2009年6月28日日曜日

6月15日~28日

ドイツ出張以後の出来事をかいつまんで。

15日(月)は、朝出勤前に、Sloane Square Clinicで理学療法。昨年赴任以来ずっと続いていた背中と肩の痛みも、おおむね気にならないところまで回復。まだ100%とは言えないものの、ここ数ヶ月、特に悪化もしなくなったので、今回でとりあえず治療は終了することにした。

16日(火)は、仕事終了後、高校・大学の9年下の後輩で、今クレディ・スイスのロンドン支店に勤めている棚瀬さんと会う。昨年の灘校ロンドン同窓会で初めて会ったのだけれど、僕のブログを見て僕が英語で苦戦していることを知り、一肌脱ぎましょうかとの申し出から、合ってみることとしたもの。この日は特にレッスンとかはせず、お互いの近況などの雑談や、彼の考えているメソッドなどを聞いたりしただけで、1時間ほどで別れる。でも、かなりおもしろそうだったので、来週から実際にレッスンを受けてみることにした。

17日(水)は、この夏、西堀全日空前支店長の後任として着任された、藤村支店長が事務所にご挨拶に来られる。いつもの皆戸さん、北沢さんとご一緒に。藤村さんは、ロンドンに来られる前は空港対策関係のお仕事もされていたそうで、今国土交通省に出向中の僕の先輩の話や、藤村さんも学齢期のお子様がおられるとのことで、学校選びの話などで盛り上がった。
この日は、仕事終了後、あらかじめ予約してあった、シェークスピア・グローブ座の「ロミオとジュリエット」を見に行った。午後7時半から10時40分過ぎまでの長丁場。「ロミオとジュリエット」は、映画しか見たことがなく、原作はまったく読んだことがなかったので、途中結構卑猥なギャグなどが出てきたのには驚いた。脚色かと思ったら、意外と原作通りらしい。また、ジュリエットはイメージ通りの清楚系の女優さんだったけれど、ロミオは黒人の乗りの良い男優で、こんなのもアリなのかとびっくり。やはり実際に見てみると、いろいろおもしろい。長くてちょっと疲れたけれど。

18日(木)は、今月いっぱいで帰国となる、千葉県から派遣の風間次長と東京都から派遣の石田参事の送別会。やや早めではあるけれど、所員ができるだけ多く揃う日ということで、この日になった。しかし、それにもかかわらず、後から別件が入ってきて、結局山口次長とキルヒナーさんが早めにおいとま、僕も2次会のパブを乾杯程度で次の場へ。
で、その「次の場」というのが、企業人材育成をやっているHey Groupという企業からのお誘いのセミナー。山口次長とキルヒナーさんとは、セミナーから出席し、僕は終了後のレセプションから出席。ピカデリーのRoyal Academyが会場で、アマチュア芸術展の封切りを鑑賞しながらレセプションというのがコンセプトらしく、いろいろな現代作品を鑑賞しながら、立食で歓談。お目当てというか、送別会を切り上げてそもそもわざわざここに来ることとしたのは、先日所員がワークプレイスメントでお世話になった、Tambridge Council の Chief Executive である Stephan Weigel氏に誘われたから。広い会場での立食で、ちゃんと会えるのかとやや心配だったが、無事美人の娘さん連れのWeigel氏とお会いすることができた。日本と中国とワインに造形が深く、アンティーク収集が趣味とのことで、かなりの趣味人。お話ししたのは短い時間だったけれど、楽しかった。

20日(土)は、あらかじめチケットを購入していた Taste of London に行ってみた。これは、ロンドンで年1回行われる「食の祭典」だそうで、妻がロンドン在住の人のブログで見つけてきて勧めてくれたもの。天気が良かったこともあって、かなりの人手。僕は、タイカレーその他いくつか食べてみたけれど、事前の情報収集不足のためか、残念ながら「これぞ」というものには今ひとつ巡り会えなかった。むしろ、お金を出して食べたものより、無料で振る舞われていた、フランスパンにパテを塗ったカナッペのようなものを、白ワインと一緒に食べたのが一番おいしかったくらい。来年は、もうちょっとちゃんと調べてから、妻と一緒に来よう。

