2009年1月25日日曜日

1月19日~25日

いつものように、先週1週間を振り返って。

19日(月)は、Japan Study Tour の報告会。昨年11月に、イギリスとドイツの地方自治体幹部12名を、日本に招待して、東京と長野県飯田市で意見交換や日本生活の体験学習をしていただいたツアーの反省会。全部で8名の方にご参加いただいたので、まずまずの参加率。午前11時から、国際交流基金の会議室をお借りして実施。ジェイソン調査員の司会で、僕の挨拶、自己紹介、参加者のSimon Bovey氏(スコットランドの Daventry Districe Council の Managing Director)からのパワーポイントを使った結果報告、意見交換と続いた。意見交換では、非常に活発な意見が出て、当初12時半には会を終了して立食パーティに移る予定が、結局15分ほど遅れた。でも、非常にありがたいこと。終了後、わざわざドイツからお越しいただいた、Jens Graf氏(ブランデンブルク州市町村連盟の部長)、Simon Bovey氏、キルヒナー首席調査員、ジェイソン調査員の5人で、近くのラッセルホテルでコーヒーを飲み、さらに歓談。その後も、Graf氏はまだ飛行機の時間まで間があったので、うちの事務所に来ていただき、4時15分くらいまでお話しした。とても充実した報告会で、よかった。

20日(火)は、19時から Japan Society Annual Dinner に参加。Tower Hill にある「The Grange City Hotel」で。ゲストに葉加瀬太郎、高田真由子ご夫妻がご参加され、葉加瀬太郎のミニコンサート付きというゴージャスなもの。レセプションでは、大使館の岡経済公使ご夫妻や、富田公使などとお話。とても混んでいて、歩き回るのが難しく、あまり大勢とはお話しせず。ディナーのテーブルは、なかなか良い場所で、演奏をよく見ることができた。わかりやすい曲が多く、気軽に聞けるのもグッド。テーブルでは、Elizabeth Fusae Thurley さんという、もうイギリスに来て50年になるという女性の方が隣に座られ、もっぱらこの方からいろいろなお話をおうかがいした。結構長く続き、結局終わったのは夜10時45分くらい。家に帰って寝た頃には、もう日が変わっていた。

21日(水)は、午後2時半から、大使館で、日英150周年記念の第4回実行委員会。今年の目玉行事だった、大相撲ロンドン場所が、大相撲協会の財政難のためキャンセルになってしまったとのことで、実行委員のお一人、Japan Society のクリストファー・パーヴィス会長が、せっかく時間をかけて準備してきたのに、と、とても残念がっておられたのが印象的だった。

22日(木)は、午後3時に、全日空の西堀支配人と皆戸さんが来訪。新年のご挨拶。やはり経営がめちゃくちゃ大変というお話。
午後6時からは、大使館で、明日から始まる日本財団のセミナーの前夜祭に当たるレセプション。「現代日本を知るための100冊」を、日本財団の資金で選定・購入・配布する企画があるそうで、それが展示されていた。100冊並ぶと、かなり壮観。紀伊國屋書店ロンドンオフィスがその手配をしたとのことで、支店長の浅井さんからいろいろお話をうかがった。また、イギリスで、日本研究をされている若手研究者のフェローシップの紹介があった。いろいろな人とお話ししたが、SOASのポール・ウェブレー学長とお話しでき、バーミンガム大学のクリス・ワトソン先生と再会できたのが、一番の収穫、かな。ただ、ほとんど食べるものがなかったので、おなかがすいたこともあって、日本学術振興会の古川所長、政府観光局の高橋次長と3人で、近くのMiyamaで夕食。結構飲んだため、帰る頃にはふらふらになってしまった。

23日(金)は、とても盛りだくさん。まず、正午からバークレーホテルで、時事通信社のトップセミナー。昼食前のレセプションでは、日本郵船の専務で欧州統括会社社長の諸岡さんとの話がおもしろかった。日本郵船には、徳川将軍家の末裔がおられるとのことで、いろいろおもしろいエピソードがあった。で、本番が、元駐日大使のグラハム・フライさんの講演。時節柄、オバマ大統領に関する話が多かった。ディナーのテーブルには、こちらの日系不動産会社、ロンドン・東京プロパティの菊池会長がお隣で、いろいろお話しさせていただいた。菊池会長は、なんと自宅にワイン3000本のコレクションを有するというワイン通だそうで、こちらでワインを楽しむ会をされておられるとのこと。今度誘ってくださいね、とお願いしておいたが、さて?
終了後、一度事務所に戻って、16時から政府観光局で広報連絡会議。そういう名前だけれど、実質は、政府系機関の所長会議。大使館の広報担当公使で、水鳥さんの後任で着任された岡庭公使が初参加。とてもまじめな方で、それぞれの機関からの発表に対して、一つ一つ質問されていた。結局、ほぼ丸2時間の会議となった。その終了後、6時半からは、レストラン三越に場所を変えて、新年会。本当は、岡庭公使の歓迎会とする予定だったのだけれど、岡庭公使は別のお仕事だとのことで、残念ながら、よく見知った内輪の飲み会になってしまった。ただ、それぞれの方の話の濃いこと濃いこと。めちゃくちゃ勉強になった。

