2010年3月31日水曜日

3月4日~3月31日

4日(木)は、同志社大学からケンブリッジ大学に来て研究中の田中教授のお誘いがあったので、一緒にLondon School of Economicsで行われた講演会「Department Of Economics Public Debate - Men of Letters: What Should Be Done About the UK Budget Deficit?」を聞きに行ってきた。講師は、Professor Tim Besley, Professor Alan Manning。

8日(月)は、事務所に北海道大学公共政策大学院で地方自治論を担当している山崎教授が、同じく北海道大学の石井教授、木村特任教授、東京外国が大学の若松准教授とご一緒に来訪。教授は5日に英国入りして、バーミンガム大学でイギリスの地方財政の現状について調査された後、事務所に来られたもの。ちなみに、バーミンガム大学への手配は、うちの事務所が行った。
英国の地方自治や地方政治、分権問題などのテーマについて、熱心なディスカッションを行った

9日(火)は、事務所に防衛省の井上参事官が来訪。英国国防省に1年間派遣されて来ていたのが、帰国されることとなったのでそのご挨拶がてらお立ち寄り。

11日(木)は、宮本所長補佐(広島市)、キルヒナー主任研究員、キース助手と一緒に、バーミンガム大学出張。
INLOGOV所長のジョン・レイン氏をはじめ、以前からなじみで国際塾カリキュラムのとりまとめ役だったサイモン・バドリー教授、クリス・ゲーム教授、ピーター・ワット教授に加え、公共マネジメント・政策のトニー・ボバード教授の5人がお相手くださり、非常に暖かく迎えていただいた。
サイモン教授からは、国際塾のカリキュラムは自分としてINLOGOVでの非常に重要な活動として考えて取り組んでき、これまで実に数多くの塾生たちと交流を深めて来ることができ、今でもつきあいの続いている学生(自治体職員)も多いので、その廃止は非常に残念だというお話があり、2004年度の国際塾の際製作されたDVDビデオの上映もその場でされた。
しかしながら、ジョン・レイン所長は、財政が厳しいのは英国も全く同じであるので、クレアの事情も非常によくわかる、むしろ、国際塾廃止に当たっても、バーミンガム大学との関係継続を真摯に考えてくれ、新しい提案を持ってきてくれたことは非常にうれしく、光栄に思う、というコメントがあり、来年度予算で盛り込んだ事業についても、非常に前向きにとらえてくださり、ぜひ今後とも協力関係を継続し、協同でいい調査研究をしようとお話くださった。
その後、ジョン・レイン所長、サイモン・バドリー教授、クリス・ゲーム教授に秘書のフェイ・ウィルソンさんを加えた4人とこちらの4人とで会食。

15日(月)は、拓殖大学地方政治行政研究所の竹下所長、並河客員教授、ヒラリー・フランク調査協力員が事務所に来訪。竹下先生は、僕が四日市市助役をしていたころから四日市大学地域政策研究所の所長をされていた関係もあって、その頃から非常に懇意にしていただいており、実になつかしかった。当時は知らなかった(か、忘れてしまっていたか)のだが、竹下先生がLSEに派遣されて研究していた頃にクレアロンドン事務所の立ち上げの話があったため、先生は初代所長である故横田所長ともども、ロンドンの物件探しに奔走していただいたとのこと。また、立ち上がったばかりのロンドン事務所では、まだすべての仕事が手探りであり、また、事務所の職員も少なく、スペースが十分にあったため、先生の机も事務所にあって、地方公共団体から派遣されていた職員たちの調査の指導に当たっていただいていたという話もうかがった。ロンドン事務所のクレアレポートの質が高い(高かった?)のは、発足時に「指導教官」を得ることができたおかげだったのかと深く納得。また、ヒラリー・フランクさんも、JETの経験があるだけでなく、ロンドン事務所発足の翌1990年から6年間事務所のローカルスタッフとして働かれたご経験があり、オランダ人とイギリス人のハーフということもあって、英語、オランダ語、日本語はもちろん、ドイツ語、フランス語、スペイン語も使えるというものすごい人。経団連ご出身の並河先生ともども、話は実におもしろく、ものすごく勉強にもなった。