21日(日)は、Jet Walk。チャタム・ハウスに研究のため1年間来られていた、先輩で今環境省の審議官をされている鷺坂さんが、今回が最後のご参加だと言うことで僕も参加することに。今回は、EssexのWakes ColneからBuresまでの11.2mile(18km)の行程。今まで参加した中で、一番長い。朝8時半にリバプール・ストリート駅集合。今回の参加者は11人とやや多め。男女半々でバランスがいいのはいつもの通り。すでに知った顔の人が多かった。当日の写真は、僕の公開Webアルバムの中の「20090621_JetWalk_Essex」にアップロードしておいたけれど、今回は、GPS Trackerを装備し、写真を撮った位置情報をすべて写真そのものに埋め込んだので、歩いたルートが一目瞭然。結構おもしろいアルバムとなった。
天気が良く、道も平らで歩きやすく、気持ちよかったけれど、何しろ距離が長かったので、結構疲れた。

22日(月)は、事務所の休日(ロンドンが日本より祝日が少ないため、日本の勤務日数を合わせるために、事務所独自で休日と定めている日)だったので、出勤はしなかったけれど、たまたまこの日に開催された Japan Fixed Income Seminar に誘われたため、それを聞きに行ってきた。朝9時スタートで、大使館近くのPark Lane Hotelが会場。まず、9時半頃からの日本国債のついての財務省国債課長からのプレゼント、その後のディスカッションを聞いた。国債課長は、非常に英語の堪能な人で、流暢な英語でプレゼンをしていたし、ディスカッションもまったく淀むところなし。しかし、日本国債も投資家の多様化を図ろうとしているというのはよくわかるとしても、ヘッジファンドにまで買ってもらいたいと思っていると言っていたのは、言葉の綾なのか本気なのかわからないけど、結構驚いた。僕なら、やはりレバレッジを掛けずに現物をちゃんと比較的長期に保有してくれる、年金や生保に買ってもらう方が、よほどありがたいと思うけれど。
で、その後はいったん家に帰って家周りのことをし、午後1時から再びセミナーに参加。おめあての「地方債」のプレゼン。地方公共団体金融機構、東京都、千葉県からのプレゼンがあった。しっかり資料を用意して、がんばってプレゼンしていた。会場に集まっている人の数は、多少少なめかな、とも思ったけれど、一所懸命聞きながらメモを取っている聴衆の人もいたので、悪くはなかったと思う。まあ、このクレジットクランチで円高局面では、なかなかちょっとくらいIRをやっても直接の結果には結びつきにくいだろうけれど、ともあれ金融商品は投資家に知ってもらわなければ買ってもらえない。それには日頃からの地道な努力が必要。こういう催しは、継続すればとても意義のあることだと思う。

23日(火)は、その昨日セミナーでプレゼンを行った、東京都の関公債課長さん、静岡県の鈴木財務室参事さんが、相次いで来訪。東京都の関課長さんは、クレアの運営にも深くコミットしていただいている方で、率直な意見交換をさせていただくことができた。また、鈴木参事さんとは、昨日のセミナーの話のほか、来る静岡県知事選の話などが話題となった。
その日の仕事後は、先週約束していた、棚瀬さんの英会話レッスン初回。緊張しながらのスタートだったけれど、これまでに受けてきたレッスンとはかなり違い、ユニークで実践的。これはかなり良さそう。しかし、Transport for Londonに電話して、Finchley Road から Big Benまでの行き方を聞くのに、Big Benをなかなか聞き取ってもらうことができずに難儀したし、Quick Response Method も、結構難しい。当然ながら、一朝一夕に改善するものではない。が、ともあれおもしろかった。次回は、再来週きてもらうことに。

24日(水)は、月例の事務所勉強会「スピーカーシリーズ」。この日の講師は、昨年四日市市、亀山市、京都市訪問をアレンジしてあげた、コミュニティ・地方自治省職員のJenifer Ashbey さん。彼女は、ノーフォーク基金のお金で、他の5人のさまざまな出自のメンバーと一緒に、世界6カ国の都市を巡り、都市開発についての比較研究を行っており、今回は、その成果の一部をかいつまんでお話ししていただいた。

