2009年9月3日木曜日

沖縄・オーランド交流セミナー

9月1日、2日と、フィンランド領オーランド諸島で、「沖縄・オーランド交流セミナー」を開催しました。

このセミナーは、前ロンドン所長の務台さんの強い思い入れによって実現したもので、ロンドン事務所としては、僕の知る限り初めて英国外で開催したセミナーでした。

もともと、2002年度から2004年度にかけて、中央大学の9研究所が合同してオーランド島と沖縄島との比較研究を行っており、その成果は「リージョンの時代と島の自治 - バルト海オーランド島と東シナ海沖縄島の比較研究」(古城利明編、中央大学出版部)という書籍の形でまとめられていました。

務台前所長は、ロンドン事務所着任前からこれをご存じで非常にオーランド島に興味を持たれており、在任中には早速オーランドに直接出向いて関係者との意見交換をされてきたそうです。そして、その折に、ぜひオーランドで沖縄県と共同でのセミナーを開催し、沖縄と直接意見交換を行いたいというオーランドの希望を聞き、ロンドン事務所がその場を提供することを約束して、今回のセミナーに至ったものでした。

当初、ロンドン事務所管轄地域とはいえ、事務所からみると「外国」であるオーランドでセミナーを開催することに、不安がなかったわけではありませんでしたが、オーランド側では、オーランド平和研究所が事務局を務め、会場確保からオーランド側の講師確保、宿泊所・食事の手配等々、現地での実務をすべて積極的に行ってくれましたので、当初懸念したよりも円滑にセミナーを開催することができました。

とはいえ、やはり開催に至るまでには、いろいろ紆余曲折がありました。

オーランド平和研究所からの当初要望では、3日間にわたるセミナーで、経済・平和・自治制度の3つのテーマごとに、それぞれ沖縄側とオーランド側それぞれから各2名ずつ講師を招き、合計12セッションで深く議論したいということだったのですが、残念ながら、平和研究所が申請を出していたチャリティ団体からの補助金の確保ができなかったため、セミナー規模を縮小し、講師はテーマごとにオーランド、沖縄各1名として、講師確保の予算はすべてクレア側で賄うことに。その結果、開催期間は2日間として、当初オーランド側で計画していたセミナー終了後の視察ツアーも中止になりました。

講師の選定に当たっても、オーランド側講師は地元なので特に問題なかったのですが、沖縄側の講師については、県庁から部長クラス以上、琉球大学の教授+アルファということでいろいろ当たってみたのですが、なかなか日程の都合が折り合わず、講師が確定しなくてひやひやしました。結果としては、県庁のご努力によって、上原勝則観光商工部産業雇用統括官、島袋純琉球大学教授の日程を押さえていただき、また、オーランドから紹介のあった、中央大学の研究時にも参加されていたストックホルム大学の池上雅子教授を3人目の講師としてお迎えすることで、無事事なきを得ました。

ちなみに、上原統括官は経済のセッション、池上教授が平和のセッションで、島袋教授が地方自治のセッション担当で、それぞれ深い専門知識・経験を有する、しっかりした講師陣となりました。オーランド側は、経済がオーランド統計研究センターのリチャード・パーマー博士、平和はもちろんオーランド平和研究所のシア・スピリオポロ・アケルマルク所長(発音がこれで正しいのかどうかは、ちょっと自信ありませんが)、そして自治制度は元オーランド議会官房長官のラース・イングマー・ヨハンソン氏で、こちらも専門知識・経験の豊富なしっかりしたメンバーでした。

言葉の問題も、やや不安材料だったのですが、フィンランド領でありながらスウェーデン語を公用語としているオーランドの人たちは皆、同時に英語にも非常に堪能で、英語でのコミュニケーションには全く問題なく、セミナーもすべて英語で行われました。

2日間にわたるセッションの最後には、パネルディスカッションが行われました。パネラーは、講演も行っていただいた島袋、池上両教授、アケルマルク平和研究所長のほか、本年初めまでノルウェー北部のバレンツ研究所で客員研究員をされていた静岡県立大学の大西富士夫氏、およびオーランド島政府長官であるエリザベート・ナウクレールさんも加わって、沖縄・オーランドの未来に関して、活発な意見交換が行われました。

短い時間ながらも非常に濃い情報交換が行われた、有意義な会議だったと思います。聴衆も、オーランド島の参加者だけでなく、フィンランド大使館から挨拶にいらした安田邦彦一等書記官(セミナー開会の挨拶もしていただきました)ほか、フィンランド大使館から関係機関にこのセミナーを広くアナウンスしていただいたそうで、それを聞いてやってきたとおっしゃっていた、ヘルシンキ大学の先生や学生、インドネシア政府ヘルシンキ大使館の職員の方など、幅広い方々にご参加いただき、その意味でも意義深いものとなりました。