16日(火)は、大使館との共催の「第2回日英ローカルリンク会議」に出席。詳細は省略するが、今回もなかなか活発な意見交換があり、出席者の満足度も高かったように思った。英語版の簡単なレポートは、事務所のフィリパが書いてくれた。
http://japanuklinks.wordpress.com/2010/03/19/japan-uk-local-links-conference-2010/

18日(木)は、午後2時から事務所の月例勉強会「スピーカーシリーズ」。いつもとは趣向を変え、この日は3月で帰国する木村所長補佐と松野下所長補佐から、クレアレポートを題材にそのプレゼンテーション。二人とも、よくがんばりました。

19日(金)は、午後12時半から午後3時頃まで、国際交流基金で行われた広報連絡会議に出席。
この日はメンバー10人全員参加。JETROの栗山次長は、今回初参加。また、JSPSの古川所長は、4月末の帰国内示があったため、今回が最終回とのこと。独立行政法人の事業仕分けの関係があって、まだ新年度予算の各海外事務所配分が決まっておらず、来年度事業については未定という報告が多かった。

25日(木)は、午後2時に、在エディンバラ日本国総領事館本山領事が来訪。大使館での用務の後、クレアロンドン事務所に立ち寄られたもの。彼とは、以前総領事の公邸でのイベントで一度お会いしたことがあり、今回が2度目。群馬県から派遣の小川所長補佐を交えて、5月にエディンバラで行われる予定の落語イベントなどについて打ち合わせを行った。

26日(金)は、午後4時から、日本スポーツ振興センター(NAASH)のロンドン事務所で開催された講演会「バンクーバーを振り返りロンドンへの展望を語る」に、事務所の引場参事と一緒に参加。講師は、国立スポーツ科学センター(JISS)情報研究部副主任の和久貴洋氏。
講演の前半で、今回のバンクーバーオリンピックの総括と、JISSがオリンピックに向けて行った活動のさわりについての紹介、後半で、2012年ロンドンオリンピックに向けての活動やUK Sport との連携についての話があった。
バンクーバーオリンピックで、英国に唯一のメダル、それも金メダル(女子スケルトン)をもたらしたエイミー・ウィリアムズ選手を例にとって、現代オリンピックでのメダル獲得には、いかに国家的な戦略とプログラムが重要になっているかについての話は、非常に客観的、具体的で説得力があっておもしろかった。質疑の時間や講演終了後の懇親会での話もおもしろく、実に有意義な講演会だった。