25日(木)は、午前中休暇を取り、明日日本に帰国する風間次長から、自動車の引き渡しを受けた。実はその自動車は修理に出されていて、この日の朝10時に修理業者が我が家に直接持ってきてくれることになっていたのだけれど、待てど暮らせどやってこない。11時に風間次長がしびれを切らして電話すると、「今出たところ」。結局11時半過ぎにようやくやってきて、無事引き継ぎを終わらせることができた。まったくヨーロッパ的。昼は、事務所に寄った後、有志でイングリッシュ・パブで次長の送別昼食会。
その日、夜7時からは、ハイド・パーク東のHilton on Park Laneホテルで、「The MJ 2009 Achievement Awards」に出席。これは、Municipal Journal誌という地方公共団体向け専門機関誌が主催で、毎年その年の評価の高かった地方公共団体の表彰を行うもの。ただ、日本の「表彰式」とは全く異なり、日本で言えば「レコード大賞」みたいな、あるいは映画の「アカデミー賞」みたいな、一種のエンターテイメントショー。これにはかなりのカルチャーショックだった。
そもそも、レセプションに出席するためのドレスコードがタキシードで、僕は持っていなかったので、貸衣装屋に行って蝶ネクタイなどと一緒に借りて来なければならなかったところからして普通ではない。で、仕事後に着慣れないタキシードに蝶ネクタイ姿になってホテルまで行き(この格好で公共バスに乗って行ったのが、ちょっと情けないところ)、ホールでウェルカム・レセプション。誰か知り合いの自治体の人でも来ていないかと見て回ってみたけれど、誰も見あたらない。人数が多すぎて、探せない。結局かなり寂しい30分間を、シャンペンをすすりながら過ごした。
これでは、式の間の食事中も、結構厳しいものがあるかと覚悟していたら、ディナーの席に着いてみると、隣は先日Royal Academyでお会いした、Tambridge CouncilのWeigel氏。これには本当にほっとした。また、反対側に座っていた、自治体向けコンサルタントのCrispin Derby氏も気さくな方で、気兼ねなくお話をすることができ、存外と楽しい会になった。
会には、受賞にノミネートされた各自治体のプロジェクトの担当者のほか、各自治体からリーダーやエグゼクティブクラスが大勢集まり、男性も女性もフォーマルな装いでありながら、実に賑やかで乗りが良く、非常に華やかな式典だった。
夕食後、受賞自治体の発表と表彰セレモニーがあり、グランプリの発表があって終わったのが、すでに夜の11時20分ころ。実は、その後もディスコなどが午前2時まであったらしいのだが、僕はさすがに疲れていたのでそのまま引き上げさせていただいた。日本人は、僕以外には誰一人としていなかったこともあって、気疲れも少し。
しかし、非常に感銘を受けた。日本にもこういう催しがあればいいのに、とちょっとうらやましい気持ちにもなった。企画するのは至難の業だろうけれど。

2009年6月20日土曜日

iPhone 3.0 アップデート後、パケット通信が使えなくなる不具合への対処

ここ2週間の仕事の話など、書いておかなければならない話題はいろいろあるのだけれど、とりあえず、表題に書いた話題が緊急かつ重要に思えたので、書いておこう。

昨年9月からイギリスでiPhone 3GをO2のPay and Goで使っていたが、イギリスでのこの契約には、イギリス国内のパケット通信1年分無料というおまけがついている(2年目からは月額10ポンドの定額)。そのおかげで、無線LANの使えないところでも、携帯電話の使えるところなら、どこでもメールやWebやグーグルマップなどが使えて、めちゃくちゃ重宝だった。

で、もちろんフルに使い倒していたのだけれど、6月17日(水)の夜に、iPhone のOSを3.0にアップグレードして以後、無線LANは使えるけれど、パケット通信が全く使えなくなってしまった。

でも、木曜、金曜と忙しかったことと、バージョンアップ前にも一度1日ちょっとパケット通信が使えなかったことがあり、そのときはある時点からまた普通に使えるようになった経験があったので、とりあえず不便ながらもそのままにしておいた。

しかし、土曜日になってもまったくつながる気配がなかったため、これはさすがにiPhoneの不具合だろうと思い、本腰を入れてgoogleで検索。

すると早速「Apple、iPhone OS 3.0 のサポート記事を多数公開」がヒット。その中に、そのものずばりの「iPhone OS 3.0 へのアップグレード後にカスタムAPNを使って携帯電話ネットワークデータサービスが使用できない」という項目があり、これこれと思っていそいそと行ってみた。