24日(土)は、午後6時半から、ホルボーンの「祭」で、英国赤門学友会(東京大学同窓会)の発足式。東大次期総長の濱田氏がロンドンに来られる機会に合わせて実施されたもの。理事長は、フジサンケイグループの鹿内氏。今はロンドンに住まわれておられるらしい。名簿はとりあえず80名分くらいできているそうで、この日の出席者は50名ほど。結構よく集まった。ただ、本来「大口」であるはずの大使館の人が誰も入っていなかったりしているし、本来ならまだまだ大勢いるはず。これから拡大していきそう。

25日(日)は、ようやく何もない一日。雨が降っていたこともあったので、家でのんびりしていた。もちろん、来週いよいよ入試本番の、娘の勉強にも付き合う。しかし、しばらくは問題のなかった背中の調子がやけに悪くて、難儀した。

2009年1月18日日曜日

1月12日~18日

今週もまた、1週間を振り返って。

12日(月)は、午後、International Business Wales の Gavin Hamilton 氏来訪。彼は、若い頃長野県に行っていたことがあるとのことで、現在も Japan Society の会員。その関係で、時々セミナーでお会いして雑談することがあった。多少は日本語も話せる人。今回は、年始の表敬ということで、雑談を少々。

13日(火)は、夕方から商工会議所の年頭賀詞交換会。リバプールストリートにある Draypers Hall で、午後6時からとのことだったのだけれど、挨拶が7時スタートとのことだったので、事務所を6時に出た。しかし、サークル線で行く予定が、いつまでたっても目的の電車が来ない。あまりに時間がかかりそうだったので、結局あきらめてジュビリー線からビクトリア線を使って回り道。おかげで、着いたのがすでに6時40分頃で、会場は超満員だった。ここで初めてお会いしたのが、日本政策金融公庫(国際協力銀行)の欧阿中東地域外事審議役の小川さん、大和証券SMBCヨーロッパ社長の小松さん、Japan Society の Robert Guy 氏など。先日大使館での賀詞交換会で挨拶した岡庭公使にも、子供の学校の話とかいろいろさせていただいた。

14日(水)から15日(木)にかけて、エディンバラ出張。スコットランド国会議事堂で午後6時から開催される、領事館主催の経済セミナー出席のため。
午後12時過ぎに役所を出て、パディントン駅からヒースロー・エクスプレスで空港へ。午後1時10過ぎ着。チェックインはあらかじめWebで終えてあったので、手荷物検査とセキュリティチェックだけ。順調に1時半には終わる。午後2時45分の出発までには十分時間があるので、空港内のレストランでパスタの昼食。で、2時10分頃終えて、案内掲示板を見たけれど、まだ出発ゲートの案内がない。それどころか、11時ころ以降の便が軒並みまだ掲示板に残っていて、欠便、遅れの嵐。外を見ると、霧で真っ白。参った。結局2時半頃ようやく、午後4時20分に遅れるという案内が出た。とりあえず、事務所に電話して事情を告げ、領事館に報告しておいてもらう。その後、3時過ぎには、飛行機の出発が午後5時15分まで遅れると訂正が入る。改めて事務所に連絡。ちなみに、これだとエディンバラのスコットランド国会に着くのが7時を回りそうなので、キャンセルができないか、一応確認を依頼。でも、当日のことで、飛行機もちゃんと飛ぶようなので、それは無理でしょうとのこと。しかたなしに、とりあえずエディンバラに行くことに。
結局、飛行機は無事5時15分には飛び立ち、6時40分にエディンバラ空港に着いた。飛行機の中で出会った、やはり同じセミナーに向かっているジェトロの江口さんと一緒に、空港からタクシーで国会へ。着いたのは午後7時20分。結局、セミナーには出席できず、終了後のレセプションで、数人の人とお話ししただけで、8時には解散。雨も降っていたし、さんざんだった。夕食も取っていないので、江口さんと近くのパブに入って、ビールとハギス&チップスの夕食。ようやくひとごごちつけて、午後9時過ぎにホテルにチェックイン。そのまま泊まる。