2010年3月18日木曜日

3月2日、3日オランダ出張

3月2日(火)から3日(水)にかけて、木村さん(東京)、松野下さん(徳島)、キースと一緒にオランダ出張。目的は、木村さん、松野下さんのクレアレポートの補充調査と、オランダ自治体協議会(VNG)との顔のつなぎ直し。 事務所としてここしばらくVNGへの訪問をしておらず、連絡窓口なども切れてしまっていたので、直接顔を合わせて今後の連携のとっかかりを作っておきたいと考え、クレアレポート調査にひっかけて行くこととしたもの。VNGは、首都アムステルダムではなく、デン・ハーグに所在していたため、2日は午前8時10分ヒースロー発のBMI機でスキポール空港に到着後、電車でそのままデン・ハーグに向かった。なお、BMIは、これまでベルファストに行くときに乗ったことがあっただけだが、国際線に乗るとエコノミーでもヒースロー空港でのラウンジを使うことができ、ここで簡単な朝食も無料で取ることができる。機内食は有料なのだけに、これはお値打ち。デン・ハーグ駅に着いたところで、荷物をコインロッカーに預け、歩いて市内観光。時間もあまりなかったので、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を収蔵しているマウリッハイス美術館に絞る。日本語ガイドもあって、お目当てのフェルメールの3点も見ることができ、かなり楽しめた。1時間弱があっという間。終了後、近くのサブウェイで急いで昼食をすませ、午後1時半にVNGを訪問。
VNGは非常に立派なビル。スウェーデンのSKLやデンマークのKLもきれいな施設だったけれど、いい勝負。受付で手続きを済ませ、ロビーで待っていると案内の人が来て、会議室に案内された。
会議はすべて英語。まず、所長のAnnemiek Wissinkさん(女性)から挨拶があった後、職員部門担当のRogier Stout氏からプレゼンテーション。オランダの自治制度一般の話をしていただいた後、自治体の人事制度や採用、職員能力開発等について幅広くお話しいただいた。オランダの自治体首長はすべて政府任命というところが、日本や英国などとは大きく異なる点だが、職員の流動性が非常に高いというところは英国に似ている。
次に、経済部門担当のJaap Berends氏から、オランダの自治体におけるビジネス支援施策についてのプレゼンテーション。経済刺激策として、公共事業を実施し、施設の改修などを行うというところは日本と変わりないのだが、おもしろいのは財源を使わないでいた分を「貯金」しておくという仕組み。詳しく聞く時間はなかったのだが、日本の「基金」と似たような制度なのかもしれないけれど、それよりもなんとなく「貯金」というニュアンスに感じられ、おもしろそうな制度に思えた。いつかまた機会があれば調べてみたい。ただ、松野下さんのお目当てのBIDについては、アメリカやイギリスの例を参考にして導入を始めたばかりとのことで、特にユニークな情報はなし。
午後3時にデン・ハーグ市役所を訪問する約束だったのに、VNGでの話が終わったのがすでに2時50分。タクシーを呼んでいただいて、急いでハーグ市役所へ。市役所もまた、白を基調とした非常にモダンで美しいビル。入り口の一番わかりやすいところに、今回ヒアリングを申し込んだ ExPat Desk があった。ここは、日本で言えば国際交流課と市民課外国人登録窓口が一体となり、さらにそれを超えて市内に居住する外国人すべてについてのワンストップ・サービスを実施しているセクション。我々に面会してくれた Martijn Kuiper 氏は、ものすごく英語が堪能でエネルギッシュ、かつ、ホスピタリティにあふれた人で、終始圧倒されっぱなしだった。ロンドンやパリに比べ、知名度で劣るハーグに、いかにして国際優良企業や国際的に優れた人材を引きつけるかという戦略について、全力で考え、取り組んでおり、外国人の入国手続きやその後の生活に必要な手続き(銀行口座の開設といった民間部門に属するものまで含めて)に関して徹底的に簡素化とスピードアップをはかっているという説明であった。もちろんすべて英語での対応も可能であり、この窓口で受ける電話の90%までが実際に英語だとのこと。オフィスを見回しても、たしかにオランダ語より英語の表示の方が多いくらいの徹底ぶり。何しろやることが徹底していて、非常に感銘を受けた。ここも、機会があればぜにまた来て勉強したいところ。
この日は、ハーグ市での業務が終わった後、電車でアムステルダムに行き、アムステルダムのホテルに宿泊した。
2日の業務は、以上のように順調に進んだが、3日(水)は、アムステルダム市役所のアポが結局取れないままに終わってしまったため、市内視察。2008年9月に事務所のスピーカーシリーズで、「なぜシティブランディングが必要か」というテーマで、Placebrandsというシンクタンクの所長Sicco van Gelder氏にご後援をいただいたことがあり、その際、モデルとしてアムステルダム市中心部のOverhoeksの紹介があったので、これを見に行くことを企画。しかし、アムステルダム駅周辺の案内をいくら聞いても要領を得ない。「石油関係の工場があった場所にマンション、テナントビル、美術館が作られている。結果、この場所には文化的な生活を送る新しいコミュニティが出現した」という説明にぴたりと当てはまる場所は見つからないどころか、「Overhoeksっていうのは、まだ建設中のビルですよ」と言われてしまう始末。とりあえずそのあたりをバスに乗ったり徒歩で歩いたりしながら見て回った。その後、アムステルダム市役所に行き、ここにもデン・ハーグ市役所のような ExPat窓口があれば、補足説明を聞けるのではないかと思っていろいろ聞いてみたが、どうやらアムステルダムにはExPatに相当するものはない様子。市役所内の表示もオランダ語ばかりで、どこに何があるのかも外国人には全くわからない。アムステルダム行きは、終始当てが外れっぱなしだった。町そのものは、運河が多くて美しく、食事も前日夜に何気なく入ったインドネシア料理がおいしくてよかったのだけれど、仕事面ではあまりうまくいかなかった。オランダに仕事に行くときには、アムステルダムよりハーグの方がよいと認識。