しかしそこに書かれていたのは、「これは、「Cellular Data Network」の設定で、APN (アクセスポイント名) を、手動または iPhone OS 3.0 のインストール前に iPhone 構成ユーティリティを使って編集した場合に起こる可能性があります」。で、解決法は「iPhone に iPhone OS 3.0 をインストールする前に「Cellular Data Network」の設定を編集しなかったにもかかわらず、携帯電話ネットワークデータサービスが使用できない場合は、携帯電話会社に、お持ちのワイヤレスアカウントで利用できるこれらのサービスについてお問い合わせください。また、一方で「Cellular Data Network」の設定を編集した場合、これらの設定は iPhone OS 3.0 へのアップデート後、デフォルトの値にリセットされるので、再度 設定を編集する 必要があります。」というもの。で、結局なのをすべきなのか、今ひとつ要領を得ない。

そこで、「iPhone 3.0 cellular data network o2」と検索語を英語にして英文ページを探したところ、「The Home of Mac Troubleshooting」というサイトの「iPhone 3G "Could not activate cellular data network You are not subscribed to a cellular data service" 」という記事が先頭にヒット。うん、まさにこれ。

この記事も、途中までは「設定をリセットしなさい」とかなんとか、すでに試みて効果のなかったことしか書かれていなかったが、最後に一番重要な情報があった。

In the Uk you can try this APN alteration which has worked many times for us.

In the APN : Settings>General>Network>Cellular Data Network

change mobile.o2.co.uk to payandgo.o2.co.uk

自分のiPhoneで「設定」→「一般」→「ネットワーク」→「パケット通信」を見てみると、「パケット接続」の「APN」の欄が、「ideta.o2.co.uk」になっている。ここはたしかに以前は「payandgo.o2.co.uk」だったはず。

で、そのように書き換えたら、無事パケット通信成功。やれやれ。

わかってみればたわいのないことだけど、見つけるのにはほんと時間がかかる。まあiPhoneは非常に多くの国で使われているわけだから、一般的なことしか書きにくいのもわかるけれど、せめて主要国については国別の解決方法を載せてくれてもよさそうなもの。現に「The Home of Mac Troubleshooting」はそうしてくれていたわけだし。

