イベントのアイデアを出して欲しいというもの。次回は5月開催の予定なので、その時のメインテーマになりそう。


2009年2月13日金曜日

長州ファイブ

先日(2月11日)、国際交流基金の企画でInstitusin of Contemporary Artsで上映された「長州ファイブ」を見てきた。これは、幕末、長州藩から幕府に無断で英国に渡って勉強し、その後日本に戻って明治維新による近代化の立役者となった5人の青年たち(伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三)の活躍を描いたもので、日本では2007年に全国ロードショーが行われ、第40回ヒューストン国際映画祭でレミアワードグランプリ(最優秀賞)に輝いた名作。(HPは、 http://www.chosyufive-movie.com/

史実には必ずしも忠実ではなく、娯楽映画として楽しめるよう脚色が施されてはいたが、それでも明治時代にヨーロッパに留学するということが、どれだけ大きな苦労を伴うものであったか、それを乗り越えて勉学をやり終え、日本に近代技術をもたらした彼らは如何に立派だったのかは十分に感じられる内容で、とても感銘を受けた。

それと同時におもしろかったのが、当時の日本の街の景色と今の日本の街の景色とは似ても似つかないものであるのに対し、ロンドンの街の景色については、現在とそれほど大きく変わってはいないように感じられたこと。これを「伝統を守ってすばらしい」と見るべきなのか、「進歩が遅い」と見るべきなのかは、見解の分かれるところかもしれないが、ともあれ事実としておもしろい。

一つの考え方としては、イギリスはすでに19世紀後半には国家としての成熟を遂げており、そこからの大変化をもはや必要としなかったのに対し、日本はまだ近代国家として生まれたばかりであり、そこから国家として成熟するまでに大きく変化することを必要としていた、ということなのかもしれない。

とすると、すでに成熟した経済国家になった日本の今後を考える場合、19世紀末から今世紀に至るイギリスのたどった道を、いいにつけ悪いにつけ振り返ってみることは、大きな示唆が得られるのかもしれない、映画を見終えて、そんなことを考えた。

こちらに来て痛切に感じることだが、イギリスというのは、本当に複雑な懐の深い国。アメリカや日本に比べて、時代遅れなところ、サービスの行き届かないところなど多々あるのだが、国民一人一人がとても成熟しており、それを反映して政治やマスコミにバランス感が感じられ、議論の透明性や納得度が高くて、うらやましく感じられるところが多いというのも偽らざる実感。別に生粋のイングランド人やスコットランド人でなく、移民出身であっても、また階級も貴族階級だけでなく中産階級や労働者階級に属する(未だにそういうものが残っているのがこちらの社会です)人たちであっても、この「議論の成熟」というのはおおむね例外なく見られるところが、興味深い。

2009年2月8日日曜日

1月26日~2月8日

娘の受験のサポートのため一時帰国していたこともあって、先週はブログを書けなかった。
2週間分まとめて簡潔に。

26日(月)は、事務所の契約更新・移転についてサーベイヤーと打ち合わせ。事務所を移転するとした場合の候補物件のいくつかについて、実際のレイアウトプランを提示してもらい、それできちんと仕事ができそうかどうかを確認。その結果、現在事務所が保管している資料の量や、事務所が月例で開催しているミニセミナーのための会議室の確保のことを考えると、2000平米以下では事実上無理なことが判明。今後のターゲットは、2500平米を基準に考えることに。

27日(火)は、大和リース株式会社の梶本会長が訪英されたことに伴い、英国の概況説明を兼ねて夕食をご一緒する。エコハウス関係の勉強にこちらにこられ、日中は事務所の村瀬次長の紹介でこちらのグリーンハウスをご視察されたとのこと。そもそもこちらの事務所を頼ってこられたのは、以前こちらでご一緒した北九州市長さんからのご紹介だとのことで、人のつながりというのはありがたいもの。