15日(木)は、朝6時に起きてシャワー。6時半からビュッフェの朝食。7時半にチェックアウトして、タクシーで空港へ。今度は順調に、9時半の飛行機に乗れ、ロンドンに無事戻った。午後は、普通にお仕事。
夜は、大使館の河合一等書記官からのご紹介で、北海道新聞社の高田支局長、時事通信社の高橋記者と会食。事務所の川本君との5人で、チャイナタウンのハーバー・シティ・レストランで、会食と言うより気楽な飲み会。非常に話がはずんで楽しかったけれど、内容を書いていいのかどうかは、多少疑義があるので、とりあえず省略。

16日(金)は、午後2時に福岡市役所から今ロンドン大学に留学中の吉田さんが来訪。彼は、派遣でも奨学金付きでもなく、純粋に自己資金で、仕事を求職して都市計画の勉強しているらしい。偉い。総務省にも4年ほど勤務した経験があるそうで、いろいろ話に花が咲いた。彼からの要望は、大学にいると実務の勉強ができないので、うちの事務所で相談にのって欲しいとのこと。川本君に、事務所のメンバーを紹介してあげてもらった。

17日(土)は、下見に行った不動産の確認。ビクトリア駅周辺やサウスケンジントン駅周辺を歩いた。

18日(日)も、不動産の周辺地域の確認。マーブルアーチ駅、メリルボーン駅からオックスフォードストリートあたりをいろいろ歩いた。
不動産の下見のおかげで、今まであまり歩いていなかったセントラルロンドンの地域、それも割とにぎやかなところをいろいろ見ることができておもしろかった。

2009年1月11日日曜日

引っ越しの検討

今住んでいるチェルシーのフラットは、前任の務台所長から引き継いだもので、僕一人住んでいる分については、便利でおしゃれで快適で、何も問題はないのだけれど、今年の夏に家族を呼ぶことを考えたときには、いくつか深刻な問題がある。
一つは、家の狭さ。2ベッドルームのうち、1つはシングルルームなので、そこに来たとき13歳の娘と10歳の息子とを押し込むことになる。一応エクストラベッドはあるのだけれど、かなり窮屈なのは確か。もちろん、お客様が来たときにお泊めするスペースは全くない。
二つ目は、ボイラータンクの容量。お湯を節約してシャワーだけ使う分にはとりあえず大丈夫そうだけれど、湯船に湯を張ってはいろうとすると、下手すれば1人分でタンクの熱い湯がなくなってしまう。節約してぎりぎり2人分といったところで、あとの2人が入るには、再びタンクが熱い湯で満たされるまで、半日待たないといけない。
三つ目が、部屋は4階にあるのに、エレベータが使えないこと。一応フラットについてはいるんだけれど、昨年7月に来て以来、一度も動いていたことがなく、修理の予定も聞かない。日常生活には特に問題はなくても、旅行などで大きなトランクを上げ下げする時や、大きな荷物が配達されたときに、それを持って上がるのが本当に大変。
四つ目が、冷蔵庫の小ささ。明らかに独身用のサイズ。ただ、作り付けなので、取り替えてもらうこともできず、買い足すしかない。その場合も、それを置くスペースが悩ましい。
五つ目が、地区に公立中学校が異常に少ないこと。フラットのあるケンジントン・チェルシー地区には、公立中学校(英国では高校も一体)が一応4つあるのだけれど、そのうち1つは男子校、2つはカトリック校で原則としてカトリックの信者しか入れない学校なので、カトリックではない娘が入学できるのが、実質的に1つしかない。しかもそれのあるのがホランド・パークで、ここからかなり遠い。一応、チェルシー地区にあるカトリック校に入学できないか、いろいろ当たってみたんだけれど、少なくとも今後日曜日に毎週教会に通うことが条件になるような感じ。まあやってやれなくはないんだけど、なんというか…
さすがにこれでは困るので、一応ウェストミンスター地区の中学校にも当たって、一つはなんとか入れそうなところを見つけた。でも、越境入学というのは、別の学校を探したくなったときにちょっと難しい。