ともあれ、これにてこの問題は一件落着。

2009年6月14日日曜日

ドイツ出張

6月11日(木)から12日(金)の2日間、キルヒナー主任研究員とドイツ・ブランデンブルク州に出張。
一昨年(2007年11月)にも、当時の務台所長がキルヒナーさんとブランデンブルク州に出張しており、その折には、都市と農村の交流をテーマに、ブランデンブルク州の市町村幹部を相手に務台所長がプレゼンテーションをしており、そのとき世話をしてくれていた州市町村連盟のJenz Graf部長が、昨年(2008年)のJapan Study Tourに参加して来日されたというご縁があり、今回は、再びGrafさんからのお勧めがあって再訪することとしたもの。
当初、4月20日に市町村連盟総会があり、そこには州の首相なども参加するからそこに来ないかとの提案もあったのだけれど、日が折り合わずに断念。その後も、できるなら早いうちにと5月にも日程調整をしてみたが、5月は向こうもこちらも日程が結構つまっており、結局折り合わずに6月のこの日となった。訪問先についても、いろいろとやりとりはあったが、せっかくだからということで、かなりみっちりと詰まった訪問スケジュールとなった。
11日(木)は、午前中にGrafさんの本拠地、ブランデンブルク州市町村連盟で、州の自治制度についてのご説明を受けるということで、午前7時15分ヒースロー発の飛行機でベルリンへ。ちなみに、余裕を見て朝5時前に起き、5時半にタクシーを拾ったら、6時にヒースロー空港に着いた。いつも渋滞のロンドンだけれど、やはり朝は空いている。
ベルリンのティーゲル空港には現地時間で10時5分着。飛行機がやや早く着いたため、Grafさんはまだいなかったが、まもなく到着。空港からGrafさんの運転でポツダムの市町村連盟まで連れて行ってもらった。当日は、あいにくの雨と、市町村連盟と同居している福祉関係の政府機関への保育士さん達のデモの騒音とかもあって、結構厳しい滑り出しだった。
しかし、英語のスライド、英語のプレゼンで、非常にわかりやすくブランデンブルク州の自治制度についての説明をお聞きできた。自治制度や市町村の現状についての概括的な話をお聞きしたのだが、一つ驚いたのは、市長は直接公選なのに、当選すると議会の一員になるということ。議院内閣制と大統領制の中間、というか、併せ持った形態で、僕は今までそのような政治形態が現実にあるのを知らなかった。市町村と州とは、都市計画の方針や権限を巡って、結構厳しい対立関係にあるというのも、身につまされた話。
その後、ポツダム市内の、旧町の議事堂だった建物にある Ratokeller(議会食堂、みたいな意味。でも今は普通のドイツレストラン)に連れて行っていただき、ドイツ伝統料理の昼食。ちょうどアスパラガスが旬だったため、アスパラガスとシュニッツェルのプレートをいただいた。とてもおいしかった。
昼食後は、午後2時半からポツダム大学自治研究所を訪問。ポツダム大学とは、ドイツの自治体に関する情報を年間契約でうちの事務所にいれてもらっており、今回はその契約更改。もちろん、契約を詰めはすでに終わっており、今回は本契約書にサインをしにきただけ。でも、契約公開前にJann教授からうかがった話は、ドイツの実情がうかがえてなかなかおもしろかった。一応知っていたことではあるけれど、やはりドイツというのは本物の連邦国家で、州ごとの独立性が強く、違いは非常に大きい。「日本の地方自治」みたいなノリで「ドイツの地方自治」を語ることはできない。当然それにふさわしい研究や調査のアプローチ方法があるはずで、そういう意味でもポツダム大学は貴重なパートナー。
その後、再度Grafさんに迎えに来ていただき、その案内で午後4時半からポツダム市を訪問。残念ながら市長とはお会いできなかったが、ハディッヒさん、エッシェンスブルクさんから、ポツダム市の子育て支援や都市政策等についてのお話をうかがうことができた。
ポツダムは、ベルリンの隣で、かつ旧東ドイツだったところであるため、西からの投資資金が結構入ってきており、元々プロイセン国王の居住地で風光明媚な土地柄という恵まれた環境にあるおかげもあって、現在人口が増え、子供の数も増えているらしい。もちろんそれはそれで保育所や学校の配置とか、行政上のいろいろな悩みはあるわけだけれど、何にせようらやましい話。
ミーティング後、ホテルに引き上げ。朝が早かったので、結構疲れた。
12日(金)は、朝7時半にホテルを出て、再度Grafさんの運転・案内でコットブス市に訪問。ポツダムからは高速を飛ばして1時間半くらいだった。コットブス市役所訪問の予定は10時からだったので、小一時間空きができたこともあって、Grafさんの案内で、Cottbus市の中心街をしばらく散策。町並みを見て回った。
10時からのミーティングでは、主として市の住宅政策についてのお話をうかがった。かつて炭鉱の町として栄え、東ドイツ下では工業・エネルギー計画都市として計画的な移住が行われ、ピーク時15万人いた人口が、東西ドイツの統一後、8万人を切るまで減ってしまったとのこと。当然住居があまるようになったため、周辺部のもので老朽化したものを削って、中心に近いところに建設した住宅に移ってもらって、市をコンパクト化したいという計画だったそうで、それなりに進んではきているものの、やはり社会が自由主義になると、「ごねる自由」も強くなってしまうこと。また、統一後の自由化時に、公営住宅の一部だけを個人に売却するという誤った政策をとってしまったため、今は住宅再建が本当に大変だということであった。
でも、そうはいいつつ中心部の町並みは新しく、とてもきれいで、また、敷石にはコットブス出身のオリンピック・メダリスト達(ものすごく大勢いた)のプレートなどがはめ込まれ、街に対して誇りを持っているところがうかがえ、結構後口が良かった。
昼食時には、コットブス市で日本との交流に携わっている人たち(全員ドイツ人を中心として非日本人)と、市の開発公社(のようなもの)の会議室で、サンドイッチをつまみながらの意見交換会。いろいろユニークな試みをされておられる方も多く、頼もしい限りだったが、このご時世、どうしてもお金の悩みがつきまというというのも、致し方ないところ。
コットブスからベルリンに戻った足で、すぐにブランデンブルク州政府に赴き、Hams官房長官と懇談。英語が実に堪能で(Grafさんももちろん堪能だけど)、人当たりの良い有能そうな長身のドイツ人で、話していてとても楽しかった。いかにもGrafさんの「ライバル」というか、「敵方であるメンター」というか、そういったイメージ。
しかし、州政府と市町村連盟とのコミュニケーションは非常によさそうで、いいことだと思った。
仕事終了後、午後7時半からは、ベルリン周辺在住の元JETの人たちに集まってきてもらい、夕食を取りながらの意見交換会。大使館からJET担当の西井一等書記官と現地スタッフのレナータ・フォン・ビュローさんも参加。みなさん英語も日本語も結構おできになるので、集まったメンバーの中で唯一ドイツ語のできない僕も、疎外感を感じることなく、とても楽しくすごさせていただいた。ドイツはやはりロンドンから遠いので、ロンドン事務所とは疎遠になってしまいがちになるけれど、できるだけこうやって交流とコミュニケーションを続けて行くようにしたいとお約束して、お開き。
その日はベルリンのホテル泊まり。翌日は、せっかくの機会だからと言うことで、ポツダムのお城巡り。仕事中ずっと悪かった天気が、土曜日にはすっかりよくなり、気持ちよく見て回ることができた。午後、お買い物も済ませて、夜の飛行機でロンドンに戻った。