2月21日~28日

2月の後半から3月始めにかけては、めちゃめちゃ忙しかったため、更新が滞っていました。
そうこうするうちに、行政刷新会議への影響なども考えて、ブログを限定公開にすることにしたため、さらに更新のインセンティブも弱まり、ずっと更新をサボってきました。

でも、読者の方も数人確保したところなので、またぼちぼち書いていくことにします。限定公開で気楽になりましたので、自然体で行きます。

3週間分あるので、まずは2月末のドイツ出張の話から。

2月21日(日)は、まず、午後1時40分から、娘と2人で英検のスピーキングテスト(娘が3級、僕が2級)を受けにインペリアル大学へ。待ち時間は多少長かったけれど、試験そのものは結構あっさり終わり、午後3時までには帰宅。

その後、午後6時15分ヒースロー発の飛行機で、キルヒナーさんと一緒にハンブルクへ。空港からはSバーンで中央駅に行き、そこから歩いてハンブルクでの宿泊場所であるWednaホテルにチェックイン。到着が現地時間でもう夜10時半を回った頃だったので、そのまますぐに部屋に行って寝た。ホテルそのものはまあ感じのいいところだったのだけれど、部屋にはミニバーもインターネットの設備もなく、本当に寝るだけっていう感じ。

22日(月)の朝起きてシャワーを浴び、朝食に行くために部屋の鍵を閉めようとしたけれど、閉まらない。おかしいなと思って部屋番号を確認すると、なんと鍵をもらった部屋と番号が違う。昨晩、暗くて番号がよく見えなかったため隣の部屋と間違えてしまったみたい。本来オートロックのはずなのが、その部屋だけオートロックが壊れていてドアが開いた上、ベッドメークがきちんとされていたので、気づかずにそのまま寝てしまった、ということ。本来の部屋に改めて荷物を移し、鍵をかけてフロントへ。昨晩部屋を間違えて使ったことを断って、 朝食を取った。

昨晩、ホテルに到着した際、今回の調査旅行でご一緒する地方職員共済組合の幸田理事から、朝9時に法政大学の名和田教授と幸田理事の宿泊しているケンピンスキーホテルで待っていますとの連絡が入っていたため、8時40分頃キルヒナーさんとホテルを出発。出ると、外は大雪。ケンピンスキーホテルに向かって歩いていると、途中でこちらに迎えに来てくれていた幸田さんと出会う。そこで3人一緒にケンピンスキーホテルへ。ホテルで、名和田先生とご挨拶の後、これからの段取りについて打ち合わせ。
打ち合わせ後、10時過ぎにホテルを出発。Sバーンで中央駅からアルトナ駅へ。そこから歩いてアルトナ区役所へ。午前11時から、区役所で最初のヒアリング。お相手をしてくださったのは、区長のJurgen Warmke-Rose氏、Kersten Albers氏、Kerstin Godenschwege氏、そして広報担当のKersten Albersさん。主として幸田さんと名和田先生から、ハンブルクにおける都市内分権の制度や実務、財政事情などについて質疑。それをキルヒナーさんが通訳というスタイル。
午後1時から2時頃まで、ヒアリングでお相手してくださった方々と川縁のレストランで昼食。景色もよく、おいしい食事だった。
午後2時過ぎからは、アルトナ区議会の政党リーダーたちからのヒアリング。CDU、FDP、緑の党、SPDといった主要政党の区議たちとそれぞれ30分ずつ程度。ただ、実際には時間をオーバーしたり、約束の時間より遅れてきたりした人たちがいたため、終了したのは午後5時過ぎ。
終了後、今度は区議会環境・計画委員会の審議の傍聴のため、別庁舎へ。こちらでの議会審議は、もっぱら夕刻から夜に行われる。会議の場所に行ってみると、ドイツと日本の小さな国旗がテーブルに置かれていたりして、とても歓待ムード。午後9時過ぎまでの審議を傍聴した。ただ、名和田先生はブレーメンで3年間すごされているためドイツ語がわかり、幸田さんにはキルヒナーさんが通訳についているのでよかったのだけれど、僕は結局まったくちんぷんかんぷんのまま単に座っていただけ。ただ、それでも審議の雰囲気は感じ取ることができて、それなりにおもしろかったけれど。
終了後、Sバーンに乗って名和田先生・幸田さんの泊まっているケンピンスキーホテルまで戻ったときには、すでに午後10時を回っていた。そのホテルで、4人でようやく遅い夕食。かなりおなかがすいた。キルヒナーさんはさすがに食事後すぐにウェドナホテルに引き上げたが、僕は名和田先生、幸田さんにビールをおつきあいして、お別れしたのが午後11時過ぎ。長い1日でさすがに疲れた。