28日(水)は、ものすごく忙しい1日だった。
朝、King's Cross 駅から電車に乗って Peterborough へ。以前ベルファストで行われたSOLASのカンファレンスで、僕が行政のパフォーマンス改善に強い関心を持っていると言ったところ、自分たちの取り組みをぜひ一度見て欲しいという手紙が来て、視察に行かせてもらうこととしたもの。SOLASに一緒に行ったキルヒナー主任調査員、今年のクレアレポートで行政の効率性をテーマに選んだ桑原所長補佐が同行。
午前11時から午後3時半頃までの視察だったが、さすが効率性の優等生というべきか、短時間にものすごく内容の詰まったプレゼン&案内だった。正直言って、日本の自治体では、これに比肩しうるところはないのではないだろうか。日本の製造業レベルといっても過言ではないかもしれない。でも、事務的に流れることはなく、ちゃんと心がこもっていて、とても気持ちの良い視察をさせていただいた。いろいろ感銘を受けたことがあったが、具体的な中身については、桑原さんのレポートにお譲りする。日本の自治体がこれを真似するのは、社会的条件が違いすぎるので正直難しいと思うが、世界にはこういう自治体もあるのだ、ということは、知っておいた方がいいように思った。そして、それは決してここだけではないのだ、ということも。
で、その後別の調査でニューキャッスルに向かう桑原さんと別れ、キルヒナーさんと電車で午後5時半頃King's Crossに戻ってきた後、ただちに地下鉄でPimlicoに向かう。午後6時から、Local Gavernment Associasions 主催のカンファレンスに出席するため。テーマは、ヨーロッパの地方分権について。テーマのおもしろさもさることながら、これまでコペンハーゲンのCERNカンファレンスやベルファストのSOLASでお会いしたイギリス、デンマークなどの地方自治関係実務担当者、学者などが集まる会議だと言うことで、無理をおして参加させていただいたのだが、残念ながら体力的限界。話の半分程度しかわからず、レセプションもパス。今のロンドン事務所長という仕事を十全にこなすためには、単に知識や英語力だけでなく、体力も重要だと痛感した一幕。

29日(水)から2月4日(水)までは、子供の受験サポートのため、有給休暇と本部の承認を取っての一時帰国。正直言って、本来楽しいはずの帰国が、人生で最大の試練とも言えるものになってしまった。2日の夜は、時差ぼけも多少はあったのだろうけれど、文字通り一睡もできなかったし。本当に、この経験だけは、今後一生忘れられそうにない。ただ、一時帰国が終わり、ロンドンに戻った翌々日、吉報が舞い込んで、すべてのいやな思い出がクリア。奇跡が起こったとしか言いようがない。

2月5日(木)と6日(金)は、JETのCIR(国際交流員)志願者の面接。朝10時から午後3時半まで、大使館の会議室で。チーフは岡本一等書記官で、CIRのOBで今英国で働いているフィオナさんとの3人で面接に当たる。1人の持ち時間は30分間で、面接はすべて日本語で行われる。正直言って、これは結構過酷な面接試験だと思う。そうでなくても面接試験というのは、どんなことを聞かれ、どのように答えればいいのかいろいろ考えて緊張するのに、それを母国語でない言語でしなければならないとなると、そのプレッシャーは想像するに余りある。僕が逆の立場で、英語でこの面接を受けなければならないとすると、逃げ出したくなってしまうと思う。
でも、今回、木曜日、金曜日それぞれ7人ずつ面接したが、全員実にしっかりと受け答えしていた。トップバッターのひとりだけが、日本語能力にやや問題があり、コミュニケーションが取りにくかったが、とてもまじめで一生懸命な青年で、人柄にはとても好感が持てた。あとの13人は、少なくとも会話レベルでコミュニケーションの困難を感じることは、ほとんどなかった。これはすごい。残念ながら、僕の英語レベルは、ここまで行っていない。
また、面接試験の最後に日本語能力テストがあるのだけれど、これがまたいやらしい。日本人でも、読解力の多少弱い人なら間違えそうなレベルの文章と質問。僕から言わせると、多少なりとも日本語のわかる外国人に、間違った答をさせるような日本語の文章そのものに問題があるのではないか、といった気持ちが強かった。ただ、チーフの岡本書記官の話によると、正しい答をするのかどうかではなく、文章の意味がきちんと読み取れたかどうかを見るのが主な目的だ、ということで納得。確かに、日本にいて日常目にするのは、このような調子の文章なのだから、それにどれくらい「適応」できるか、というのを見るのは重要なのだろう。要は、いきなり正しく答えられるかどうかではなく、文章を論理的に読み、意味の不明確なところをきちんと分別し、正しく質問できるかどうかこそが重要と言うこと。でも、そうだとしても、設問の内容やテストの実施の仕方には、結構疑問が残ったけれど。

7日(土)と8日(日)は、珍しく何の予定もなく、ゆっくりと自宅で過ごした。時差ぼけもなく、久々にたっぷりと眠ることができたのが、何よりもうれしい。ようやく平穏な生活が戻った。