2009年6月7日日曜日

5月20日~6月5日

5月22日(金)にロンドンでの仕事を済ませてから、6月1日(月)まで日本に出張していて、その後も時差ぼけで体調がいまいちだったため、ブログの更新がずいぶん滞ってしまった。
今思い出せる範囲で、その間のことをとりあえず書いておき、機会があればあとから補足したい。

5月20日(水)は、月例のスピーカーシリーズ。ケンブリッジ大学で博士課程を履修中の土野賢氏の講演。土野氏は、完全に日本人名前だけれど、元々ハーフで海外生活が長く、日本にいたときにもインターナショナル・スクールに通っておられたとのことで、英語がFirst Language。この日の講演も、最初は楽な英語でされたいとのことだったのだが、日本語の講演原稿を用意され、日本語で講義。いつものように講演前には一緒に昼食を取ったのだけれど、いやいやどうして実に達者な日本語。ちょっと海外生活が長くて言葉が外国語風になった日本人、って感じで、日本語でのコミュニケーションも、全く問題なし。講演テーマも、日本の地方議会・地方政治の変化に関するもので、もう並の生まれながらの日本人よりよほど日本通。
現在博士論文執筆中のもののダイジェスト版だそうで、日本、英国、スウェーデンの地方政治のあり方の比較がおもしろかった。

21日(木)には、仕事終了後にChelsea Flower Showに行く。僕は特に園芸に興味があるわけでもないのだけれど、せっかくチェルシーに住んでいて、この世界的に有名な催し(だそうだ)に行かないのももったいない、ということでチケットを予約して行ってきた。
小一時間ほどかけてざっと回ってみただけだけれど、思いの外おもしろかった。単に花が植えてあるのではなく、各ブースごとに非常に趣向がこらされていて、まさに「ショー」。園芸にはさほど興味のない僕のような人間が行っても、非常に楽しめる。
写真もしっかり撮ってきたので、雰囲気を見てみたい方は、こちらへ。
でも、せっかくなら、一人で行くより誰かと一緒に行って感想を言い合いながら楽しみたいもの。来年は家族で来たい。

22日(金)は、12時半から広報連絡会議。2ヶ月に1度、在ロンドンの大使館、政府関係機関や商工会議所、日本クラブ、JALといった日本を英国に売り込むミッションを持った組織の責任者の意見交換会。幹事は持ち回りで、今回は商工会議所の当番。長年いらした商工会議所の高橋事務総長が今回でご退任とのことで、メモリアルの会議となった。
会議終了後、一度事務所に戻り、打ち合わせや決済などを片付け、そそくさと帰宅。速攻で着替えてスーツケース2個持ってヒースロー空港へ。19時15分のJAL402便で日本に飛び立った。
機内では、ワインの飲みながら機内食を食べた後、機内映画の「カリブの海賊」だけ見て爆睡。目が覚めたときには、すでに着陸まで2時間を切っており、あっという間に日本に着いた感じ。結構疲れていたということか。ともあれ、日本までの旅が短くてちょっと儲かった気分。成田到着は、23日(土)の午後3時。