2009年9月2日水曜日

Sister Cities International Conference

7月29日(水)から8月1日(土)まで、ベルファストで「国際姉妹都市会議」の年次総会が開かれ、ニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐とともに、当事務所からも僕、キルヒナー主任調査員、松野下所長補佐の3名が参加した。この会議は、メンバーのほとんどがアメリカの地方自治体ということから、これまではずっとアメリカの都市で開かれていたそうだが、今年は初めて英国で開催されることとなった。

例年500名以上が参加している非常に規模の大きなカンファレンスだそうだが、今年は北米から遠い北アイルランドの地での開催だった上、昨年来の不況の影響もあって、参加者はかなり少なめ。それでも300名以上の参加があったということなので、大したもの。

数多くのセッションやワークショップ、視察プログラムが設けられており、参加できたのはそのうちのごく一部のプログラムだけだった。

ロンドン事務所は2日目の7月30日(木)からの参加。朝、ヒースロー空港で松野下さん、キルヒナーさんと落ち合って、飛行機でベルファストへ。空港からはタクシーで会場である Waterfront Hall に向かった。会場に着くと昼食休憩の時間で、受付で登録を済ませたのち、サンドイッチと飲み物を受け取りに列に並んだ。その途中で、ニューヨーク事務所の佐々木所長、阿部所長補佐と合流し、一緒に昼食をいただいた。
昼食後、午後1時45分から3時まで、ワークショップの「Stories of Success: 1 Year, 20 Years, 50 Years」を聞く。複数のプレゼンターが、それぞれの体験談を披露。姉妹都市成功の要因として重要なのは、市長・議会のサポート、財源の裏付け、若者の参加、メディアとの関係であるといった内容。アメリカでの姉妹都市活動は、日本とは異なり民間のボランティア団体主導なので、人材の継続性の点では有利だが、いろいろなところとの調整はなかなか大変そう。特に行政と異なって「予算措置」というわけにはいかないので、活動資金の確保は大きな大きな課題のようだ。しかし、それだけに成功しているところの人々は、非常にエネルギッシュな活動家、という印象を受けた。
ワークショップの後、ホテルに行ってチェックイン。その後、6時半から、Ulster Hallで開かれた市長招宴に参加。少女たちの踊る地元北アイルランドのダンスや音楽や歌など、催しは楽しかったが、飲み物と食事はかなり少なめだったため、終了後、ニューヨーク事務所の人たちと一緒に近くのイタリアン・レストランで食事をしなおした。

翌31日(金)は、午前10時15分からのワークショップ「The Best of European Twinning」に参加。このワークショップでは、事前の要請があったため、ニューヨーク事務所とともに、プレゼンターとして発表を行った。モデレーターは、日頃から懇意にしている英国 Local Government Association の Susan Handley。発表者は、僕と佐々木所長以外に、Africa Global Sister Cities Foundation の Prince Kwame Kludjeson氏(ガーナ)、U.S. Mexico Sister Cities Association の Gil Garcia女史、Ismael Perez 氏など、まさに International。ただ、タイトルは「European Twinning」と銘打たれていたが、プレゼンターを見てわかるとおり、ヨーロッパ関係の発表を行ったのは僕だけ。つまり英国と日本の関係だけ。実質的には日本、アフリカ、メキシコの姉妹都市推進への努力を紹介しあうセッションとなった。しかも、プレゼンターの一人の到着が遅れた関係で、開始時間が遅れ、時間が押したために、ほとんど質疑のない発表しっぱなしのセッションで、議論の深まりにはやや乏しかった。そんな中、モデレーターのスーザンの司会ぶりはうまく、それだけが救いだった感じ。
昼食後、午後1時から5時過ぎまでは、Offsite Workshop。つまり「視察旅行」。「Bridging the Gap across Borders」というタイトルで、ベルファストからバスで1時間の北アイルランドとアイルランドとの国境の町 Newry and Morne に行き、住民の融和に関する取り組みの話を聞いたり、地元のボランティア手作りの歴史博物館を見学したりしてきた。
ベルファストに戻ってきた後、6時半からは、来年の開催地、アメリカの Albaquerque 市主催のレセプションに参加。食事をすませたフリータイムには、アメリカのフォートワース、ジャクソンビルからの人や韓国から参加されている方々など、いろいろな人とお話。終了後は、再びニューヨーク事務所と一緒になり、パブに繰り出した。
その日もホテルに泊まり、ニューヨーク組は翌9月1日(土)午前中の会議にも参加したが、我々ロンドン組は、朝タクシーで空港に向かい、そのまま飛行機でロンドンに戻った。