23日(火)も、やはり朝8時半過ぎにホテルを出てケンピンスキーホテルで幸田さん、名和田先生と待ち合わせ、9時頃に出発し、今度は歩いてハンブルク市役所へ。しかし、到着して受け付けで用務を告げると、実はそこは旧市庁舎であって、ヒアリング相手のいる庁舎と違っていることが判明。あわててタクシーに乗り、本来の市役所へ。なんとか約束時間の9時半を5分ほど遅れたくらいで到着。ここで、市財務次官のDr. Manfred Jaeger氏、Tom Oelrichs氏、Harald Fritze氏からヒアリング。やりかたはアルトナ区役所の時と同様に、幸田さん、名和田先生からの質問と相手からの答えをキルヒナーさんが通訳するスタイル。テーマは市から区への交付金関係が主。しかし今回の場合、事前に相手方に質問を送っておいたところ、ドイツ語での詳細な回答文があらかじめ用意されており、それにそって回答が行われたため、通訳のキルヒナーさんの負担は大変だった様子。
本来1時間程度の約束が、結局2時間お相手してくださり、終了したのが午前11時半頃。終了後、4人で市役所近くのイタリアンレストランに行き、昼食。

実は、このドイツ出張では、日曜日の夜に出かけたため私服で来ており、背広やネクタイはsuitcaseに詰めていた。しかし、直前に詰め込む予定にしていたワイシャツを入れ忘れ、ワイシャツを1枚も持っていなかったため、初日全部と2日目の午前中、すべて日曜日に着ていった服のまますごしていた。日曜日にワイシャツを忘れたことに気づいたときには、途中の空いた時間に購入して着替えるつもりでいたのだけれど、そんな時間はどこにもないまま2日目の昼。昼食後、コーヒータイムになってようやくほんの少しだけ時間ができたので、その間にダッシュで近くのH&Mに行き、手近なものを2枚だけ購入。鞄に詰め込んでまたレストランに戻った。ただ、とてもホテルまで戻って着替える時間はなく、結局この日も1日中日曜日からの服のまま過ごすことに。

昼食後、午後2時から、文化施設のMOTTEを視察。ここは、なかなか一言では説明しにくいのだけれど、子供たち相手にドイツの伝統的な職業技術・技能を教えるような機能を持った施設。古い施設の中に、活版印刷、陶磁器、木工、自転車修理、音楽編集などを教えることができる部屋があったり、絵画、演劇、ラジオ、音楽演奏ができる部屋があったりして、ここにボランティアの先生たちが多数来て、子供たちに様々な技能を教えているとのこと。いかにもドイツらしいアイデアで、おもしろかった。


視察後、名和田先生はブレーメンでの用務があるためいったんお別れし、幸田さん、キルヒナーさんと3人で、Uバーンに乗ってハルブルク区議会へ。昨日は区議会の委員会だったけれど、この日は区議会そのものの傍聴。午後5時半に始まり、午後9時半までの審議。昨日のことがあったので、今回はキルヒナーさんに、幸田さんと僕との間に入ってもらったけれど、現実問題としては議会の審議の真っ最中にそれほど通訳してもらうこともできず、やはりほとんどはちんぷんかんぷんのままの傍聴だった。終了後、区議会議長さんにインタビューしたいとの幸田さんからのご要望で、4人で近くのレストランバーに行って、軽食を取りながらインタビュー。終わったのが午後10時半近く。Uバーンに乗って引き上げ、ホテルに戻ったのが、やはり午後11時過ぎ。この日も大変だった。