真剣に引っ越しを検討するようになったのは、実は昨年秋にボイラーが壊れて、熱い湯が全く出なくなってしまい、シャワーが全く使えなくなったとき。その後、2週間程度でとりあえずぬるま湯程度は出るようになったのだけれど、相変わらずシャワーを浴びると寒い、という状態が続いて閉口した。大家さんの努力で、途中で業者を変えて何回もみてもらったおかげで、なんとか12月には熱いお湯が出るところまで復活したんだけど、正直まいった。
実は、僕自身は毎朝スポーツクラブに通って水泳をしており、そこでシャワーを浴びてくることができるので、とりあえず家のシャワーが使えなくてもなんとかなるのだけれど、家族が来て、女性が2人になると、これでは日本人は生活できない。

今のところ、ボイラーが直ったので、とりあえず狭いことにはがまんして、学校を見つけて、冷蔵庫を買い足せば、なんとかここでも一応家族で生活はできそうではあるのだけれど、せっかくイギリスに来ているのに、住居費の割高なチェルシーにこだわって(それでも、いま住んでいるところは、その中ではかなり割安な家賃ではある)、そこまで不便な生活に耐える必要があるのか、というところも疑問であり、やはり引っ越しは重要な選択肢。

もうしばらく、いろいろ物件に当たってみて、最終結論を出す予定。

1月5日~10日

またまた1週間まとめて。

5日(月)は、事務所の仕事始め。
日本だと、いろいろな関係団体が挨拶に来て、挨拶ばかりで仕事にならないようなところがあるけれど、こちらだとそんなことはない。普通に通常業務。むしろ、12月19日から休みに入っていたこともあって、休み中の日本からのメールがかなりたまっており、その処理に結構時間を費やした。
仕事時間終了後には、事務所内で軽く仕事始めパーティ。ビール、ワインと乾き物。クリスマスパーティよりは質素に。チャタムハウスに出向中の、鷺坂審議官も飛び入り参加。事務所でのパーティお開きの後は、有志で近所のパブに繰り出す。遅くはならなかったけれど、ワインですっかりよっぱらった。2009年も気持ちよくスタート。

6日(火)は、正午から大使館で新年名刺交換会。村瀬次長、風間次長と3人で出かける。
村瀬次長からのご紹介で、トヨタ自動車ヨーロッパの津江ロンドン支社長にご挨拶。やはりエコノミック・クライシスでものすごく大変だとのこと。作っても売れないから、生産調整をするしかない。でも、将来に向けての研究開発投資は必須だから、とにかく今は我慢の時だというお話だった。あと、水鳥公使の後任でいらした岡庭公使にもご挨拶。その他、いつもの(?)河合書記官や時事通信社の桜井支局長などとも雑談。後の予定があったので、12時50分に引き上げる。
午後1時からは、英国の地方自治体専門誌「Municipal Journal」のMichael Burton編集長と昼食会。キルヒナー主任調査員、アンドリュー調査員と4人で、レストラン三越で。バートン氏は、2005年のJapan Study Tourにもご参加いただいており、歴代所長のご尽力で、クレアロンドン事務所とはとても良好な関係を持っていただいている。もっと早くご面識を得たかったところだけれど、なかなかお忙しい方で、今般ようやくアポイントが取れた。特に、今年は事務所開設20周年の年で、日英セミナーを記念イベントにする予定でいるので、氏との関係は重要。
英国の自治体改革や日本の状況のまじめな意見交換から、軽い雑談まで含めて、楽しくお話させていただいた。もちろん、20周年の話も、しっかりお願いしておいた。