24日(日)と25日(月)は、7月にロンドンに連れてくる予定の家族のための、家の片付けやら手続きやら、とりあえずできること諸々。最優先事項は、もちろん木曜日の午前中に予約を入れている家族ビザの申請書類そろえ。翌日火曜日には本部に持って行って問題ないかチェックしてもらい、水曜日に受け取って木曜日に申請という段取りなので、月曜中には必要書類がすべて整えておかなければならない。なんとか用意できた、はず。

26日(火)は、午前中総務省に寄り、状況報告等。昼は前の職場である地域放送課の現課長と昼食を取りながら意見交換。その後、外務省に寄り、昨年12月まで在英日本大使館広報文かセンター所長だった水鳥会計課長を表敬訪問。実は課長は前日までアフリカに行っていらしたとお聞きし、お会いできた幸運に感謝。

27日(水)は、午前10時半からクレア事務局長と面談。ロンドン事務所の状況、家族の渡航関係などいろいろお話しさせていただいた。本来30分の予定が10分オーバー。この日の昼は、総務省の海外勤務経験者の先輩方との昼食会。その後、総務省に寄って昨日行けなかったところを回り、午後3時過ぎにクレアに戻る。3時半から所長会議。この日はおおむね事務局長と所長だけの内輪の会議で、ざっくばらんに本音の意見交換を行った。
その会議の終了後、クレアに自治体から派遣されて来て、来年4月からロンドン事務所に派遣予定の職員との意見交換。来年は、静岡県、岐阜県、神戸市から職員がやってくる予定。7月に来英予定の総務省と東京都の職員の方にも、せっかくの機会なのでご一緒に参加願った。

28日(木)は、朝9時から新橋のUKビザセンターに行って、家族のビザ申請。前日に、子供達の学校にはビザ申請のため遅刻する旨を連絡してあったが、学校に行く用意をさせて出発。あいにくの雨で、駅まで自転車が使えなかった上、新橋までの京浜東北線が通勤ラッシュでかなり大変だった。体の小さい息子が押しつぶされないか、娘が痴漢に遭わないかとひやひやしどおし。ともあれ、無事9時にはビザセンターに着き、荷物チェック、ボディチェックの後受付に。窓口が2つで入ったときには両方ふさがっており、10分ほど待たされたけれど、割とすんなり受付スタート。審査が始まってしばらくすると、僕と家族全員のパスポートのコピーが必要なのにないと言われ、慌てて1回のローソンに降りてコピーを取る一幕があったり、僕のビザのカテゴリーについて、昨年7月に渡英した際の Oversea's Government Employee から Tier 5 の International Agreement に切り替わったことについて説明する必要があったりと、若干のばたばたはあったけれど、ともあれ無事に受け付け終了。でも、やはり僕の帰国のタイミングに申請をすることにしておいてよかった。妻だけでは、とても昨年の英国移民法改正におけるビザのカテゴリーの変更なんてわかるはずがない。
申請終了後、妻は娘を送って渋谷方面へ。僕は息子と一緒に赤羽に戻る。息子を小学校の担任の先生のところまで連れて行き、その足でクレアへ。この日の昼は、クレア本部の役員との意見交換昼食会。その後、引き続いて所長会議の本番があり、さらに総務省総括審議官との意見交換。終了は午後6時。6時半からはルポール麹町に場所を移して、総務省幹部の方達への「海外活動報告会」。立食パーティ形式。
すさまじく忙しい1日だった。