24日(水)は、ホテルをチェックアウトし、荷物だけ預けて再度午前10時にハンブルク市役所へ。昨日の財務次官からの話では十分聞けなかった区への補助金交付実務についての細部について再度調査するため、直接担当している職員に時間を割いてもらってヒアリング。ヒアリング終了後、やはり近くのイタリアンレストラン(昨日とは違う店)に行って昼食。
この日は、午後3時からハンブルク市議会本会議があり、その傍聴が予定されていたが、傍聴券が結局2枚しか手に入らなかったとのことで、幸田さんとキルヒナーさんのみ傍聴し、僕は一足先にベルリンに向かうことに。
午後2時頃市議会前で2人と別れ、ホテルで荷物を受け取った後、中央駅でICTの切符を購入し、そのままベルリンへ。ICTは非常に揺れも少なく、早くて快適で、わずか1時間20分ほどでベルリンに到着。Sバーンでハッケシャー・マルクト駅に行き、以前キルヒナーさんと泊まったホテル・ハッケシャーマルクトにチェックイン。ロンドンから直接ベルリンに来ているはずの引場さんに連絡を取ると、今市内を回っているところとのことで、午後6時半に国立オペラハウス(シュタット・オーバー)前で待ち合わせて一緒に夕食&オペラ観劇をすることに。
オペラ座近くのレストランでいかにもドイツ風の夕食&ビールを取った後、午後7時半からファウストを観劇。おそらくイタリア語の台詞にドイツ語字幕でのオペラで、演出も実にモダン。ファウストの筋を全く知らなかったら、ちょっとついて行けなかったかも。しかし、3日間仕事詰めでさすがに疲れたので、1幕が終わったらそこで出て、2人でパブに行ってビールを少し飲んでホテルに戻った。
キルヒナーさんの用務も無事に終わったようで、ちょうど1幕が終わったときにテキストが入り、ホテルにチェックインしたとのこと。翌日午前中は仕事を入れていなかったので、正午にホテルで待ち合わせることだけを決めた。

25日(木)は、午前中ホテルでゆっくりした後、11時頃から1時間ほどホテル近くの博物館島あたりを1人で散策。12時にホテルに戻って引場さん、キルヒナーさんと落ち合い、3人でハッケシャーホーフのカジュアルなレストランへ行き、ランチ。本来、25日午前中にも仕事を入れる予定でいたのだけれど、結局アポを取った先との時間の調整がうまくつかず、ここが空いてしまった。しかし、結果としてはそれで大正解。ハンブルクでの日程が1日14時間労働であまりにもきつかったため、ここでようやく一息つけた感じ。
地下鉄に乗って、シュタート・ミッテ駅まで行き、そこから15分ほど歩いて、午後2時過ぎにドイツ都市問題研究所(DIFU - Deutsches Institut fur Urbanistik)に到着。ここで1時間ほど、Prof.. Klaus J. Beckmann所長、経済財政担当のDr. Beate Hollbach-Groemigさんにヒアリング。テーマは、来年事務所で企画している「ドイツの地方自治」改訂について、DIFUに情報提供等を依頼することができるかどうかについて。快諾していただいた。また、DIFUという組織そのものも、ドイツの地方自治体自らが設立したシンクタンクというユニークなものなので、これ自体もドイツの地方自治に盛り込むとおもしろいかもしれないというアイデアも湧いた。
ヒアリング終了後、バスに乗ってポツダム広場方面に行き、そこから歩いてヒロシマ・シュトラーセにある在独日本大使館へ向かう。午後4時半に広報担当の三好真理公使に面談する約束だったのだが、大使館からの連絡で、公使に後の予定が入ったため、できれば早く来てほしいとのこと。午後4時頃には大使館に着き、すぐに三好公使と山崎一等書記官との打ち合わせに入った。
テーマは、2011年に日独友好150周年の記念イベントが催されるとのことを聞いたので、JLGCとして貢献できることがないかどうかについて。JLGCからの提案は、イギリスでは日英ローカルリンク会議というのを開いてみたところ、なかなか好評だったので、ドイツでも実施してみてはどうか、というものだったのだけれど、三好公使はかなり興味をそそられたご様子で、ぜひ実現させましょうとのお言葉。公使の方からは、JETではせっかくドイツで優秀な若者をリクルートしても、実際に日本に行ける数が非常に少なく、もったいない。もっと受け入れを増やせないかとの要望があり、たとえばドイツと姉妹都市関係にある日本の都市での受け入れをもっと積極的に働きかけることはできないか、といった提案があり、本部に提案してみますと約束。
公使との話し合いを終えた後、山崎書記官と「ドイツの地方自治」の改訂について打ち合わせ。山崎書記官自身、スイスからベルリンに赴任してきた際、「ドイツの地方自治」の存在をたまたまWebで知り、これが着任直後の勉強に非常に役立ったという体験談を話され、今後の協力についても快諾。
大使館とのやりとりは、実に建設的な内容だった。
大使館を出た後、いったんホテルに戻り、夕食へ。夕食は、キルヒナーさんの提案で、以前ドイツのJETAAたちと懇談をした「五行(Goko)」という日本食レストラン、というか、実態は居酒屋。ホテルのすぐ近くにあり、なかなかおいしい。
さらに近くのスーパーでワインを買って、ホテルの部屋で引場さんと2人で飲んだ。