7日(水)は、午前10時から議員会館で労働党のNick Raynsford議員に会う。元地方自治担当大臣。大使館の河合書記官から、アポを取れたのでご一緒にどうですかとのお誘いがあったので、ありがたくお受けし、アンドリュー調査員ともども同行させていただくことにしたもの。アンドリューとは以前からかなり面識があった様子。
議員会館1階のラウンジで、コーヒーをごちそうになりながら、約1時間ほどお話しした。河合君の方で、あらかじめ質問事項をしっかり用意してくれていたこともあり、非常に効率的に濃密なお話が聞けた。リージョン、市町村合併、ユニタリー、直接公選制、今後の政治の行方などなど、実にいろいろな話をしていただいた。内容については、河合君の要領の良いメモがメーリングリストには投稿されていたのだけれど、公開はしてくれていないのかな?
その夜は、Berkleys Global Investment の欧州統括CEOの David Semaya 氏と夕食。インデックス運用に定評のあるグローバルな運用機関で、本社はアメリカのサンフランシスコ。セマイヤさんも、元々はアメリカ人。僕が地共連の資金運用部長をしていたとき、日本のバークレーズ信託銀行社長をしていて、地共連の北米運用視察旅行にご一緒して以来の友人。奥様が日本人で、日本での留学経験や三洋証券での勤務経験もある超のつく日本通で、本人も日本語ペラペラ。で、会話はすべて日本語ですむので、とても楽。昨年、ロンドン在住総務省関係者の忘年会をやった「菊池」という居酒屋で楽しく飲み食いした。やはり、昨年9月から11月くらいまでの状況は、全く手の打ちようがなかったとのこと。でも、BGIはもともとリスク管理が強みだとのことで、運用部隊でロング・ショートをやっているところは、株のインデックスが40%下落する中、8%のロスに留めたとのこと。さすが。オルタナティブ運用で「ロング・ショート」というのは、割安な株を買うと同時に、割高な株を空売りしてダブルで稼ごうとする運用なのだけれど、空売り専門の「ショート・セリング」とは違い、どうしても買いの方がメインになってしまい、株が下がるとやっぱり同じようにやられることが多い運用。それを株式インデックスを32%上回らせるというのは、結構優秀だと思う。
おいしいおつまみを食べ、ビールや日本酒を飲みながら、いろいろな話をしたり、していただいたりしたけれど、バブルの崩壊したドバイはこれから大変だよ、という話が特に印象に残った。

8日(木)は、通常業務だけで、特記事項なし。

9日(金)は、不動産視察。これについては改めて書こうと思っているけれど、昨年末以来、ちょっと引っ越しを検討中。まだ本当に引っ越しするかどうかは決めていないのだけれど、とりあえずいくつか物件を実際に見てみて、考えてみることに。この日は、JAC Strattons という日系不動産会社の物件を、鳥居さんという方の案内で見せてもらった。3ベッドルームで、週800ポンド以下のものを3件。やはり、3ベッドルームだと、広い。ただ、不動産はなんでもそうだけれど、やはりそれぞれに特徴があって一長一短。来週も、仕事の時間の空いたときに、また別のものを見せてもらうことに。

10日(土)は、僕の予定は特になし。日本では、娘の中学受験の第一弾。いよいよ本番が始まった。うまくいってくれればいいけれど。

2009年1月4日日曜日

時差ぼけ

元旦に正午成田発のVS901便でロンドンに戻ってきた。
機内預け荷物の重量の23kgは、自宅でしっかり量ってぎりぎりのところで修めてきたのだけれど、手荷物の重量も6kgの制限があったらしく、こちらがかなりオーバーしていてちょっとあわてた。手荷物からトランクにいくらか移し、若干の重量オーバーは目をつぶってもらってようやくチェックイン。焦った。
それ以外は特に問題もなく、予定通り(というか、乗客が少なかったこともあってか、予定より5分ほど早く)フライト。機内は今回もがらがらで、ゆったりすわることができたのは良かったのだけれど、じゃあ10月始めに予約したときには12月22日以前や1月2日以後の便が全部ふさがっていたのは何だったの、って感じ。
今回も、機内ではたっぷり映画を見た。肩肘張らないエンターテイメントで、Wall-E、カンフーパンダ、センター・オブ・ジ・アースの3本。どれもそこそこおもしろかったけど、一番楽しかったのは、センター・オブ・ジ・アースかな。インディ・ジョーンズ4より良かった感じ。
12時間のフライトだけれど、時差の関係でその日の午後3時過ぎにヒースロー空港着。チェックアウトも問題なし。午後4時過ぎには地下鉄に乗ることができ、5時半頃帰宅。
さすがに疲れたので、荷ほどきもほどほどに夕食を取って寝たけれど、やはり、というべきか、夜中の3時に目が覚めて、そのまま6時までまんじりともせず。でも、朝6時頃再度眠ることができ、11時過ぎまでぐっすり休んで体力回復。午後からはプールにも行った。
しかし、調子が良いと思ったのはそこまでで、2日以後も体がだるい。夜9時過ぎには寝るんだけど、やはり3時に目が覚めて、6時頃まで眠れない。昨日3日の晩は、なんとせっかく10時に寝たのに12時半にもう目が覚めてしまい、結局そのまま朝5時まで本を読んで過ごした。そこから再度眠って、8時半過ぎまで眠ることはできたんだけれど、こんな調子で仕事が始まって大丈夫なのか、一抹の不安。とりあえず、食欲はあるので大丈夫だとは思うが。