29日(金)は、午前中は幸い仕事が入っていなかったので、歯医者の予約を入れ、歯石取り。日本だと健康保険が利くが、英国での海外傷害保険は歯科医療が対象外なので、この機会は非常に重要。海外にいる間は、虫歯にはなれない。その後、7月にロンドン事務所勤務となる東京都の職員が、せっかくの機会なので一度東京都のオリンピック誘致現場を見ていただきたいというお誘いを受けていたので(ちなみに、彼は現在オリンピック招致委員会に出向中)、都庁へ。一緒に45階の食堂で昼食を取ってロンドンに来てからのいろいろな話をした後、招致委員会事務局と招致本部の事務所を見せていただいた。現在どちらも100人を超える大所帯で、オリンピック招致に賭ける都の熱意がひしひしと伝わってきた。10月2日が運命の日。
その後、前の前の職場であった地方公務員共済組合連合会に寄り、昨今の金融・経済情勢についての意見交換をした後、またまたクレアへ。この日は、午後4時から外務省との意見交換会。縄張り争いをすることなく、非常に協調的にいい関係を築けていることを感じた。
そして午後6時半からは、虎ノ門パストラルで「クレア会」。クレアの現職・OB達が一同に集う総会で、歴代先輩事務所長から叱咤激励を受ける場。今回の全日程の中で、正直これが一番大変だった。

30日(土)は、朝一番に、雨の中、大量の粗大ゴミを指定場所に持って行く。今回の引っ越しは、今までの引っ越しとは訳が違う。僕もいないので、妻が大車輪の活躍。頭が下がる。その後、午前中に、息子と北区の温水プールに行って一緒に泳ぐ。実に1年ぶり。娘は学校があったので一緒に行けなかったのが、ちょっと残念。夕方は、同期のうち3人が現在海外勤務になっていることもあって、帰国中のこの時期に合わせての総務省同期会。知事、課長、大学教授とみんなそれぞれひとかどのポストに就いていることもあり、貴重な機会。

31日(日)は、今回の帰国の最終日ということで、自分の残っていた荷物の総整理。日本に残してきた本のほとんどをブックオフに持って行き(段ボール箱3箱分)、洋服を大量に捨て、証書類をふるい分けし、可能な限り後腐れのないよう整理してきた、つもり。しかし、引っ越しの瞬間に自分が海外にいて立ち会えないというのは、かなり不安の残る状況。国内単身赴任とは、やはり根本的に状況が異なることを痛感。夕方には、先頃婚約してこの7月5日に結婚する予定の妻の弟カップルが我が家を訪問。結婚式に出席できない僕のために、妻がセットしておいてくれたもの。美人で非常に感じの良い女性で、一安心。

1日(月)は、正午初のJAL401便でロンドンに戻る。朝8時過ぎには妻と車で家を出たのだが、想像を絶する渋滞で、途中ひょっとして飛行機に遅れてしまうんじゃないかと非常に焦った。しかし、何とか10時半には成田に着き、チェックインもスムーズに終わって一安心。今回は、家族の引っ越しの前触れということで持って帰る荷物も多く、自動車を使わざるを得なかったのだけれど、やはり車は心臓に悪い。
飛行機は、当初午後4時35分ヒースロー着の予定だったけれど、予定より早く午後4時には到着。大量の荷物をタクシーに詰め込み。無事帰還。

2日、3日は事務所でたまっていた事務処理。

4日(木)は、午後2時半から大使館で行われたJOCとラフバラ大学との調印式に出席。2012年ロンドンオリンピックの日本選手団の合宿先としてラフバラ大学を利用させてもらうというもの。この大学は、スポーツ・サイエンスで有名な大学で、北京オリンピックにも学生から50名以上参加しているとのことで、非常に有意義な提携。東京オリンピック誘致の一助にもという意図も、もちろんあり。
調印式後のレセプションでは、河野一郎東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長にご挨拶。昔の有名政治家と同姓同名だけれど縁戚関係にはないらしい。また、ラフバラ大学のJon Walker渉外部長ともお話した。

5日(金)は、朝、出勤前に9月から息子が通う予定の小学校に訪問。3月末に息子と一緒に訪問した折には、現在空きがないため入学は難しいとのことだったのだけれど、幸運にも空きができたようで、入学のオファーが手紙できており、早速入学手続きに行ってきたもの。
こちらでどこの学校に行かせるかについては、1年間ずっと悩んできたけれど、とりあえず息子については一段落。まあこの選択で本当に良かったのかどうかは、行ってみるまでわからないけれど、ともあれ行くところが一つでもきちんと見つかってよかった。
日本では考えられないことだけれど、こちらでは、学校はとにかく自力で見つけなければならない。行政を頼ることは基本的にできない、というのは大きな勉強だった。