ちなみに、ドイツ時間の翌朝午前4時から、ユーロスポーツチャンネルでバンクーバー冬季オリンピックの女子フィギアスケートのフリースタイルがあったため、目覚ましで起きてテレビ観戦。キム・ヨナのものすごい演技を生で見ることに成功。さすがに眠たかったけれど。

26日(金)は、ホテルをチェックアウトした後、午前9時にベルリンを出て、Sバーンでポツダムへ。午前10時からポツダム大学で打ち合わせ。主な話題は、もちろん「ドイツの地方自治」の改訂についての大学との協力関係について。こちらから現在時点での構想を話した後、質疑。大学側から、盛り込んだ方がいいと思われる事項等についての提案を行いましょうとのこと。こちらの話し合いも、なかなか順調に終わった。
大学での打ち合わせ終了後、現在うちの調査を引き受けてくれているテスマンさんのご案内で、世代間交流施設を視察。東ドイツ時代に建設された建物をリニューアルして使っているとのことで、湖に面した非常にいいロケーションのゆったりした施設。やはりMOTTE同様に、単にハコを作って終わりというのではなく、施設内でいろいろなアクティビティが行われ、学校教育との協力や生涯教育などに幅広く利用されているとのこと。 非常に立派なホールやスタジオなどもあり、逆にちょっと立派すぎて、維持費は大丈夫なのかなと心配になるほど。熱心に説明してくれ、非常に暖かく迎えていただいた。

施設終了後、タクシーでポツダム中央駅に行き、そこでテスマンさんと分かれてSバーンに。途中絵できキルヒナーさんとも別れ、引場さんと2人でツォー駅で降りてバスでテーゲル空港へ。午後7時20分の飛行機に乗ってロンドンに戻り、ようやく長かったドイツ出張が終わった。

27日(土)は、1週間の出張帰りでちょっとしんどかったけれど、昨年も行った「第5回大学生のための日本語スピーチコンテスト」を見に行ってきた(パンフレットのPDF版はこちら)。午後1時からSOASのThe Khalili Theatre という教室で行われたのだけれど、会場は応援の学生たちなどで満員。去年もそうだったけれど、今年も非常にレベルが高く、おもしろかった。
今年からスタートした「団体競技」の「グループ・プレゼンテーション」というものも、実に楽しかった。たしか100以上のグループが参加して、そこから勝ち抜いた4組だけがこの日のプレゼンテーションに参加できたとのことで、どのグループもinformativeで笑いのツボも心得ており、実に秀逸。来年以降もぜひ続けてほしい。
もちろん、本編のコンテストの方も秀逸で、カテゴリー2(選択科目による日本語履修者)で優勝したWilliam Kwang Won Kimさんの「特許の副作用」、カテゴリー1(専攻科目による日本語履修者)で優勝したAntoni Slodkowskiさんの「ODA 政策の政治的・社会的影響:日本はどう世界に貢献すべきか」とも、単に日本語のうまさだけでなく、話の内容も含めてすばらしいものだった。